青函連絡船

2024年9月18日 (水)

36年目の9月18日 青函連絡船の形見

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今年もこの日がやってきました。青函連絡船の最後の日。臨時運航でカムバックしてホントにこれが最後。教育実習中でこの日1日のピンポイントでしか行けない、まだ土曜日に普通に学校があったので、荷物をもって教育実習に行き、そのままゆうづる3号の客となり、1便~4便の1往復、青函くつろぎカードではくつるの発車まで船内で過ごし、泣く泣く帰り、そのまま教育実習に行くという強行軍でした。

何せ、スーツで乗りに行き、1便のグリーン船室で教育実習日誌やら指導案書いて、着替えて、4便~くつろぎカードはとにかく乗るに徹してました。上野について併走する回送はくつるの車内に忘れ物にしてしまった連絡船トレーナーを発見、月曜日の実習終了後、取りに行きました。

ポスターやら何やらいろいろ散財したものやらカメラバックを持ったまま実習に行き、附属小学校だったので実習の班の仲間にお土産のトラピストクッキーを配って食いながら授業計画が・・・とかやってて、この強行軍が教官の知ることとなり怒られました。このあと数年間、実習中にこういうバカなことをしないように!とオリエンテーションで言われていたとか。まぁ、同じような感じで碓氷峠に撮影に行ったのもバレてまだやるか、と火に油を注いだってのもあるのですが・・・そんなスチャラカなのがよくも34年も教員やれたもんだと・・・採用試験、倍率高かったのに現役一発合格は自他共に信じられない、という、何かの手違いでしょうとしか思えなかったので。

画像は我が家の家宝のひとつ、駅などにつるされていた小旗。色落ちが怖くて黒ずんできても36年間洗濯しなかったのですが、先日、過炭酸ナトリウムとぬるま湯でそっと手で押し洗いしてキレイにしました。湯が真っ黒になり、どんだけ汚れていたんだと・・・湯を替えて何回か洗うと、色落ちせずスッキリとして色が戻りました。アイロンかけるか迷ったのですが、布の材質がわからないので、下手に熱加えるのが怖いのでやめました。

そしてこちらも我が家の壁面を飾る家宝。

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終航後、改造されるかスクラップになるから何持ってってもいいよ、という船員さんのお言葉に甘えていただいてきた数々のもの。結構な人数で山分けしたのですが、通って顔なじみになっていたからというのもあるにせよ、今では考えられないおおらかな時代でした。

現在、1988年9月18日4便と翌19日ふくうら丸青森回送出航と回5001便十和田丸出航VTR編集中です。

昭和63年9月18日18時 4便到着時刻にタイマーアップです。

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2024年8月13日 (火)

八甲田丸 60周年

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今日・・・昨日になってしまいました・・・は八甲田丸60周年。イベントあるのはわかっていたのですが、台風で断念しました。万一の際に宿泊先の確保が3連休とねぶたの余波で困難極まる、ということで。そもそもが前泊青森市内で2万円近くしか空いてなくて一応予約はしたもののどうしたものか・・・と。

各所SNS見ると天候持ちこたえて賑々しくできたようですし、研究会の吉田氏やスプーン氏の姿も。最近リアルでお会いしてないので無理しても行けばよかったかなぁ・・・と思ってます。

最近は動画編集してYouTubeにアップする日々です。時間に余裕があるのと、授業で使うのと違って明日まで!とかの〆切がないので自分のペースでゆっくりとできます。

引退して4ヶ月半、ゆっくりと過ごしています。アップの時刻は12日にしておきました。

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2024年3月13日 (水)

37回目の3月13日

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というわけで、超久しぶりのエントリーですが、これだけは・・・

青函連絡船終航から36年、今やこんなものを持っている人も数限られているでしょうねぇ。何せ青刷りの使い捨ての掲示物。
昭和61年の十和田丸の行事予定表。4・6・8・9月のを持ってます。コレは4月。そもそも青刷りって何?って言われそうです。青写真って言った方が早いかな。自分が大学に入った年の10月の渡道の際に連絡船のブリッジでもらってきたものです。よく色が抜けなかったものだと・・・まだコピーを「電子コピー」と言っていた頃ですね。大学の研究室でも電子コピーは特別、ゼミの資料はデルミナして青刷りでってのが当たり前でしたから。
で、話を戻して・・・なんでコレをもらってきたのかは全く記憶にないです。多分同行した友人と山分けしたから5・7月が抜けてるのでしょうが、今となっては貴重な十和田丸の形見ですね。

