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2018年3月18日 (日)

第12回 青函連絡船講演会 終航30周年記念

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第12回青函連絡船講演会。今回は青函連絡船終航30周年企画でした。事前にNHK等で放送されたこともあり、東奥日報の記事では80名、ピーク時には100名を超える来場者でイスが足りない状況でした。

今回はオープニング+4部構成でした。まずは恒例の吉田さんの銅鑼です。13:30出航ですので、13:27頃に盛大にならしました。

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そして・・・「レッコーショアライン!」と同時にあの日の音と映像が。

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昭和63年3月13日17時。22便羊蹄丸、函館出航。乱舞する紙テープ、ほたるの光の大合唱・・・

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金色の夕日の中を船体を左に傾けて最後の航海へ・・・というオープニングでした。出航は各種ブザーや電鈴は現物を使って生演で、それに合わせて映像と音は別編集でDVDデッキとCDを同時操作でその場でミックスするという練習一回の超アナログな一発技でした。

さて、講演会本編です。まずは恒例の西沢キャプテンのお話。お題は「船長表札」

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今回はかなりコアなネタです。いつの頃からか連絡船には船長の表札が掲げてあったそうで、いつ頃からは調べても分からない・・・津軽丸型からだと思うが、通達や規定に全く記録がないので発祥は不明だそうで・・・一説によると飛行機の機長挨拶のような船長挨拶をしようにも挨拶できるのは出航して灯台交わした30分後くらい。深夜便だとお客さん寝てるからできないのでその代わりに・・・とか。

で、船長表札にまつわるエピソード。名札をみて訪ねてきた同級生とかお客さんとかいろいろなネタが。休暇で家族で乗ったのに船長表札が自分のままになってた・・・掛け替えるの忘れられてた・・・とか。

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表札は案内所の奥にぶら下げてあり、連絡船は1船に3組の乗組員チームなので、交代すると名札を掛け替えるため、船内に置いてあったそうで、代務で他の船に乗るときは名札を持って行って、お願いします、と渡していたとか。

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船長にも甲乙丙のランクがあって、青函連絡船は乙種でよいのですが、甲種免許を持つ人が多かったそうで、甲種船長と肩書きを付けていました。が、昭和58年に規定が変わって甲乙丙の種別でなくなった後も表札をそのまま使っていたら、お客さんからツッコまれてそれ以降、肩書きを船長としていたとのこと。

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新旧資格対照表ですが、○級海技士より船長、航海士の方がわかりやすいですよねぇ・・・

続いては渡邊機関長による船内電力の話です。

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機関長は制服がもう残っていないので・・・と言いながら濃い専門的な技術的な話です。直流・交流・3相交流の違いから発電機の原理といった基本的な話の後で、連絡船の発電機の話や操作法と続きます。

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さらに各種装置の話はそれがどう繋がっているか、どのような働きをしているかなど立て続けに図面を見せながらの解説です。

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複数の発電機を並列につないで使っている連絡船なので、それをどう起動していくかという手順です。手順2の揃速の機能は津軽丸には付いていなかったとか。スイッチを右回りに回して手順を進めていくことになります。

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でもって、こんなトラブルがあったというエピソードを披露して終わりとなりました。

休憩を挟んで第3部、飾り毛布実演の部

今回は上杉先生と吉田さんと森本さんの3人で。

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特に「鉄道連絡船の飾り毛布110年」というタイトルで、上杉先生が論文の中で鉄道博物館や日本郵船歴史博物館所蔵の写真を許可をいただいて使用したものの中から特に鉄道連絡船のものをピックアップし、それを実演で再現するという形でした。

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まずは初代青函連絡船比羅夫丸の特別室の写真に残る飾り毛布から。映像と実物を見比べて・・・

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稚泊連絡船亜庭丸の飾り毛布。

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画像は下段寝台のアップですが、何をイメージしているのかはよくわからないそうで、名前考えてください、と言っていました。折り方もこれで本当に合っているかどうか微妙ですが、これを折っていた人たちはもう生きていないので、直接聞くこともできないので研究します、とも。

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連絡船伝統の飾り毛布、「大輪」

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締めは松竹梅でおめでたく。

第4部は乗組員の皆さんが一人ずつ30年前の3月13日の思い出を語り、その後、最終22便乗客の私ら5人が当時のエピソードを語るというトークになりました。顔出しは・・・なし、と言いたいのですが、東奥日報さんのWEBに5人並んでる姿が・・・

事前に大神さんから何かしゃべれとかパネルディスカッションかパネルトークかという話があり、最終便戦友会にも伝えといて、できれば例の段ボールハウスを再現して欲しいなぁ(笑)というリクエストもついていました。で、会員番号(乗船名簿番号)1番のN氏に話したら、「段ボールハウスの再現だけはいやだ!」と断固として断られてしまったのですが、「この企画、あんた来ないとあかんでしょ!」「また○ちゃんねるで1番が・・・とか粘着されるからイヤだ」とかそれはまぁいろいろ葛藤の上、5人が前に立つことに。段取りが全然読めない上、最初は一人5分位しゃべって、あとは任せるから、と大神さんに振られたのですが、フリートークをする時間もなくなってたので、一人ずつしゃべって終わりとなりました。

実際出たとこ勝負でどうするか考えてなかったらしく、最終便組、どうする、何しゃべればいいんだ?とか困惑してましたが、いざマイクを持てば飲み屋で思い出話を語る勢いで出るわ出るわお互いにツッコミしながらトークが進み、客席からも笑いが。失笑とも言うかな?と思いましたが、30年経っても色あせない当時のリアルエピソードは今となっては青春の思い出そのものですね。何せ、図書室にある「昭和の写真集」みたいな図鑑に自分たちが写ってるわけですから。歴史のページの立会人・・・

