失われた轍

2008年5月22日 (木)

幸福駅再訪

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今も相変わらずの観光地、幸福駅。国鉄のディスカバージャパンキャンペーンから何年たったんでしょうかっていうか、廃止から20年たってるわけで、未だに観光客がたくさんやってくるというのもいかに「愛国から幸福へ」のインパクトがあったかということですね。

木造の駅舎とホーム、駅前の土産物屋さんのたたずまいは昭和61年に乗りに行ったときと変わっていません。

この角度で写真を撮ると現役時代と違うのは後ろの木が伸びたくらいです。駅周囲を見渡すと線路はもとより路盤築堤もすべて整地され畑の中に消えています。また観光客用の大きな駐車場もできています。

大学1年の秋、士幌線始発で十勝三叉まで往復、広尾線とバスを使って幸福・大正・愛国と駅巡りをしてそのあと広尾から襟裳岬周りの国鉄バスで様似へ抜けたのを思い出します。広尾駅にあった保存車はキレイになくなってしまっていました…

…運動会モード全開です。忙しすぎてへろへろです。次の土日こそ只見蒸機か小海DD16風っこのどっちかへ行きたいんですけど…行きたいんですけどねぇ…仕事が読めないのでレンタカーまだ押さえてないんで…  orz......

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2008年5月10日 (土)

ふるさと銀河線りくべつ鉄道 切符編

Rikubetsukinen

りくべつ鉄道の開業記念入場券です。もっとも、構内入場そのものは無料なので記念品というところですね。でも有効期限があるところ見るとこれで体験乗車できるのかなぁ???値段も一緒だし。

で、その体験乗車の切符がこれ。

Rikubetsujyousya

構内を行ったり来たり、営業時にはありえなかった1番線の通過シーンもあるので300円は非常に良心的な設定だと思います。

ちなみに、体験乗車は30分ヘッドで10分程度。「メーテル○号」という列車名でアナウンスされています。

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2008年5月 7日 (水)

変わらないもの…

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旧ふるさと銀河線上利別駅。ここから見るたたずまいは今でも現役のままです。昼下がりののんびりした時間の中、ヒョーっていう独特のタイフォンの音が聞こえて列車が滑り込んできても何の違和感もない…そんな空気が漂っていました。

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しかし、線路はこの通り、自然へ帰り始めています。最終日、たくさんの人が臨時列車を見送っていました。駅の中では地元の皆さんがさよならセレモニーをしていました。古いながらもとても大切にされてきていた駅舎、廃止から丸2年たってもその当時のたたずまいをそっくり残しているのは地元の方の愛着の賜物なのでしょう。

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固く閉ざされた窓の中には止まった時間がそのままになっていました。 

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2008年5月 6日 (火)

ふるさと銀河線りくべつ鉄道 本物でGO!

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というわけで、本物でGO! をしてきました。まずは予約時間の一つ前に運転する方を見ていじり方を覚えてくださいというわけで、時間に陸別へ行きました。まずは窓口で体験運転切符2000円也を購入して2番線へ。

Taiken

係の方と一つ前の時間の予約の方に挨拶をして車内へ入ります。構内を行ったり来たりとはいえ、線路を横断する通路は必ず一時停止とのこと。それぞれフライキを持った係の方がスタンバってます。

マニュアルの注意書き。本物だけになかなかシビアです。

Manu2

次のページは運転台機器の解説。

Manu3

まずはブレーキハンドルを差し込みます。

続いてキーでこの運転台が前か後ろかを決定、さらに前進を設定。

変速機を変に投入、ライトを下目にON。

表示灯を確認して左足でデッドマンを踏んで右足でタイフォン一発、ブレーキをはらって圧力計が0になったらノッチを1。出発進行!

