コレクション-部品

2024年9月18日 (水)

36年目の9月18日 青函連絡船の形見

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今年もこの日がやってきました。青函連絡船の最後の日。臨時運航でカムバックしてホントにこれが最後。教育実習中でこの日1日のピンポイントでしか行けない、まだ土曜日に普通に学校があったので、荷物をもって教育実習に行き、そのままゆうづる3号の客となり、1便~4便の1往復、青函くつろぎカードではくつるの発車まで船内で過ごし、泣く泣く帰り、そのまま教育実習に行くという強行軍でした。

何せ、スーツで乗りに行き、1便のグリーン船室で教育実習日誌やら指導案書いて、着替えて、4便~くつろぎカードはとにかく乗るに徹してました。上野について併走する回送はくつるの車内に忘れ物にしてしまった連絡船トレーナーを発見、月曜日の実習終了後、取りに行きました。

ポスターやら何やらいろいろ散財したものやらカメラバックを持ったまま実習に行き、附属小学校だったので実習の班の仲間にお土産のトラピストクッキーを配って食いながら授業計画が・・・とかやってて、この強行軍が教官の知ることとなり怒られました。このあと数年間、実習中にこういうバカなことをしないように!とオリエンテーションで言われていたとか。まぁ、同じような感じで碓氷峠に撮影に行ったのもバレてまだやるか、と火に油を注いだってのもあるのですが・・・そんなスチャラカなのがよくも34年も教員やれたもんだと・・・採用試験、倍率高かったのに現役一発合格は自他共に信じられない、という、何かの手違いでしょうとしか思えなかったので。

画像は我が家の家宝のひとつ、駅などにつるされていた小旗。色落ちが怖くて黒ずんできても36年間洗濯しなかったのですが、先日、過炭酸ナトリウムとぬるま湯でそっと手で押し洗いしてキレイにしました。湯が真っ黒になり、どんだけ汚れていたんだと・・・湯を替えて何回か洗うと、色落ちせずスッキリとして色が戻りました。アイロンかけるか迷ったのですが、布の材質がわからないので、下手に熱加えるのが怖いのでやめました。

そしてこちらも我が家の壁面を飾る家宝。

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終航後、改造されるかスクラップになるから何持ってってもいいよ、という船員さんのお言葉に甘えていただいてきた数々のもの。結構な人数で山分けしたのですが、通って顔なじみになっていたからというのもあるにせよ、今では考えられないおおらかな時代でした。

現在、1988年9月18日4便と翌19日ふくうら丸青森回送出航と回5001便十和田丸出航VTR編集中です。

昭和63年9月18日18時 4便到着時刻にタイマーアップです。

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2009年12月14日 (月)

あれから1年

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0系ラストランから1年。新幹線がなつかしの列車になる時代が来ようとは…というか、昭和30年代の設計の初代0系がよくも平成の20年まで走っていたと言うべきか…

今や全列車が止まる新神戸駅。高速列車が来なくなって吹き飛ばされずに積もったホコリを盛大に舞い上げて誇らしげに新神戸を通過して爆走していく上り最終ひかり340号。やっぱりTHE SHINKANSENはこれでしょうね。

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我が家の秘蔵品から、ひかり2号のサボ。

昭和39年開業から数年だけ使われたものです。A4よりちょっと大きいので、スキャナからはみ出してしまい、両端が少しかけた状態の画像です。細かい傷や汚れが時速200キロの威力を物語ってます。

ホントは1号とセットでほしかったんですけど、タッチの差で入手しそこねました。ちなみに大宮の鉄道博物館の0系にはひかり1号のサボが入ってます。ひかり号は黄色っぽい板、こだま号が白っぽい板だったと記憶しています。ひかり1号・2号揃えたいなとは思いますけど、今入手するとしたら一体いくらする事やら…

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2009年7月28日 (火)

急行津軽 愛称板

Tsugauromote
Tsugaruura

というわけで、昨日に続いて愛称板。

急行津軽。出稼ぎの行き帰りに多く利用されたため、ある程度以上の世代の東北の方々には特別な響きのある列車名でした。「津軽で帰る」この一言を伝えることができたら出稼ぎで成功したという意味を持つとまで言われた列車です。

