青函連絡船

2025年6月16日 (月)

青函連絡船 車両航送100年記念 ガイドツアー@鉄道博物館

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はい、昨日鉄道博物館で行われたガイドツアーです。Xには現地からちょっと実況しましたが、きちんとblogでまとめとけ、とプレッシャーをかけられまして・・・このblog、自分の生存確認に使っているとかふざけたことを最終便戦友会から笑顔でツッコまれまして・・・

さて、今回は13時からの子供向けの回と15:30からの大人(濃い人)向けの2運航で行いました。が、自分も号鐘担当で動いていたので1回目と2回目をまとめてみました。

さて、まずは控室でリハーサルです。

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何か芸能人っぽい感じです。というか、こういう表示初めて見た気がします。

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今回は高橋さんが講演をします。研究を深めていた安田さんが鬼籍に入ってしまったので・・・まずは控室でリハーサルです。

で、聴いていた面々からいろいろツッコミが入ると、「いろいろ話したいけど、話し出すとあれもこれもって思いが出てくる。7割くらいに減らさないと・・・安田さんの気持ちがよくわかる」って感じのことを話すと、みんなで笑ってました。

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机の上に置かれた国鉄印のヘルメット。臭うのでベルト以外は外して捨てて・・・って、ヘルメットの機能は??

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最後の撮影会用の制服と制帽。自分も着たことがあります。

さて、そんなこんなで昼飯を食べて12:30くらいにスタンバイ開始。まずは壱岐丸号鐘前でスタンバイ。

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金剛丸の模型をバックに。

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始まる前に乗船名簿のレプリカと硬券レプリカの配布です。乗船名簿は普通席とグリーン席をセットで。乗船名簿はとてもキレイにできていて、現役時代のコピーにコピーを重ねて文字が読みづらくなってる、おそらくは職場の印刷機でまとめて印刷、裁断機でカットしてるので正確な長方形にならないなど、当時を知るものからすればありえないクオリティです。「レプリカです」って印刷しておかないと「本物」とか言ってヤフオクとかに出されるんじゃ?(笑)」なんて言ってました。

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ちなみに、上が当時のもの、下が講演会用に作成したレプリカ。印刷の質の違いがわかります。

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こんな感じで配っていました。

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まずは鐘の話。古い話で、今のような時計が普及していなかった時代、船の鐘は30分砂時計で計って、時鐘と時刻を知らせるものだったとか。連絡船は函館港内で霧が出たときに連打して自船の存在と位置を周囲の船に知らせていたそうです。
30分で1回1点鐘、1時間で2回2点鐘・・・4時間は2回×4で8点鐘。高橋さんの指示で鐘鳴らしてました。

最後に参加していて希望する人にも鐘を鳴らしてもらいました。小さい子は次々に手を上げて鳴らしに来ましたが、大人の部は誰か最初にやってくれないかなぁ・・・と牽制している雰囲気が・・・

左が宗谷丸、右が補助汽船たっぴ丸のものです。生音聴いた時はレとラ位か?と思っていましたが、後で動画の音をチューニングメーターでざっくりはかると、小さい宗谷丸がド#よりちょっと高め、大きいたっぴ丸がソ#よりちょっと低めの音が鳴っていました。大きい方が高い音という楽器として考えると不思議な感覚です。材質、形状、厚みなどの要因でしょうか。

鐘の次は貨車の前に移動して緊締具。ココ、鐘を片づけてたので、1回戦は見られず、2回戦で何とか見に行けました。

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フリップを見せながら貨車を船に固定することを説明していきます。コキ車は片側3カ所、時化って危ないときは4カ所でガッチリ留める、洞爺丸台風で転覆した船の車両甲板の貨車は固定されたまま逆さになっているほどだったとか。

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それで、緊締具を付ける体験です。軍手して緊締具を持ち上げてフックとガイドレールに固定してネジを締めてという一連の動作、一つだけでもけっこうハードですが、コキ満載だと何本やるんでしょうねぇ・・・

