コレクション-いろいろ

2024年9月18日 (水)

36年目の9月18日 青函連絡船の形見

Img_47412

今年もこの日がやってきました。青函連絡船の最後の日。臨時運航でカムバックしてホントにこれが最後。教育実習中でこの日1日のピンポイントでしか行けない、まだ土曜日に普通に学校があったので、荷物をもって教育実習に行き、そのままゆうづる3号の客となり、1便~4便の1往復、青函くつろぎカードではくつるの発車まで船内で過ごし、泣く泣く帰り、そのまま教育実習に行くという強行軍でした。

何せ、スーツで乗りに行き、1便のグリーン船室で教育実習日誌やら指導案書いて、着替えて、4便~くつろぎカードはとにかく乗るに徹してました。上野について併走する回送はくつるの車内に忘れ物にしてしまった連絡船トレーナーを発見、月曜日の実習終了後、取りに行きました。

ポスターやら何やらいろいろ散財したものやらカメラバックを持ったまま実習に行き、附属小学校だったので実習の班の仲間にお土産のトラピストクッキーを配って食いながら授業計画が・・・とかやってて、この強行軍が教官の知ることとなり怒られました。このあと数年間、実習中にこういうバカなことをしないように!とオリエンテーションで言われていたとか。まぁ、同じような感じで碓氷峠に撮影に行ったのもバレてまだやるか、と火に油を注いだってのもあるのですが・・・そんなスチャラカなのがよくも34年も教員やれたもんだと・・・採用試験、倍率高かったのに現役一発合格は自他共に信じられない、という、何かの手違いでしょうとしか思えなかったので。

画像は我が家の家宝のひとつ、駅などにつるされていた小旗。色落ちが怖くて黒ずんできても36年間洗濯しなかったのですが、先日、過炭酸ナトリウムとぬるま湯でそっと手で押し洗いしてキレイにしました。湯が真っ黒になり、どんだけ汚れていたんだと・・・湯を替えて何回か洗うと、色落ちせずスッキリとして色が戻りました。アイロンかけるか迷ったのですが、布の材質がわからないので、下手に熱加えるのが怖いのでやめました。

そしてこちらも我が家の壁面を飾る家宝。

Img_47392

終航後、改造されるかスクラップになるから何持ってってもいいよ、という船員さんのお言葉に甘えていただいてきた数々のもの。結構な人数で山分けしたのですが、通って顔なじみになっていたからというのもあるにせよ、今では考えられないおおらかな時代でした。

現在、1988年9月18日4便と翌19日ふくうら丸青森回送出航と回5001便十和田丸出航VTR編集中です。

昭和63年9月18日18時 4便到着時刻にタイマーアップです。

| | コメント (2)

2023年9月18日 (月)

35年目の9月18日 銀箱のステッカー

Img_3826

35年前に使っていた銀箱です。ステッカー貼りまくってて今となっては(笑)

正面、でいいのかな?は前にアップしたステッカーと3月13日22便の記念品袋に貼ってあったシール。

Img_3828

上には金属製のプレート。これ、未使用品がどこかにあるはずですが・・・銀箱の上面ですから、脚立やベンチ代わりに使っていたのでこすれてこんな姿に。

Img_3825_20230918141101

こちらは側面。十和田丸と羊蹄丸のステッカー。この銀箱、撮影だけでなくてバンドの機材入れにも使っていたのでYAMAHAとかBOSSとかのステッカーも貼ってあります。で、そのステッカーのアップ

Img_3829

Img_3831

あれから35年、この銀箱を見ると、若かった頃、夜行連泊・野宿・駅ネと今考えると無謀と思える旅を思い出します。今は戸棚の上の飾りになっていますが、確かに日本全国を自分と共に駆け回った相棒だったわけで、とりわけ連絡船のステッカーが多いのはその思いが強かった証かな。

思い出は刻の彼方へ・・・なんてのは嘘で、歴史のページがめくられたその場に居合わせたことは刻が経ってもいつでも鮮明に思い出せます。あの時、35年後にこんなblog書いて思い出を共にする新たな友人ができているなんて想像もしなかったこと。運命とは数奇なものです。

昭和63年9月18日18時 4便到着時刻にタイマーアップです。

| | コメント (0)

2022年12月31日 (土)

