瀬戸大橋開業
明けて昭和63年4月10日。瀬戸大橋開業。高松始発のマリンライナー2号に鬼無駅から乗り込みました。というのも、高松に着いた段階で行列に規制がかかっていて、最終C27便の客はマリンライナー2号に乗せないということになっていたのでした。が、しかし一番列車に乗りたい私としては一計を案じ、途中駅からの乗車は拒めないはず、次の停車駅鬼無から乗れるはずと判断し、タクシーで鬼無駅へ。同じ事を考えた人が数名。ほぼ満員でやってきたマリンライナー2号ですが、思惑通り乗り込み、瀬戸大橋へ。
空が明るくなり、赤く染まる中、宙空の鉄骨の林の中を轟音を立てて走り、あっという間に本州へ。木見駅で下車し、下り1番列車のマリンライナー1号に乗り換え。児島で交換ですが、乗り換え間に合わないと困るので安全策。
無事に西日本バージョンの1番列車記念証をもらうことができました。
そして、高松駅で行われた記念式典を見物してから改めて児島へ。そこからしおかぜ1号で松山へ行ったのでした。じいさまの家に行くのが目的だったのですが、松山駅へ着いてみると、本州直通1番列車の到着ということで記念の手ぬぐいを配っていました。お一人様1本…
鉄の姿を見かけなかったのでこれ持ってる人、ほとんどいないんじゃないかな…
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コメント
考えましたね、大技。
そんな考えは浮かばず、のんびり待って開通式典を見て、2番列車に乗車。児島で降りて下電で鷲羽山頂へ。
快晴の元、瀬戸大橋を眺めて帰りましたね。
乗って渡ればあっと言う間だった大橋も、眺めてみるとそれは大きなものでした。引き換え下電のかわいさは…
浪人中にもかかわらず、出かけたものでしたわ。
投稿: まる | 2008年4月11日 (金) 01時36分
おはようございます。
えぇ、この技、停車駅が多いマリンライナー2号だからできた技で、速達便で次が坂出のダイヤだったら予算的に無理でした。下電の撮影は後日私も行きましたが、新しい橋の大きさとナローゲージの小ささ&古い車体の対比がなんとも…でした。
…大学の履修申請、ガイダンスに出ないで友達に頼んだのばれて指導教官から呼び出し食らいました(爆)
投稿: 西乃湯 | 2008年4月12日 (土) 10時38分