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その緊締具。これは両端がフックになってますが、ワム車に増し掛けするときは車両側のフックが足りないため、クランプ状になっているものを使って台枠をはさんで固定します。

次は貨車航送で、南館の3階歴史ゾーンへ。移動距離が結構長い・・・

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まずは車運丸の前で、甲板に線路を敷いて車両を直接船に乗せるギミックの話です。車運丸の乗員は6名。この6名で貨車の積み下ろしをどうやっていたか?潮の干満を利用して、干潮時に積み、満潮時に下ろすようにしていました。干潮時は船が低くなるので船に向かって下り坂、満潮時は船が高くなるので陸に向かって下り坂、で、人力で車両を押していたそうです。が、これでは1日1~2回しか積み下ろしができないため、定時制がない、自走できない艀なので定期船に引っ張ってもらうにしても船足が遅くなる・・・等々問題点山積みでしたが、車両から荷物を下ろす⇒艀に積む⇒船に積み替えるを積む・下ろすの両方で人力でやるよりはよほど効率的なので、以後改良が加えられ、貨車と人を両方乗せる客載貨車渡船となり、北海道開拓と輸送を大きく変える事になりました。

最後は津軽丸の大模型の前。

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海の新幹線と言われた当時の超近代船津軽丸。それまで4時間半だったのを3時間50分に短縮し、8機積んでいるエンジンのうち常時6機程度で運行、列車が遅れたときは8機フル稼働で遅れを取り戻した等のエピソードや可変ピッチプロペラ、バウスラスターなど今では当たり前の装備ですが、60年前は最新鋭の近代化船で世界初の機能も盛りだくさんでした。それで、吉田さんが前に船の科学館の講演会で使った一人当たりの座席面積を持っていたのでその場でやろうとなって急遽大人の部だけでやりました。

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一人当たりの桟敷席の面積。普通席は座ったらこのくらい。ですが、桟敷席は横になるのがあたりまえ・・・ではこの正方形を身長180センチの人に当てはめると・・・

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こうなります。仰向けにはなれません。当時の旧客の3等寝台より狭いです。

グリーン席はこんな感じ。

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グリーン指定席はフルリクライニングレッグレスト付の豪華一人がけ座席なので、コレは自由席の枡席の一人当たりの面積。普通船室より若干広いです。で、身長180センチの人が横になると・・・

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こうなります。ようやく幅52センチの3等寝台、20系ブルートレインの3等寝台⇒B寝台で仰向けになれる広さになります。

最後にダッチングマシンでレプリカ乗船券に日付を刻印してパンチを入れ、制服・制帽で記念撮影をしてツアー終了となりました。

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久しぶりのイベントでしたが、各回定員20名程度とはアナウンスされていましたが、来る者拒まずで何だかんだで50人くらい参加してくれました。また、今回はスタッフではないですが、知っている方も多く来られて、その後の飲み会は楽しい会になりました。

次回・・・お楽しみに。

1年休んで4月から副校長アシスタントとして週4日6時間の短時間勤務をしています。まぁ、アルバイト感覚です。退職金で住宅ローンの残り返して水回りリフォームして1年遊んでたらそりゃお財布が・・・とはいえ、リフォーム補助金20万、東京都の家電買い換えゼロエミ補助金で冷蔵庫8万エアコン3万合計31万円の補助金もらいました。そして、6月の給与明細から住民税を引かれていません。1年間住民税非課税世帯となるので、もらえる補助金の類いは漏れなく申請してもらっとこうっと。

今日は土曜授業日の勤務の振替休日で、まったりです。旅行から帰ってきた翌日とか、この種のイベントの翌日は体がしんどくなってきたので、うまく休みを調整して1日インターバルを置くようになりました。出勤したところで今日は疲れて役に立たないというわけです。まぁ、今年還暦ですからねぇ・・・

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2025年6月14日 (土)

