コレクション-記念品

2008年5月 6日 (火)

ふるさと銀河線りくべつ鉄道 本物でGO!

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というわけで、本物でGO! をしてきました。まずは予約時間の一つ前に運転する方を見ていじり方を覚えてくださいというわけで、時間に陸別へ行きました。まずは窓口で体験運転切符2000円也を購入して2番線へ。

Taiken

係の方と一つ前の時間の予約の方に挨拶をして車内へ入ります。構内を行ったり来たりとはいえ、線路を横断する通路は必ず一時停止とのこと。それぞれフライキを持った係の方がスタンバってます。

マニュアルの注意書き。本物だけになかなかシビアです。

Manu2

次のページは運転台機器の解説。

Manu3

まずはブレーキハンドルを差し込みます。

続いてキーでこの運転台が前か後ろかを決定、さらに前進を設定。

変速機を変に投入、ライトを下目にON。

表示灯を確認して左足でデッドマンを踏んで右足でタイフォン一発、ブレーキをはらって圧力計が0になったらノッチを1。出発進行!

動いたらすかさずノッチを2に。うなりが軽くなって時速8~10キロくらいで3ノッチへ。

15キロくらいまで引っ張ってノッチオフ。長い区間では18キロまで可。

ブレーキを重なり位置へ持って行き、目標で常用位置へ。

圧力計を見ながら1kgくらいかかったらハンドルを重なり位置へ。

停止位置にあわせるためにいったんゆるめ、再びブレーキ素早く重なり位置へ。

止まったら常用位置でエアを2キロくらい込めて抜き取り。ライトオフ、変速機を中立、横のエンドチェンジスイッチオン、キーで運転台を後ろ、進行方向中立を設定、ハンドルとキーを持って車内を移動、反対側の運転台へ

…という一連の作業を構内2~3往復一人持ち時間15分ということで元運転士の方がつきっきりで指導してくれます。最後の1往復は好きにやってみてとのことでしたが、走らせるのはともかく、ブレーキの難しいこと…目標ぴったりにスムーズにとめることがなかなかできませんです。

あっという間の持ち時間でしたが、これは癖になりそうです。2万円の80分コースにトライしてみようかと思ってしまいました。

…本来お昼は休憩だそうですが、少しでもたくさんの方に運転してもらって客を呼べる実績を作らないと…ということで、係の方昼休みナシでがんばってます。地元のおっちゃんが「でっかい大人のおもちゃだよなぁ…でも、これで人が来て賑わってくれればそれでいい…」とぼそっと言っていました。

ふるさと銀河線りくべつ鉄道公式ページには予約状況の一覧も出ています。北海道へお出かけの際はぜひ 本物でGO! 癖になります!!!!!

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2008年4月10日 (木)

瀬戸大橋開業

Setoshikoku

明けて昭和63年4月10日。瀬戸大橋開業。高松始発のマリンライナー2号に鬼無駅から乗り込みました。というのも、高松に着いた段階で行列に規制がかかっていて、最終C27便の客はマリンライナー2号に乗せないということになっていたのでした。が、しかし一番列車に乗りたい私としては一計を案じ、途中駅からの乗車は拒めないはず、次の停車駅鬼無から乗れるはずと判断し、タクシーで鬼無駅へ。同じ事を考えた人が数名。ほぼ満員でやってきたマリンライナー2号ですが、思惑通り乗り込み、瀬戸大橋へ。

空が明るくなり、赤く染まる中、宙空の鉄骨の林の中を轟音を立てて走り、あっという間に本州へ。木見駅で下車し、下り1番列車のマリンライナー1号に乗り換え。児島で交換ですが、乗り換え間に合わないと困るので安全策。

Setonishi

無事に西日本バージョンの1番列車記念証をもらうことができました。

そして、高松駅で行われた記念式典を見物してから改めて児島へ。そこからしおかぜ1号で松山へ行ったのでした。じいさまの家に行くのが目的だったのですが、松山駅へ着いてみると、本州直通1番列車の到着ということで記念の手ぬぐいを配っていました。お一人様1本…

Tenugui

鉄の姿を見かけなかったのでこれ持ってる人、ほとんどいないんじゃないかな…

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2008年3月31日 (月)

最後の最後 1~4便

1ヶ月にわたって続けた青函連絡船20周年シリーズはひとまず今日で終わりです。まだまだネタはありますが…おそらく連絡船をリアルで知らない世代がネットの中では多くを占めているのでしょう、ただでさえ少ない閑散blogなのに、さらに連絡船シリーズは見事にアクセス激減でした(笑)っつーか、思い入れ過ぎ?

