青函連絡船

2019年11月 4日 (月)

第15回 青函連絡船講演会@鉄道博物館

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というわけで、11月2日の講演会に何とか行くことができました。

まずはこちら。485系での車内アナウンスと乗船名簿配布ですが、今回、クハが13号車、モハが12号車にきちんと設定されていました。

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それだけではなくて、車内の広告も前回とは違うものに。

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でもって、並んでるED75のHゴムの色がグレーになってます。

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これは夕方の撮影タイムで撮ったものですが、ドアの南京錠など余計な物はすべて外した撮影仕様となってます。

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正面アップがこんな感じ。ヘッドマークの文字が青いのは宇都宮区のEF81用だからだそうで、青森のは文字が銀色で取り付け方法も異なるので・・・と学芸員さんが言ってました。で、今回は撮影しやすいようにライティングも変えたそうで、こんな絵を撮ってみました。

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こうすると文字の色が目立ちません。Hゴムの色が直って75の顔がやさしい感じがします。

さて、車内では前回同様、吉田さんのアナウンス、橋本車掌の乗船名簿配布です。

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今回はてっぱくのお姉さんが反対側のデッキで白鳥や連絡船の略史、乗船名簿の解説を行うという前回の経験を生かした大幅な内容のアップグレードとなっていました。その中に、「最後の連絡船に乗るために何日も並んだ人が・・・・」といった内容があり、橋本さんとお互い指さして「俺たちだぁ」と爆笑してました。

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さて、次は緊締具実演。今回は安田さんと山本さんのコンビ。緊締具の解説から実演、体験、質問など前回同様に進んでいきます。

が、何と言ってもこの後ろに今回登場した「第二青函丸」の模型のインパクトが。

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第1青函丸と第2青函丸は車両甲板が吹きさらしなので、貨車を船で運ぶというのが非常にわかりやすい構造になっています。なので、まず模型を見てきてください・・・から始まりました。で、最後に学芸員さんが「船ですが、鉄道の線路の一部。定時運行が使命です。」と鉄道博物館で船のイベントというところを繋いでまとめていました。これ、このまま常設モードになるそうです。これで収蔵庫に残る連絡船は可動橋で貨車が動くギミックを持ってる松前丸・・・交通博物館時代は動いてましたからねぇ。もう1隻置く場所はありそうですが、他の展示物とのバランスが・・・だそうです。

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さて、この後は南館3階に場所を移して講演会。まずは吉田さんの銅鑼から。

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今回は髙橋さんが連絡船の概説をしてます。で、四方海話はオリンピックの聖火輸送。西沢キャプテンが船館で何度か話をしていますが、スライドショーを新たにつくったリニューアルバージョンです。

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まずは昭和39年の津軽丸での輸送と洋上聖火リレーのエピソード。

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続いては昭和47年の札幌オリンピック、大雪丸でのエピソード。函館到着時の歓迎シーンなど、当時の熱気が伝わってきます。このスライドショー、学校のオリンピック教育とか歴史で使えないかな。この間の6年の研究授業、高度経済成長のあたりやってたのですが、年号がすべて西暦。明治・大正・昭和を全く使ってなくって、後の協議会で思わず「西暦だけでなく、元号を併せて使った方が時代の空気感が出るんじゃ?」と意見したけどスルーされまして、何か釈然としない・・・

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続いては吉田さん・森本さんの飾り毛布実演。今回はいつもと切り口が違います。

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折り方からというこれまでにない路線です。

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吉田さんが折っているときは森本さんが、森本さんが折っているときは吉田さんが解説をしています。森本さんの新作「ハート」は写真撮り底ねた・・・

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折り方のパターンと組み合わせで、最後はおめでたく松竹梅で締めました。今回は時間の都合で体験はなしでした。

この後は休憩を挟んで安田さん渾身の作、「第五青函丸」です。

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会場はこんな感じでほぼ満員。手前はkeiichiさんの十和田丸と初登場、空知丸。手前の紙ものと板ものは拙コレクション。

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第五青函丸は昭和20年3月6日に青森港外で防波堤に接触する事故で沈没しました。

まずは戦時下の鉄道連絡船の概略、W型第1船、第五青函丸の建造の話からです。

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浦賀ドックに残る線図からわずか6ヶ月で竣工、その他も次々と戦標船が建造されていたことがわかります。

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髙橋さん作成の第五青函丸のイラスト。

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沈没当日の気象状況。猛吹雪の中青森へ向かい、接岸しようにも走錨してどうにもならず、一旦港外へ出て再入港しようとしたものの、強風で流されて防波堤に接触。

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右舷部を損傷し、浸水、沈没。無線通信は海軍と同一の暗号文をつくらなくてはならず、暗号作成が間に合わず、暗号の「セ」の打電で途絶え、総員退船の打電は間に合いませんでした。

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乗組員86名(海員81名+海軍警備隊員5名)中、82名(海員77名+警備隊員5名)死亡・行方不明、生存者4名(船員5名救助のち1名絶命)という惨事となりました。そして、第五青函丸が徴用船、乗組員は海軍軍属になっていたことから、軍法会議にかけられることになります。

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しかし、海軍の記録はすべて敗戦時に焼却処分されており、謎のままで、かろうじて見つけた資料も開示請求が認められるかは1年くらいかかるとのこと。調査が一段落したので、一旦発表という事になったのですが、それ以上に3年前からあたためていた企画、松下船長のご遺族へという思いがありました。遭難当時2歳だった娘さんが講演会にいらしたことがあり、第五青函丸の調査を安田さんが進めていました。

今回はサプライズで髙橋さん作成のイラストを額装してプレゼントという事になりました。最初は講演会後に個人的に・・・のはずだったのですが、突如講演会での贈呈式となりました。

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スチルで撮り損ねたので動画から切り出しましたが、画像悪くてすみません。会場から大きな拍手がわき起こりました。

さて、講演会名物、keiichiさんの80分の1ラジコン。今回は空知丸が初登場です。

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本人曰く、未完成とのこと。さらに航走会でぶつけて塗装はがれてるので前から撮らないで~と言ってました。が、やっぱり前から撮らないと。

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こちらが後ろから。

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連絡船は左側通行なので、こういう置き方で。

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今回はスペースが少ないので切符類とプレート類を少々。

そして・・・

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後の飲み会は盛大に盛り上がりました。お会いした皆様、ありがとうございました。