令和4年の総括&下半期まとめ

0050c94e507442b4adf62b59dc6ed687

令和4年もあと数時間を残すのみとなりました。コロナ3年目、いつまでマスク生活…というストレスが音楽専科なので特にあります。その上この年で異動で新しい学校と環境に対応しなくてはというのもあって鉄分補給が難しい上にblog放置となりました。お手軽さではすでにblogよりはtwitterなんでしょうし、YouTubeやってるならtwitterのが親和性あるんでやらないの?とかいろいろ言われましたが、正直めんどくさいので…さらに職業柄SNSとかうるさく言われるし。

さて、前のエントリー以来放置してたまとめアップです。まずは西九州新幹線乗り鉄。

_dsi9059

前日空路長崎入り。時間休して空路長崎入り。レンタカー借りてホテルへ行って、速攻で長崎駅。新駅になってめっちゃ遠くなりました。上り最終かもめ48号はネット予約できてたのですが、JR九州のネット予約なので駅で受け取るのですが、行列が…自販機でギリで受け取って肥前山口往復予定が、列車遅延で肥前鹿島で折り返し下り最終45号へ。このあたりはYouTubeに乗り鉄動画アップしてあります。

0001_20221231021601

48号はサインもらえたのですが、45号は自由席だしめちゃ混みでそれどころではなかったです。で、翌日のかもめ2号の指定券ゲットできてなかった&先着220名整理券だったので、かもめネット切符で博多まで買って、接続特急のみどり2号の座席を押さえておけば接続列車指定券所持で乗れると踏んでたのですがそんなの関係ない、有無を言わさず自由席は並んだ順、ということで、ホテルを3時半頃に出て長崎駅へ。ホテルに戻る時間もったいなかったような気がします(苦笑)

Img_3109

で、これゲット。

_dsi9083

でもって式典終わって速攻撤収している中、列が動いてホームへ。前から順にドアに割り当てていくのですが、列の途中で区切って次のドアに割り振るので、早くならんでいても列の最後尾とかギリできたけどドア前1番とか不公平感爆裂の行列整理…で、自分は4号車窓際にしっかりと座れるポジションでした。でもって武雄温泉で折り返し1号。ホーム滞留というか、それほど人いなかったので楽勝で自由席に座れて無事1番列車1往復。ホテル戻って朝ご飯食べて各駅巡りと撮り鉄モード。

96d6744a86264b87aecbf86313317a7d

とか

7da48aaad3c54818a0c8e0017fdf2e96

とかそれなりに撮れる場所はあるのですが、光線の具合から足回りを進行側で撮れる場所が少ないです。

D284e80bbcd349a49e07df0692b7ab73

列車ドカンなら駅のホームが鉄板ですが、通過線がないので撮りづらいです。

合わせてデビューしたふたつ星も

4c1bde35e85e49d2816c1b6e3eda0a87_dsi0282_20221231022801

昨日まで在来特急かもめだったのですが、非電化になってしまいました。

_dsi0002_20221231022701

大村線の定番で。

でもってその次は只見線の11年振り全線復旧。前日の代行バス最終見送りから。

8004951bbaed4e69aee1e11d2c9951ec 

混雑と車の置き場所を考えて大白川~会津川口往復、その後撮り鉄というスケジュールで夜の六十里を越えて大白川へ。

_dsj0699

_dsj0687

と、只見駅で盛大に見送られて復旧上り1番列車は出発。

_dsj0716 _dsj0725

沿線各駅はそれはもうお祝いモード。横田駅では運転士さんにサプライズの花束贈呈が…

Bfa1c771a9fe4197b265aea58dfc198b  

Ad8b0069a9514212961a25d7fb1244dc

会津川口駅到着。で、下り1番が来ない…ブレーキ不緩解で七折峠で止まってて復旧見通しが立たない…

F820159259524204ae9d08b3c5e3415d

そうは言っても各種行事の予定があるわけで、会津川口駅前の式典は遅れて実施。情報が錯綜する中、再開只見線号は遅れても運転するということ、車は大白川だし困った…

で、ようやく来た小出方面救援バス。降りる駅を訊かれ、一気に六十里越えを抜けて大白川へ。只見駅に寄らないのもさることながら、六十里越えをまたぐ代行バスってもしかしたら初めてかもしれないという激レア。でもって車に乗り込んで再び峠を越えてかろうじて叶津に間にありました。

