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2012年6月10日 (日)

羊蹄丸@新居浜 公開終了

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先ほど公開が終わりました。17時の尾出航模擬、泣けてきました。

閉館後、最後に旗を降納し、手を振るキャプテンお二人。

そして…

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船首の社旗を降納するO氏。この日、1日だけ最後に「連絡船」の旗を掲げていました。あの日と同じような夕日の中、すべてが終わりました。

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夕日が落ちていきます。

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終わってしまいました…

で、今宵はパイレーツ号の予定だったのですが、東京直行車便乗で早朝帰宅を目論み、先ほどキャンセルをして、すでに移動中です。荷物一式持って学校行くのはさすがにどうかということと、風呂に入れない汗臭いままというのもイヤなので…

現地でお世話になった皆様、ありがとうございました。次は多度津回航で。 

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コメント

時々勝手に拝見させていただいておりました。
この記事を見てコメントをせずには居られませんでした。
道産子のおじさんにとってはなんだか「終わってしまった」感が漂っています。
この後、香川へ移動していよいよ最後の時を迎えるのですね。考えていると色々とこみあげて来ます。
ただ、この船は、津軽丸・十和田丸・大雪丸・松前丸よりは華やかな余生を送りそして八甲田丸・摩周丸よりも多くの人に青函連絡船を語りついで…十分働きましたね。
最後の最後には役に立つ解体…
これは「ご苦労様でした」と言うしかないです。

投稿: suzuran6 | 2012年6月11日 (月) 17時06分

はじめまして。

内地の旅好き鉄ヲタの貧乏学生にとって北海道は憧れの地で、連絡船はその出会いと別れを司る船でしたから、若かりし頃の思い出のかけらそのものです。そして、そんな思いを託していたからこそ3月13日22便羊蹄丸を目指したんだと思います。航路はなくなっても羊蹄丸は残る…はずだったのが結果としてこうなってしまったのは残念で仕方ありませんが、おっしゃる通り「終わってしまった」です。いずれそのときが来るのはわかってはいたのですが、いざその現実の前に立つと涙をこらえることが難しかったです。

就航から47年、私と同い年ですが、へたに朽ち果ててしまうよりは将来の産業の礎となって解体されていく、ある意味海の新幹線、最新鋭の自動化船としてデビューした津軽丸型の最後にふさわしいのかもしれませんね…最後まで最新の技術のために使われていく。
出航模擬の後、西沢船長が涙ながらに語っていた連絡船への思いと、それでもなおリサイクルというお役に立てる羊蹄丸への感謝の言葉が耳に残っています。

なんかまとまらなくてすみませんが、24年間開いたままになっていた今と思い出をつなぐ歴史の扉が閉じられた…そんな感じがします。

投稿: 西乃湯 | 2012年6月11日 (月) 23時20分

どうもこちらではお初となります。
当日宇高連絡船「土佐丸」船名入りTシャツ着て、船橋(ブリッジ)で西沢船長をはじめとするボランティアガイドと共にガイドに当たっていた者です。遠方よりお越し頂き有難うございました。

昨年8月に最期の記録として、お台場にいた頃に徹底的にあちこち撮りまくってきたわけですが、まさかこちらに来て最期を看取ってやることが出来るとは思っても見ませんでした。

多度津への回航にも来られるとのことで、またお会いできればよろしくお願いします。今回は有難うございました。

投稿: 宇高連絡船愛好會記録部長 | 2012年6月12日 (火) 19時38分

こんばんは。

閉館後の行方がずっと気になっていたのですが、どこかで保存…の期待も虚しく、解撤となってしまったのは残念ではありますが、海外へ行ってしまってわからなくなってしまうよりは…と思います。

初めて渡道してから30年近くなり、何度乗ったかわからない連絡船、3月13日の22便、すれ違う4便十和田丸からベタ凪の海上を行く3便の姿を見送った9月18日…今でも鮮明な思い出です。
解轍の最後の鉄片1かけらまで見届けることはできないので、何をもって最後かは考え方によるのでしょうが、どんな形であれ、少なくとも海上をゆくことができる間はその姿を見送ってやりたいと思っています。多度津回航はその最後の姿になると思っています。またお会いしましたらよろしくお願いいたします。

投稿: 西乃湯 | 2012年6月14日 (木) 21時45分

初めて投稿させていただきます。
先週6月10日私も羊蹄丸におりました。JNRのヘルメットを被った変なカメラマンです。
西乃湯様の文章を拝見していて1988年9月18日の事をなつかしく思い出しております。
私はあの日は暫定3便のコンパス甲板にて最後の十和田丸とのすれ違いを青函連絡船関係者と共に見送りました。
そう、あの日の津軽海峡はベタ凪で羊蹄丸から見た十和田丸はまるで船姿が海に写るようでした。
定期運航の時は2月1日の十和田丸の船上で「カメラマンとして成功するまで本州に戻らない。」と誓いを立てて、北海道に移住したので、3月には生活苦もあり行けませんでした。
多少、生活が安定してきた6月の暫定便にようやく会いに行けて、その時知り合った羊蹄丸の最後の船客長から9月18日のお誘いを受け、最後に乗船出来た次第です。
今もその元船客長とは付き合いがあり今日も新居浜の写真をを渡すための整理をしていました。
9月18日の夜は船上ホテルとなった羊蹄丸の桟敷席で一晩を過ごし、翌19日の朝「最後の最後まで青函連絡船を愛していただきありがとうございました。」とアナウンスに号泣しました。
ありがとう羊蹄丸!
私はもう行けませんが西乃湯様が多度津への回航を記録され、このブログにて発表される事を楽しみにしております。