前回、今回の集合写真のデータ欲しい参加者の皆様、連絡を下さればダウンロードURLお知らせします。

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9月の段階で11月2日と聞いて、腹部超音波と胃カメラの日・・・予約が9:30と10:30・・・間に合わない・・・で、朝早く病院に行って、「用事ができたので、時間早めてもらえるとありがたい」と無理を承知で頼んだら快く変更してくれました。胃カメラは復活の時間を稼ぐために、のどの奥を麻痺させるジェルだけで全身麻酔なしの暴挙に出まして、うぇぇぇともがいて涙と唾液まみれで完遂。10時前に病院を脱出して根性で12時前にてっぱく到着。

胃カメラ、麻酔なしだと当たり前ですがどこまで入ったかカメラの数字が見えるんですよね。30センチくらいで先っぽがのどの奥、気道と食道の分岐点と思われる辺りを通るときが一番しんどいです。呼吸時は食道方面は閉じてるのをねじ込んでいくわけですから。で、胃の奥にあたる感じが・・・で、ずるずると抜いて終わるかな~と思ったら「最後に十二指腸行きます」で、ぐいっと奥の奥までカメラが。精神的ダメージがでかい!目の前に70の数字が。で、抜き始めたんで終わったと思ったら食道辺りでスピードダウン、40センチから30センチ辺りの進みの遅いこと遅いこと、そりゃ逆流性食道炎だからその辺ゆっくりなのはわかるけど・・・最後って言ったじゃんと思いつつ諦めの境地。カメラ飲んでる時間10分もないんですが、ものすごく長く感じたです。二度と麻酔無しでやるもんかと固く誓った胃カメラでした。

さて、沖縄モノレール、観音埼灯台台風避難から帰ってくる護衛艦撮影三昧、晴海中国イージス艦に吉倉桟橋、政府専用機祭と滞納してるのどうしようかねぇ・・・

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2019年10月 5日 (土)

鉄道連絡船イベント@鉄道博物館

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というわけで、遅ればせながら鉄道博物館での連絡船イベントです。まずはこのために収蔵庫から運び出された50分の1津軽丸とkeiichiさんの80分の1十和田丸、その向こうにE5系モックアップという新旧北海道連絡の並び。津軽丸を南館3階の常設展示場へ運ぶためにケースのガラスを外し、反射の無い状態で大撮影会。アイドル撮影会かといわんばかりのシャッター音。閉館前の作業だったので、皆さん奇異の目で見ておりました。

さて、今回は2日間にわたるイベントでしたが、講演内容はこれまでの船の科学館での内容とほぼ同じ。ですが、連絡船に乗るまでの雰囲気を再現という、これまでにない企画でした。

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まずは485系のヘッドマークを白鳥に替え、方向幕も作成。この辺りは事前に大神さんから聞いていたのですが、その電話の時に「隣があけぼのだから奥羽線に偏ってて・・・」「てっぱくだからゆうづるかはくつる辺りのヘッドマーク持ってないかな」と話してたらホントにゆうづるに・・・で、夕方に日本海に付け替え。撮影タイムということで、柵や表示類も全撤去。区名札もゆうづるの「青」から日本海の「秋」に替える、テールライト片目の入替灯モードに切り替えるなど学芸員さんもノリノリでした。

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日本海バージョン。2日目は日本海→ゆうづるへの付け替え。で・・・

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人通りを止めてくれたので、こんな4並びの撮影ができたのでした。

さて、イベントは白鳥への乗車から。このために車内放送設備を復活させたのでした。オルゴールも電子式ではなく、ゼンマイ式。しかもいい具合にピンが欠けてて音が抜けるリアルっぷり。車内放送に合わせて乗船名簿配布ですが、こちらは最終便戦友会の橋本氏が車掌のコスプレで。てっぱく所蔵の国鉄制服に身を包み、専務車掌となりますが、立ち姿、振る舞いなど、リアル車掌なのでばっちり様になってます。

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まずはドアで連絡船の船内発行乗船券を模した硬券を参加者に配布。通常閉鎖のモハ484へ。あっという間に満席で2日ともクハにもご案内。方向幕はわざわざ新たに作成し、4ヶ所とも白鳥になってます。

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車内の広告枠はこれまたてっぱくに残っていたものをカラーコピーで。

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車内放送は吉田さん。昼頃から何度も練習してましたが、8号車だけ放送というわけに行かず、一般客がいる9号車にも流れてました。1日目と2日目では微妙に原稿が違い、青森の接続時刻が連絡船末期のものから1972年の時刻表になってたり、青森駅の西口の案内が加わったりしてました。で、あまりにもリアルなので、若手の研修用にアンコールという学芸員さんのリクエストで29日夕方イベントではやらなかった大阪・新大阪発車後のアナウンスも加えたバージョンをやりました。発音、間、早さなど今とは違う昭和の香りを博物館のイベントで引き継いでいくために・・・ということだそうで、当時を知る我々や学芸員さんはいたく感激しておりました。

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車掌室でアナウンスをする吉田さん。室内灯は復旧できなかったとかで暗い中での原稿読みです。途中で学芸員さんが「録音ではありません、リアル放送です」と解説してました。

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乗船名簿を配る橋本氏。手前のビデオカメラと橋本氏の名札がなければまさにあの時代そのもの・・・

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今回のイベントのために新たに作成した乗船名簿。白い普通船室用もあり、そちらには「グリーン船室は淡緑色の名簿を・・・」の記載も。

特急接続優先乗船のマル特マーク付きってのがいいですねぇ。

で、その車内放送の研修用アンコール版に手持ちの485系の走行音と静止画を重ねて動画をつくってみました。

約10分の動画は →こちら← wmvで約66MB

その車内放送の後、下車し、緊締具実演。

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緊締具実演は解説が髙橋さん、実演が山本さんのコンビ。解説をしながらコキに緊締具をかけていきます。

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てっぱくの床には当然緊締具用のレールがないので、展示台の下半分をおもりで動かないようにして実演です。

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こんな感じになります。緑のコンテナがいい味出してます。

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交直流切替機器を見る階段の上から。参加されたお客さんにも何人か体験してもらいました。

この後南館に移動して講演会。まずは大神さんから連絡船の概要を。

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鉄道連絡船とはどういうものかという概説です。この画像は2日目。