月末には根室本線が分断されてしまいます。ラストランは行く予定で飛行機と富良野のホテルを押さえてあります。昭和61年当時、赤字ローカル線、特定線区を廃止が決まってはいましたが、その後こんなことになるなんて想像もできませんでした。分割民営化の自民党の広告には「ローカル線はなくなりません」って明記されてたんですが・・・北斗星もなくなり、これまら「ブルートレインはなくなりません」もホゴにされ、遠くへ旅立つ儀式というか旅情が・・・連絡船なんてその最たるものだったと思うのですけどね。金にならない、株主様に配当出せない・・・金融が農作物を作ってくれるわけじゃないんですけど猫も杓子も投資だ金融だと踊らされて何だかなぁと思います。

さて、とりあえず今週末は北陸新幹線敦賀延長開業。つるぎ1号は取れました。かがやき502号と迷いましたが、発車時刻と前線踏破の速さでつるぎ1号にしました。東京からの直通1番のかがやき501号も取れているのと前日の在来線特急最終金沢-敦賀往復もおさえてあるので今回は並ばずに済みます。ついでにホテルは金沢駅の上。北陸応援割が使えないので2拍で4万超えですが、それはしかたないということで。夜討ち朝駆けがしんどい年になってきたので金で解決です。

これ、22便羊蹄丸出航時刻にタイマーアップです。

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2023年9月18日 (月)

35年目の9月18日 銀箱のステッカー

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35年前に使っていた銀箱です。ステッカー貼りまくってて今となっては(笑)

正面、でいいのかな?は前にアップしたステッカーと3月13日22便の記念品袋に貼ってあったシール。

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上には金属製のプレート。これ、未使用品がどこかにあるはずですが・・・銀箱の上面ですから、脚立やベンチ代わりに使っていたのでこすれてこんな姿に。

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こちらは側面。十和田丸と羊蹄丸のステッカー。この銀箱、撮影だけでなくてバンドの機材入れにも使っていたのでYAMAHAとかBOSSとかのステッカーも貼ってあります。で、そのステッカーのアップ

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あれから35年、この銀箱を見ると、若かった頃、夜行連泊・野宿・駅ネと今考えると無謀と思える旅を思い出します。今は戸棚の上の飾りになっていますが、確かに日本全国を自分と共に駆け回った相棒だったわけで、とりわけ連絡船のステッカーが多いのはその思いが強かった証かな。

思い出は刻の彼方へ・・・なんてのは嘘で、歴史のページがめくられたその場に居合わせたことは刻が経ってもいつでも鮮明に思い出せます。あの時、35年後にこんなblog書いて思い出を共にする新たな友人ができているなんて想像もしなかったこと。運命とは数奇なものです。

昭和63年9月18日18時 4便到着時刻にタイマーアップです。

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2023年6月12日 (月)

第18回 青函連絡船講演会

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というわけで、遅くなってしまいました。第18回青函連絡船講演会。久ふりの船の科学館での開催でした。

この日、前任校の運動会に出席していたので現地到着が14時近くなってしまい、髙橋さんの「係船当番」の話は聴くことができませんでした。まぁ、大神さんから酒席でいろいろな話を聞いてますし、ドラマロケでキャンディーズのスーちゃんが来たときの写真とか垂涎なものも見せてもらっているし・・・で、今回期待の安田さんの大作GHQ占領下の青函連絡船第1弾からの参戦となりました。今回久々の船の科学館で空旅氏と自分が設営にいないのが相当ヤバかったと後で聞きました。

今回、画面の撮影はOKですが、blogなどに二次使用は・・・ということで、安田さんの作成した文字ベースのスライドを基本にいきます。

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まずは戦時中の決戦輸送と空襲による連絡船全滅。

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各船の犠牲者一覧です。

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空襲から終戦にかけての運行状況。最後は7・8青函丸と傭船の樺太丸と軍艦千歳丸が残っていたことになります。

そして、8月15日。

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樺太丸の中でも玉音放送を船長室で聞いていたことが書かれていますが、この書き方だと船客はリアルタイムで玉音放送を聞いていなかったことになります。

そしてその後の運行。

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終戦後、輸送逼迫であちこちから船をかき集めてきて・・・

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GHQの指令で運行状況が変わってきます。画面に映る船腹にSCAJAPナンバーがでかでかと・・・

そして、自分の中でかなり謎だった小湊桟橋とLST

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青函連絡船「栄光の功績」にはサクッとしか書かれていないので、何となくしか知らないし、2016年の夏に安田さんや大神さんと一緒に小湊桟橋跡に行ってはいるのですが、その顛末は過去のエントリーで。