青函連絡船イベント@鉄道博物館

最近はXにばかりアップしてたので・・・スマホでお手軽にアップできるんでつい・・・

明日は久々の連絡船イベント@鉄道博物館。史料研究会のお手伝いで参戦します。皆さんにお会いできるのが楽しみです。朝寝坊しないようにしないと・・・

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大神さん情報によると青函局吹奏楽団演奏の「青函連絡船の歌」が流れるかも・・・とのこと。JASRAC管理外の曲だし乗組員さんの作詩作曲だから著作権はクリアでしょうねぇ。自分のYouTubeでピアノ伴奏初音ミクで上げてはあるけど、歌詞間違えてるの後から発覚したし。耳コピーで吹奏楽団のスコア作りかけてそれっきりになってるのできちんとDTMでつくらないとなぁ。去年1年休んでる間にやろうと思ってそれっきりになってたんで・・・

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2025年3月13日 (木)

38回目の3月13日 青函連絡船最終日

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今日は昭和100年、昭和63年から数えて38回目の3月13日、青函連絡船の定期運航最終日。最終22便出港17時にタイマーアップです。

画像は自分と同い年、今年還暦の摩周丸の進水記念絵葉書。表紙は摩周湖のイラストです。

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中の絵葉書は竣工予定のイラスト。サインがI.0HKUBOとなっているので船舶画家の故大久保一郎氏の作でしょうか。後年親しまれたシンボルカラーの深い青をまとった姿ではなく、松前丸や八甲田丸、大雪丸の絵はがきと同じ船体色で、ファンネルが臙脂色に塗られています。松前丸のファンネルが青だったので、同じ色にならないようにこの色になっていたのでしょう。まだ十和田丸が入っていない北星堂の古い絵はがきを見ると、松前・八甲田・大雪はこの色ですが、摩周丸はおなじみの色になっているので、幻の摩周丸の塗色といったところでしょうか。

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表紙に綴られた方の裏側は主要目が、単独の絵はがきの裏は宛先が書けるようになっています。

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切手の貼付場所がスリーダイヤなのは他の三菱の造船所でも同じですね。

大学生だった自分が還暦を迎えるほど年月を重ねましたが、未だに連絡船にまつわる皆様とのつながりや新たな出会いが続いている、その思いの深さを改めて感じています。

親しくしていた元船長さんや船員さん方が鬼籍に入っていかれるのを見送るにつけ、歴史の彼方に連絡船も人も航跡を残して去って行く、今だからこそあの時代の空気の意味が沁みてくる、そんな思いがこみ上げてきます。

Xのポストと同じ内容です。

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2024年9月18日 (水)

36年目の9月18日 青函連絡船の形見

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今年もこの日がやってきました。青函連絡船の最後の日。臨時運航でカムバックしてホントにこれが最後。教育実習中でこの日1日のピンポイントでしか行けない、まだ土曜日に普通に学校があったので、荷物をもって教育実習に行き、そのままゆうづる3号の客となり、1便~4便の1往復、青函くつろぎカードではくつるの発車まで船内で過ごし、泣く泣く帰り、そのまま教育実習に行くという強行軍でした。

何せ、スーツで乗りに行き、1便のグリーン船室で教育実習日誌やら指導案書いて、着替えて、4便~くつろぎカードはとにかく乗るに徹してました。上野について併走する回送はくつるの車内に忘れ物にしてしまった連絡船トレーナーを発見、月曜日の実習終了後、取りに行きました。

ポスターやら何やらいろいろ散財したものやらカメラバックを持ったまま実習に行き、附属小学校だったので実習の班の仲間にお土産のトラピストクッキーを配って食いながら授業計画が・・・とかやってて、この強行軍が教官の知ることとなり怒られました。このあと数年間、実習中にこういうバカなことをしないように!とオリエンテーションで言われていたとか。まぁ、同じような感じで碓氷峠に撮影に行ったのもバレてまだやるか、と火に油を注いだってのもあるのですが・・・そんなスチャラカなのがよくも34年も教員やれたもんだと・・・採用試験、倍率高かったのに現役一発合格は自他共に信じられない、という、何かの手違いでしょうとしか思えなかったので。