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会場は大入り満員です。こちらは1日目の画像。今回は正面スクリーンに加えてTVモニター2台登場です。

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さて、1日目の講演、髙橋さんの甲板部のお仕事ということで、緊締具実演に続いて車両航送についての講演です。

船の科学館での第9回が髙橋さんの講演だったのですが、その日は自分が夜の飲み会にしか参加してなかった・・・

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続いて無線部のお仕事で大西さん。

こちらは2016年の船の科学館第8回講演会2017年の鉄道博物館の青函連絡船教室と概ね同じ内容です。

例によって大神さんとモールスの実演も。

以上が1日目の内容で、2日目は・・・

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渡邊さんの機関部の話です。一段と濃い・・・解説の図が詳細鮮明に・・・

内容は2015年の船の科学館での第7回の推進装置2018年の第12回電力供給システムの合わせ技。子どもが走り回るてっぱくとしては異質の超硬派の専門的な内容です。

続いては吉田さん。

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銅鑼を叩いて登場です。今回は銅鑼はこの場限りです。

内容は2018年の第13回とほぼ同じです。が・・・

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グリーン桟敷席の一人分の幅、測ってみると36センチ。ブルートレインの52センチより16センチせまいです・・・という内容がてっぱくならではのネタでした。

そして飾り毛布の実演大会。今回は上杉先生登場です。

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まずは吉田さん。続いて森本さんと共演で。

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異なるデザインの松竹梅で〆です。

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今回もおなじみkeiichiさんの十和田丸。さすがにバッテリーでは2日間もたないので、陸電仕様になってました。1日目は見通し灯持ってくるの忘れて、さらに桟橋の電気がつかない・・・画像は2日目。見通し灯つけて、桟橋の電気が復旧しています。抵抗半回し・・・ハンダごて作業の後に発覚・・・

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周りの紙ものは私のコレクション。2日目は切符も追加しましたが、写真撮るの忘れた・・・

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今回の白眉は籾山模型製の50分の1津軽丸。今回のイベントのために収蔵庫から引っ張り出してきました。

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これ、模型のブリッジ内部です。めっちゃ細かいです。iphoneで窓から撮るとこんな感じ。客室はライトがうまく回らなくて撮れませんでした。

昭和39年当時の価格150万円。当時の大卒初任給が1.5~2万円位なので現在の価格だと約10~15倍の1500~2000万円といったところでしょうか。

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撤収作業にあわせて常設展示の移設の為にケースのガラスを外した状態で。ガラスの反射がないのでキレイです。

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最初と逆のスタボード側の並び。この後移設作業です。

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ケースから本体を外して・・・本体とガラスはエレベーター、展示ケースはエスカレーター経由で3階へ。

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最終的にここに落ち着きました。ケース越しに北斗星や海峡、連絡船のポスターが見える位置というのは完全に狙っていたそうです。

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移設前に史料保存会のみんなで記念撮影。

講演会、開館前から準備して、閉館後に作業して・・・とそれはそれは楽しい2日間でした。

お会いした皆様、お世話になった皆様、特に鉄道博物館様、ありがとうございました。

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忙しくてへろへろで、この2日間体を空けることができたのが奇跡です。

次の講演会の予定の日、午前中胃カメラ・・・・

さて、明日、日帰りで沖縄行ってきます。モノレールに乗ってタイトル防衛しないと・・・

 

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2019年3月30日 (土)