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LST12隻貸与・・・が実際は2隻。その問題点。

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決定から返還までの年譜。

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実際の運行。有川-小湊で7時間半、まぁ、上陸用舟艇ですからせいぜい10ノットしか出ないわけで、さらに貨車の積み下ろしも仮設の線路のような状態で半人力なので時間がかかる・・・と。小湊の可動橋は第六青函丸がテスト接岸したっきりで使わなかった・・・その写真もスライドにはあったのですが、先述のようなわけでここではお蔵入り。

で、LSTの寸法や乗員。

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船内は3線指揮として、船首にバウランプを設置。狭い船首扉から出し入れするので、石炭輸送の無蓋車のトムが基準になっています。

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そのLSTの船首部分の図面。

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日本国有鉄道百年史にある石炭輸送の写真。LSTの特徴的な船首が開いています。

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緊締具はこんな感じ。

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着岸操船。現地に行ったときにドルフィン跡から見える沖合があまり広く感じられなかったのと元が上陸用舟艇で砂浜に乗り上げる船体構造だけに相当操船が難しかったんじゃないかなぁ、と思います。

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わずか1年だけの運航で、日の目を見ることがない小湊桟橋とLSTですが、戦後の混乱期をどう乗り切っていったかという史料として貴重なものだと思います。

さて、続いては飾り毛布実演。今回は摩周丸に展示してあるミニ飾り毛布の再現。

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上杉先生の解説で吉田さんのパフォーマンス。

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展示されている作品群。

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画面には摩周丸船内に展示されているミニ花毛布。目の前でリアルに折られていく毛布。

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この作品、摩周丸での展示には連絡船の模型が置いてあって、「模型は・・・」客席から「あるある・・・」「あれ・・・」とどよめきとも笑いとも何とも言えないリアクションがあり、毛布に鎮座したLSTの模型。

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こんな感じになりました。そのLST模型は・・・

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こんな感じに船内も作られていました。これ、フルスクラッチですよねぇ・・・

さて、今回の展示、コレ、ほしいなぁ・・・

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すごすぎです。ケース内展示は安田さんが青森ヒストリーアーカイブ所蔵品を借用してきた貴重品。写真撮るのはOKだけど、紙がボロボロなので折り曲げるコピー不可。二次使用はきちんとキャプション入れてください、とのことです。

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このあたり、6年生の社会科の史料としても使えますねぇ・・・と。

そして、楽しい飲み会となりました。

お会いした皆様、ありがとうございました。

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2023年4月22日 (土)

予告 第18回 青函連絡船講演会@船の科学館

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久しぶりに船の科学館での開催です。・・・が、自分、前任校の運動会と重なってますのでおそらく欠席か大幅な遅刻です・・・

GHQと連絡船なんて小湊桟橋とかLSTとかおいしいネタが安田さんクオリティなのになんともったいない・・・

さて、本日、区長選挙と区議会議員選挙行ってきました。糖尿通院→薬局処方箋長時間待ちの間に→期日前投票→銭湯→薬受け取り→椎間板ヘルニア牽引リハビリ→痛み止め処方薬局→スーパーで食料調達→帰宅という半日仕事でした。糖尿通院の前日に歓送迎会って・・・目の前に酒肴でおあずけってどんだけ・・・

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にしても、国政選挙と比べてなんと豪華な投票済証。サイズもでかいし厚紙だし、カラーだし。

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2023年3月13日 (月)

36回目の3月13日

青函連絡船終航から36年経ちました。

ここ数年、歴史の彼方のようになってしまって、つい昨日の事と思っている自分とのギャップを強く感じます。

先日、1988年当時のNHK特集の再放送があったとか。18:10からではとても間に合わないので録画依頼しました。探せば当時のVHSのテープがあるはずですが、HD画質は欲しいです。

それはさておき、36年経っても連絡船を軸に様々な人が集まってくる、新しい出会いもある、というのは有り難い事です。連絡船をリアルで知っている世代より後の世代が増えて、いずれ本当に歴史研究の中になっていくのが見えています。

あの頃の旅の思いは経験した者にしかわからないでしょうが、そんな思いも伝わっていくといいなぁ、と思います。確か先のNHK特集は乗客へのインタビューが主体の番組だったはず。服装や髪型、荷物、話など時代を感じさせてくれるのではないか、と思います。

様々なビデオや特番、改めて見直してみようかな。

17:00羊蹄丸出航時刻に

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2023年1月16日 (月)

