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2014年8月

2014年8月18日 (月)

臨時あけぼの その2

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8月13日 津軽新城-新青森

側面にしか陽が当たりませんが黄色い花との色彩の組み合わせが気に入ったので、背景が住宅なのは致し方なしです。直前怨念雲を回避して列車通過時に晴れたのが何よりです。小湊桟橋跡からここまで楽勝かと思ったらギリギリでした。

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振り返って後撃ち。奥に新青森の駅が見えます。

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で、回送。今度は昨日より一つ青森寄りの住宅地の中の踏切から。

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花びらが散ってしまってるのがあるのがちょっと残念。

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で、夕方の送り込み回送。

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ここまで引っ張るとプッシュプルというのがわかります。

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振り返って81の頭で。遮断機が上がって…

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ギリで面にポールが当たらない位置で。

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で、改めてここへ。何とか怨念雲を回避して陽が持ちこたえました。

で、13日の青森からの入庫回送と津軽新城-鶴ヶ坂はVTRまとめました…というか、それしかまともに撮ってない…動画はこちら→(akebono201408.mp4 2分程度 約96MB)←です。

夏休み終了。あと1曲アレンジとデータ打ち込み1曲残ってしまった…墓参りと胃カメラと青森行きで自宅で作業できたのって土日入れてわずか4日。スケジュール厳しすぎ…体力がもちません。明日…いや、今日から練習スタートです。さて、寝るかぁ…

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2014年8月16日 (土)

臨時あけぼの

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8月11日 鶴ヶ坂-津軽新城

せっかく青森まで行ったので臨時のあけぼのを撮ってきました。定期時代よりダイヤが大幅に繰り下がって下りを真っ当に順光で取れる場所が青森県内では限られてしまってるので、まぁ行きました撮りました…という感じです。

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青森からの回送。千刈の踏切で。かろうじてDE10の正面に陽が回ります。

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リゾートあすなろがちょうど踏切上で追い抜いていきました。遮断機が上がって…

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こんな感じで。遮断機が上がらないとポールが邪魔で…

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で、津軽新城-鶴ヶ坂の定番で。通り雨が…で真っ暗…

8月12日は撮ってないので、13日分は後日。明日はコレに行ってきます。

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教え子が複数学年に渡ってお世話になってるし、OBバンドにもいるし…

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2014年8月15日 (金)

八甲田丸就航50周年 その3 配布記念品

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八甲田丸就航50周年記念イベント用に作られた記念入場券とスタンプ。いわゆる記念乗車券のスタイルに合わせて作られてまして、当日はちゃんとパンチを入れてくれていました。これは記念の持ち帰り用に別に買ったもので、パンチ入れないでくださいとお願いしました。ちなみに、12日の開館直後は青森市長がパンチを入れてました。

さて、先着100名へ配布された記念品。まずはクリアファイル。

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続いて記念の缶バッチ

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で、青函ワールドの解説ノート

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最後は新居浜高専のコーセン飴

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いずれも船内売店で売っているものですが、総額1000円分以上になる大盤振舞でした。

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2014年8月14日 (木)

青函連絡船 小湊桟橋跡

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というわけで、東京へ帰ってきました。画像は青森の新中央埠頭入り口にある公園からの八甲田丸の眺め。昔の北防波堤とつながってて、奥まで車で行けるのですが、開門は9時から。午前中はシチサンで順光で、ベイブリッジやアスパムと一緒に撮れます。

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で、八甲田丸のアップ。13日の朝はホントにキレイでした。この画像を見た西沢キャプテンや安田さんは思わず「スタンバイエンジン」と(笑)

さて、朝、大神さんが西沢キャプテンと安田さんと一緒に小湊桟橋跡にいくけど…というネタがあり、時間的にもあけぼのに余裕で間に合うので行ってきました。

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これが小湊桟橋跡。

昭和63年JR北海道発行の「栄光の航跡」320ページから4ページにわたって記載されているのですが、先の戦争の最中に北海道→本州の石炭輸送を強化するため、函館5岸壁に対して、青森が3岸壁だったための補完の2バース造営ということで、昭和18年から工事に入ったのですが、工期1年半で昭和20年には稼働する予定が、極度に遅れて未完成のまま終戦となったと書かれています。