_dsj0833

返しは復旧なった5鉄橋。晴れると逆行ですが、時間的にいいあんばいに陰ってくれます。

_dsj0866

翌日は返しの7鉄橋メインにしたかったので、近いココ。誰も撮ってません(笑)

Deb380a25fc54575a800771aa307a795

_dsj1011

で、2022年の鉄分終了でした。冬休み平日に651系草津乗りに行こうと思ってたのですが、疲れ果てて起きられず。27日が日直電話番で動けないってのもあって学校のバンドの動画編集やって年末終わりました。かもめとか只見線とか動画編集やらないとなぁ。

さて、2022年出撃まとめです。

1月4日 特急ひのとり 梅小路蒸気機関車館国旗掲揚頭出し
1月5日 大阪-岐阜特急ひだ乗り鉄
5月28~29日 函館本線山線乗り鉄
7月1~3日 奥羽本線 急行津軽
7月29~30日 只見線 キヤ検・試運転
8月5日 京都鉄道博物館 オヤ31貸切公開
8月6~9日 長崎本線 かもめ撮影
8月16~18日 高千穂・熊本神社御朱印 高千穂あまてらす鉄道
9月10日 連絡線講演会@鉄道博物館
9月22日 在来線かもめラストラン
9月23~25日 西九州新幹線開業乗り鉄・撮り鉄
9月30日 只見線代行バス最終見送り
10月1~2日 只見線復旧乗り鉄・撮り鉄

と合計25日となりました。まぁ前日入りも数えてですが、前日夜タノとかもしてるので。津軽の時は八甲田丸バルブとか。

2023年3月ダイヤ改正はまず相鉄東急直通1番列車、それ乗ってから新幹線で大阪行ってウメキタ新駅。路線自体は2月13日からですが、月曜日なんで休めないですしそこは諦めモードです。1番列車乗って即東京へ戻って3時間目あたりから授業ってのも不可能ではないですが、さすがにそこまでするか?というのもあるので…後は大騒ぎになる前に651系草津の乗り撮りやっておこうかと。在来線3列グリーンも残り少ないし。それから国鉄職381系いずも、キハ283になるオホーツクあたりもかなぁ。

さて、とりあえず寝ます。大晦日、掃除と洗濯しなくちゃ。

今年もお世話になりました。皆様、よいお年をお迎えください。

| | コメント (0)

2022年3月13日 (日)

34年目の3月13日

_dsi29012

今年も3月13日がやってきました。

あれから34年。大学生だった自分が定年退職が見える年になってしまいました。画像は古い友人からいただいたもの。今こういうペナントってお土産屋でもあまり見かけなくなりました・・・

コロナで史料研究会や最終便戦友会と会って飲んでというのができないまま2年が経ってしまいました。YouYubeで連絡船の動画を見るとあの頃ビデオカメラを持っていなかったことが悔やまれます。とはいえ、一介の大学生が個人でポンッと買えるようなものではなかったですからねぇ・・・

11日にはキハ283系が引退してしまいました。エンジン吹かして高加速、石勝線を爆走していくのは乗り鉄としては爽快でしたし、撮り鉄としてはカーブで車体をバンクさせてかっ飛んでいく姿はかっこよかったんですけどねぇ。先輩の281系より先に引退とは・・・

_dsc5314

とりあえずサクッと出てきたデジタル画像。増田山から。熊出没注意・・・

_dsc5257

正面から。これ、どこだったったけ・・・

3月13日17時 羊蹄丸函館出航時刻にタイマーアップです。

| | コメント (0)

2019年11月10日 (日)

追悼 マヤノトップガン

201911100001

11月3日にマヤノトップガンが老衰で死んだニュースが。牧場巡りで行ってるはずなので、画像・・・とPC漁ったらありません。写真帳見てたら1998年に行ってました。買った初代デジカメニコンのCOOLPIX950が1999年ですから、もう20年以上前ですねぇ。その後も何度か行ってるはずなんですが・・・優駿スタリオンステーションが移転してしばらく見学できなかったのってオグリキャップが死んだ2010年より前だから、これ、移転前ですね。