第14回 青函連絡船講演会 その2

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というわけで、PART2。安田さん渾身の作、第九青函丸。
竣工からわずか2ヶ月のまぼろしの青函連絡船。その生涯をたどる・・・
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このネタ、戦時標準船って何?というのを分かってないと何のことやらさっぱり・・・で、そのベースにある国家総動員法とか軍令部とか海軍とか、その辺りの知識が多少なりともないと理解が苦しいかと・・・さらに優秀船舶建造助成施設とかそれで新田丸が特設空母沖鷹に改造されたとか先の大戦の後大洋航路の客船で残っていたのは病院船になっていた氷川丸だけだったとか、そういった戦時の客船、商船の知識も必要かと・・・思っちゃったりします。さて・・・
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今回の元となった資料の一部。著作権とか旧軍関係など様々な制約で資料が開示されない、されても公にできないものも。
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その中でも船務部長の吉澤氏の直筆原稿は現物が登場。大神さんと親しくしており、書かれた当時、大神さんが各所にコピーを配り、引用されまくっているとか。
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でもって、様々な記録に潜水艦による撃沈とか航空機による攻撃とか書かれています。これは戦時造船史。海軍艦政本部の技術少佐の著書です。
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こちらは鉄道友の会の英文表記。航空機による爆撃と書かれています。
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で、第十二青函丸までの貨車航走史。
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第三青函丸と第四青函丸は戦前の設計・・・
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すでに日中戦争が始まっていたので、連絡船の現状は省外極秘となっています。
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翔鳳丸型4隻、第一青函丸~第三青函丸まで就航しています。第四青函丸はというと・・・
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海軍大臣へ建造が移管されても、そのまま続工として建造が続けられました。まぁ、ありとあらゆる船を徴用して特設空母などに改装してた海軍といえども、北海道から石炭などの物資輸送をする青函連絡船だけは国策の生命線ということで特別扱いでした。
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で、浦賀ドックで第四青函丸の建造にかかわった方のエピソードも交えて・・・って、95歳とは・・・生きている方がいるうちに証言を残しておかないと・・・という限界に来ているのでしょうねぇ・・・
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政府は戦争遂行にあたってどのくらい船舶が必要か、損耗率はどのくらいかという試算をして、いける、と判断したんでしょうが、山本五十六をして半年や1年は暴れてみせましょうという言葉の通り、あれよあれよという間に船を失い、対する米国の生産力は貧弱な日本の生産力への皮肉を込めて、隔月刊正規空母エセックス級、月刊軽空母インディペンデンス級、週刊護衛空母カサブランカ級、日刊駆逐艦フレッチャー級、三時刊輸送船リバティ等、新聞やら週刊誌の発売のペースで次々と投入され、戦力の差は開くばかり・・・
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その結果、想定の4倍もの船舶を失い、世界第3位だった日の丸商船隊は壊滅、まともな外航客船で残ったのは氷川丸と関釜連絡船の興安丸だけという・・・
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そんな状況だったので、とにかく数が欲しい。動けばよいということで、戦時標準船という設計・製造が始まります。
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その根拠。とにかく船の数が欲しいわけで・・・損失は政府が補償。つまりは税金。
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時代の空気が伝わってきますね。船はすべて海軍大臣の所管、国家総動員態勢です。
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寿命が短くて良いからとにかく大量に船を作れという・・・
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でもって、タンカーで多少油漏れてもかまわない、とにかく南方の石油を持ってこられればよいとはいえ、そこまでですか?という性能の切り詰めを忍ばなくてはならないほど追い詰められていたわけで・・・ついに連絡船も戦時標準型になるわけで、その最初が第五青函丸。
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ですが、第二次戦時標準船の性能はといえば余りにお粗末。戦時中の各種困難さを鑑みてもそりゃないでしょう?って性能要求です。
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で、そんな中で就航した第五青函丸。さすがに青函連絡船の重要さは軍もよく分かっていて、戦時標準型とはいえ、それなりの性能でした。
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さすがに士官室も大部屋、船員食堂不要で弁当持って乗船というのはあんまりだということで撤回になりましたが・・・
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こんな感じで量産体制を作っていったわけですねぇ・・・
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原則として法に準拠・・・つまりは動ける船なら法には目をつぶるという法治国家としてはありえないことを軍が求めてるという・・・
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それで、第九青函丸の設計はさらに簡略化されていくわけです。
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それでも第九青函丸はできがよかったそうで・・・
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その特徴。髙橋氏のイラスト。
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第九青函丸は戦争末期、敗色が濃くなった時代の船。
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で、対潜対空兵器も積んでいました。
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さて、回航の顛末になります。
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連絡船の船員は軍属扱なので、万一の時は戦死になるわけです。
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横須賀鎮守府の海上護衛の諸方策の中に青函連絡船の回航護衛が載っています。軍事物資の輸送に欠かせない船故に軍としても方策を立てていたのでしょう。
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この記録には第三青函丸とありますが、時期的に???で、違う船ではないかと・・・
連絡船から海軍に護衛手配を頼み、鎮守府で船長から事情聴取したところ、青函航路のみで外洋航海経験が乏し、技量が低い、編隊航行や対潜警戒の知識が無いという判断で、護衛をつけることになったわけです。
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それで、回航に当たって海軍武官府との会議はこんな内容・・・まぁ、当時は船員は軍馬軍犬軍鳩以下の扱いでしたからねぇ・・・
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さて、その回航ですが、横浜集合でいきなり係留していた機帆船にぶつけ・・・
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海防艦四阪に護衛されて出航。画像は護衛作戦の命令書。
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その内容。
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内容その2
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その3
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航路選定の理由。通常選ばない航路を潜水艦対策のために海軍の命令で航行することに。
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護衛にあたった海防艦四阪。ただし、乗員は促成栽培のため技量が低かったとか。
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それで、横浜出航後、今度は漁船と衝突して沈没させてしまいます。舵が効かない・・・蒸気配管元弁を間違えて閉めるというヒューマンエラー。
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が、救命活動をしている中、出航せよの命令が。その後・・・
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暗礁に乗り上げてしまいます。
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被害の確認をし・・・
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その程度が判明し、ようやく船長は暗礁乗揚げを認めたわけです。
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で、投錨。
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そんな中、警戒隊員は爆雷の信管を抜きに行きます。
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投錨地点。
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そして遭難通信。
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海軍暗号書。これを元に通信をするわけですが・・・
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文言が5ケタの数字に対応しています。
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さらに乱数表と組み合わせてとなるわけで、無線を打電する前の作業と複号の作業が大変なわけです。対米宣戦布告が遅れた理由の一つがこれ。
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で、暗号電文の例。
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四阪の船名符号が不明のため、こんな表示に。
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暗号文と復号文。しかし、四阪からは返答がありません。仕方ないので・・・
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鎮守府宛に打電。このあたり、四阪がスルーしたのか、電波管制で軍令部とか上層部の許可なしに打電できなかったのかわかりません。後で安田さんが連絡船側の視点、軍批判の視点だけでは語れないというようなことを言ってました。
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で、鎮守府に打電後、四阪から入電。
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その様子を再現する大神さんと大西さん。大西さんの画像うまく撮れなかった。
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救命艇で遭難連絡を命令。
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電報の有無を確認。
さて、海軍側の船団護衛任務のしかたはこんな感じ。
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海防艦1隻だけでの救助は危険である。夜間は浮上して砲撃してくる・・・という攻撃を受けた場合の戦訓あるわけで、コレにあるとおり二次的考慮となると四阪が応答しなかったという行動の裏付けになってくるわけです。
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で、警備隊長から打電命令を受けた横浜警備隊経由でも応答なし。
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結局総員退船、横須賀鎮守府に打電で、ようやく四阪から反応があったという次第。
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SOSを打電し、沈没。実際に大西さんがSOS打電実演してました。
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そのSOSを受信したのは函館。
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座礁から沈没までの動き。
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その汽笛を聴き、救助を行った勝浦の漁船。川津の喜平丸は船名を受け継いで現存しており、当時の様子を聴き取ることができたそうです。最初、勝浦の教育委員会に問い合わせたところ、???で、その後調べていくうちに歴史を掘り起こすことになっていったそうです。
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画面の切り替わりの画像で見づらくてすみません・・・
遭難慰霊碑を改めて建立するなりして歴史を残すことができれば・・・ですね。
この段階で時間をかなりオーバー。大神さんがその場で後何分のフリップを作って出してました・・・終わりの時間とか寒いこともあってこの辺りから撤収作業が始まり、自分も手伝っていたので後の画像が・・・
とにかく、一体何枚あるんだというくらい膨大なスライド枚数のパワーポイントで、これでもかなり絞った方ですが、エントリーにえらく時間がかかってしまいました。
その後、盛大な宴会に。
お会いした皆様、ありがとうございました。
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春休み、校舎移転の引越でへろへろです・・・今日もこれから出勤です。夕張行きたかったなぁ・・・

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2019年3月24日 (日)