で、戦後、空襲で壊滅した連絡船は雇船で何とかしのいでいたのですが、北海道からの物資輸送体勢が貧弱すぎて、米軍の軍需用品の輸送も窮して、昭和20年12月にLSTを貸すから1ヶ月で輸送体制を作れという厳命が下ったそうです。

で、とりあえず昭和21年3月にLST用に急造したのが下の図41のドルフィン2ヶ所をベースにした木造桟橋ですが、国鉄は戦争で中断した本格的な岸壁工事を始めて、昭和22年に係船岸壁と可動橋、機帆船岸壁を下の略図のように完成させたそうです。

上の画像は係船岸壁のLST側から撮ったもの。こちらは可動橋が設置されなかったのですが、そのスペースは用意されています。

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で、実際の完成した写真がこれ。これも栄光の航跡から。地図と重ねると分かりますが、機帆船岸壁は拡幅されて現役で使用されているようです。可動橋は青森や函館のものと比べても遜色がないものに見えます。

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連絡船本体は第六青函丸がテストで1回だけ可動橋側に着岸しただけで、あとはLSTだったそうです。今は左手の通路の橋の当たりに防波堤が築かれていて、最初のはその上から撮ったもの。図面にはLST用のドルフィンが描かれていますが、それらしきコンクリートの塊は海中にあるのですが、コンクリートの劣化が他の所とは全然違うので、後で消波ブロックを入れるときか何かに補強されたのか、それとも別のものなのか…という感じです。ただ、図面よりずっと岸壁に近いので全く別ものという気がします。

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こちらが可動橋があった側、第六青函丸が着岸した岸壁。未だに防舷材の木材が残っていますが、かなり朽ち果ててきています。

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で、桟橋の形状をよく見ると連絡船の船体の形に合わせて微妙なカーブをしています。

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さて、この桟橋上にはビットがいくつか残っています。

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岸壁先端部。真ん中のはビットではなく、ウインチだったようです。こいつで舫い綱を引き寄せたとか。鉄板をはがすと中にはモーターが入っているはずらしいのですが、すでに朽ち果てて割れてしまっています。栄光の航跡の写真だと、先端にはビットらしきものが2つと電柱が写っているのですが、角度的に電柱の陰になっているのでしょうか。

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そして突端には…赤丸の中を注目。

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水準点が。とはいえ、全く番号が読めないので、国土地理院で検索してみたのですがここには水準点はないことになっています。

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さて、この岸壁は古レールが使われています。岸壁上部にレールの断面が見えていますが、側面にはレールの頭部正面が見えています。これは下の赤く囲んだ部分の所に見えているもので、その下へ続く平行な茶色い錆びた筋がレールです。

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可動橋の下だった部分は岸壁の拡幅で埋められてしまっていますが、こちらにも同様にレールが使われています。赤く囲んだ部分のように平行に縦に並んでいます。

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で、可動橋の主桁の残骸。(青丸)ここにもレールが使われています。(赤丸)

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昭和24年に使わなくなって航路中止、昭和40年に正式に営業中止。昭和48年に平内町に払い下げとなったそうです。高さがあるので漁船の岸壁として使うのも難しく、今や釣りの場所。目の前に後から作られたものとセットで防波堤扱いにされているような感じがします。

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で、可動橋側の岸壁から振り返るとそこは線路を転用した道路。進んでいくと…

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で、突き当たりの川の土手脇に明らかに年代不詳のコンクリートの塊が。

ここから川を渡って線路が青森方面と上野方面へ分岐してデルタ線になっていました。国土交通省の航空写真記録を見ると線路の様子がてきめんです。

まずは現在の地図。何となく線路の形が分かるかな。地図は国土地理院のHPから。

地図や航空写真はクリックで大きめの画像になります。

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続いて1948年撮影の航空写真。ノースアップではないのですが、線路がはっきり分かります。

