終航20周年
今日は宇高連絡船の終航から20周年。厳密に言うと日が変わってから臨時便が出ているので微妙なところですが、終電の概念からいえば今日9日が最終日でしょう。
大学の履修申請やら何やらで出かけられず当日最終便直前に宇野入り。青函連絡船最終で見た面々もかなりいました。青函と違って橋の開業は翌日のため、積み残しが出ないようにするとは聞いていましたが、最終便として乗り込んだB27便伊予丸の後にC27便として讃岐丸を出すという事が分かり、最終狙いの客がどっと降りようとしてかなり混乱していました。私も一旦乗った伊予丸から下船し、讃岐丸の列へ移動しました。
何とか讃岐丸に乗り、自由席グリーン券をゲット。そして、乗船証明書…ですが、讃岐丸のものがなくなり、伊予丸のもので代用でした。仕方ないので、裏にスタンプを押し、船長さんのサインをお願いしたところ、快く書いてくれました。
すでに日付が変わった後だったので9日ではなく10日になっています。
ちなみに表は
船名が違うだけでデザインは共通でした。阿波丸、土佐丸、伊予丸の3船のものを入手できました。とびうおだけは指定席で最終便にのれなかった…というか、時間的に無理でした。何でも額縁入りの別枠の最終便証明が出たとか。
日本の鉄道車両航送の歴史が終わる瞬間でした。当時、四角い箱のような船のデザインは青函と比べてイマイチ…と思っていました。むろん、同時期の設計故ブリッジの形状とかカニ爪のマストとか船内の内装なんかはかなり共通だったのですが、やはり船首部のデザインが…内水面メインのフェリーとすれば当たり前の形状なんですが、どうしても…ね。
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