画像は我が家の家宝のひとつ、駅などにつるされていた小旗。色落ちが怖くて黒ずんできても36年間洗濯しなかったのですが、先日、過炭酸ナトリウムとぬるま湯でそっと手で押し洗いしてキレイにしました。湯が真っ黒になり、どんだけ汚れていたんだと・・・湯を替えて何回か洗うと、色落ちせずスッキリとして色が戻りました。アイロンかけるか迷ったのですが、布の材質がわからないので、下手に熱加えるのが怖いのでやめました。

そしてこちらも我が家の壁面を飾る家宝。

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終航後、改造されるかスクラップになるから何持ってってもいいよ、という船員さんのお言葉に甘えていただいてきた数々のもの。結構な人数で山分けしたのですが、通って顔なじみになっていたからというのもあるにせよ、今では考えられないおおらかな時代でした。

現在、1988年9月18日4便と翌19日ふくうら丸青森回送出航と回5001便十和田丸出航VTR編集中です。

昭和63年9月18日18時 4便到着時刻にタイマーアップです。

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2024年8月13日 (火)

八甲田丸 60周年

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今日・・・昨日になってしまいました・・・は八甲田丸60周年。イベントあるのはわかっていたのですが、台風で断念しました。万一の際に宿泊先の確保が3連休とねぶたの余波で困難極まる、ということで。そもそもが前泊青森市内で2万円近くしか空いてなくて一応予約はしたもののどうしたものか・・・と。

各所SNS見ると天候持ちこたえて賑々しくできたようですし、研究会の吉田氏やスプーン氏の姿も。最近リアルでお会いしてないので無理しても行けばよかったかなぁ・・・と思ってます。

最近は動画編集してYouTubeにアップする日々です。時間に余裕があるのと、授業で使うのと違って明日まで!とかの〆切がないので自分のペースでゆっくりとできます。

引退して4ヶ月半、ゆっくりと過ごしています。アップの時刻は12日にしておきました。

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2024年3月13日 (水)

37回目の3月13日

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というわけで、超久しぶりのエントリーですが、これだけは・・・

青函連絡船終航から36年、今やこんなものを持っている人も数限られているでしょうねぇ。何せ青刷りの使い捨ての掲示物。
昭和61年の十和田丸の行事予定表。4・6・8・9月のを持ってます。コレは4月。そもそも青刷りって何?って言われそうです。青写真って言った方が早いかな。自分が大学に入った年の10月の渡道の際に連絡船のブリッジでもらってきたものです。よく色が抜けなかったものだと・・・まだコピーを「電子コピー」と言っていた頃ですね。大学の研究室でも電子コピーは特別、ゼミの資料はデルミナして青刷りでってのが当たり前でしたから。
で、話を戻して・・・なんでコレをもらってきたのかは全く記憶にないです。多分同行した友人と山分けしたから5・7月が抜けてるのでしょうが、今となっては貴重な十和田丸の形見ですね。

月末には根室本線が分断されてしまいます。ラストランは行く予定で飛行機と富良野のホテルを押さえてあります。昭和61年当時、赤字ローカル線、特定線区を廃止が決まってはいましたが、その後こんなことになるなんて想像もできませんでした。分割民営化の自民党の広告には「ローカル線はなくなりません」って明記されてたんですが・・・北斗星もなくなり、これまら「ブルートレインはなくなりません」もホゴにされ、遠くへ旅立つ儀式というか旅情が・・・連絡船なんてその最たるものだったと思うのですけどね。金にならない、株主様に配当出せない・・・金融が農作物を作ってくれるわけじゃないんですけど猫も杓子も投資だ金融だと踊らされて何だかなぁと思います。

さて、とりあえず今週末は北陸新幹線敦賀延長開業。つるぎ1号は取れました。かがやき502号と迷いましたが、発車時刻と前線踏破の速さでつるぎ1号にしました。東京からの直通1番のかがやき501号も取れているのと前日の在来線特急最終金沢-敦賀往復もおさえてあるので今回は並ばずに済みます。ついでにホテルは金沢駅の上。北陸応援割が使えないので2拍で4万超えですが、それはしかたないということで。夜討ち朝駆けがしんどい年になってきたので金で解決です。