第14回 青函連絡船講演会

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というわけで、土曜日に第14回青函連絡船講演会が行われました。トップ画像は第8青函丸の一般配置図。他にも第3青函丸、第4青函丸もあって、よくもまぁ戦標船の図面が残っていたもんだと・・・
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天気がよろしくなかったので、そんなに人来ないかなぁ・・・と思ったらざっくり70~80人は集まったでしょうか、イスが足りなくてかき集めてました。
さて・・・まずは吉田さんの出航の銅鑼から。
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で、今回はいつもと順番を入れ替えて四方海話から。体調不良の西沢キャプテンの代務は髙橋さん。今回のお題は・・・
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というわけで、エピソードを交えて次々と。栄光の航跡などの書籍で読んだことのあるエピソードも。
かいつまんで画像の羅列で。
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とまぁ、こんな感じでの紹介でした。
続いては飾り毛布実演。今回は上杉先生がいらっしゃらないので、吉田さんと森本さんの二人で実演です・・・が、折ってると二人とも無口になって、折っている音しか聞こえない(笑)
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今回のお題は「折り重ねる」毛布を折り重ねることで折り方が複雑になって・・・という実演です。
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と、折り方がどんどん複雑になっていきます。
この後休憩を挟んでメインの安田さんの第9青函丸ですが・・・あまりにも巨大なエントリーになりそうなので分割です。
niftyのblogのリニューアルでとんでもなく使いにくくなりまして、エントリーを試行錯誤してます。これで改善って何考えてんだか・・・画像のアップとかサイズ指定できないし、勝手に横100pixのサムネイルにしかならないし、サムネイルにしなければ画像見切れるし・・・結局htmlタグを叩くしか対応ができないってblogの意味ないじゃん・・・富士通日商岩井からノジマに身売りしてからグダグダすぎる・・・

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2019年3月13日 (水)

31回目の3月13日

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3月13日、連絡船終航の日から31年が過ぎました。先日、部屋の片付けをしていたらこんなものが出てきました。フィルムは36枚撮りを使っていて、コスパ考えて24枚撮りのフィルムは買わないので、おそらくは現地で見かけて買ったんだと思います。にしても・・・今までコレがあったことを自分で把握してなかったって・・・まだ探せば何かありそうです・・・

 

フィルムケースのイラストというか、これ、絵柄から萩原幹生船長の切り絵ではないかと思うんですが、どこにもキャプションがないんですよね。ググってもイラストもフィルムケース画像も出てこないし・・・

 

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ちょっと角度を変えて。これ、もしかして外箱は各船のバージョン違いがあったのでしょうか?うーん、あればコンプリート・・・するには当時のちょっとお財布にやさしくなさ過ぎたんだろうとは思いますが・・・

 

これ、スーパーのビニール袋にいろんなものとごっちゃにして入れてあったんで・・・オリエント急行の乗車記念のボールペンとか、スーパービュー踊り子号の運転開始記念キーホルダーとか、北斗星トマムスキー号の乗車記念キーホルダーとか東北上越新幹線東京駅開業記念オレンジカードのケースとか。なぜカード本体がない?、JR北海道のリゾートエクスプレスのネクタイピン5種セットとか、昭和64年の1円玉、5円玉、10円玉・・・自分でもちょっとびっくりでした。


それにしても時が過ぎるのはあっという間です。連絡線は昭和の実質最後の年に終焉を迎え、そして平成の次の時代になろうとしてもまだ自分の中で息づいている・・・まさに歴史そのものなんだなぁ、と思います。

 

3月13日17時 羊蹄丸出航時刻にタイマーアップです。

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2019年2月20日 (水)

【予告】第14回青函連絡船講演会のお知らせ

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大神さんから連絡が来ました。第14回連絡船講演会。前回の予告通り第九青函丸です。

これは楽しみですねぇ・・・3月23日・・・卒業式翌日です。疲労困憊爆裂状態で出撃です(苦笑)

で、ゆりかもめの駅名が変わってるのに気がつかれましたでしょうか?3月16日から駅名変更です。「とうきょうこくさいくるーずたーみなる」18文字。漢字で13文字「ちょうじゃがはましおさいはまなすこうえんまえ」ひらがな22文字漢字13文字、「みなみあそみずのうまれるさとはくすいこうげん」平仮名22文字漢字14文字には及びませんが、「やながわきぼうのもりこうえんまえ」平仮名16文字漢字9文字より長いです。何を考えてるんだか・・・こう言っちゃ何ですが、国際クルーズに乗るような人、普通に考えてゆりかもめ利用しないだろ?って。

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2018年11月 4日 (日)

第13回青函連絡船講演会

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11月3日に第13回青函連絡船講演会が開催されました。画像は参加者全員へのおみやげの硬券です。当時の連絡船の船内発行の乗車券を模したもので、地紋もJNRです。休憩時間に各自でダッチングマシーンで日付を入れて持ち帰るという形になってまして、乗車券箱もそれらしいものをシャッター付きの引き出し付ケースを改造して作っていました。切符を入れるフォルダは本物ですが、大神さん、凝ってますねぇ・・・アシスタントは大神さんの奥さんでした。

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ダッチングマシーンは2台用意されていて、1台は63.-3.13.の日付、もう1台は18.11.-3.の設定でした。年の30が設定できないので、西暦の下2ケタの18で・・・とのことでしたが、11/3付の方は紙の厚さにダッチングマシーンが負けてまっすぐ印字できないのでお蔵入りに・・・ですが、本職のH氏が通すとキレイな印字が・・・それにしてもこの硬券、作るの結構高いんですけどねぇ・・・

さて、本題。今回は吉田さん大活躍の回です。

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これまで運行サイドでしたが、初の営業サイド。旅客としてたくさんお世話になった事務部の話です。ブリッジ見学も車両甲板見学もまずは案内所、船内での乗車券発行も、船舶電話も・・・何かあったら案内所、その中のお話です。

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まずは出航の銅鑼をならして吉田さん登場です。

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今日の講演の内容です。

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まずは事務部の職制から。一般の客船では連絡船で言うところの事務部に含まれるレストラン・ホテル部門の乗員がおおいのですが、連絡船は弘済会がおこなっていたので国鉄・JRの事務部とは別枠です。とはいえ旅客と直接接するサービス部門だけに接客業としてスマートであれ・・・

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津軽丸の船内放送設備。学校の放送室の調整卓とよく似ています。右上に並ぶスイッチでどこに放送を入れるか選択します。