201911100002

柵にはこんな看板が。この左側にライブリマウントとオグリキャップの看板が並んでました。

201911100003

でもって、96年の宝塚記念の名前入り記念馬券。馬名入り馬券って、オグリの引退後に売られるようになったんで、気が向くと記念名前馬券を買ってました。で、このレースのトップガンからの勝負馬券は的中してるので払い戻して記念のコピーサービス。

201911100004

馬連4-9で890円。2着は4番サンデーブランチ。つまりは払い戻し8900円で3900円のプラス。まぁ、1番人気からの流しにしてはよかったんじゃなかろうかと。5番はゴールデンジャック7着、7番はダンスパートナーで3着、8番はフジヤマケンザンで5着、12番はカネツクロスで6着。

他に残っていた馬券は・・・

201911100005

ん~5着。ちなみに1着サクラローレル、2着ナリタブライアン、3着ホッカイルソー、4着ハギノリアルキング。馬連は1・2・3番人気のボックスで取ってます。サクラローレルとナリタブライアンの2番人気で1210円ですからある意味おいしい、人気が割れた馬連でした。

201911100006

ん~2着。1着のバブルガムフェローも買ってたので馬連2500円は取ってるのですが、コピー馬券が見当たらない。

201911100007

1着。2着はサクラローレル。馬連4-8で440円。買ってはいましたが、取って足出る低配当。単勝370円の方がおいしかったですねぇ。

ちなみに1着になってる95年の菊花賞は2着のトウカイパレスが抜け目に・・・1着トップガン・3着ホッカイルソー・5着ダンスパートナー・6着タヤスツヨシを買ってた記憶が・・・同年の1着になった有馬記念はヒシアマゾンとナリタブライアンの馬連1点買い+3着ブロンズコレクターのナイスネイチャの複勝1点買いでトップガンは買ってなくて撃沈でした。

名前馬券見てると懐かしい名前が次々と・・・このデザインの名前馬券よかったなぁ。この後のフォントが縦長になったやつ読みにくくって・・・

さて、今週は連合音楽会ウィークだ・・・滞納してるエントリーはどうしよう・・・

| | コメント (0)

2019年10月 5日 (土)

鉄道連絡船イベント@鉄道博物館

_dsg5303

というわけで、遅ればせながら鉄道博物館での連絡船イベントです。まずはこのために収蔵庫から運び出された50分の1津軽丸とkeiichiさんの80分の1十和田丸、その向こうにE5系モックアップという新旧北海道連絡の並び。津軽丸を南館3階の常設展示場へ運ぶためにケースのガラスを外し、反射の無い状態で大撮影会。アイドル撮影会かといわんばかりのシャッター音。閉館前の作業だったので、皆さん奇異の目で見ておりました。

さて、今回は2日間にわたるイベントでしたが、講演内容はこれまでの船の科学館での内容とほぼ同じ。ですが、連絡船に乗るまでの雰囲気を再現という、これまでにない企画でした。

_dsg5232

まずは485系のヘッドマークを白鳥に替え、方向幕も作成。この辺りは事前に大神さんから聞いていたのですが、その電話の時に「隣があけぼのだから奥羽線に偏ってて・・・」「てっぱくだからゆうづるかはくつる辺りのヘッドマーク持ってないかな」と話してたらホントにゆうづるに・・・で、夕方に日本海に付け替え。撮影タイムということで、柵や表示類も全撤去。区名札もゆうづるの「青」から日本海の「秋」に替える、テールライト片目の入替灯モードに切り替えるなど学芸員さんもノリノリでした。

_dsg4960

日本海バージョン。2日目は日本海→ゆうづるへの付け替え。で・・・

_dsg5262

人通りを止めてくれたので、こんな4並びの撮影ができたのでした。

さて、イベントは白鳥への乗車から。このために車内放送設備を復活させたのでした。オルゴールも電子式ではなく、ゼンマイ式。しかもいい具合にピンが欠けてて音が抜けるリアルっぷり。車内放送に合わせて乗船名簿配布ですが、こちらは最終便戦友会の橋本氏が車掌のコスプレで。てっぱく所蔵の国鉄制服に身を包み、専務車掌となりますが、立ち姿、振る舞いなど、リアル車掌なのでばっちり様になってます。

_dsg4899

まずはドアで連絡船の船内発行乗船券を模した硬券を参加者に配布。通常閉鎖のモハ484へ。あっという間に満席で2日ともクハにもご案内。方向幕はわざわざ新たに作成し、4ヶ所とも白鳥になってます。