お盆と年末の上野駅には昼ぐらいから津軽を待つ列が出来て、久しぶりに顔を合わせた同郷の人と酒酌み交わしながら列車を待つ…そんな光景の片鱗を小さい頃に見て印象に残っています。

自分が旅するようになってからはやはり便利な夜行急行ということでずいぶんと利用しました。一時20系寝台車を座席扱いにして運用に入れたものの、収容力が足りず、寝台の通路にあふれた客で車体が傾くということも起きて、あっという間におがの12系の編成と入れ替えになったのも記憶に残っています。その20系、上りの青森からならうまく上段に潜り込むことができましたが、周遊券の有効区間から下りに乗ろうとしたら、満員の通路のお世話になるしかない…禁煙車もない時代、「寝台使用中は禁煙」ですから、座席車あつかいでもうもうたる煙立ちこめる車内に夜通し立ちづめはさすがにきつかったです(苦笑)

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2009年7月27日 (月)

急行八甲田 愛称板

Hakkoudaomote
Hakkoudaura

数え切れないくらいお世話になった急行八甲田の愛称板。

上野でまだ明るいうちから北海道周遊券片手に並んだり、夜中に反対方向行きへ乗り換えて宿替わりにした東北周遊券の乗り手鉄したり…と。旧客~12系~14系と車両が変わって、時刻も変わっても、東北夜行+北海道行きの色濃い列車でした。ワイド周遊券もなくなり、座席の夜行急行も風前の灯火。今思えばお世辞にも座り心地がよいとは言えない窮屈な座席で、長い夜を過ごした後の朝の空の色…未だに鮮明に甦ります。

部屋に飾ってある愛称板をみるにつけ、あぁ…貧乏で食べるものに事欠いても遠くへ行きたかった、あの頃のような旅がしたいなぁ…と思ってももう叶わぬ夢…ですね。

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2008年12月 5日 (金)

0系 売店跡

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いつだったか、即売会で200円で買ってきたプレート。0系の売店に付けられていたものです。こだま659号にはこの売店の跡がありました。

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デッキ側から売店のカウンターを撮ったものです。このプレートはデッキと売店の仕切り、この画像の左側の壁に貼られていたはずのものです。

仕切りのドアの窓ガラスの色、オリジナルのままです。347Aはここで記念品売るのかなぁ…指定券キャンセル出ませんです(泣)車内限定販売の赤ひかり博多のステッカーとキーホルダーと盾が欲しいです…。

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2007年11月26日 (月)

十和田のサボ

また間が空いてしまいました。このところ忙しくて…

急行十和田のサボ。まずはローマ字表記のほう。

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続いて指定席表示のほう

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四角く囲まれた尾久客の文字。サボはたくさん持っているわけではありませんが、これと八甲田と津軽の3枚セットで持ってます。上野駅に雪まみれでやってくる東北夜行急行はガキの頃の憧れでした。おがと能登もほしかったんですが、当時入手できませんでした。今は…暴騰してとてもとても… 

で、何で十和田かって言うと、昨日一昨日とTVで点と線やってた&アリバイトリックに使われていたので。ドラマのエンドロールにリンク先の椎野吾一氏の名前を見つけました。本人から鉄道の考証についていろいろやっていることは聞いていましたが、何せセットを組むにもレプリカ作ろうにも元のモノやら詳細なディティールの記録がない上に予算やら何やらの関係でえらく大変だったとか。

…本日42回目の誕生日。オンセンガーらしくいいふろの日ということで

♪若さが消えていく さびしーいおぢさんに… by おぢさんのララバイ/山本 正之

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2007年10月28日 (日)

オロネ10 寝台枕灯

オロネ10シリーズ最終回 戦利品第4弾 

寝台枕灯です。現行の寝台車の枕灯とはスイッチの形状が違います。比較写真が見あたらない(汗)

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後ろから出ているコードは家でつけたモノで、余っていたコタツのコードを暫定的に取り付けてそのままになっています。

もちろん点灯可能です。

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裏側を見てみましょう。

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安定器とコンデンサがむき出しになっています。部品交換していないオリジナルのままです。とっくに寿命は来ていると思うんですが、なぜか動きます。

コンデンサをアップにしてみました。

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製造会社名、製造年月がはっきり読み取れます。ほぼ半世紀前のコンデンサ。

