惜別 夜汽車
このエントリー、今宵の最終はまなすの発車時刻です。
画像は昭和63年3月13日のはまなすの下り1番列車@青森駅です。
これに乗っていたので、今宵のラストランに乗りたかったのですが、指定券云々以前に卒業式直前ではさすがに火曜日休めません。
はまなすが最後の朝を迎えると、自由席を連結した、普段着の夜汽車、在りし日の夜行急行列車の歴史の幕が閉じられます。
周遊券時代からどれほどお世話になったかわからない、夜行急行列車。
窓の外を流れる街の灯り、飛び去ってゆく駅の照明、おやすみ放送の後、目が覚めると駅に止まっている・・・
固い座席と轍のリズムに包まれて本当に明日が来るのだろうかとさえ思える長い夜を過ごした初めての一人旅・・・
周遊券を握りしめて深夜に乗り換えて宿代わりに使った東北や北海道の夜行急行、最後尾のデッキで街の灯りの上を舞うような不思議な感覚を覚えた夜行鈍行山陰、寝台特急なんて高嶺の花で眼中になし、指定席ですらもったいない・・・
夜汽車に住んでいるような感覚になった夜行42連泊。東京からの九州周遊券、に18きっぷと広島からの四国周遊券を組み合わせて西日本、戻ってきて10月1日発券の北海道周遊券学割+冬期割引でそのまま・・・
とにかく遠くへ行きたい、列車に揺られたい、乗ったことがない路線に・・・チャレンジ20000キロがあったとはいえ、金はないけど時間だけはある高校から大学、そして就職してしばらくは本当に座席夜行を使い倒していました。いつの頃からか時間を金で買うような旅の仕方になってしまいました。
もう二度とできない、若かりし頃の汽車旅の思い出の香りを残す列車が赤いテールライトと共に歴史の中に吸い込まれて消えていく・・・
夜汽車へ愛惜の思いを込めて。
探せばまだ出てくると思いますが、サクッと出てきた走行写真、有珠山の噴火で函館本線山線を迂回したときのもの。ドラえもんシールが・・・
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コメント
私も羊蹄丸→はまなす始発のパターンでした。
先頭を撮影されていたのですか。
自由席がガラガラだった記憶だけは鮮明です。
青函トンネルで車掌さんに断って後ろの車掌室から窓開けて外みてたら(今だったら、特に今日からは絶対無理ですが)種村直樹さんがひょっこり顔だして見に来て一緒に見物していた記憶があります。
ブルーインパルス、格好良かったですね!
仙台なのに一度もまともに見たことありませんでした。
らしかしあれは写真で撮るのは大変そうです…
投稿: とうほく人 | 2016年3月26日 (土) 18時51分
おはようございます。
あの日、12両のうち後ろの自由席6両を函館で切り離すってことで大騒ぎになりましたっけ・・・6両分の自由席客を2両の自由席に深夜に移動しろってそりゃ無理でしょってことで結局そのまま札幌まで行きましたっけ。
ブルーインパルスはかっこいいですけど、機体のアップなら大砲レンズ、スモークなら広角レンズ・・・とカメラ複数体制にしないと苦しいです・・・
投稿: 西乃湯 | 2016年3月27日 (日) 08時10分