今回、準備中や始まる前に当時の連絡船の船内でかかっていたBGMを流していました。津軽丸型は8トラックテープ、石狩丸・檜山丸はカセットテープと設置の時代を感じます。前に大神さんから曲のデータが送られてきて、「この曲何?」と聞かれたことがあります。テープ本体には曲リストが書いてないので、spoonさんと協力して調べ、曲目は分かったものの誰の演奏?みたいなものや、曲の途中から使ってるとかいろいろありまして、未だに曲目がわからないものも・・・北海道放送がテープをつくったと聞いていますが、40年以上前の話になりますからもう真相は藪の中です。とはいえ、多くの曲が今はYOUTUBEで聴くことができます。

船内放送とは直接関係ないのですが、今回「青函連絡船の歌」という曲があることを初めて知りました。作詞が横川勲、作曲が永塚裕ということで、渡邊機関長によると作詞の横川氏は機関長だったそうです。1963年に青函局でつくり、青函局のブラスバンド部の演奏でレコートに録音したもので、 軍歌調の曲です。歌詞は青函局の壁に貼ってあったとか。これ、楽譜入手できたらMIDIで再現してボカロに歌わせようかと・・・後の飲み会で宣言しておきました。

で、話を本題に戻して・・・

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船内放送といえば出航・到着時の案内ですが、何と言っても接続列車の案内放送は旅情を誘うものでした。吉田さんは18便が一番のお気に入りだったそうで、その青森到着時の接続列車案内放送を生演で再現してました。ダイヤを見ての通り、接続の夜行列車が綺羅星のごとく立て続けに発車する時間帯、懐かしい響きでした。

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食堂のメニュー。カレーライスが100円の頃のもの。で・・・

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これ、気になります。特に十和田丸のソーラン定食。他のはイメージできますが、これだけは料理の中身が何だったのか・・・ソーランだけにニシンなのか、北海道名物詰め合わせなのか・・・気になります。

続いて旅客定員の話。

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イス席も桟敷席も「普通船室」ですが、桟敷席の定員って・・・?ということで、まずは普通船室。

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記憶の限り、ここに定員通りの座り方なんて見たことありません。座って半畳寝て1畳とは言いますが、まさに座って半畳+αのスペースだそうで。ちなみにグリーンは・・・

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ちょっと普通席より広い&絨毯の毛足が長くてふかふか・・・なので自由席グリーン料金分のお得感はあるはず・・・

で、一人分のスペースを徹夜で作ってきたそうで・・・アシスタントは森本さん

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座って半畳+αのスペースですが、桟敷席は寝転がって爆睡・・・できないので、面積を変えずに横になれるスペースとすると・・・

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こうなります。これ、どうやって寝転ぶのか・・・?仰向けにはなれないですよねぇ・・・

で、グリーン席だと・・・

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ちょっと広くなります。これを横になれるように面積買えずに変形させると・・・

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こうなります。昔の52センチ幅のB寝台くらいはあるでしょうか。

タイトルにあった「ウケた!座布団1枚!」というのは旅客を「受けた」スペースが「座布団1枚」分という意味だそうで。青函のラッシュ0時4時は当時連絡船で渡道したことがある方なら説明不要ですよね・・・連絡船夜行便接続・・・

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続いて遅延等の取り扱い編。遅れたときは基準があって乗客に炊き出しを行うのですが、そのメニューはおにぎり。おにぎりにも種類があってどれを出すかはそのときの船長の判断だとか。で、実際の炊き出しの画像がコレ。事務部弘済会総出での作業です。

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到着列車の遅れの対応は次の便に乗ってもらう・・・これは24時間動いてる連絡船なので貨物便でも事務部は乗船していて対応可能。・・・貨物便で旅客がいない時は事務部は何してるの?・・・うーん・・・他の便から「寝るなぁ」と言われたことが(笑)寝てませんけど・・・で察しましょう。検査の時などは掃除点検などをしてるそうです。

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で、その振り替えた便が青森に着くと深夜で接続列車がない時は・・・

画像だと定時の6Mを運休して時刻を後ろへずらし、特発の9006Mとして接続。30分いないは管理局で判断、それ以上は国鉄本社の判断を仰いだそうです。

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接客マニアル(マニュアルではありません。冊子の表紙にマニアルと・・・時代を感じます。)威張る人・・・十分に威張らせる・・・その後どうすんの?酔っ払っている人・・・ユーモアを交えてあまりくどく関わらない・・・ユーモアで火に油という気が・・・接客態度とかクレーマー対応とか・・・当たり前と言えば当たり前ですが、うーん・・・いろんな汗がでる・・・冷や汗脂汗、文字通りの汗・・・ですねぇ。

これ、ください、とアンケートにあったので、大神さんが早速メールしてました・・・下手なマナー集より「あの青函連絡船の・・・」という箔がつく・・・のかなぁ(笑)

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そして営業・出札業務。乗車券類の様式は国鉄の規定にあって、連絡船関係のものが削除されて消えてしまったのが幻の16条・・・ですが、実際に船内で発券した乗車券の例がコレ。3月13日の上り便十和田丸って最終22便の前の20便では?さすがに即答できずに「しばらくお待ちください」にして発券したそうです。

で、コレを今発券するとどうなるか・・・

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新幹線で3セクになった会社が多くなり連絡運輸の数が多すぎて発売不能だそうで・・・これ、実際にマルスに入れて試したそうで「要求誤り」と出たそうです・・・

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3月13日ならではの切符。青森-青森の片道切符。海峡線-連絡船ルートだと3月13日しか使えない切符です。自分も作り、その切符で22便に乗りました。9月18日は函館-函館の片道切符を作っています。

片道切符の経路を図で表すと数字の0か6の形になるので「片道乗車券は0か6」となるわけです。ルート上の駅を2度通過してルートか重なることになると一旦打ち切って連続乗車券・・・その昔に作りましたっけ・・・下つい電鉄に行ってからトワイライトに乗るために・・・別に買ってもよいのですが、学割証1枚で2区間の乗車券が買えるので・・・東京都区内-(東海道・山陽・宇野)-児島・児島-(宇野・山陽・東海道・湖西・北陸・信越・羽越・奥羽・津軽・海峡・江差・函館・室蘭・千歳・函館)-札幌市内、帰りは飛行機・・・これで鉄路で帰るなら連続3券片目の札幌市内-東京都区内を作ることになって、学割1枚で3枚の切符を2割引にできるという・・・

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最後に客室・営業の年表を見ながらエポックメイキングなところを紹介して1時間の講演が終わりました。