_dsg4898

車内の広告枠はこれまたてっぱくに残っていたものをカラーコピーで。

_dsg4890

車内放送は吉田さん。昼頃から何度も練習してましたが、8号車だけ放送というわけに行かず、一般客がいる9号車にも流れてました。1日目と2日目では微妙に原稿が違い、青森の接続時刻が連絡船末期のものから1972年の時刻表になってたり、青森駅の西口の案内が加わったりしてました。で、あまりにもリアルなので、若手の研修用にアンコールという学芸員さんのリクエストで29日夕方イベントではやらなかった大阪・新大阪発車後のアナウンスも加えたバージョンをやりました。発音、間、早さなど今とは違う昭和の香りを博物館のイベントで引き継いでいくために・・・ということだそうで、当時を知る我々や学芸員さんはいたく感激しておりました。

_dsg4894

車掌室でアナウンスをする吉田さん。室内灯は復旧できなかったとかで暗い中での原稿読みです。途中で学芸員さんが「録音ではありません、リアル放送です」と解説してました。

_dsg5088

乗船名簿を配る橋本氏。手前のビデオカメラと橋本氏の名札がなければまさにあの時代そのもの・・・

201910050001

今回のイベントのために新たに作成した乗船名簿。白い普通船室用もあり、そちらには「グリーン船室は淡緑色の名簿を・・・」の記載も。

特急接続優先乗船のマル特マーク付きってのがいいですねぇ。

で、その車内放送の研修用アンコール版に手持ちの485系の走行音と静止画を重ねて動画をつくってみました。

約10分の動画は →こちら← wmvで約66MB

その車内放送の後、下車し、緊締具実演。

_dsg5082

緊締具実演は解説が髙橋さん、実演が山本さんのコンビ。解説をしながらコキに緊締具をかけていきます。

_dsg5091

てっぱくの床には当然緊締具用のレールがないので、展示台の下半分をおもりで動かないようにして実演です。

_dsg5097

こんな感じになります。緑のコンテナがいい味出してます。

_dsg5105

交直流切替機器を見る階段の上から。参加されたお客さんにも何人か体験してもらいました。

この後南館に移動して講演会。まずは大神さんから連絡船の概要を。

_dsg5108

鉄道連絡船とはどういうものかという概説です。この画像は2日目。

_dsg4920

会場は大入り満員です。こちらは1日目の画像。今回は正面スクリーンに加えてTVモニター2台登場です。

_dsg4926

さて、1日目の講演、髙橋さんの甲板部のお仕事ということで、緊締具実演に続いて車両航送についての講演です。

船の科学館での第9回が髙橋さんの講演だったのですが、その日は自分が夜の飲み会にしか参加してなかった・・・

_dsg4937

続いて無線部のお仕事で大西さん。

こちらは2016年の船の科学館第8回講演会2017年の鉄道博物館の青函連絡船教室と概ね同じ内容です。

例によって大神さんとモールスの実演も。

以上が1日目の内容で、2日目は・・・

_dsg5124

渡邊さんの機関部の話です。一段と濃い・・・解説の図が詳細鮮明に・・・

内容は2015年の船の科学館での第7回の推進装置2018年の第12回電力供給システムの合わせ技。子どもが走り回るてっぱくとしては異質の超硬派の専門的な内容です。

続いては吉田さん。

_dsg5137

銅鑼を叩いて登場です。今回は銅鑼はこの場限りです。

内容は2018年の第13回とほぼ同じです。が・・・

_dsg5167

グリーン桟敷席の一人分の幅、測ってみると36センチ。ブルートレインの52センチより16センチせまいです・・・という内容がてっぱくならではのネタでした。

そして飾り毛布の実演大会。今回は上杉先生登場です。

_dsg5184

まずは吉田さん。続いて森本さんと共演で。

_dsg5207

異なるデザインの松竹梅で〆です。

_dsg5120

今回もおなじみkeiichiさんの十和田丸。さすがにバッテリーでは2日間もたないので、陸電仕様になってました。1日目は見通し灯持ってくるの忘れて、さらに桟橋の電気がつかない・・・画像は2日目。見通し灯つけて、桟橋の電気が復旧しています。抵抗半回し・・・ハンダごて作業の後に発覚・・・