さて、昭和63年9月18日(日)本当にこれが最後の連絡船の運航となりました。教育実習中、まだ土曜日が学校営業だった時代のこと、土曜日のはくつるで青森入り、1便~4便と乗り、青函くつろぎカードで時間ぎりぎりまで船内で過ごし、ゆうづる3号で帰京し、そのまま実習へ行くという強行軍を決行しました。教育実習日誌と授業の指導案を寝台車と連絡船の中で書き、ネクタイ&スーツで連絡船に乗りに行ったわけでした。教員養成大学にとっては教育実習は非常に重要視されていて、まして付属の小学校でのこと、この行動には指導教官が呆れかえっておりました。その後何年間か、「これこれしかじかな大馬鹿者が…」とオリエンテーションで語り継がれたとか。

さて、…まずは1便のグリーン券。

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なぜに気仙沼発券かと…仲間みんなで手分けして駅に並びました。1ヶ月前は8月18日、夏休みの真っ最中です。旅先で、地元で…で、取れた券をみんなで山分けしたわけです。お盆のUターンの混み具合もあり、ゲットに苦労しました。

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盛大に見送られ函館を出航しました。

ちなみに4便のグリーン券。blogのはじめの頃にUPしたものですが再度。

234689

その4便では…

Photo

満席なので座席はないのを承知で記念に売ってもらいました。なので座席番号は空欄です。

Tryousyuu

で、領収書。4便のハンコがしっかりとおしてあります。さらにグリルとサロンの領収書。例によってグリルはラーメン、サロンはクリームソーダでした。

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Saloontowada

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夕日にシルエットが浮かぶ、すれ違いの3便羊蹄丸。逆光のシルエット、ゆっくりと名残を惜しむようにすれちがっていきました。

Yotei02

たくさんの船客がデッキで最後のすれ違いを見送りました。

そして、我が家の家宝、船長サイン2枚組

Chibasign

Shibatasign

お願いしてお二方のサインを揃っていただくことができました。

Maku

青森到着のときに掲げられた横断幕と一緒に。

そして、最後、青函くつろぎカード。この日の原券は見事にみんな回収されてたなぁ…なので、くつろぎ記念券を。

Kutsurogi

Kutsurogiura

最後に青森から羊蹄丸が出航する様子を動画で…

→羊蹄丸青森出航←

今回はflvではなくH264動画にしてみました。 まぁもともとがダビングもののVHSなのでそんなに変わらない…M.Y氏に感謝です。

20年の年月はさすがに長いです。私はつい昨日のようにリアルなことでも、しかし、すでに青函連絡船自体が鉄道年表だけに納まらない、その時代を生きた多くの日本人が共感し、注目した日本の歴史上の過去の出来事なんでしょう。そんなたゆとう歴史の中に身を置いていたこと、歴史が作られていくその場に熱い思いをぶつけたこと、若かった自分の生きた証のひとつだったんじゃないかと思います。それは、あの時、あの場所にいた多くの人が感じていたんじゃないかと思います。

小さい頃、時刻表を眺め、あこがれた北の大地へ渡る儀式、それが青函連絡船でした。初めて渡道した時の連絡船のタラップを渡る高揚感は今でも忘れていません。そして旅の終わり、夢の時間の終わりを告げるのも連絡船の汽笛でした。次はいつ来られるんだろう?バイトして金貯めないと…