さて、今回の展示品。まずは持ってくる度にグレードアップするkeiichiさんの十和田丸+青森桟橋

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えぇっと、前回は桟橋には電気がなかったような・・・右手前のパネルは摩周丸の中の模型のほとんどを手がけた方の奥さんが持参されたもの。奥は羊蹄丸A組作成の横断幕。

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うーん、これはすごすぎ。雰囲気ありすぎです。

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「今、栄光の航跡をきざんでいます」の横断幕、「行ってらっしゃい」とか他のバリエーションも用意してありましたが、やっぱりコレかな。keiichiさん曰く、船よりも周りの建物のディティールが気になってしょうが無いと後の飲み会で言ってました。

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続いては展示ケースその1。船長表札に各種記念品、羊蹄丸の航海日誌の最終航海のページ、鈴木船長へ手渡したメッセージノート。ログブックの上の乗組員集合写真は私のコレクションから。

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灰皿とかレリーフとか重厚なものが多いです。

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左ページは22便の記録。右ページは回送の5005便。

5005便のページには

The old soldier will never speak anything, but the only thing he can do is just fading away.
老兵は何も語らず、唯消え去るのみ

と書かれています。

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展示ケースその2。奥の方は西沢キャプテンを始めとする船員免許や大西さんの無線免許、本籍地とか生年月日とかそのまま出してましたけどいいのかな?

左手前が引継簿、右側が発電機関係の資料。引継簿を押さえてる温度計文鎮と羊蹄丸就航記念カードは自分のです。

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引継簿。3月13日のページ。下が羊蹄丸、上が檜山丸もの。羊蹄丸は22便の前の3便のページですが、

航海甲板左舷側に支店から支給された「さよなら青函連絡船」の横断幕、掲示してあります。青森着岸後取り外して下さい。

○○(判読できない)作った「さよなら羊蹄丸」「永い間ありがとうございました」の横断幕2枚は函館出航後すぐ外して下さい。そしてB組乗組員全員でサインを書いて下さい。22便終了後保管してください。(この順序かはちょっと不明です)

とあります。ハンコが小玉さんなので、例の横断幕の指示が書かれています。

これ、講演会の途中で檜山丸のページがめくれて11日が見えていたのですが、そこには「青函トンネル爆破の予告あり・・・」との記載が。写真撮るの忘れた・・・

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ガラスケース3つ目。左上の感謝状は段ボールハウス先頭のN氏が函館駅長からいただいたもの。全文手書きです。

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報道で名前バレバレですが、本人の希望で名前はモザイクで。乗船証明書は自分も持って行きましたが、ここはN氏のもので。

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左下、青森→青森の3月13日だけしか使えない切符。津軽・海峡・江差・函館・青函航路の順の1周切符。その横、物品有料持込切符。自転車の持込切符です。ラーメン食って案内所に行ったら硬券で残ってるのがコレだけだったという・・・

他、22便スタンプ、ラーメンのレシートなぜか日付が3/14、郵便局の消印、22便乗船名簿のコピーと20便は現物。先のログブックに名前がある福原さんに書いてもらった乗船証明、右上の写真集はH氏が持ってきたもので、段ボールハウスの様相が。

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右上の袋は最終便とその前の臨時便の乗客に配られた記念品の入っていた袋。ファイブミニ発売でスポンサーになっていたのでしょう、中には乗船証明書とJRHOKKAIDOの冊子、ファイブミニが入っていました。袋の両面にありがとう青函連絡船のステッカーが貼ってあったので、片面ははがして当時使用していた銀箱に、あとはそのまま保存しておきました。O氏は袋ボロボロになったのでステッカーだけ切って残しておいたとか。H氏ははがしてアルバムにとかそれぞれですが、ステッカーはみんな何らかの形で残しているようです。

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4つ目のケース。オレンジカード・テレフォンカードはblogにコメントしてくださるkokubu氏からいただいたもの。自分もかなりな量を持っているのですが、保管袋をしまい込んでしまって再発掘できなかった・・・弘済会のマッチ、船内で売っていたキーホルダー、あの日、かなりの人がお土産やグッズを入れて持ち歩いていた紙袋・・・

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続いて壁面展示。これ、場所が狭くて後で移動し、その後にH氏の写真が追加・・・の方は撮ってなかった。

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壁面展示のトップに段ボールハウスの先頭部。種々雑多な段ボールは函館朝市のもの。先頭はウナギの寝床、中間部は豪華壁屋根ドア付き、函館朝市の段ボールが払底し、近隣の商店からガムテープが全て売り切れ・・・後ろへ行くと床に新聞紙を貼って番号・住所・氏名を書いて場所とり主張・・・寒さ対策は新聞紙・・・船から投げる紙テープも売り切れ御礼・・・

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各新聞の記事。

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そして、行列の先頭の看板。

講演会後、約30人で盛大な宴会となりました。青森から葛西機関長もいらしていて、久々にお会いできました。30年という年は経っても変わらない思い、新しい人との出会い、そういったものをもたらしてくれる青函連絡船。安田さんが「50周年もやるぞ」と言っていましたが、えぇっと、皆さん年いくつになってるんでしょ?大学生だった自分が定年まで一桁の年数になっているほど30年という年月は長いんだ・・・と実感した日でもありました。

みなさま、ありがとうございました。

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