_dsg5007

周りの紙ものは私のコレクション。2日目は切符も追加しましたが、写真撮るの忘れた・・・

_dsg5039

今回の白眉は籾山模型製の50分の1津軽丸。今回のイベントのために収蔵庫から引っ張り出してきました。

Img_0764

これ、模型のブリッジ内部です。めっちゃ細かいです。iphoneで窓から撮るとこんな感じ。客室はライトがうまく回らなくて撮れませんでした。

昭和39年当時の価格150万円。当時の大卒初任給が1.5~2万円位なので現在の価格だと約10~15倍の1500~2000万円といったところでしょうか。

_dsg5309

撤収作業にあわせて常設展示の移設の為にケースのガラスを外した状態で。ガラスの反射がないのでキレイです。

_dsg5312

最初と逆のスタボード側の並び。この後移設作業です。

Img_0744

ケースから本体を外して・・・本体とガラスはエレベーター、展示ケースはエスカレーター経由で3階へ。

_dsg5344

最終的にここに落ち着きました。ケース越しに北斗星や海峡、連絡船のポスターが見える位置というのは完全に狙っていたそうです。

_dsg5307

移設前に史料保存会のみんなで記念撮影。

講演会、開館前から準備して、閉館後に作業して・・・とそれはそれは楽しい2日間でした。

お会いした皆様、お世話になった皆様、特に鉄道博物館様、ありがとうございました。

=======================

忙しくてへろへろで、この2日間体を空けることができたのが奇跡です。

次の講演会の予定の日、午前中胃カメラ・・・・

さて、明日、日帰りで沖縄行ってきます。モノレールに乗ってタイトル防衛しないと・・・

 

| | コメント (0)

2019年3月13日 (水)

31回目の3月13日

_dsf7988

 

3月13日、連絡船終航の日から31年が過ぎました。先日、部屋の片付けをしていたらこんなものが出てきました。フィルムは36枚撮りを使っていて、コスパ考えて24枚撮りのフィルムは買わないので、おそらくは現地で見かけて買ったんだと思います。にしても・・・今までコレがあったことを自分で把握してなかったって・・・まだ探せば何かありそうです・・・

 

フィルムケースのイラストというか、これ、絵柄から萩原幹生船長の切り絵ではないかと思うんですが、どこにもキャプションがないんですよね。ググってもイラストもフィルムケース画像も出てこないし・・・

 

_dsf7989

 

ちょっと角度を変えて。これ、もしかして外箱は各船のバージョン違いがあったのでしょうか?うーん、あればコンプリート・・・するには当時のちょっとお財布にやさしくなさ過ぎたんだろうとは思いますが・・・

 

これ、スーパーのビニール袋にいろんなものとごっちゃにして入れてあったんで・・・オリエント急行の乗車記念のボールペンとか、スーパービュー踊り子号の運転開始記念キーホルダーとか、北斗星トマムスキー号の乗車記念キーホルダーとか東北上越新幹線東京駅開業記念オレンジカードのケースとか。なぜカード本体がない?、JR北海道のリゾートエクスプレスのネクタイピン5種セットとか、昭和64年の1円玉、5円玉、10円玉・・・自分でもちょっとびっくりでした。


それにしても時が過ぎるのはあっという間です。連絡線は昭和の実質最後の年に終焉を迎え、そして平成の次の時代になろうとしてもまだ自分の中で息づいている・・・まさに歴史そのものなんだなぁ、と思います。

 

3月13日17時 羊蹄丸出航時刻にタイマーアップです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月 7日 (月)

社会科スライド 「にもつの旅」

_dsf7991

これ、出そうかどうかずーっと迷ってたんですが、「こんなのあるよ」と話したら「ぜひ公開を」というリクエストにお応えして全コマスキャンしてみました。

いくつ前の学校だったかな、古いものを処分して社会科資料室を整理・・・の時に出てきたものです。この古いもの処分シリーズで鉄道唱歌初版本とかサルベージできるわけで・・・で、著作権が気になるのですが、どう考えてもTPP発効前、現状で確実に出版というか、発売から50年以上経っていると思われるので大丈夫かな、と思います。その根拠は解説の中で・・・