初渡道から二十数年、すっかり北海道フリークになり、渡道回数も数え切れなくなりましたが、色あせない青函連絡船の思い出。青森駅で目の前にカニ爪の後部マストが見え、車両甲板の船尾扉が大きく口を開け貨車を出し入れしている…当たり前の光景でも、長い夜を列車で揺られ、ようやく青森まで来た、その光景を見ながられんらく船のりばの看板の方へ向かうあの気持ち…飛行機も好きですが、こと北海道へ向かう気持ちの盛り上がり方や感動は連絡船ならではのものでした。

もっと乗っておけばよかった、もっと撮っておけばよかった、保存されている3船のプロムナードデッキに佇むとき、そんな気持ちもさることながら、周遊券を握りしめて初めて北海道へ渡った日、バイト代を貯めてようやく渡道、また来ることができたとわくわくしていた若かりし頃の思い出がこみ上げてきます。

そんな思い出話に1ヶ月もの間おつきあいいただきありがとうございました。

とりあえず青函連絡船シリーズはここまでです。忘れた頃にぽつんと単発でネタが出てくるかもしれませんが…あ、例の連絡船動画with初音ミクの津軽海峡冬景色、やはり石川さゆり版がほしいというリクエストがぽつぽつと…ヒマを見て作ってはみますが、UPはさすがにまずいよなぁ…

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2008年3月29日 (土)

青函くつろぎカード

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青函くつろぎカード。夜間停泊している連絡船をホテルにしてしまう、しかも雑魚寝とはいえ1泊2500円、食堂サロン営業付きという破格の条件でした。で、最終便到着後の9月18日の夜まで一斉同時発売だったので1ヶ月前発売と思い込んでいた人は…orzでした。

裏は…

Kutsurogiura

でもって、くつろぎカード本券。8月4日はもらえましたが、9月18日は問答無用の回収となり、もらうことができませんでした。っつーか、教育実習の最中だったので、ぎりぎりまで船内で過ごし、泣く泣くはくつるで帰る羽目になりました…

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船内座敷はブロック分けされていました。そのご案内。

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案内所脇の表示板。

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そして、毛布がひかれた寝床…JNRマークが何とも…

Moufu

洗面所に作られた簡易シャワブース

Shower

そして、アスパムの前から見ると煌々と灯をともした十和田丸が不夜城のように輝いていました。

Towadanight   

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2008年3月28日 (金)

復活運行記念乗船券&記念タオル

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6月3日の復活運行に際して記念乗船券が発売されました。…なぜ初日に乗っていたのに買ってなかったのか今となっては謎です。あれば必ず買っていたはずなのに???

ちなみに裏はこんな感じでした。

Kinenkenura

画像をクリックでおおきくなります。

そして、乗船名簿をくじにした抽選会があり、当たるとタオルセットがもらえました。えぇ、当たりました。たたんだ状態で船の絵が見えるように箱に入っていたので、20年の間、出したことなかったのですが、改めて出してみると、復活運行用にあつらえたものであったことがわかりました。

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…使えるわけありません。丁寧にたたんでもとあったように箱に収納しました。箱自体には何の装飾もなく、ふつうの贈答品のもののようです。

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2008年3月13日 (木)

LAST VOYAGE

今日は17時にタイマーアップです。20年前1988年の今日この時間、上り最終22便羊蹄丸が函館を出航しました。

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長い長い汽笛を鳴らし、津軽海峡冬景色と蛍の光の大合唱に包まれゆっくりと最後の航海へ…

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函館港内をあまたの船に見送られ、夕日に照らされた羊蹄丸…

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一足早く終航していた空知丸の見送りの汽笛、護衛艦の併走、上空を舞うヘリ…最後の花道に…(有川停泊中のこの画像は最終日のではないです)

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最終便のスタンプ。便名と船名小印を押してもらう列が長かった…

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説明の必要のない乗船証明書。

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船内発行の切符。石狩丸の上に羊蹄丸のハンコですが、硬券はほとんど払底していました。

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大混雑のグリル羊蹄。最後はやはりなじみのラーメンで。なぜかレジの日付が1日進んでる…

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車両甲板に掲げられていた黒板。復活運行の時までコレがそのまま残されていました。

