25回目の9月18日
1988年9月18日4便十和田丸の上から撮った最後の逢瀬のシルエットの羊蹄丸。本家HPからです。前にもblogネタに使った気がします。が、特別な日なので。あの日を1と数えて…25回目の9月18日がやってきました。3月13日と合わせて青函連絡船にとってはメモリアルな日です。このエントリー、3便羊蹄丸・4便十和田丸の着岸時刻18:05でタイマーアップです。
空旅氏のblogで上甲板が何もなくなってしまった姿が公開されていますが、わかっていたこととはいえ解轍されていく姿を見ると声も出ません。8月に山口の本家へ行く途中で寄ったときはまだブリッジやファンネルは残っていたのですが、盆明けに急速に作業が進んでいるようです。もうこの羊蹄丸のシルエットを生で見ることはできません。どんな姿になっても解体される最後まで見届けたい…という思いと美しさが壊されていく姿を見たくないという気持ちが葛藤しています。とはいっても、やはり多度津へその姿の片鱗を求めて行ってしまいそうです。
で、そんな話だけでは何なので、4便十和田丸にまつわるコレクションを1つ。
デビュー記念の絵はがき。しおりとセットになって切り取って使うようになっています。他の船はしおりだけだったのに十和田丸は豪華絵はがき付。切手が7円というのが時代を感じます。
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2学期始まってめっちゃくちゃ忙しいです。学習発表会の合唱曲とかバンドの曲とかのアレンジでそれはもうPCは完全に音楽マシンで、ネットに出ることもせずblog放置です。22日の只見線タブレット最終は何とか行けるめどがつきました。10月蒸機も。10月14日の海自の観艦式当たるといいなぁ…
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コメント
西乃湯様
ご無沙汰しております。
さて、解撤状況は四国の方のブログとフォト蔵の写真でも見ておりますが、空旅様のブログよりも一層進んでいるようで、つらいです。
ただ、人知れず解撤されるよりは、お別れも形見分けもあったので、まだ良かったと自分に言い聞かせております。
それでは、またご連絡致します。
投稿: 近鉄バファローズ | 2012年9月18日 (火) 20時45分
肝心なことを書き忘れておりました。
そう、今日は9/18 です。
私はこの日、3便羊蹄丸に乗り青森港を出港した時、タグボートのふくうら丸が灯台を過ぎても何処までも追いかけてきて、また友人の船客長が大きく手を振って泣いていたのが忘れられません。
もちろん十和田丸との最後のすれ違いやこの日のくつろぎカードで一泊し、本当に最後の客となった事など、、、
もう24年がたちますが、一生忘れないと思います。
投稿: 近鉄バファローズ | 2012年9月18日 (火) 21時00分
おばんです。
そうですね。連絡船として生きていた最後の日。3月に比べるとやや質素な感がするセレモニーでしたが、鏡のような海面を滑るように行く羊蹄丸の姿は今でも鮮明な記憶です。当時は面識がなかったはずの空旅氏は4便のブリッジ屋上、私のすぐ横でZ旗を振っていたとか。20年もたってからそれがわかるなんて不思議な縁があるものです。あまたの人生を見てきた連絡船からの人のつながりの贈り物だと思っています。
くつろぎカードは全期間一斉発売でしたから通常の指定券と同じ感覚で1ヶ月前に買いに行った人は撃沈だったと聞きます。私は十和田丸のくつろぎカードを持っていました。が、教育実習の真っ最中、時間ぎりぎりまで船内にいて後ろ髪引かれる思いではくつるに乗り、月曜の朝はそのまま実習先の
付属の中学校へ。カメラバック、三脚、でかい旅行鞄、カバンからはみ出してるポスター、怪しげな記念品や買い込んだグッズ満載のキヨスクの袋…およそ付属の中学へ教育実習で「出勤」する出で立ちではありませんでしたが…
往復の夜行の中と1便の中で教育実習日誌と授業の指導案を必死で書きましたが、指導教官が呆れておりました。前代未聞だと。
あの場所に居合わせた人、連絡船への思いを共にした人はみな生涯忘れ得ぬ思い出…だと思います。
投稿: 西乃湯 | 2012年9月19日 (水) 00時33分