鉄道博物館「青函連絡船の旅~鉄道連絡船ってなんだろう?~」

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1月14日(土)大宮の鉄道博物館で行われた企画展「鉄道の作った日本の旅150年」連動イベント「青函連絡船の旅~鉄道連絡船ってなんだろう?~」が行われました。画像はイベント体験の1つとして行われた切符の日付入れ体験で使われた連絡船の疑似硬券。17便は連絡船講演会の通算回数です。第1回が2013年3月10日の終航25周年、ナンバリング以外の講演会もあるのですが、西沢キャプテンが鬼籍に入ってしまい、皆さん年々高齢化が進む中10年にわたって続く講演会となりました。

今回は鉄博側の意向もあって、家族連れ向けのイベントという形式を取ることになりました。また、コロナ対策でアプリ抽選で定員制。まぁ、ガイドツアーも講演会も場所区切ってはいますが、オープンスペースなので立ち聞きできるので定員制と言ってもあまり意味は・・・

で、当日朝寝坊。人が少ないのに・・・と怒られ・・・10時45分頃、1時間45分遅れで到着。すでにkeiichiさんの十和田丸は設置済で、持ち込んだ紙ものを並べて・・・当のkeiichiさんはといえば「可動橋持ってくるの忘れた!」と自宅に取りに行ったとか・・・

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その十和田丸。まずは前方から。

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続いて後方から。今回「キッズ向け」ということで絵本「青函連絡船ものがたり」を持っていきました。居合わせた皆さん、本の存在は知ってても読んだことないらしく、中を見て「これ、絶対子供向けじゃない(笑)」と強調してました。絵を描いた黒岩さん知らない人多いようで・・・上手なの当たり前です、国鉄の・・・と説明してあげるとさらに「絶対大人の絵本だ」と・・・

今回、この模型で一番ウケたのがコレ。それ作るか(爆笑)

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昭和62年3月31日国鉄最後の日。連絡船を運航しながらファンネルのJNRマークの上にJRマークを貼る作業をしていたのを足場含めて再現。これはもう笑うしかなかったです。keiichiさん曰く「今回一番大事なもの」だそうで・・・

すでにガイドツアースタンバイで皆さんおらず、作業してワッチして戻ってくるのを待ちます。待っている間にEF5861の写真を撮りに行って・・

さて、ガイドツアーは朝寝坊と作業で前回同様スルーになってしまいました。タイトルが「親子で体験! 青函航路ガイドツアー」でアプリ抽選ですので、お一人様まにあには参加のハードルが・・・これは後の講演会の空席にも影響が・・・

続いては「鉄道連絡船ってなんだろう?~飾り毛布体験付きイベント~」全部で1時間設定で10組で1組3名までという人数と体験テーブルが森本さんと吉田さんの2人、体験1チーム5分で2テーブル各5チーム25分なら講演30分程度?時間タイトなので、大神さんの奥さんがフリップ出してタイムキーパーに。

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まずはいつも通り吉田さんのドラから。タイトルがフリガナ付き&キッズ向けのノリです。が・・・内容はキッズ向けというよりは大人の社会科見学という感じです。

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パワポ動画で連絡船のギミックを紹介するあたりは非常にわかりやすいです。20230114_1324122

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で、実際の船内と貨車の出し入れの画像。貨車の出し入れは動画なかったのかな?

連絡船の概要が約20分程、この後、吉田さんから飾り毛布の簡単な解説が。

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こちらもタイトルがキッズ向け。後ろ姿観客にキッズが少ないのは・・・

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くつろぎ・おもてなし・いたわりの飾り毛布の意義を語っていきます。

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基本の形を紹介して実演と体験へ。

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たけのこをつくる森本さんと解説の吉田さん。一般のお客さん画像は撮影もはばかられたのでナシで。一番前で食い入るように見ていたキッズがまず手を挙げて参加。その後いろいろな方が参加していましたが、女性が多かったように見えました。また、北海道からという方が多く、考えてみればこの時期北海道はまだ冬休み。東京に遊びに行ける時期で、ディスニーランドと鉄道博物館は遊びに行くゴールデンコースの1つだとか。

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今回の飾り毛布の展示。ヒツジとかウサギはシールで目をつけて一段とそれっぽくなってました。小さいのはバスタオルで作ったとか。でかい毛布よりは作りやすいと思いますけど、飾り毛布のねらいとはちがうところに行ってしまっているような気が・・・

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今回配布された折り方の説明書。毛布でもできるかな?