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アスパム前に集結したたくさんの人のペンライトと車のヘッドライトに照らされ、ゆっくりと着岸。上り夜行に乗る人、下りはまなす初列車に乗る人、市内泊の人…船からはき出された人はそれぞれの道へ別れていきました。

313hakkoda待合室はすでにがらんとして人気が無く、わずかな電灯がついているのみでした。動くことの無くなった乗船口の案内には下り最終便八甲田丸の案内が残り、時が止まっていました。

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食堂も閉まり、天井からの案内表示の電灯も消え、数時間前までの賑わいが嘘のような静かな広い空間が広がっているだけでした。

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回送の出航を待つ羊蹄丸。バルブなので船の揺れで微妙にぶれてます。

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そして、これが本当に最後の航海になる羊蹄丸の回送便。長い汽笛を鳴らして出て行きました。深夜にもかかわらずマリンガールが岸壁に並んで手を振っていました。乗船口でも答えるように手を振っていて…

窓ガラス越しに撮ったので反射の写り込みがありますが、最後まで見送りたくて…

本家サイトとプリントスキャンの混合ですので画質の落差が…当時はニコマートFTNと50ミリと200ミリしか持っていなかった…

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で、予告していた「津軽海峡・冬景色」by初音ミクですが…最初は最終日替え歌バージョンで歌詞まで考えかけていたのですが…他でもない連絡船、ネタにするのはあの時クソ寒い桟橋通路下で泊まり込みした思い込みを考えるとちょっとちがうだろ…というか、あの時の思いをネタにするのはやっぱりできないので、元歌詞のままにしました。

かなりパラメータをいじってエフェクターとミックスダウンもいろいろ試してみたのですが今回は音符の並び方と発音の相性がよろしくないのか、なんかうまく歌ってくれてません。バックの動画は当時非常に高価だったVTRを持っていたM.Y氏からダビングしていただいた物をメインに、他にあちこちで拾った物を併せて連絡船PV風にしてみました。…カラオケのバック画像になってしまったという感じがしないでも(汗)

…前回の雪国はうまくツボにはまってくれたのですが、今回はなんか曲想と声に違和感ありありです。ネタにしてないまんまの歌詞、そんならミクにしないでオリジナルの石川さゆりのまんまでいいじゃん…と思ったのはFLV圧縮してからのことでした(爆)

というわけで懐かしい映像とミクの声のミスマッチですみませんが、

→津軽海峡・冬景色by初音ミク← です。flvです。 ←消しました。

サイズも30MBくらいあるし、某○スラックが…というわけで今週末には消します。例によって転載・再配布は不可、DLした個人のみということで。

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2008年3月 7日 (金)

20年目の邂逅

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今宵はダブルエントリーです。えぇ、たった今帰ってきました。あふれる涙を抑えられません。今日、お台場の羊蹄丸で、青函連絡船開設100周年のイベントがありました。夕刊各紙に記事が上がっているように、1988年3月13日函館発最終の連絡船22便の船長鈴木さんと当時の乗客の対面イベントがありました。えぇ、私も22便の乗客でした。これは行くしかない…朝出勤して卒業アルバムの職員集合写真を撮って後は休暇。顰蹙承知で羊蹄丸へ向かいました。22便の乗客として絶対に行かなければならない。その思いで。あのノートに何を書いたか?もしかしたら別の何かの寄せ書きかもしれない…でもそんなのどうでもいい、20年前の自分の思いを…

…あの時、見ず知らずではあってもあの時を共にした、あの思いを共有した、そして、ド平日の午前中にもかかわらずやってきた12名。思いは皆一緒でした。土日に設定すればもっと集まったでしょうがそれでもみな20年の時をあっという間にさかのぼり、あの日の思い出を熱く語り合う…こんな幸せな時間はあっという間に過ぎました。

鈴木船長を始め当時の乗組員の皆さんによる函館出港模擬、青森入港模擬…長声一発~蛍の光が流れたとき、涙を抑えるのが精一杯でした。3月13日のあの情景が目の前に広がってました。