これ、22便羊蹄丸出航時刻にタイマーアップです。

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2023年9月18日 (月)

35年目の9月18日 銀箱のステッカー

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35年前に使っていた銀箱です。ステッカー貼りまくってて今となっては(笑)

正面、でいいのかな?は前にアップしたステッカーと3月13日22便の記念品袋に貼ってあったシール。

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上には金属製のプレート。これ、未使用品がどこかにあるはずですが・・・銀箱の上面ですから、脚立やベンチ代わりに使っていたのでこすれてこんな姿に。

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こちらは側面。十和田丸と羊蹄丸のステッカー。この銀箱、撮影だけでなくてバンドの機材入れにも使っていたのでYAMAHAとかBOSSとかのステッカーも貼ってあります。で、そのステッカーのアップ

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あれから35年、この銀箱を見ると、若かった頃、夜行連泊・野宿・駅ネと今考えると無謀と思える旅を思い出します。今は戸棚の上の飾りになっていますが、確かに日本全国を自分と共に駆け回った相棒だったわけで、とりわけ連絡船のステッカーが多いのはその思いが強かった証かな。

思い出は刻の彼方へ・・・なんてのは嘘で、歴史のページがめくられたその場に居合わせたことは刻が経ってもいつでも鮮明に思い出せます。あの時、35年後にこんなblog書いて思い出を共にする新たな友人ができているなんて想像もしなかったこと。運命とは数奇なものです。

昭和63年9月18日18時 4便到着時刻にタイマーアップです。

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2023年6月12日 (月)

第18回 青函連絡船講演会

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というわけで、遅くなってしまいました。第18回青函連絡船講演会。久ふりの船の科学館での開催でした。

この日、前任校の運動会に出席していたので現地到着が14時近くなってしまい、髙橋さんの「係船当番」の話は聴くことができませんでした。まぁ、大神さんから酒席でいろいろな話を聞いてますし、ドラマロケでキャンディーズのスーちゃんが来たときの写真とか垂涎なものも見せてもらっているし・・・で、今回期待の安田さんの大作GHQ占領下の青函連絡船第1弾からの参戦となりました。今回久々の船の科学館で空旅氏と自分が設営にいないのが相当ヤバかったと後で聞きました。

今回、画面の撮影はOKですが、blogなどに二次使用は・・・ということで、安田さんの作成した文字ベースのスライドを基本にいきます。

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まずは戦時中の決戦輸送と空襲による連絡船全滅。

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各船の犠牲者一覧です。

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空襲から終戦にかけての運行状況。最後は7・8青函丸と傭船の樺太丸と軍艦千歳丸が残っていたことになります。

そして、8月15日。

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樺太丸の中でも玉音放送を船長室で聞いていたことが書かれていますが、この書き方だと船客はリアルタイムで玉音放送を聞いていなかったことになります。

そしてその後の運行。

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終戦後、輸送逼迫であちこちから船をかき集めてきて・・・

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GHQの指令で運行状況が変わってきます。画面に映る船腹にSCAJAPナンバーがでかでかと・・・

そして、自分の中でかなり謎だった小湊桟橋とLST

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青函連絡船「栄光の功績」にはサクッとしか書かれていないので、何となくしか知らないし、2016年の夏に安田さんや大神さんと一緒に小湊桟橋跡に行ってはいるのですが、その顛末は過去のエントリーで。

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LST12隻貸与・・・が実際は2隻。その問題点。

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決定から返還までの年譜。

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実際の運行。有川-小湊で7時間半、まぁ、上陸用舟艇ですからせいぜい10ノットしか出ないわけで、さらに貨車の積み下ろしも仮設の線路のような状態で半人力なので時間がかかる・・・と。小湊の可動橋は第六青函丸がテスト接岸したっきりで使わなかった・・・その写真もスライドにはあったのですが、先述のようなわけでここではお蔵入り。