動いたらすかさずノッチを2に。うなりが軽くなって時速8~10キロくらいで3ノッチへ。

15キロくらいまで引っ張ってノッチオフ。長い区間では18キロまで可。

ブレーキを重なり位置へ持って行き、目標で常用位置へ。

圧力計を見ながら1kgくらいかかったらハンドルを重なり位置へ。

停止位置にあわせるためにいったんゆるめ、再びブレーキ素早く重なり位置へ。

止まったら常用位置でエアを2キロくらい込めて抜き取り。ライトオフ、変速機を中立、横のエンドチェンジスイッチオン、キーで運転台を後ろ、進行方向中立を設定、ハンドルとキーを持って車内を移動、反対側の運転台へ

…という一連の作業を構内2~3往復一人持ち時間15分ということで元運転士の方がつきっきりで指導してくれます。最後の1往復は好きにやってみてとのことでしたが、走らせるのはともかく、ブレーキの難しいこと…目標ぴったりにスムーズにとめることがなかなかできませんです。

あっという間の持ち時間でしたが、これは癖になりそうです。2万円の80分コースにトライしてみようかと思ってしまいました。

…本来お昼は休憩だそうですが、少しでもたくさんの方に運転してもらって客を呼べる実績を作らないと…ということで、係の方昼休みナシでがんばってます。地元のおっちゃんが「でっかい大人のおもちゃだよなぁ…でも、これで人が来て賑わってくれればそれでいい…」とぼそっと言っていました。

ふるさと銀河線りくべつ鉄道公式ページには予約状況の一覧も出ています。北海道へお出かけの際はぜひ 本物でGO! 癖になります!!!!!

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2008年5月 5日 (月)

陸別で

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ふるさと銀河線りくべつ鉄道が26日に開業しました。…ので行ってきました。

体験乗車300円、体験運転2000円也。行ってみるとあのタイフォンとエンジン音が!CR75が生きています。駅構内の短い距離ですが、体験乗車は2往復ほど行ったり来たりしてくれます。車内はあの頃のまま。川上までのばしたいとアナウンスしているものの果たしてどうなることやら。

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こんな絵を見るとまだそのまま走っているような感じがします…

さて、明日体験運転に空きがあったのでつい予約をしてしまいました。本物のCR75を運転してきます。

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2008年4月20日 (日)

銀河線3回忌

日付が21日に変わる前にエントリーしたかったのですが間に合わなかったので…時刻設定で20日の23:59付のエントリーにしてあります。

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3年前、確かに北の大地を走っていた銀河線。最終日はむりやり休暇にしてカミングアウトの上渡道しました。北見-足寄最終1往復を乗って夜行バスで札幌へ。朝イチの便で羽田へ、そのまま出勤。3時間目から平然と授業をしていました。NHKの生中継に映ってました。国鉄時代の池北線(阿波徳島2008号は変換できない)にも乗っていますが、これだけの長大路線が廃止…しかも転換3セクの廃止1号の前例となるのはやはり何ともいえない気持ちでした。1月末の土日、これが走行撮影の最後のチャンスでした。あそことあそことあのアングル…思い描いたモノをすべて撮ることはできず、歴史の向こうへ走り去ってしまった銀河線。北海道はさすがに遠かったです…

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夕闇迫る高島駅。飛行機の時間ギリギリまで粘りました。青い時間の中、国鉄時代のホーロー駅名板と道東ローカル線の各駅で見られる規格サイズの駅舎がその歴史を雄弁に物語っていました。

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そして、撮り鉄モードでの最後のカットとなった高島駅光跡流し。遠く去っていく赤いライトが何とももの悲しく思えました。

最終日の乗り鉄VTRをDVD化したのは今でも時々見ています。何人かには差し上げました。先日うpしてすぐ消したのもその一部。巨大サイズでよければflv化の上全編うpしますが…どうしましょうね?

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2008年2月 4日 (月)

ちほく銀河線最終列車

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風邪気味で寝たり起きたりの合間に新幹線を撮りに行くというよくわからん土日でした。で、レス書きの後なんか眠れなくなってしまったので…

前からこれアップしろよというリクエストを受けてましたが、サイズがでかいので加工がめんどくさいのでのらりくらりしてたのですが、ちょっと別の動画をいじってたついでに、BLOG用にいじってみました。要は尺を短くしてエンコードし直しただけ…

2006年4月20日 ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 最終列車 北見=置戸 往復乗り鉄

本来はこの日の臨時さよなら快速1往復乗り鉄込みの全編35分のDVDですが、それflv圧縮したら100M超えるので最終1往復の分だけをカットして(それでもflvで30M)BLOG版としてみました。置戸最終発車がなぜか撮れてないという痛恨ですが、車内さよなら放送は完全収録です。全部手持ちなので画面が安定しないのはごめんなさいですね。さらにむりやり720×480にしたから画質が…gomplayerだったら表示サイズを×0.5くらいで無理なく見られるかと。あ、コピーライト入れるのも忘れた。再エンコードめんどくさいのでもうそのままで。