お土産硬券ダッチングマシーン大会の休憩を挟んで・・・

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毎度おなじみ西沢キャプテンの四方海話ですが・・・今回は安田さんが代務を勤めます。西沢キャプテン、体調がよろしくないご様子。今回のお題は・・・

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操船号令です。取舵、面舵などのお話。

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お題はこんな感じです。

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まずはタイタニックが沈むまでのあらまし・・・。世界最大の客船や連絡船と比べた画像ですが・・・世界最大の客船はこれはもう船じゃなくって動くビルかマンションかという感じで美しさが感じられないです・・・内装は豪華でサービスもすごいんでしょうけど・・・タイタニックや連絡船がいかにスマートで美しいか改めて思いますねぇ・・・・

でまぁ、タイタニックの沈没の話がメインではないのですが、映画や小説などで氷山にぶつかる前の操船オーダーの言葉が本題の入口です。

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舵の構造の歴史に由来する言葉の表現で、そのメカニックを理解していないと「おも舵一杯にしてとり舵一杯をとろうとした」というのが意味不明になってしまいます。今の常識では「面舵」は船を右に向けること、「取舵」は船を左に向けることですから、何のことやらになってしまいます。

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英語では左舷側がポート、右舷側がスターボードで、これは連絡船でも使われてました。で、昔の船の舵の構造だと舵の棒を右に押すと船は左に曲がり、左に押すと右に曲がる・・・ことから、舵の棒をどっちに動かすかという構造と操船命令が大型船の舵輪になってもそのまま使われていたわけで・・・つまり、右(面舵)に行きたければ操舵輪を左(取舵)に回せというオーダーがタイタニックの操船命令の内容になるわけで・・・という頭がこんがらがってしまいそうな話です。で、機械的に行きたい方に舵輪を回せばそのように舵が動く構造で船を作って操船号令をスッキリさせたということです。

・・・じいさまの家の漁船は舵を棒で動かすので、面舵するには取舵を、といった昔のままです。まぁ、漁船なんで普通にちょい右とか左とか、面舵、取舵とか言うときは行き先、舵右って時は文字通り舵棒を右にって感じですねぇ・・・ガキの頃漁の手伝いして鯛の網や蛸壺上げたりするのにブイのところへ寄せる操船やらされてたんで・・・

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で、タイタニックネタだとこれも出てきます。CQDとSOS。その由来。

興味深かったのが和船の方位磁針と舵の話。

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「かじ」の文字が「舵」「楫」「柁」の3種類あり、用法を見ると、それぞれ意味が違い、「柁」は舵柄にかかわること、「舵」は船の進む方向にかかわること、「楫」は機械的な構造に関わることで使い分けられているのではないかと思います。文字の用法は講演内容ではなくって、私自身の見立てです。

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面舵は卯の方向へ行きたいから「卯面舵」、取舵は酉の方向へ行きたいから「酉舵」が語源で、先の操作方向と進行方向が逆転する柁棒の構造からこんなものが作られていた・・・和船の先人の知恵ですねぇ・・・

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逆針で見てオーダーすれば操作と進行方向が一致するという・・・

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これを江戸時代には確立していたわけですから・・・

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昭和4年の1929年のSOLAS条約よりもはるか前の江戸時代に和船は方向号令で動いていたわけですよねぇ・・・面白いです。

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で、現在の英語のオーダー。連絡船でこのオーダーをこなしていくのがクオーターマスターなわけで・・・

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その由来と連絡船での職務。筆頭に操舵と見張りとあります。その号令と復唱は実演モードでした。

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連絡船の入港を船長号令-復唱-操作完了-復唱、sir!という一連の動きをよどみなく披露してました。が、西沢キャプテン代務の安田さんがキャプテン役なので即席ブリッジ練習なしで大丈夫か?と準備の時に笑ってました。

続いて再び吉田さん登場。おなじみの飾り毛布です。

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今回は大先輩の残した作品をいかに再現するかということで、森本さんとの共演です。MCは上杉先生です。

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上杉先生がいつものように説明をして、お二人はもくもくと毛布を折っていきます。

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先人の作品の画像と比べてみて・・・「初日の出」

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帆がキレイに立つか・・・湿度や温度も影響する「帆掛け船」

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そしておなじみ、おめでたい「松竹梅」それぞれの部品はきれいに折れても全体の組み合わせバランスがなかなか難しいそうで・・・

今回、その先人の作品集アルバムが紹介されました。

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その前書きがこれです。津軽丸型になって飾り毛布を取りやめても将来に伝えていくために・・・と作られたものです。

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アルバムの中には作品や紹介された新聞記事などが貼られています。左上は函館駅の中に飾られた正月飾り。駅のスタンプ台の横にこれほどのものを作れた古き良き時代を感じます。右ページの新聞記事には「芸術品」。

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各ページにはこのように作品の写真が貼られています。

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画像が暗くて読みづらいですが、アルバムの後書きページです。おそらくはこれ1冊しかない貴重な資料です。

さて、これで終わりかと思いきや、次回予告。

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それ、いきますか?

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いやぁ、煽り文句ばっちりですね。で、シンボルマークの高橋さん作成のこれ

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イラスト精密です。塗色は当時の海軍の迷彩色で、塗り分けは資料を基に再現だそうです。それにしても講演会前日の作成って・・・これは楽しみですねぇ・・・

で、今回の展示は・・・

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おなじみのkeiichiさんの十和田丸・・・ですが、今回、船内放送が流れるようにバージョンアップしてました。が、ラジコンのチャンネルが足りないのでスマホからbluetooth通信で送るという・・・スピーカーがしょぼいので音質がなぁ・・・と言ってました。

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展示ケース。奥のプレート類、冊子類や帳簿類は吉田さんコレクション。左手前寝台室整理簿とグリーン席の整理簿は津軽丸最終日のものだとか。右上の発券集計台帳の急行券や特急券の値段が懐かしいです。

手前側乗車券類と自動車航送申込書、サロンとグリル伝票と箸袋は私のコレクションから。事務部なのでそれに関わりそうなものを持って行った中からセレクトしてみました。それにしても案内所のカウンターに置いてあった電報・電話受付の△のやつ、よくそのまま残ってたなぁ・・・と言ったら「ウチにもあるよ」と涼しい顔で大神さんが・・・どんだけコレクションしてるんだろうなぁ・・・