で、LSTの寸法や乗員。

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船内は3線指揮として、船首にバウランプを設置。狭い船首扉から出し入れするので、石炭輸送の無蓋車のトムが基準になっています。

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そのLSTの船首部分の図面。

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日本国有鉄道百年史にある石炭輸送の写真。LSTの特徴的な船首が開いています。

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緊締具はこんな感じ。

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着岸操船。現地に行ったときにドルフィン跡から見える沖合があまり広く感じられなかったのと元が上陸用舟艇で砂浜に乗り上げる船体構造だけに相当操船が難しかったんじゃないかなぁ、と思います。

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わずか1年だけの運航で、日の目を見ることがない小湊桟橋とLSTですが、戦後の混乱期をどう乗り切っていったかという史料として貴重なものだと思います。

さて、続いては飾り毛布実演。今回は摩周丸に展示してあるミニ飾り毛布の再現。

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上杉先生の解説で吉田さんのパフォーマンス。

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展示されている作品群。

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画面には摩周丸船内に展示されているミニ花毛布。目の前でリアルに折られていく毛布。

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この作品、摩周丸での展示には連絡船の模型が置いてあって、「模型は・・・」客席から「あるある・・・」「あれ・・・」とどよめきとも笑いとも何とも言えないリアクションがあり、毛布に鎮座したLSTの模型。

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こんな感じになりました。そのLST模型は・・・

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こんな感じに船内も作られていました。これ、フルスクラッチですよねぇ・・・

さて、今回の展示、コレ、ほしいなぁ・・・

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すごすぎです。ケース内展示は安田さんが青森ヒストリーアーカイブ所蔵品を借用してきた貴重品。写真撮るのはOKだけど、紙がボロボロなので折り曲げるコピー不可。二次使用はきちんとキャプション入れてください、とのことです。

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このあたり、6年生の社会科の史料としても使えますねぇ・・・と。

そして、楽しい飲み会となりました。

お会いした皆様、ありがとうございました。

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2023年4月22日 (土)

予告 第18回 青函連絡船講演会@船の科学館

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久しぶりに船の科学館での開催です。・・・が、自分、前任校の運動会と重なってますのでおそらく欠席か大幅な遅刻です・・・

GHQと連絡船なんて小湊桟橋とかLSTとかおいしいネタが安田さんクオリティなのになんともったいない・・・

さて、本日、区長選挙と区議会議員選挙行ってきました。糖尿通院→薬局処方箋長時間待ちの間に→期日前投票→銭湯→薬受け取り→椎間板ヘルニア牽引リハビリ→痛み止め処方薬局→スーパーで食料調達→帰宅という半日仕事でした。糖尿通院の前日に歓送迎会って・・・目の前に酒肴でおあずけってどんだけ・・・

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にしても、国政選挙と比べてなんと豪華な投票済証。サイズもでかいし厚紙だし、カラーだし。

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2023年3月13日 (月)

36回目の3月13日

青函連絡船終航から36年経ちました。

ここ数年、歴史の彼方のようになってしまって、つい昨日の事と思っている自分とのギャップを強く感じます。

先日、1988年当時のNHK特集の再放送があったとか。18:10からではとても間に合わないので録画依頼しました。探せば当時のVHSのテープがあるはずですが、HD画質は欲しいです。

それはさておき、36年経っても連絡船を軸に様々な人が集まってくる、新しい出会いもある、というのは有り難い事です。連絡船をリアルで知っている世代より後の世代が増えて、いずれ本当に歴史研究の中になっていくのが見えています。

あの頃の旅の思いは経験した者にしかわからないでしょうが、そんな思いも伝わっていくといいなぁ、と思います。確か先のNHK特集は乗客へのインタビューが主体の番組だったはず。服装や髪型、荷物、話など時代を感じさせてくれるのではないか、と思います。

様々なビデオや特番、改めて見直してみようかな。

17:00羊蹄丸出航時刻に

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