ちほく銀河線 LAST RUN  をダウンロード ←消しました

ファイルサイズがでかいのとBGMがごにょごにょなので今週木曜の夜には削除します。

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2007年7月31日 (火)

三井芦別鉄道

引き出しの中から出てきました。多分もらい物でしょう。

Mitsuiashibetsu

三井芦別鉄道のさよなら記念乗車券。昭和47年の旅客営業廃止ですから、今から35年前になります。今でも芦別から夕張へ向かう国道(だったかな?)沿いに鉄橋の一部とその上に機関車がどかんと乗っかって保存されています。どこかに保存機の写真はあるはずですが、探すのめんどくさい(爆)

北海道には炭鉱鉄道や拓殖鉄道・開拓軌道がたくさんあったんですが、リアルで乗ることができたのは三菱大夕張鉄道の最後に残った清水沢-南大夕張だけでした。

いろんな本や写真集の中に残る写真や保存されている小さな車両を見るにつけ、あやしげなへろへろ軌道をコトコト行くのを見たかった&乗りたかったと切に思います。

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2007年7月28日 (土)

暑中お見舞い申し上げます。

♪暑中お見舞い申し上げますぅぅぅ~(by Candies 後援 郵政省)
…ってネタがわかるのは間違いなくおやぢの世代(笑)連日暑い日が続きます。

Shocyu

 フロストフラワー輝く朝、白煙たなびかせて…見た目だけでも涼しげにっつーか、氷点下。

 はぁ…仕事疲れで1日中寝てました。多分明日も寝てるでしょう…烏山行こうかと思ったけど体力が…学籍監査の書類確認チェック死にそうです。

 来週は日光林間学園の引率もあるし体力温存しとかないと。あ、きもだめしの組み合わせ決めなきゃ(笑)

 6年生に「一緒に行きたい人を3人書いて」と言ったら大騒ぎ。

 「好きな人書くの~!?」

 「だ、か、ら、一緒に行きたい人を書け」

 とだけ言い、全員回収してから

 「好きな人を書けとは一言も言ってませんが何か?一緒に行きたい人を書けって言ってるんですが?リアクションがおもしろそうとか、泣き顔見たいとか、強そうとか一緒に行きたい理由はいくらでもあるでしょ?一緒に行きたい=好きな人としか考えられない脳みそが…(以下省略)」

 子どもら「サギだぁ~!!」

 私「話をちゃんと聞いて理解できんおまいらがアホや!」

 3・4年生の時に担任していた子たちなので私のキャラは十分承知しているはずなんですけどね(笑)誰が誰を書いたかは極秘。墓場の中まで持って行きます。…今の高1を6年で担任のときも同じ事やったんですけど、きょうだいいるんだから情報仕入れるとかしとけばいいのに…

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2007年7月19日 (木)

大島航路4

船の写真がどこかで見たぞ…と探してみると…ありました。
海人社の世界の艦船別冊「日本の客船 2 1946-1993」にしっかりとこの航路用に新造された3隻が載っています。著作権が気になりますが、まぁ引用ということで写真と諸元の一部です。この3隻、いずれも乗った記憶があります。なんで写真撮ってないんだろうなぁ…って当時の小学生じゃあたりまえか(苦笑)

まずは初代大島丸。
1961年大阪造船所製造。
258総トン(時刻表では223トン)。定員460名、自動車5トン1台積載可(時刻表では340人で乗用車8台…おそらく仁堀転配に際して改造されたと思われる)。
1964年、宮島航路のみやじま丸を大島丸と改名しカーフェリー化して転配されると、本船は安芸丸と改名し仁堀航路へ。75年に新造船に押し出される形で大島航路へ戻る。1977年売却。

 入り口の屋根が高かったのと、後ろのアッパーデッキに出て航跡を眺めるのが楽しかったです。繁忙期はバスの席取りや列車へのダッシュのためかほとんどの人が1階客室にいたのを覚えています。行きは2階、帰りは1階に乗ることが多かったです。1階の客室の窓からはすぐ下に海面が見える感じがして、吸い込まれそうでした。