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この2枚を重ねてみると…

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現在の道路とほぼ重なります。というか、線路跡がそれなりに残っていたり、道路に転用されていたりしているのがはっきり分かります。

で、2001年の航空写真。出典は国土地理院の閲覧サービス。

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だいぶ線路跡がわかりにくくなっていますが、どう見ても線路跡というダート道が残っていました。…写真撮ってくるの忘れた…で、地図と重ねてみました。

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追加。2013年のGoogleEarthの画像。すっかり存在を忘れてた…

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カラーだと線路跡が鮮明です。

新雷電橋の南側の橋詰のあたりに分岐があり、川や田畑の方へ降りていく狭い道と、そこから県道とそれに続くダート道が線路跡です。川や田畑へ降りていく方は車ではすぐに行き止まりモードです。夏で暑いし、アブとか多いので探索はしませんでしたが車で行けるところまではちょっと行ってみました。特に上野方面の線路跡、地図の黄色い線が南へ曲がった所から東へ向かう道はすぐそばに平行して2本あり、線路跡のダートの方は一段高くなっていて、民家が1軒ある所から先は進入が難しいぬかるんだ状態で林の中へ消えていきます。…え?そこまで行ったなら最後まで廃線跡探索してこいって?時間が…あけぼの撮影もあったのと暑いのとアブが多いのでやめました。実際、道路混んでてあけぼの撮影はギリギリセーフでしたから。

詳細な歴史的な事実や探索はいろんな人がやってるので見たままと地図上の推測でしかありませんのでツッコミはなしの方向で(汗)っつーか、大神さんにお誘いを受けなければここに改めて行くって発想はありませんでしたです。だいぶ昔に一度行ったことがあるのですが、記憶も曖昧、写真も撮ってなかったので…デジカメのない時代、貧乏学生にはフィルム高いし。

70年近くたってコンクリートの劣化が進んできているのでいつまでもつかというか、自由に立ち入りできるかわかりませんが、貴重な遺構は何とか残して欲しいですね。

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2014年8月12日 (火)

八甲田丸就航50周年 その2

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さて、記念イベント会場ではたくさんの資料が展示されていました。実は昨日準備の段階で会場入りしていたのですが、余りの膨大な資料と内容もさることながら、すべて山積みで誰でもさわれる状態(驚)

さて、順不同で展示物。全部撮れるわけない のでエッセンスを感じていただいて、興味があれば是非八甲田丸まで来てご覧になってください…と宣伝しとけばいいかな?

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で、後部桟敷席だったところに入るとまずはこれ。ブイには乗組員の寄せ書きが。

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反対側からだとこんな感じ。それにしてもピストンそのものが置いてあるって…

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はい、ひとつひとつ解説するよりもどんだけ膨大な資料が…というので画像を並べてみました。

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ログブックなどガラスケース入りが当然でしょうなものまでそんな感じで置いてありますので、盗難はもとより、小さい子がいじってぐしゃぐしゃにしてしまうとか、そんな危惧を感じましたですが、大丈夫なんでしょうか????

で、これ。

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見る人が見ればををををを!なペーパーです。63年3月14日、役目を終えた連絡船がすべて函館港に集結という新聞記事があったのですが、その係留計画。

3月13日

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3月14日

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3月15日

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移動予定表。

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そして、63年3月上期の配船表。

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で、おまけ。これが残ってるのが不思議です。

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うーん、懐かしい…

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八甲田丸就航50周年

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というわけで、来ました。八甲田丸就航50周年記念イベント。先着100名に記念品ということで、朝8時前に来るとここにはまだ誰もいません。で、はまなすで青森入りしたO氏にメールするとすでに中に…というか、中で待っててと言われたとか。で、まぁ、うだうだとじかんをつぶし、9時。

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青森市長のごあいさつ。立ち位置と角度で顔がうまく入らない…

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西沢キャプテンのごあいさつ。この位置、逆光で撮りづらいです。