さて、その後は「青函連絡船と鉄道の旅~講演会~」で髙橋さんの出番です。今回のお題は「青函連絡船津軽丸と旅」

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タイトルは「海の新幹線 津軽丸の航海 通過地点はこんなところだった」

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基準航路と昭和40年当時の22便の時刻で函館から青森までの航海を。

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津軽丸・・・ん?昭和40年当時はイルカのシンボルマークはなかったんじゃ?というか22便が12:15というのに違和感が・・・

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函館の灯台交わして、葛登支岬、大間・・・と時刻を追って周りの風景と名所ガイド。大間のマグロ、5切れ500円で味は普通のマグロと同じ・・・って日頃どんだけいい魚食べ慣れているのやら・・・いや、乗組員時代函館在住ならさもありなん・・・

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下北半島周遊便などの話もあり、焼山も登場。

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そして、青森入港。えっと・・・タイトルはキッズ向けでしたけど、内容は大人の社会科見学って感じ(笑)

さて、最後は安田さん。お題は「青函連絡船と歌謡曲」これ、著作権と版権、芸能事務所の許諾などややこしく大変だったそうです。鉄道博物館もJASRACと交渉して一部の施設でのみ包括契約してるとか。公益財団なのになんで?営利目的じゃないでしょ?っていうのは通らなくって、いかなる形であっても対価が発生している以上は営利。いや、音楽を聴くためでなくって入館料、というのも通らず、施設全体で営利だからそこで音楽を使う以上は営利目的・・・という、まぁ・・・(以下、高度に政治的事情により省略)
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まずはお題の前に「青函連絡船で思い浮かぶ歌は?」と観客に問います。皆さん口を揃えて「津軽海峡・冬景色」と答えていました。まぁそうでしょうねぇ。今回連絡船に関わるレコードをたくさん借りてきて陳列しましたが、パワポの中では一切使っていません。というのもジャケットの使用許諾がレコード会社やプロダクションから下りない、またはそこそこの使用料が発生するというのと、その画面を不特定多数に撮影されるのは・・・というわけです。さらにケース内の展示もできない、というのもあって、なかなかややこしいことになっていました。

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で、このようなタイトルになったわけです。今回はスライド枚数30枚くらいにしたと聞いて、0が一個違うんじゃ?(笑)というネタになりました。まぁ、わかりやすいっちゃわかりやすい内容ですね。ここで初版のレコードジャケットの使用許諾が下りなくて現物を見せるだけ、という形を取らざるをえなくなっていたわけです。

連絡船にかかわる曲目リスト見るとそれはまぁ多いこと多いこと。我が家はレコードプレーヤー現役なので、貴重なレコード群、持ち帰ってデジタル音源化しようか?・・・安田さん曰くこの持ち主、このblog見てて自分のこともわかってるから大丈夫だと思うけど・・・でしたが、借り物の又貸しはモノがモノだけにちょっと怖いのでやめときました。

で、なんでそんなにたくさん曲があるの?ってわけで、言葉を集めて分析・・・

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んっと、スライド4枚あって、あと2枚は連絡船そのものと函館港。うん、演歌は日本人の魂ですってのがよくわかります。ココに出てきた単語テキトーに並べたら演歌の歌詞になりそうです。

で、津軽海峡・冬景色

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最初からシングルカットされたわけではなく、石川さゆりが売れなかったじだいのLPレコードの中の1曲。

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でもって、タイトルに「・」が入るか入らないかのネタと初版ジャケットの話。ジャケットの使用許諾がコロンビアレコードから下りなかったので展示もなしで講演時に現物をちょっと見せるだけでした。

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で、マニア的に気になるのは連絡船は何丸?ということです。そこで・・・

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これ、問い合わせたら小西氏が連絡とって、5分とたたないうちに阿久悠氏の長男深田太郎氏から速攻で連絡あったとか。20230114_14541014

昭和50年9月28日(日)7:10の連絡船に乗り、メモには「羊蹄丸」と書かれている、で、着想を得たのは羊蹄丸に乗ったときではないか、そして「上野発の夜行列車」は・・・

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当時の上野発の夜行列車、傷心旅行なら急行でしょう、ならば「八甲田」ではないか。

自分もそう思います。当時の寝台特急はまだまだ高嶺の花で、当日思い立って寝台券が取れるものでもないので、自由席、それがあるのは急行。急行津軽は対東北連絡がメインで北海道連絡は八甲田か十和田ですが、十和田は全車指定席。窓口で青森までふらっと買える当日確実に乗れる列車は消去法で八甲田しかないんです。傷心旅行でヲタみたいに寝台がとか他に空いてる列車がとか窓口で交渉する心の余裕なんぞないでしょうから。この辺は同じように出だしを列車をモチーフにして別れを歌った「木綿のハンカチーフ」とはシチュエーションの違いでしょうね。こちらは夢を追って東京へ行くわけですから。