Oshimamaru1

周防丸 1964年瀬戸田造船製造。89総トン。定員130名。乗用車6台搭載可。1975年売却。

 とにかく狭い船でした。大畠停車の快速や急行の接続だと大混雑でごったがえし、身の置き場所がないので、乗り物好きでも勘弁して欲しかったです。

Suomaru

3代目大島丸 1970年神田造船所吉浦工場製造 267総トン(時刻表では266トン)。定員350名。乗用車15台積載可。1976年航路廃止に伴い、宮島航路へ転配。安芸丸と改名。1991年売却。 

 これは客室がすべて2階だったのですが、乗船時間が短い&乗り継ぎバスの座席争奪戦のためか繁忙期はデッキに近いところが混んでいました。行きは軽トラお迎えの私らの家族は後部デッキでのんびりとしていました。帰りは…デッキのそばでした。この船、宮島航路でも乗っています。

Ooshimamaru

 国鉄カーフェリーの先駆けとなったのがこの大島航路だったようです。結局最後は初代大島丸改め安芸丸と3代目大島丸の2隻が交互に行き来していたことが時刻表から伺えます。いずれの船も鬼籍に入ってしまいました。

 航路廃止から31年…国鉄バスも路線撤退し最も奥の東和町は日本一の高齢化の町としてたびたびTVなどに登場するようになりました。…あ、大島にも温泉ありますよ。日帰り可のものはコンプリートしております(爆)

 

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2007年7月16日 (月)

大島航路

 このところ写真動画ネタが続いたのでコレクションネタを…

 国鉄の連絡船と言えば青函・宇高・仁堀・大島・宮島の5航路でしたが、この中で最も早く無くなってしまったのが大島航路でした。…関門とか稚泊とか関釜とかいわないでね、それは鉄道省…じいさまの家が周防大島にあるので毎年乗っていましたが、今や山陽本線撮影お立ち台の大島大橋ができたことで終航となりました。

Oshimaomote

Oshimaura 

じいさまの家の玄関に飾ってあったモノですが、じいさまが死んだ後、もらってきました。田舎のことでマニア的な価値でなく、タダの置物だったので潮風に当たってけっこう痛みが…拭いても拭いても汚れが落ちません…というか、錆?

じいさまは橋開通当時議員をやっていた&建設誘致の中心の一人だったようですが、おそらく関係者にごく少数配られたモノだと思います。ほっといたらそのまま燃えないゴミか何かの重しか海の藻屑にされていたんじゃないかと…

肝心の船の写真は…実家のガキの頃のアルバムにちょっとだけ写っているのみ。大畠の駅前から桟橋まで急ぎ足で歩いて船に乗って、小松港で軽トラの荷台にのっかって…ってのは鮮明に覚えています。

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2007年6月28日 (木)

胆振線キハ40

昔こんなの撮ってたんだ・スキャン第6弾

Iburi

今は亡き胆振線のキハ40です。1986年の10月ってのは覚えています。当時の時刻表を見る限り、新大滝だと思うんですが…記憶が曖昧です。この年の10月末日で廃線になってしまいました。

Iburijikoku

駅員さんタブレット持って歩いてます。当時の乗り鉄の行程表が見あたりません。どこかにはあるんですけど…倶知安で特急北海から824Dに乗り継いで伊達紋別で北斗3号にのか、逆コースで伊達紋別で北斗1号から825Dに乗って倶知安で43レか102レニセコに乗り継いだか…どっちだったんだろう…

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2007年6月19日 (火)

片上鉄道 動画その3

客車列車は運用を終わると片上駅で留置線にはいるのですが、盛大に突放(一発変換できない)していました。客車の突放はなかなか豪快でした。最終日だけに人も多かったのですが、なんかまったりしていました。

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ちょっと長い&重いですが、→突放&DD13入替動画←です。うーん、V5000重たかったからなぁ…なんか安定しない画像だなぁ… 

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2007年6月18日 (月)

片上鉄道 動画その2

というわけで、動画の第2弾です。

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スチルと同時に動画撮影はさすがに難しいです(汗)

ビデオを振ってみたら後部の開放デッキに鈴なりの人が…このデッキって走行中出ててよかったんだっけ(笑)

でもって、動画は→こちら←です。のんびりしてますねぇ…

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2007年6月17日 (日)

片上鉄道 動画その1

古いHI-8のテープを整理してるのですが、91年6月末で廃止になった片上鉄道の最終日のやつをデジタル化しましたんで、公開します。

Katagami0002

朝イチの片上行きは客レのうしろにキハの回送をぶら下げた独特の姿で走っていきました。この後、さよならヘッドマークがついたので、いつものままの姿で客レが撮れたのはこのワンカット・ワンシーンのみでした。ビデオいじり初めて間もない頃で、画面が傾いていたりするのはご愛敬ということで(汗)

