3月13日という日 昭和60年 さよなら小松島線
今日は3月13日。鉄道好きの人にとっては特別の響きがある日です。そう、春のダイヤ改正にあたることが多い特異日です。この日をもって線路の彼方へ去っていく列車、歴史のページにだけ残ることになる路線…そして、新しく歴史を刻み始める列車や路線。
最近は路線の廃止はキリのよい3月末が多くなりましたが、3月10日~20日頃の間に春のダイヤ改正があるのは今も変わりません。
そこで、そんな3月13日…とは言っても、昭和60年。大学不合格2浪確定の後、出かけたのでした。四国のお目当てはスハフ43と小松島線最終日。宇高連絡船の深夜便で高松上陸、早暁の徳島行きローカルにいきなりスハフ43がぶら下がっていました。それも生え抜きの「3」。今は大井川鉄道で余生を送っていますが、生粋の特別急行用3等車。世が世なら3等車といえども学生風情が乗れる車ではなかったことは間違いないでしょう。
そして、この列車がそのまま「さよなら小松島線」の臨時列車に。
今から20年以上前は最終日ものんびりしたもので、徳島駅の側線に止まっている列車を職員通路に降りて撮ることもできました。
で、スハフ43に取り付けられたさよならサボ。
さらに、列車の後ろにも看板がつけられていました。
そして小松島駅の駅名板。
さらに終点で臨時駅扱いの小松島港駅。南海フェリーへの乗り換え口でした。ちくわ売ってたりしてけっこう賑やかでしたが、片面1線のみのホームでした。
駅のたたずまいも撮ってあるはずなのですが、何せネガを発掘するのが大変で、出てきたプリントをスキャンしました。
そして、小松島駅のきっぷ。すでに入場券はなく、190円きっぷしか手に入りませんでした。
さらにさよなら列車の乗車証明書。
さよなら列車の中で作ってもらった乗車券。券面には「小松島港」の記載はされません。臨時駅なので運賃計算が「小松島」でされるためです。
こういうきっぷをさよなら列車の中であっさり作ってもらえるほど車内はそんなに混雑しておらず、まったりしたものでした。往復ともスハフ43でしたが、隣には2等車格下げ改造オハ41の超絶ロングシート車がぶら下がっていました。
うーん、画像たくさん並べて重たくなってしまって申し訳ない。
それにしても、まだまだ地方ローカル線がたくさんあったそんな時代のお話でした。
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コメント
この路線を乗車した「鉄」となると、JRしか知らん「鉄」が多くなっている最近では、写真やきっぷをふくめ、貴重な資料といえましょう。
(当方なんぞ、年季だけ過ぎた、まだまだヴィギナァな「鉄」ですが…)
小松島線、終点が仮乗降場といった、国内にただ1箇所だけの非常に珍しい場所でした。
その昔は、徳島~小松島間だった路線が、中田~小松島が「小松島線」として独立(徳島~中田間は、現在の牟岐線に編入)。
結果的にこれが「アダ」となって「赤字路線」83線の中に含まれてしまい、和歌山発着のフェリー利用客需要があったものの、廃止に追い込まれてしまったという、ある意味では大変残念な路線でありました。
客車からの蒸気、SG車独自の味です。
小松島港駅で聴いた「兄ちゃん、おちくわいらんか?おちくわでっせ~」といった、ちくわ売りのおばちゃんの声が聞こえてきそうです。
投稿: くりはし | 2007年3月15日 (木) 00時52分
んー、古い話ですよね。私が19歳の春ですから。国鉄の分割民営化なんてまだ「そんなんありえねーだろ」って感じでした。この頃の時刻表はローカル線や地方私鉄がまだまだたくさん残ってて今改めて見ていて楽しいです。
客車はSGが普通に残ってたし、のんびりしたいい時代でした。
小松島港のちくわ、うまかった…
投稿: 西乃湯 | 2007年3月15日 (木) 18時29分