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で、テープカット。

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ちなみに、1番客認定の方には例の天賞堂の八甲田丸模型をプレゼント。

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で、レリーフ贈呈。

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配布された記念品と今日のスペシャル入場券。スキャナがないので詳細は後日。

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で、講演会。内容が少しずつバージョンアップしています。

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で、記念フォーラム。これで午前の部終了。お昼は…

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これ。賄い飯。「船員食堂」ってのがミソで、葛西機関長が発見した63年3月13日の賄いメニューだとか。

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まずはカレー。大神さん曰く、ミカンの缶詰はもっと実の小さいやつだった&皿は銀のハンバーグがのってる皿だったとか(笑)

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はい、ハンバーグ定食。これは…500円でいいんですか?

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そしてたぬきそば。…大神さん曰く、超不人気メニュー「にゅうめん」を再現しなきゃ…(笑)だそうな。

で、午後の部。

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はい、飾り毛布です。が、今回新発見。見切れてる右の実演台のベッドカバーにJNRマークが。

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で、よーく見ると、八甲田丸というプリントが。

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これ、この瞬間まで上杉先生も吉田さんも気がつかなかったとか。

会場内は膨大な量の書類などが展示されていました。それは後日。これから記念パーティです。

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2014年8月 8日 (金)

いまさらながらの竜飛海底駅

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というわけで、今更ながらの竜飛海底駅です。すでに廃駅になってしまってるのですが、廃駅カテゴリがないので、失われた轍モードで。

末期は見学券がえらいことになっていましたが…コースは函館→函館で。このコースだと上り下り両方のホームを使えることと、上り下りの連絡通路を通れるので。

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到着前、この表示、まだ出るのかな?

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ホームから見るとこんな感じ。

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記念撮影用の駅名板は通路にありましたが、駅名板はやはりホームにあってなんぼだと思うんですが、こいつの撮影難度はなかなかで、18-35mmレンズでなければまぁ無理だったかと。

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で、記念撮影用の通路のもの。正面から撮った絵はこれですね。吉岡海底がそのままでした。

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で、これも記念撮影用看板…になってました。

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上り列車は1日1本のみ。開業当初は海峡がけっこうあったんですけどねぇ…

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で、上り線から下り線側への連絡通路。線路の下です。右側の壁に飾ってあるのが赤富士の絵。

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線路の下に下ってきたのが分かります。

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はい、下り線側に出てきました。上り線誘導路の看板が見えます。

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こんな風にして撮ってみました。ちょうど上り線と下り線への通路の境目です。

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ちなみに、こちらが下り線の時刻表。

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で、トンネルの通路をこれから延々と歩くのですが、ここへはJRの見学券でしか入れません。…ので、今では立ち入り不能です。新幹線開業後にまた見学できるようになるかどうか…

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排水ポンプ。

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どこへ続くのかよくわからない通路がたくさん分岐しています。

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横穴には錆が浮きまくった自転車が…

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そして海底の展示施設、竜飛海底ワールドへ。

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といっても、もともとは緊急時の避難所。長ーいベンチがおいてあります。

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はい、これが長ーいベンチ。左側の壁の中は事務所というか詰所のようです。壁面には工事の進捗の写真やトンネルの説明図がたくさん・・・ですが・・・

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展示物がいくつかありますが…

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トンネルの模型ですが、海底だけに錆だらけ・・・

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えーっと、竜宮水族館・・・生き物は何もいないような・・・藻で中が見えない向こう側・・・

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これは生きていました。快速海峡っていつなくなったんだっけ?

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錆だらけです。動くかどうかわかりません・・・というか触るのもはばかられる状態・・・

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海底の公衆電話。友人のY氏が開業当日に電話してるの取材受けてたのは竜飛だったか吉岡だったか・・・これはまだ生きていました。

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ナンバープレートのない錆がたくさん浮いた車。というか、車がないと距離が距離だけに保守点検大変なことになるかと・・・点検や車検ってどうやってんだろ?斜行ケーブルに乗せてもってくんだろうなぁ・・・と思ったけど、公道走らなければ車検不要か?