動画は-→こちら・混合列車←です。DD13の汽笛とエンジン音が何とも…

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2007年5月 5日 (土)

あの頃の記憶

 今日は宗谷岬を回ってひたすらオホーツク沿いに南下。となると、天北線、興浜北線、興浜南線、名寄本線、湧網線の廃線未成線跡をたどることになります。

 ちなみに、阿波徳島2006号では名寄本線以外は変換できませんでした。でもって、湧網線は計呂地(これも変換できない)駅跡の交通公園にC58と旧客2両が置いてあります。
 旧客の1両はライダーハウス状態で車内のいす撤去お座敷状態ですが、もう1両は往時の面影を色濃く残しています。

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 傾きかけた日差しが窓から入り込み、旅していたあの頃の車内の情景が脳裏によみがえりました。デッキと車内を仕切る木製扉の真鍮のドアノブの手応えとガラガラという音、ウグイス貼りの床独特の歩く感触、ニス塗りの車内に立ちこめるあの香り…時が一気に20年以上遡ったような気がしました。

Kerochi02_1

 車の免許もなく、貧乏だったけれど、周遊券を握りしめてまだ見ぬ地を目指して列車に揺られたあの頃に刻まれた、かけがえのない時間の記憶…しばしの間シートに身を委ね瞳を閉じて…

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2007年5月 3日 (木)

上興部駅跡

 というわけで北海道にやってきました。
 いきなり朝寝坊で羽田に行くと航空券発売所は長蛇の列。非常口席をゲットしたかったのですが、この列では出発に間に合わないと思い、JGCカウンター脇のすいている自動チェックイン機で株優つっこんで発券。搭乗ゲート脇のキャンセル待ちカウンターで座席変更で非常口窓席ゲット。

 飛行機に乗ってからレーダー探知機やらサンダルやら忘れ物多数に気がつき、北見イトーヨーカドーでお買い物。でもってトリトンで寿司。ぐだぐだと走って北見滝ノ上経由で名寄へ。名寄温泉サンピラー泊。元々は掛け流しだったんだろうけど、当局の指導か循環濾過に。とはいえ、十分に温泉感はありました。
 明日は北の果てを目指します。

 途中経路が渚滑線と名寄本線廃線巡りになってしまいました(笑)

Kamiokoppe

 いろいろおいてあった上興部駅跡

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 上興部駅のDD14302の頭だけって…機関車本体も残してほしかったねぇ…

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2858testup

De10test

 駅舎内の展示、キハ2858とDE10の車両機器系統表示動作盤、これはすごい…稼働したら最高なんですけどねぇ。  

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2007年3月20日 (火)

湧網線 その2

 昨夜に続いて湧網線シリーズ第2弾。

 いくつかの有人駅があったのですが、何せ、降りてしまうと乗りつぶしが大変なので列車交換駅で停車時間を利用して下車印・入場券・スタンプの3点セットを基本にめぼしいモノをという行動パターンでした。
 これ、同じことやってる人多かったので、誰よりも速く駅舎にたどり着き、クリアしないと停車時間に間に合わないという悲劇が待っているのでした。当時は周遊券でぐるぐる回っていたので言葉こそ交わさないものの、「スタンプを歯ブラシで掃除するので押すのが遅い人」とか「入場券を10枚単位で買う人」とか見覚えのあるキャラができてきます。いかにそういう人より先にエモノにたどり着くかという競争になるわけでして、停車時間5分で跨線橋の向こう側なんてことになると、車掌さんに一言声かけて全力ダッシュ、乗るときに手を振って合図と同時にドア閉まるなんてのもよくありました。

 まずは、佐呂間駅。

Saroma03

入場券はパンチを入れる派と入れない派がいましたが、私は入れる派でした。駅ごとに形が違うのでそれも記録でした。

続いてスタンプその1

Saroma

ホタテの名産地だけにデザインもホタテ。こちらの方が古いスタンプだと思われます。
続いてスタンプその2

Saroma02

けっこう複数のスタンプがある駅も多かったです。DISCOVER→JAPANや一枚のきっぷから、いい日旅立ちなど国鉄のキャンペーンごとに作っていたようにも思われます。

