38回目の3月13日 青函連絡船最終日
今日は昭和100年、昭和63年から数えて38回目の3月13日、青函連絡船の定期運航最終日。最終22便出港17時にタイマーアップです。
画像は自分と同い年、今年還暦の摩周丸の進水記念絵葉書。表紙は摩周湖のイラストです。
中の絵葉書は竣工予定のイラスト。サインがI.0HKUBOとなっているので船舶画家の故大久保一郎氏の作でしょうか。後年親しまれたシンボルカラーの深い青をまとった姿ではなく、松前丸や八甲田丸、大雪丸の絵はがきと同じ船体色で、ファンネルが臙脂色に塗られています。松前丸のファンネルが青だったので、同じ色にならないようにこの色になっていたのでしょう。まだ十和田丸が入っていない北星堂の古い絵はがきを見ると、松前・八甲田・大雪はこの色ですが、摩周丸はおなじみの色になっているので、幻の摩周丸の塗色といったところでしょうか。
表紙に綴られた方の裏側は主要目が、単独の絵はがきの裏は宛先が書けるようになっています。
切手の貼付場所がスリーダイヤなのは他の三菱の造船所でも同じですね。
大学生だった自分が還暦を迎えるほど年月を重ねましたが、未だに連絡船にまつわる皆様とのつながりや新たな出会いが続いている、その思いの深さを改めて感じています。
親しくしていた元船長さんや船員さん方が鬼籍に入っていかれるのを見送るにつけ、歴史の彼方に連絡船も人も航跡を残して去って行く、今だからこそあの時代の空気の意味が沁みてくる、そんな思いがこみ上げてきます。
Xのポストと同じ内容です。
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コメント
昭和100年という区切りの年なので、分かり易いですが、忘れるぐらい年月が過ぎましたですね。
相変わらず青函連絡船への、思い入れに敬服しております。
本文でも言われるように、連絡船の広報活動に精出されていた元乗組員も寂し限りですね。
終航時の乗組船長の皆さんも、時々連絡がありますが、満37年間の月日は大きすぎるようです。
自分のブログに精いっぱいで、すっかり失礼しております。
何か昭和63年(1988)3月13日が戻ったような、温かいお気持ちありがとうございました。
投稿: towadamaru7 | 2025年4月 2日 (水) 22時08分