あの頃の記憶
今日は宗谷岬を回ってひたすらオホーツク沿いに南下。となると、天北線、興浜北線、興浜南線、名寄本線、湧網線の廃線未成線跡をたどることになります。
ちなみに、阿波徳島2006号では名寄本線以外は変換できませんでした。でもって、湧網線は計呂地(これも変換できない)駅跡の交通公園にC58と旧客2両が置いてあります。
旧客の1両はライダーハウス状態で車内のいす撤去お座敷状態ですが、もう1両は往時の面影を色濃く残しています。
傾きかけた日差しが窓から入り込み、旅していたあの頃の車内の情景が脳裏によみがえりました。デッキと車内を仕切る木製扉の真鍮のドアノブの手応えとガラガラという音、ウグイス貼りの床独特の歩く感触、ニス塗りの車内に立ちこめるあの香り…時が一気に20年以上遡ったような気がしました。
車の免許もなく、貧乏だったけれど、周遊券を握りしめてまだ見ぬ地を目指して列車に揺られたあの頃に刻まれた、かけがえのない時間の記憶…しばしの間シートに身を委ね瞳を閉じて…
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コメント
うちは阿波徳島V14ですが...
tenpoku線、公賓補苦戦、公賓難船、名寄本線、湧網線、と2勝3敗でした。ちなみに、グーグルの検索バーでは全部ちゃんと候補が出てきました。
ここのC58は139号機ですね。現役時代とは大分違って、お化粧が濃い様ですが、綺麗に保存されている様で何よりです。
投稿: 佐倉 | 2007年5月 6日 (日) 08時22分
おばんです。
いつの間にか屋根ができて、痛まないようにされています。客車も手入れはされていますが、かなり痛んできています。
変換されなくなることで歴史の彼方になってしまったと実感してしまう廃線って…
投稿: 西乃湯 | 2007年5月 6日 (日) 20時02分