この後、楽曲の分析で3連符と歌詞の割り付け、韻の踏み方などにつながっていきますが、歌詞や楽譜は著作権が気になるので画像パスします。自分の楽曲分析とはちょっと違うんですけど、ま、それは聞く人と解釈する人の数だけあるので。

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歌詞にある竜飛岬、海図は龍飛埼、国土地理院は龍飛崎で、3連符のリズムに乗せるのには「たっぴみさき」でないと、と地理を交えて解説が進みます。これくらいなら載せて大丈夫かな。引用として大丈夫でしょう。4拍1小節だけだし。

でもって、作曲は?というところに踏み込んでいきます。この曲、曲先です。

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作曲の三木たかし氏のエピソードだとバンドやってた16~7才の頃に札幌から帰る時、雪が舞ってきてそこからイントロがうかんだということで、その時代、昭和36~7年頃なら洞爺丸型か洞爺丸の代わりに作られた初代十和田丸のはず。安田さん的には十和田丸のイメージが・・・

洞爺丸型はタービン船だから音が非常に静かで、ディーゼルの音がうるさかったというエピソードが残る初代十和田丸。津軽丸形も出港時はゴンゴンゴンって音が結構しましたので、イントロの「ダダダダーン」はディーゼルエンジンの咆吼が印象に残ってたんじゃないかと自分は思いますけどね。

で、初代十和田丸。

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洞爺丸沈没の教訓を生かして客席はすべて貨車甲板の上、船尾扉など安全対策が取られてました。

この後石川さゆりさんの語るエピソードの雑誌の紹介ですが、これまた著作権が・・・

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連絡船がなくなって30年以上経っても未だに新しい歌が作られている、2016年のサントリーBOSSのCMが北海道新幹線開業編では北島三郎&石川さゆり、トミーリージョーンズで作られて・・・サントリーさんから上演許可出なかったんでYouTubeとかで見てください・・・

この後参考文献の紹介で感じで終わりました。

keiichiさんの十和田丸の前で帽子被って記念撮影会、でもって記念硬券渡してダッチングマシンで日付入れ体験してパンチを入れる、捌けた切符の枚数から100人くらいは立ち寄ってくれました。ダッチングマシンはともかく硬券はおろか切符のことをしらないお父さんお母さん世代になってきてるんだなぁ、と思いました。

次回はいつできるかな?・・・朝寝坊しないようにします。

 

 

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2022年9月18日 (日)

34年目の9月18日に寄せて 「鉄道をつなぐ連絡船と旅」講演会

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今日は34回目の9月18日。青函連絡船の復活運航最終日から34年の月日が過ぎました。

先だって9月10日、鉄道博物館で3年振りに青函連絡船史料研究会が集まり、講演会が行われました。今回は鉄道開業150年記念企画展「鉄道の作った日本の旅150年」にちなんだ「鉄道をつなぐ連絡船と旅」と館内の鉄道連絡船関連展示を巡るガイドツアーを行いました。内容は企画展前期に合わせて、明治から昭和初期の関釜航路・稚泊航路・青函航路がメインです。

久々に皆さんで集まり、設営となりましたが、今回は11時からガイドツアーということで、会場設営組とガイドツアー組に分かれて作業です。自分は会場側だったので、ガイドツアーの様子は直接は分かりませんでしたが、後で聞くところによると、館内各所の連絡船の模型の前での解説や緊締具の実演、号鐘など濃い内容だったとか。安田さんの話がいつもより短くてどうした?と仲間で話題になっていました(笑)

さて、その号鐘。宗谷丸とたっぴ丸のものです。

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画像は控室で撮ったものです。で、その音色。まずは宗谷丸。

続いてたっぴ丸。

この号鐘を合図にガイドツアーを始めたそうです。そのガイドツアーで使ったフリップの一部を展示に加えました。

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講演会開始までのわずかな時間で貼る物を選んで・・・という突貫作業でした。

さて、13時から講演会ですが、11時半くらいに講演会の列はどこに並べばよい?と訊ねられても鉄博の方がいないのではて?という状態で、「昼飯やトイレに困る」と言われても私らも困ってしまい・・・とりあえず「先頭」と書かれた表示の所を案内したのですが、12時過ぎに整理券を配って・・・となりました。

13時。例によって吉田さんのドラで講演会開始です。

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まずは今回担当の学芸員さんのご挨拶。事前に大神さんから『安田さんが「マリンガールの服着せたらどうだろう」と言ってましたが誰か持っていませんか』ってメールが飛んできたのですが、さすがに無理だったようで、少し大きめの船員さんの3本線の制服になりました。船館のイベントで元マリンガールの方が衣装着てたと思ったんですが・・・ん~記憶違いかな?