そして計呂地駅。

Kerochi02

続いてスタンプ

Kerochi

このスタンプのデザイン、路線で共通だったようで、駅名のところがほかのもありました。

今はどちらの駅も交通公園になっていて往時をしのぶ車両がおいてあったり、客車がライダーハウスになったりしています。どこかに写真あったな…

…常呂駅のスタンプもあったはずなんだけど見あたらないなぁ…湧網線でスタンプ押せたのはこの3駅だけでした。

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2007年3月19日 (月)

湧網線

 20年前の今日、新生JR目前にして廃線になった路線、湧網線。すでにATOKでは一発変換できません。その線路がリアル網走刑務所の敷地内を通過することで有名でしたが、沿線のサロマ湖やオホーツクの眺めは絶品でした。今も一部路線敷がサイクリングロードとして残っています。
 そんな湧網線の掲載された最後の時刻表となる1987年3月号は国鉄監修交通公社の最後の時刻表でもありました。

Jikoku8703

乗り鉄で使い倒してぼろぼろになっていますが…
そして、湧網線のページ。

Yumoujikoku

巻頭には代替バスの時刻も載っていました。このページ、上から下まで転換バスの路線一覧でした。

Yumoubus

この当時の時刻表、まだ路線図が密です。三菱大夕張鉄道もありました。士幌線も、標津線も、羽幌線も天北線も…国鉄最後の日までに完乗達成しようと必死でプランニングをしていた大学1年終わりの春。2浪のロスタイムは大きかったです… 

明日は駅スタンプと入場券を…

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2007年3月16日 (金)

標津線 上武佐

住宅ローンの金利固定期限到来で実印が…なんて引き出しあけたら出てきました。
旧標津線上武佐駅前簡易郵便局で作ったオフライン通帳。平成の世にあって、スタンパーでがっちゃんと100円記入された通帳はなかなか笑えるモノがありました。この当時でさえオフライン局は風前の灯火で、何かで話を聞いて物欲に負け、列車が来ない上武佐駅でわざわざ降りて行ったのでした。すでに貯金の権利の期限も過ぎていますが、コレクションとしてはおもしろいかな…と。

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でもって、上武佐駅のたたずまい。

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いかにも北海道という感じの原野の中を一直線に貫く線路。タラコ色のキハが当たり前に走っていました。

Kamimusa02

風邪が治らないよ…薬が切れると熱が上がる…さよなら特急東海や仙台空港開業初日に行けないのが悲しい…何とか治さないと。中学校の卒業式には行かないと…   

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2007年3月13日 (火)

3月13日という日 昭和60年 さよなら小松島線

 今日は3月13日。鉄道好きの人にとっては特別の響きがある日です。そう、春のダイヤ改正にあたることが多い特異日です。この日をもって線路の彼方へ去っていく列車、歴史のページにだけ残ることになる路線…そして、新しく歴史を刻み始める列車や路線。
 最近は路線の廃止はキリのよい3月末が多くなりましたが、3月10日~20日頃の間に春のダイヤ改正があるのは今も変わりません。

 そこで、そんな3月13日…とは言っても、昭和60年。大学不合格2浪確定の後、出かけたのでした。四国のお目当てはスハフ43と小松島線最終日。宇高連絡船の深夜便で高松上陸、早暁の徳島行きローカルにいきなりスハフ43がぶら下がっていました。それも生え抜きの「3」。今は大井川鉄道で余生を送っていますが、生粋の特別急行用3等車。世が世なら3等車といえども学生風情が乗れる車ではなかったことは間違いないでしょう。

Suhafu43

そして、この列車がそのまま「さよなら小松島線」の臨時列車に。

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 今から20年以上前は最終日ものんびりしたもので、徳島駅の側線に止まっている列車を職員通路に降りて撮ることもできました。
 で、スハフ43に取り付けられたさよならサボ。