自分にとって青函連絡船って…文字や言葉で表せるようなモノならたぶん今日羊蹄丸には行ってないでしょう、20年の月日を経ても色あせない、大切な大切な…

あの日羊蹄丸の船上で涙を流しながら津軽海峡冬景色と蛍の光の大合唱というか絶叫をしたあの思いを言葉で言い表すなんてできません。

青森についてちりぢりになってしまった後の20年の間、誰にも分かってもらえなかったあの日の語り尽くせない思いを熱くぶつけ合った今宵はとても素敵な夜でした。携帯もITも無かったあの頃、その後の連絡なんか取りようがなかった。20年後の今、再会したことを本当に奇跡のように思います。皆さん、本当にありがとうございました。

月並みな言葉ですが、このような機会を設けてくれた船の科学館をはじめとした関係者の皆様に心から感謝を申し上げます。また、こんなに素敵な最終便乗船証明を改めて用意してくださった、1枚1枚サインをしてくださった鈴木船長に御礼申し上げます。

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すみません、酔っぱらってグダグダです。めっちゃくちゃな乱文ですんません。カキコしながらも涙が止まりません…

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2007年10月 1日 (月)

長野新幹線開業10周年

というわけで、昨日の続編となる長野新幹線開業10周年です。
あさま37号で長野入りして一泊。翌朝の東京行き1番列車あさま500号に乗りました。当然グリーン車。高崎で降りると東京発長野行きの1番列車あさま501号にも乗れるのでこちらは普通車。
まずはあさま500号のグリーン券です。

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たまにここにレスしてくれるくりはし氏の手配でした。感謝。

車内ではきねんの絵はがきが配られました。

Asamahagaki

ついでに駅で見送りに使われていた小旗。2本持っていた人にお願いして1本分けてもらいました。

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でもって、長野駅で配られた開業記念キーホルダー。

Naganokey1

裏はこうなってました。…どっちが表かはよくわかりませんが(汗)

Naganokey2

続いてあさま501号の指定券。

Asama501

プッシュホン予約で取った*マークがついてます。

長野駅で売っていた記念特定特急券。他に各駅で記念入場券を発売していました。えぇ、全駅コンプリートしました。今は亡き信州周遊券だったのでしなの鉄道も乗り放題でした。

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そして、もう一つ。新幹線フィーダーサービスの信越線の信越リレー妙高1号の1番列車。

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車内で記念品は出ませんでしたが、妙高高原駅で記念のオレンジカードを配っていました。1000円の売り物オレカをそのまんま記念品で配るという椀飯振る舞いでした。

Myoko

でもって、録音ネタ。

→あさま500号車内放送の一部←です。座席とスピーカー離れていてマイク使えずイマイチ聞き取りにくいです。

さらに→高崎駅くす玉割り←の動画です。コレ撮ってすぐ501号に乗ったのでくす玉割りの余韻どころではなかったです。乗り遅れたらシャレになりません(笑)

さて、大ネタ放出してしまったなぁ…小出しにすれば良かったかな(苦笑)

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2007年7月27日 (金)

さよならアルコン

 だいぶ前ですが、学校でいきなり「アルコンって知ってる?」って聞かれました。何で今時の小学生がアルコン???と思ったのですが、よくよく聞いてみるとドラマの小道具として使われたそうです。日頃TV見ないので鉄ヲタドラマやってたなんて気がつきませんでしたし、その後も見ませんでした。で、そのネタになった「さよならアルコン」の車内で配られた記念のハンカチです。えぇ、もちろん乗りに行きました。

まずは箱入りで。

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続いて中身を広げて。もちろん未使用です…っつーか、使えるわけありません。

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で、乗っているので当然指定券もあります。この指定券が見あたらなくてネタにできなかったんです(汗)先日ひょんなところから出てきまして…何せ、乗り鉄時代の膨大な使用済み切符が未だに未整理…

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さらに車内でもらった証明書2種

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コレについていたスタフの縮小コピー。ホチキスで2枚4ページをとめてありますが、はがすなんてとんでもないです(笑)ので1面だけ。