投稿: 近鉄バファローズ | 2012年6月17日 (日) 14時22分

はじめまして。

まずはお礼から。
実はカッターの前で「エ」旗を広げて記念撮影していただいた一団の一人でして、その節はお世話になりました。さすがに顔出し画像はアップできませんので…素晴らしい記念になりました。

あの9月18日は教育実習の真っ最中でして、まだ学校が土曜休みでなかったので、実習が終わってからゆうづるで青森入り、1~4便にのって、はくつるの発車まで十和田丸のくつろぎカードで船内ですごしていました。教育実習日誌と授業の指導案をグリーン指定席で書いたなんて馬鹿者のはふつういないでしょうねぇ(苦笑)数年後までこういうことをしてはいけませんとオリエンテーションでネタにされてました。

我が家にはオレンジに染まった空と海の中をゆくシルエットの羊蹄丸の写真を全紙に伸ばして飾ってあります。すぐそばでの2隻の逢瀬、今でも鮮明に覚えています。

十和田丸でも翌朝お別れアナウンスがあったと聞いています。回5001便、見送りたかったですし、乗ることができた人もいたと後で聞いて・・・・・と思いました。

多度津回航は何とかして行くべく、根回しと算段を整えてる最中です。

投稿: 西乃湯 | 2012年6月17日 (日) 14時58分

やはりそうでしたか。
記念写真の方々の中にいらっしゃるのではと思っておりました。
お役立ち出来てなによりでした。
実は5/5,6と新居浜を訪れた時、大神さんと3/25回航の話となり、西乃湯様の事もお伺いしておりました。
いつも素晴らしい写真を掲載されておられるので、一度ご挨拶をと思いながら6/10は私自身全く余裕が無く、失礼してしまいました。
私は1988年以来、北海道で主に観光ポスターやパンフレットのカメラマンとして暮らしております。
また、お目にかかれる事がありますよう祈っております。
どうぞ、ご多忙だとは思いますが北海道にもお越し下さい。

投稿: 近鉄バファローズ | 2012年6月17日 (日) 18時05分

近鉄バファローズ 様

はじめまして。
と言いますか、カッター前での記念撮影では、大変お世話になりました。

1988年9月18日は、私は十和田丸のコンパス甲板で、擦れ違う羊蹄丸に向かって何故かZ旗を振っておりました。

ただ羊蹄丸は私にとっては特別な船ですので、6月10日に新居浜を訪れる事ができ、その姿を目に焼き付ける事が出来て良かったと思っております。

機会がありましたら、またお会いして今度はゆっくりお話が出来ればと思っております。

投稿: 西尾 | 2012年6月18日 (月) 21時31分

近鉄バファローズ様

プロのカメラマンの方に素晴らしいと言われるのは嬉しいです。写真を生業にするには相当のご苦労があったのではとご推察いたします。連絡船の思い出を取り巻く皆さんとは必ずどこかでまた会えると思っています。北海道は大好きで初渡道以来20年以上にわたって毎年行っていたのですが、昨年その記録が途絶えてしまいました。歳食って責任やら何やらが重くなって昔みたいに気まま放題に遊べなくなってしまいました。機会があったら思い出話に花を咲かせたいと思っています。

西尾様

9月18日、当時は面識がありませんでしたが、いまやすっかり飲んだくれ…(笑)みんなで最後の時を一緒に過ごせたのは本当によかったです。
近鉄バファローズ様も交えてどこかで飲むことができれば…と思います。

投稿: 西乃湯 | 2012年6月18日 (月) 23時13分

西尾様
初めてご挨拶を差し上げます。
西尾様も記念写真の方々の中にいらっしゃたのですね。
3月13日 22便の一番乗りの方ですよね。
西乃湯様共々、一度お目にかかってお話しをしたいものです。
暫定運航3便と4便 青函連絡船史上最後のすれ違いのあのベタ凪は
おそらく見た人しか分からない世界でしょう。
しかし、羊蹄丸は幸せな船ですね。
愛している人々に見送られてフィナーレを迎えることが出来て、、、
残念ではありますが、私も最終日に立ち会うことが出来て良かったと思います。

西乃湯様
船の科学館から新居浜への旅路の写真に感動致しました。
本当に羊蹄丸を愛していらっしゃると写真を拝見して伝わってきました。
良い写真を撮るというのは想いを持つことだと私は思っております。
また、素晴らしい写真を楽しみにしております。

投稿: 近鉄バファローズ | 2012年6月19日 (火) 09時34分

近鉄バファローズ様

自分の旅してきた、生きてきた時間の中に占める連絡船の思い出はかけがえのないもので…羊蹄丸はどこにいても羊蹄丸ですし、連絡船自体あちこちへ出張していましたから、その延長でただただ羊蹄丸の最後の旅路を記憶に残したいという一心で特攻しました。羊蹄丸だけでなく連絡船への思いはとてつもなく深いものがあります。あの時から同じ思いを持ち続けていた同志が20余年の年月を過ぎて吸い寄せられるように集まってくるのも何か不思議な気がします。

投稿: 西乃湯 | 2012年6月19日 (火) 21時48分

近鉄バファローズ様

>西尾様も記念写真の方々の中にいらっしゃたのですね
はい、おりました。
しかもしっかりと旗を握りしめて。

>3月13日 22便の一番乗りの方ですよね
はい、その通りです。
私にとってこの「一番乗り」と言う事が、良かれ悪しかれ大変重たい物でした。
ただあの日があったからこそ、羊蹄丸の最後を見届けたいとの思いが強くあったのも事実です。

復活運航のあのべた凪、今でも目に浮かびます。
そして手を伸ばせば届きそうな2隻の距離。
津軽海峡というのは、舞台を整えるのが上手かったのだとつくづく思います。

投稿: 西尾 | 2012年6月20日 (水) 00時29分

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