0001

このシリーズが始まったのが日本学校視聴覚教育連盟の沿革によると1950年のこと。自分が小学校の頃にはこの種の白黒スライドフィルムを見た記憶があります。教員になってから使った記憶は全くありません・・・学校の資料室にあることすら捨てる作業するまでは知りませんでした。他にも鉄道ネタあったんだろうけど、見つけられませんでした。新幹線とか特急こだまとかありそうなものですが・・・当時の学習指導要領の社会科の何年生か・・・
調べれば出てくるかと思いますが、物流は平成の始めの頃に宅急便を取り上げることが話題になってました。

0002

いきなり蒸機画像。タイトルバックは給水温め器がかろうじて見えるのでD51ではないかと思われます。製作のFFD株式会社、今はどうなっているのでしょう?ググってもさっぱりわかりません。

この種のスライドには授業で使う解説を書いた本があるはずなのですが、それはすでにありませんでした。というか、見つけられなかったというか・・・

0003

荷物を梱包している様子です。鉄道小荷物発送は時刻表のピンクのページに書かれてましたけど、今の宅急便のお手軽さと比べたらそれはもうめんどくさい・・・なんてのが2世代くらい前の指導要領による社会科の教科書に書かれてたような・・・

0004

縄で縛って、荷札をつけて・・・荷札見ると行先宇都宮ですね。

0005

秋葉原貨物取扱所が現役の頃ですね。上の方を左右に横切っている高架橋は総武線、トラックの位置は貨物の第2ホームと第3ホームの間ではないかと推測されます。周囲にビルがないのは貨物ホームと電車線のホームの間にビルの影が全くないところからわかります。もともと神田川の河川舟運との結節点として明治時代に作られた貨物駅。旅客営業は大正になってから。まだ鉄道が全国に敷設される前は河川舟運と密接な輸送関係を持っていた・・・なんてのは大学の交通地理ゼミで青木栄一教授から教わったものです・・・

0006

持ち込んだ荷物の重さを量って・・・

0007

駅の荷物用エレベーターですが、8と書かれているのですが、当時の第3ホーム、8番線のことなのか、単なるエレベーターの番号かどちらでしょう?エレベーターは24機あったらしいですから、これは何とも分かりません。ちなみに8番線・9番線ホームは小口到着と車扱発送でした。

0008

貨車へ積み込みです。ワム車への積み込み。貨車はワムだと思うのですが、形式が写ってません。

0009

59654の牽引です。非電化なのですが、ここって、いつ電化されたんでしょうねぇ・・・って国土地理院の航空写真見たら米軍撮影の昭和32年のには架線柱がなくって、昭和38年のにはそれらしい影があるので、この間に電化されたんでしょうね。この段階で、昭和38年以前の作品でTPP発効の去年が昭和93年。50年以上経過しているので著作権消滅と考えて良いかと・・・

0010

車扱ですから、貨車の入替・組成をして・・・

0011

出発です。ヨ2876と読めます。調べてみるとワ1型を改造したヨ2500型、あまりにもひどくて緩急車ならぬ寒泣車と揶揄された戦後間もない頃の車両で、昭和34年には全車廃車となって形式消滅してます。

0012

いよいよ発車していきます。貨車の車番は読み取れません・・・詳しい人は写真から形式分かるでしょうが・・・

0013

先代の利根川橋梁。昭和22年のカスリーン台風で利根川が氾濫して、改修工事が完成する前の画像。トラスの並びからして東京側から宇都宮側を撮影したもので、手前が上り線。下り線の橋脚に工事の足場ができていることと、古河側に橋脚が増えていないことから昭和25年前後の撮影と思われます。ちょうどこのスライド大系を作り始めた頃と重なります。

0014

途中駅ですね。

0015

車扱いなのでここで解結をするのでしょう。利根川を渡った先の駅で配線図をググって、国土地理院の航空写真と照らし合わせてみると古河ではないかと思われます。小山かなとも思ったのですが、小山なら機関区が右手に写っているはずですし、駅先の操車場だと線路に沿った道はなく、田んぼばかりです。確証はありませんが、他にそれらしきものが見当たらないので・・・違ってたら教えてください。

0016

車掌さんが貨車の組成とか小口の積み卸しの電略でも作っているのでしょうか。

0017

組成をしている間に旅客列車が通過していきます。これ、ナンバープレートがC5743と読めるので、この時期は尾久区配置ですからまさにビンゴ。それよりも横の混合編成が気になります。これも古河で撮影なのでしょうか?