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続いては課長の挨拶。自分と同じD500使いで羊蹄丸50年の講演会でお世話になりましたし、ED75のヘッドマーク交換や区名札、車内放送などディティールにこだわった展示を見せてくれます。

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今回は青函ではないですが、鉄道連絡船ということと戦前~戦中なので関釜連絡船と稚泊連絡船についての講演と飾り毛布の3構成になります。15:30までの長丁場ですが・・・という大神さんの前説です。

さて、今回は画面の撮影禁止のマークがあるので、講演会途中の画像の入っているパワポスライドは自粛しました。また、安田さんの講演の中には特別の許可をいただいた画像もあって、著作権にひっかかるので・・・4K動画ですべてを撮影してありますが、非公開にします。

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まずは吉田さんの関釜連絡船の講演。いつもの飾り毛布の実演と勝手が違うのか緊張の面持ちです。

壱岐丸、対馬丸、金剛丸、興安丸、崑崙丸、天山丸・・・と関釜航路・博釜航路の歴史、船についての解説をしていきます。鮮鉄・満鉄を経由し、シベリア鉄道でパリ・ローマ・ベルリン・ロンドンまでつながる亜欧連絡という戦前の華やかな時代から日中戦争、終戦と激動の時代に翻弄された歴史、戦火で沈められた連絡船のことを訥々と語っていました。今回展示に昭和12年の時刻表の復刻版を持っていきましたが、その最初の方の亜欧連絡のページを開いておきました。また、昭和19年の時刻表の復刻版は「連絡船の時刻は省略」と書かれているページを開いておきました。

今回、金剛丸・崑崙丸・天山丸の一般配置図を大神コレクションから蔵出しです。さすがに原本というわけにはいかないので、等倍のコピーです。

まずは金剛丸。たたんでいた折り目がキレイに広がっていないのでよれているのはご容赦を。図面はクリックで横1000pixになります。

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続いて崑崙丸。

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天山丸。

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天山丸や崑崙丸は海人社の「日本の客船」の中にキレイな写真があり、戦時塗装でなければスタイルもよく、美しい客船だったんだろうなぁ・・・と思います。

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会場は上から見るとこんな感じになります。ソーシャルディスタンスということで限定30名。いつになったらこんな制限がなくなるんでしょうねぇ・・・先日N響のコンサート行ったんですが、間を開けず満席でした。観客が声を出さなければもっと詰めても、と思うんですが。

続いて安田さんの稚泊航路についての講演。例によって精緻な調査と膨大な資料で作られた巨大なパワポスライド。

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今回撮影禁止の最大の理由は講演目次4の林芙美子「樺太への旅」で許諾を得て借用した画像の著作権ではないかと・・・通常は1枚いくらの使用料のところ、講演会の主旨に賛同して無料でお使いくださいという特別のご厚意をいただいたそうです。

航路開設、主として陸軍鉄道連隊仕様の600ミリナローゲージの軍事用から始まったので連絡線も便乗扱、樺太鉄道庁、砕氷船亜庭丸の建造など、国会図書館など資料を駆使した講演となりました。ソ連崩壊、ペレストロイカの恩恵か、20年くらい前の鉄道雑誌にはキハ58で行くサハリン鉄道の旅、豊原ループ線など見所たくさん・・・というパックツアーの募集が載ってましたが、今はそれも夢物語です。

1~3はどちらかというと政策・制度・船などの固い内容でしたが、4は旅の内容で、いつもの安田さんのアカデミック系の内容とは少し雰囲気が違い、戦前の旅を彷彿とさせる内容で、しかも女性の一人旅というさらにレアなものだけに、もし大東亜戦争を回避できていたら・・・ということを考えてしまいました。

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さて、その砕氷船、亜庭丸の一般配置図。船名が決まってなくて「新造砕氷客貨船」となっています。青刷りのカラーコピーですが、痛んでいるところはそのままです。

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そして宗谷丸の一般配置図。

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黒い丸は貼り付け用の磁石です。

休憩を挟んで吉田さんと森本さんのペアで飾り毛布の実演です。安田さんの講演が例によって延長戦ですので、巻きでお願い・・・ということになりました。コロナ対策で観客の参加はナシですが、後でやっぱり何か寂しいねぇという話が。