Sayonarakomatsushimasabo

 さらに、列車の後ろにも看板がつけられていました。

Sayonarakomatsushimatail

 そして小松島駅の駅名板。

Komatsushimaeki

さらに終点で臨時駅扱いの小松島港駅。南海フェリーへの乗り換え口でした。ちくわ売ってたりしてけっこう賑やかでしたが、片面1線のみのホームでした。

Komatsushimakoueki

駅のたたずまいも撮ってあるはずなのですが、何せネガを発掘するのが大変で、出てきたプリントをスキャンしました。

 そして、小松島駅のきっぷ。すでに入場券はなく、190円きっぷしか手に入りませんでした。

Komatsushimaticket

さらにさよなら列車の乗車証明書。

Komatsushimasyoumei

さよなら列車の中で作ってもらった乗車券。券面には「小松島港」の記載はされません。臨時駅なので運賃計算が「小松島」でされるためです。

Komatsushimaticket2_1

 こういうきっぷをさよなら列車の中であっさり作ってもらえるほど車内はそんなに混雑しておらず、まったりしたものでした。往復ともスハフ43でしたが、隣には2等車格下げ改造オハ41の超絶ロングシート車がぶら下がっていました。

 うーん、画像たくさん並べて重たくなってしまって申し訳ない。
 それにしても、まだまだ地方ローカル線がたくさんあったそんな時代のお話でした。   

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2007年3月12日 (月)

ワイド周遊券その2

 というわけで、今宵も乗り鉄ワイド周遊券ネタで。
 普通、均一周遊券は出発地から乗り放題区間の入り口までのA券と、乗り放題区間と帰りのセットのB券の2枚組。ですが、一部のやつにはオプション券がついていました。その一つがこの北陸周遊券の能登オプション券です。
Hokurikuwide

このオプション券、G券となっています。北海道オプション十和田湖がC、ニューワイド周遊券のフリー区間がD券だったりしらんで、順番でGがついたんじゃないかと…詳しいことはよくわかりませんが、国鉄バスおくのと号に片道1回だけのれる切り取り式のオプションもついています。
 バスもしっかり乗ったのですが、運転手さんにお願いして記念に残すことができました。で、能登線は宇出津(すでに変換不能な駅名)~蛸島は乗れないので別買いで乗りつぶしました。さらに、北鉄小松線の廃止最終列車なんかも見送ってました。鵜川遊泉寺まで乗ったら帰ってこれない…ので。
 で、能登半島のりつぶしはこの列車がないとはじまりません。急行奥能登。

Okunoto

そして、北鉄小松線のお別れ列車。

Hokutetsu02

それにしても、20年も前のことなんですねぇ…

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2007年3月 6日 (火)

さよならスイッチバック

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 板谷峠に新幹線が走るようになってもう何年でしょうか。スイッチバックの最終日、力餅の最上屋さんに「さようならスイッチバック」の幟が翻っていました。滑川温泉福島屋さんでひとっ風呂浴びて峠駅へ戻り、納豆餅を食べながらご主人と談笑していたのですが、

「この幟、あとはどうするんですか?」
「うーん…」
「もし、よろしければ譲っていただけるとうれしいんですが…」
「それなら****円」
「よろしくお願いします!」

というようないきさつで快く譲っていただいたモノです。

現在は部屋の仕切りのカーテン代わりにぶら下がっています。色落ちが怖いので洗濯もできず…とはいえ、しまい込むのも何なのでそのままになっていて、だんだんほこりっぽくなってきてしまいました。対策を考えないとなぁ…

Itayanoren02_1

温泉帰りの記念撮影(顔出しはナシね)
平成2年8月31日スイッチバック最終日…撮影おいといて温泉へGO!ってのんびりしてましたねぇ(笑)

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スイッチバック最終列車。ヤシカフレックスB型で。列車を見送った後、翌日も残る友人に福島駅へ車で送ってもらい、急行津軽で帰京、9月1日の2学期始業式にカメラバック担いだまま直行した新卒1年目の夏休み最後の日…

-西乃湯- 

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2007年2月25日 (日)

下津井電鉄

Shimotsui01

 下津井電鉄の下津井駅で。けっこう乗り鉄してたので今となっては懐かしい写真もけっこうあったりします。

 暗かったので車の人たちがよってたかってライトアップしてバルブしたものです。廃止の3日前だったかな?ヤシカフレックスB型の6×6で撮ったものです。瀬戸大橋の開業景気に乗れずあっけなく廃止というのは、今思えば地方私鉄受難の最終段階の始まりだったんでしょうね。
 それでも廃止3日まえでこんなライトアップしてのんびり撮れたというのはいい時代だったんでしょう。今じゃとても無理でしょう。くりでんの最終日は乗り鉄で行くつもりですけど、はたしてどうなることやら…

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