中をあけてみます。

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グローランプと蛍光灯本体のきわめてシンプルな中身。色が外側と違うのですが、ペンキを塗り直した痕跡が見られるのでもしかしたら、内側の色がオリジナルかもしれません。

右上の製造銘板をアップで。

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昭和34年の製造です。1両あたり50こ位使ってるはずですから、製造番号151ってのはかなり早いロットだと思われます。車両番号の銘板がすでに無くなっていたので、スクラップになったオロネ10の車番がわからないのが残念。

ちなみに、昭和47年製の国鉄寝台車枕とエ印浴衣、JNRマーク入り毛布もウチにあります。浴衣と毛布はそれぞれ1個しかないのでさすがに使えませんが、枕は2個あるので1個は来客用にしています。

えぇ、布団に加えてこの枕灯と寝台車枕のセットでお泊まりの客1名様限定で貸し出しております。ご希望により、オールナイトで列車走行音のサービスも…(爆)    

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2007年10月27日 (土)

オロネ10 天井送風機使用要領

無事法要を終えました。何で台風が…疲れた…

さて本題。オロネ10戦利品第3弾 天井送風機使用要領

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単に送風機を使うだけでこんだけの手順を踏まなくてはならないというのが時代を感じますね…さらに蒸気暖房の記述が泣けてきます。

 冬の寒い日の早朝、ホームに佇む始発列車
 シューって音とともにキン…キン…と金属の音
 車両の間からスチームがほのかに暗闇の中を白くする
 かすかに聞こえる遠くで唸るDD51のエンジン音
 凜とした静寂を破るように甲高いホイッスル
 しばしの間
 ガシャガシャガシャと連結器の音が伝わり
 ガクンと衝撃があってゆっくり動き出す
 床下の音がゴ・ゴ・ゴロゴロからコーッと滑る音に変わる頃
 構内を抜ける最後のポイントをわたる盛大なジョイント音
 …そして規則正しい轍の音…

遠くへ行く汽車の出発の儀式みたいなものでした。その中で10系のオハネやオロネはつるんとしたキレイな車体で無骨な43系客車に比べると高級品の趣がありました。どちらも想い出の詰まった若かりし頃の乗り鉄の記憶…

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2007年10月26日 (金)

オロネ10 発電機関操作説明板

また間が空いてしまいました。タイマー投稿セットすればよいのですが、元ネタ作る時間が…
この1週間、毎日全日学校公開授業参観でしたから…算数少人数は親の興味関心が高いせいかほぼ毎時間誰かがいる…まぁ、人に見られて困るようなアレな授業はしませんが、それでもノリと波があるわけで、うーん、ちょっと見せたくなかったなって一幕もありました。

さて本題、解体オロネ10の戦利品その2です。

Orone10

だいぶ傷だらけですが、そもそも半世紀前のシロモノですからねぇ。

見ての通り、床下搭載の冷房用発電機の取り扱い操作説明板です。車掌室に貼られていたのですが、当時は冷房なんか超贅沢品でしたし、今みたいに簡単に使えるモノでなく、車両用だと操作にはそれなりのお作法が必要だったようです。それにしても「凝縮器」とはすごい表記だなぁ。そもそもカタカナ言葉がスイッチだけってのがすごいと思いますね。

明日は親父の改葬納骨法要。死んでからはや20年、この年になって改めて思う。親父とサシで酒飲みたかったな…

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2007年10月21日 (日)

オロネ10 電燈スイッチの取り扱い

Dento

 我が家の部品コレクションからですが、オロネ10の乗務員室に取り付けてあった「電灯スイッチの取り扱い」プレートです。

 入手の経緯は今から20年ほど前でしょうか、くりはし氏と葉っぴーきよさと号に乗って今は亡き野辺山SLホテルに行ったとき、ちょうど客車の解体作業をしておりました。それもユンボでたたきつぶしてひっくり返して火を放って車体を燃やすという荒技。蒸機だけ残して客車は全部解体。残りがオロネ10の1両だったのですが、ちょうど作業が昼休み。現場監督と思われる方にお願いして車内のプレート類をいただいてきました。全部はがしたかったのですが、時間もなく、ほんの数枚はがした段階でユンボ起動となりタイムアップ…

 給仕室・喫煙室・等級燈・発電動機なんて言葉遣いが時代を感じますね。

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