0018

貨車の解結入替が進みます。

0019

一番手前の貨車はワム2483と読めます。ワム2000型ですね。

0020

組成が終わって出発。

0021

列車はどんどん進んでいきます。線路端の巨大なハエタタキが時代を感じますねぇ。

0022

宇都宮に到着です。機関車はD51は形態でわかりますが、番号までは判読できません。

0023

で、荷物が降ろされて・・・ワム26700・・・大量生産されたワム23000の一族でしょうか。

0024

貨物ホームから運ばれて・・・

0025

小口引取窓口。上には職場名の一覧と思われるものが掲出されています。

0026

引き取った荷物を積んで・・・

0027

ようやく到着です。荷札の住所が宇都宮市千手町、文房具店の名前が浅川平和堂。ググってみましたが、見当たりません。

0028

で、終わりの28枚のスライドです。45分授業の組み立てとして、スライド1枚30秒~1分、でMAX30分、その後の質問やまとめ、ノート書きで15分といった授業の構成になるのかな?と思います。

鉄的にはいろいろおもしろい画像がありましたです。フィルムはSAKURA FILMのモノクロポジです。長~いスリーブでエプソンのGT-6700の透過光原稿で分割して読み込みましたが、何せ、クルクル巻いてケースに入ってる1本もの、まっすぐになりません。スキャンしても歪みが・・・キズ埃はもうどうしようもありませんでした。

近日中に現任校の社会科資料室の棚卸しと古いもの処分の予定があるので、何か見つけたらゲットしてこようっと。

これ、冬休み最後のタイマーアップです。これアップされる頃は3学期の前日準備で絶賛仕事中です・・・

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2016年2月28日 (日)

新幹線かまぼこ

_dsg65692

えぇっと、カテゴリに悩みます(笑)いただきものです。

よもやこんなモノが発売されているとは・・・製造者は小田原籠清(漢字が出ない)です。

で、その口上に・・・

「新幹線は小田原市鴨宮が発祥の地。ここで生まれた新幹線を、籠清の技で蒲鉾の切り口に表現しました。小さいながらもグチを使用し、無でんぷんの味わい。小田原蒲鉾本来の味がお楽しみいただける逸品です。」

とあります。で、その切り口なんですが・・・

_dsg65762

これです。よくできてますねぇ・・・

これ、0系、100系、300系、500系とシリーズ化したら面白かろうなぁ・・・

==============

で、北海道新幹線、仕事で10時打ちには参戦できませんで、事前パンクのえきねっとなんぞ当然とれませんです。キャンセル待ちひたすらです。で、今日の15時過ぎに93号のグランクラスに△。

10号函館~青森→93号青森~いまべつ→1号いまべつ~函館の予定なので、93号でグラン出てもなぁ(苦笑)それにしても、上りは10号以外はトクだ値まで空いてるし。実際。93号はさっきトクだ値40で取れたし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月18日 (金)

あれから27年 9月18日

201509180004

今年も9月18日がやってきました。青函連絡船の臨時運行の最終日。白い航跡を残して思い出の中へ消えていった連絡船。今回は船尾扉から後方をのぞんだ画像にしてみました。もしかしたら一度使った画像かも。

で、今回はこんなのをスキャンしてみました。

201509180001

はい、船内のお弁当。

201509180002

弁当箱の裏側。ローカル線がまだまだ現役すぎる・・・・名寄本線も深名線もみーんな残ってる。この時代の北海道に行けて乗り鉄三昧したいですね。で・・・

201509180003

弁当本体のふた。よくぞこれを棄てずに取っておいたと(笑)ホントは透明なプラですが、コントラストいじってはっきり見えるようにしました。

思い出の向こう側を通り越して歴史になってしまっている部分もありますが、それでも連絡船は自分にとってかけがえのない人生の一部、鮮明な記憶が薄れることはありません。

20年後に新しい出会いをもたらしてくれたこと、元乗組員の方々と親しくなる機会ができたこと、そういったすべての事の原点に旅をすること、連絡船に乗ることというものが関わっているのでしょうね。

4便青森到着時刻18:05にタイマーアップです。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