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海底に水準点ってのは・・・なんかすんごい違和感ありましたけど(笑)

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さて、禁断の扉。風圧や気圧差をクリアするために斜行ケーブルのある竪坑へ行くには扉2枚をくぐらなければなりません。第1の扉を見学者全員がくぐったら閉鎖。確認の上第2の扉を開けます。その先は地上からでも行ける青函トンネル記念館。

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各扉にはがっつりと注意書きが。各所ケーブルのオイルに気を付けて・・・

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扉の中はこんな感じ。車が通るときは壁面全体が上へ跳ね上がるそうな。

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記念館と駅施設を仕切る柵。この奥が第2の扉。通常ここは閉まっていて、列車で来た見学組が通るときのみ開ける、文字通りの禁断の扉。

で、斜行ケーブルやトンネル記念館は省略して・・・

戻ってきたらホームで貨物列車撮影会。爆速でカッ飛んでくるので、ISO6400でNX2とフォトショップは正義もコレが限界。粒子荒れまくりです。爆音です。

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で、函館行きにはつかりに乗って撤収です。貨物通過とはつかり入線の動画は→こちら(約65MB/mp4)←三脚使えないので貨物はホームに置きっ放し、はつかりは重連プレートにスチールと軸線あわせてセットしてD700のライブビューで見てるんでシャッター音がうるさいわ画角は曲がるわ…でした。

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分割してアップだと間隔が空くんで、じわじわと作業してまとめたんだけどさすがに読みづらいな(爆)

さて、明日は朝からコンクールのスタッフ、楽器輸送車の駐車場当番。雨がなぁ…

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2014年8月 7日 (木)

ラ・ジャポネーズ

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てなわけで、久々のエントリーはこれ。モネのラ・ジャポネーズ(着物をまとうカミーユ・モネ)。

コレが見たくて世田谷美術館でやってる

ボストン美術館 華麗なるジャポニズム展
印象派を魅了した日本の美

に行ってきました。1年以上かけて修復されたそうですが、いつぞやのエントリーのルノワールのジャンヌ・サマリーの如く、こっち見てほほえむやわらかい描写はそれはまぁ艶やかで、精緻を尽くして描かれた着物の質感と相まって思わずうーんと唸ってしまいました。額縁がオリジナルかどうかは分かりませんが、黒と金で襖絵か屏風かのように感じられ、モネの日本趣味の絵によくマッチしていました。

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で、これが対になる作品「緑衣の女」。同じカミーユがモデルですが、受ける印象が全然違います。いずれもモデルよりも衣装が主役と言われていますが・・・

構図や大きさはほぼ同じですが、布地を写し取るような緑の重々しいドレスと上着の黒の質感というかリアル感の「緑衣の女」に対して、「ラ・ジャポネーズ」の金糸銀糸に彩られた着物の華やかな感じ、次に背景が暗く描かれているのに対して、団扇がたくさん描き込まれた華やかさ。でもってモデルのカミーユはモネの絵では憂いを帯びた表情ばかりなのに元々の黒髪に金髪のカツラをかぶせてまで描いた明るい無邪気な笑顔。

2枚並べてみるとそのコントラストが際立ちます。

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今回は「ラ・ジャポネーズ」のみの展示ですが、等身大の作品の大きさ以上の存在感。平日とあって空いていて、ゆっくりと眺めることができましたです。西洋画とそのモチーフになった浮世絵などが対になって展示されていて眼福でした。

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ようやく夏休みモードです。成績と商店街七夕まつりのバンド演奏で一息つけるかと思いきや学籍監査で書類整理。バンドの練習にプール当番に研修に胃カメラに親父の命日に・・・と全く休む間もなく怒濤のような日々であっという間に8月に。日直とコンクールのスタッフやって、11日から青森の予定ですが、台風が・・・そうこうするうちに後半の部のバンド練習が・・・楽譜書きが追いつきません。新国立のオルセー美術館展も行きたいんですけどねぇ・・・

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