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最後に車内限定記念オレンジカード。コレ買うと乗車証明くれました。

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2007年7月16日 (月)

大島航路

 このところ写真動画ネタが続いたのでコレクションネタを…

 国鉄の連絡船と言えば青函・宇高・仁堀・大島・宮島の5航路でしたが、この中で最も早く無くなってしまったのが大島航路でした。…関門とか稚泊とか関釜とかいわないでね、それは鉄道省…じいさまの家が周防大島にあるので毎年乗っていましたが、今や山陽本線撮影お立ち台の大島大橋ができたことで終航となりました。

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Oshimaura 

じいさまの家の玄関に飾ってあったモノですが、じいさまが死んだ後、もらってきました。田舎のことでマニア的な価値でなく、タダの置物だったので潮風に当たってけっこう痛みが…拭いても拭いても汚れが落ちません…というか、錆?

じいさまは橋開通当時議員をやっていた&建設誘致の中心の一人だったようですが、おそらく関係者にごく少数配られたモノだと思います。ほっといたらそのまま燃えないゴミか何かの重しか海の藻屑にされていたんじゃないかと…

肝心の船の写真は…実家のガキの頃のアルバムにちょっとだけ写っているのみ。大畠の駅前から桟橋まで急ぎ足で歩いて船に乗って、小松港で軽トラの荷台にのっかって…ってのは鮮明に覚えています。

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2007年6月 4日 (月)

のぞみ301号名古屋・京都通過

 てなわけで、昨夜のコメントにお応え?して…15年前ののぞみデビューの記念品。この絵はがきとFMラジオの2品が出たんですが、ラジオは多分押し入れの段ボール箱のどれかの中に指定券と一緒に紛れているはずで即座には出てきませんです。はい。探すのめんどいし(爆)

 まずは袋です。

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でもって、中身です。

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すでに300系も引退が始まったようで月日の流れるのは早いものです。

でもって、デビュー1番列車の東京出発時の案内放送。→東京発車放送抜粋← 当時はまだスピーカーのそばにマイクをつけるって技なんか思いもつかなかったので周りの話し声を思いっきり拾っています。かなりカットしました。

続いて→名古屋通過動画← あとでこういう使い方するなんて考えてなかったので私らの話し声だらけで聞き苦しい上に、呼び出し放送まで…なので、音声はカットしました。

さらに→京都通過動画← これまた、名古屋と同じ理由で音声無しです。もちょっと考えて撮っておけばよかったなぁ…

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2007年5月27日 (日)

N700系試乗会その2

というわけで、昨日の続きです。各種出た記念品ですが、複数あって分けてもらえたモノもあるのでそのへんを…

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なんかピンぼけしてますが、携帯クリーナー。これは1個だけなのでお裾分け無しでした。

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で、カードホルダー。これもお裾分け無し…

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クリアファイル。これはお裾分けしてもらいました。当然使わずコレクションです(笑)

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で、新幹線シール3枚組。…使えません。

西日本バージョンではこれでしたけど、東海バージョンはどんなんだろ?ちなみに、N700系の豪華(?)パンフレットは西と海の共同制作でした。

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2007年5月 8日 (火)

今でも売ってます。

 連休ぼけした脳みそが社会復帰を拒んでいます。とはいえ、目の前の仕事の現実に押しつぶされてへろへろです。 

 というわけで、北海道の戦利品です。

Nayoro

 旧興部駅にある道の駅兼バスターミナルの売店で売っています。

 本来は非売品だったんでしょうけど1個1000円。すでに廃止になってから20年近くたっているのに売れ残っているって…開封観察用に1個、未開封資産価値保存用にもう1個、そしてコレクショントレード用にさらに1個というマニア買いをしてしまいました。

 興浜南線の文鎮も残ってないかなぁ…残ってたら売って欲しいなぁ…1個2000円までなら出すけどなぁ…

 ちなみに、これ機内持ち込みにすると荷物X線検査でラインが止まります。ハンドルの教訓を生かして事前にレール文鎮で金属の固まりがありますって自己申告しておきました。

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