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関釜連絡船の講演とは打って変わって、立て板に水、とまではいきませんが、吉田さんの話しっぷりが変わりました。森本さんと二人、息の合った実演で、サクサクと作品を作っていき、そのたびに拍手が起きます。こうして3年振り2時間半にわたる講演会が無事終わりました。

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例によってkeiichiさんの十和田丸。今回は電飾なしです。何でも先日の走航会でスピードボートにぶつけられて、ポート側側面に黒い痕が。十和田丸の周りの紙ものは自分と空旅氏のもの。パネル側を戦前ものに、手前側をいつものものという感じにしました。

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こちらは鉄道博物館所蔵の金剛丸と興安丸の号鐘。興安丸は引き揚げ船として有名な船ですね。

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パネル・展示の全体像です。

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展示台のアップ。この設営と撤収はいつも大事です。十和田丸はもとより、青森駅や線路が大変です。見るたびに部品が増えてより取り扱いに繊細さが求められますし、HOゲージがKATOとTOMIXが混在しているのでコンテナの積載が???となったり、ここの線路って何番線までだったっけ?と過去の記憶たどって、オユはこのあたりでよいよね、郵便局こっちにあったし・・・とか。

いつもは講演会翌日にはアップだったのですが、終わった後、3年振りの宴会。翌日は死んでました。で、仕事もあってペンディング。

・・・みんな年とって病気自慢とか不健康自慢(苦笑)そりゃ連絡船終航から34年、最終便戦友会の再会からでも14年ですからねぇ・・・西沢キャプテンも鬼籍に入ってしまわれたし、史料研究会の元船員さん方もお年を召して・・・連絡船の船員会も終わりに・・・あまり考えたくないのですが、あと20年、いや、10年後にどうなっているのかなぁ・・・

無責任な乗客の思い出がベースの最終便戦友会と自分たちの歴史である連絡船を語り継いでいきたいという想いの連絡船の中の人の思いとリアルな連絡船を知らない若い世代の興味。それがこれからどんな航跡をたどっていくのだろうか、ということを考えていますが、それを最も思っているのは大神さんや安田さんといった、直接連絡船の運航に関わった皆さんなんだろうな、と思います。

昭和97年9月18日。4便到着時刻に合わせてタイマーアップです。

西九州新幹線1番列車かもめ2号指定券は撃沈。キャンセル待ちかけてます。自由席は乗車制限やるって・・・んーっと、鹿児島の時は思ったほどではなかったので今回も大丈夫な気もしますが・・・が、JR九州アプリでかもめネットきっぷでかもめ2号自由席+みどり2号指定席の幹在特押さえてたら接続列車指定券所持になって乗車拒否はできないだろうと踏んでます。で、折り返しのかもめ1号は折り返し時間短いからそのままホームに居れば乗れるだろう、ま、無理でも1番列車には乗れているので・・・という作戦になっています。在来最終のかもめ48号は指定券確保済、45号はキャンセル待ちですが、何とかなるかと。長崎駅で回送見送りしてホテル戻ったら1時くらいで、朝5時前には出ないといけないからなかなかハードです。ま、1番列車往復で戻ってきてもホテルの朝食タイムに間に合ってしまうので大阪東線の時と同じようなパターンができるかな、と。それから稲佐山に登ってブルーインパルスかな。記念切符とかの散財は押さえないと・・・そろそろ終活ってのを意識しないと・・・

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2022年3月13日 (日)

34年目の3月13日

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今年も3月13日がやってきました。

あれから34年。大学生だった自分が定年退職が見える年になってしまいました。画像は古い友人からいただいたもの。今こういうペナントってお土産屋でもあまり見かけなくなりました・・・

コロナで史料研究会や最終便戦友会と会って飲んでというのができないまま2年が経ってしまいました。YouYubeで連絡船の動画を見るとあの頃ビデオカメラを持っていなかったことが悔やまれます。とはいえ、一介の大学生が個人でポンッと買えるようなものではなかったですからねぇ・・・

11日にはキハ283系が引退してしまいました。エンジン吹かして高加速、石勝線を爆走していくのは乗り鉄としては爽快でしたし、撮り鉄としてはカーブで車体をバンクさせてかっ飛んでいく姿はかっこよかったんですけどねぇ。先輩の281系より先に引退とは・・・

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とりあえずサクッと出てきたデジタル画像。増田山から。熊出没注意・・・

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正面から。これ、どこだったったけ・・・

3月13日17時 羊蹄丸函館出航時刻にタイマーアップです。

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