その後、例によって盛大な宴会となりました。お会いした皆様、ありがとうございました。

画像大量のエントリーです。半分くらいまで作ったらIEがエラー起こしてパーになって最初から作り直し・・・

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・・・久々の更新です。PCで自分のブログの管理ページ見るのも久しぶりだったので、お返事期限過ぎてしまったコメントありました。すみません。内容が内容だけに非公開モードのままにしておきます。

 さて、風呂屋に行ってこよう。

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2018年10月 6日 (土)

第13回青函連絡船講演会のお知らせ

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というわけでお知らせが来ました。今回は事務部ということで、いつもは飾り毛布の実演をされている吉田さんが本務の事務部のお話をされます。船内発行の切符や船舶電報や電話など、乗船口脇のカウンターには幾度となくお世話になってますが、裏側の話も・・・ということです。飲み会で出てくるあんなネタやこんなネタも出てくるのかな?と(笑)

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9月から10月にかけての3連休ラッシュも一段落。とはいえ、ちゃんと自宅でまったり3連休できそうなのは今回だけ。

学芸会の音源作成もほとんど終了。授業やりくりして練習に参加して手直しと自分の練習。効果音を大太鼓とシンバルで鳴らして台詞3個でCD操作は何とかなりますけど、CD操作して台詞2個でピアノ伴奏は深呼吸して音出す準備もままならないのでミスタッチの嵐・・・ただでさえ手が小さくて楽譜の通りに弾くのが苦手でコード進行とアドリブでごまかしてる上に、そもそも上手くないのでマジで調整卓とピアノ間の移動も含めた練習するか放送用の調整卓をピアノ脇に持ってくるか・・・何か対策を考えないと・・・マジヤバイです。台本読んだだけではわからない、練習に混じって初めてわかる事なんで・・・劇に歌は付き物ですし、学年で体育館で歌うとなればそれに合わせた指導をそれなりに入れないといけないから、実質音楽の授業やってるようなものなんで。

とりあえずこの3連休は風呂屋で黒湯に沈没して寝ます。学芸会の次の週は地域イベントで吹奏楽部の演奏・・・

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2018年9月18日 (火)

30年目の9月18日

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9月18日。連絡船の最後の最後から30年が経ちました。タイマーアップの準備ができず、今頃作業してます。20年目の再会イベントからでも10年ですから、もう歴史の彼方のように感じますし、でも昨日のことのように鮮明に思い出が蘇ります。

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船尾側のシンボルマーク。これはまだ喧噪に包まれる前、6月の復活運行開始直後の撮影。あまりに客が少なくて後部座席を閉鎖していました。

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9月18日4便出航時の函館桟橋。この時はプロムナードデッキに場所を確保できました。3月13日の教訓をもとにグリーン剣を10時打ちしてきっちり確保しての乗船でした。これで本当に最後・・・何とも言えない感覚でした。

さて、この時に使った切符。教育実習の真っ最中、まだ土曜日に学校が普通にあった頃ですから、土曜日の夜行で青森入り、1便→4便でくつろぎカードで限界の時間までいて夜行で帰京、月曜朝そのまま教育実習へという荒技。その後数年間、「教育実習中にこういう大馬鹿者がいた、決してまねしないように」という話がオリエンテーションでされていたとか。

まずはこれ。函館往復割引切符。復活運行の連絡船には普通乗車券・周遊券・18切符以外のトクトク切符は使えないということになっていましたが、この切符は青函博のためのようなの切符で、例外的に連絡船に乗ることができました。裏面の注意書きに書いていないのですが、当時駅にそんなポスターが貼ってあったと記憶しています。

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発行が日旅の渋谷支店となっていますが、これ、大学生協の提携先。金無かったので、大学生協の分割払いカードで買ったのでした。この年はバイトしてもバイトしても乗り鉄と連絡船詣でで出て行く方が多い&教育実習で1ヶ月バイトができないという金欠だったのです・・・

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行きがこれ。583の下段。下段撮れなかったら2・4・7号車のパン下中段の席番指定をかけておいたのですが、無事下段ゲット。で、

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帰りがコレ。これも583系。同じ日旅渋谷なのに何で券種が違うんだろうと思います。

9月18日、1便で函館に着いてから発券したのがコレ。ハコサンバシの文字が何とも・・・何の切符から乗変したんだかは記憶がありませんが、この頃はたいてい乗変元になるような未来の切符を持ってたので・・・

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3月に青森-青森の一周切符を作っておいたので、今度は函館-函館の一周切符を。で、1便で函館に着いてからの発券だったので、鉄路-連絡船の順では物理的に乗れないでしょ?ということで連絡船-鉄路の乗車順の発券となりました。軽油にしっかりと「青函」と入っています。

1便と4便は何度も出してるので省略・・・それにしても青い寝台特急も583系もこのタイプの指定券もみんな歴史の向こうへ走り去ってしまいました。国鉄や昭和の残り香ももうわずかしかありませんが、その中を生きてきた、歴史のページがめくられる瞬間の場所に立っていた・・・人生の中に大きなものを残しています。定年まで1桁年数、その先の終焉も見えてくる年になりました。いつかこういう記録や残されたものは歴史の中に飲み込まれていくのでしょうけど、こうやって書き残していくことで、確かに自分が生きていた、そこにいた証を残したい・・・と最近思うようになりました。

さて、たまっている仕事にとりかかります。

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2018年3月18日 (日)

第12回 青函連絡船講演会 終航30周年記念

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第12回青函連絡船講演会。今回は青函連絡船終航30周年企画でした。事前にNHK等で放送されたこともあり、東奥日報の記事では80名、ピーク時には100名を超える来場者でイスが足りない状況でした。

今回はオープニング+4部構成でした。まずは恒例の吉田さんの銅鑼です。13:30出航ですので、13:27頃に盛大にならしました。

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そして・・・「レッコーショアライン!」と同時にあの日の音と映像が。

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昭和63年3月13日17時。22便羊蹄丸、函館出航。乱舞する紙テープ、ほたるの光の大合唱・・・

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金色の夕日の中を船体を左に傾けて最後の航海へ・・・というオープニングでした。出航は各種ブザーや電鈴は現物を使って生演で、それに合わせて映像と音は別編集でDVDデッキとCDを同時操作でその場でミックスするという練習一回の超アナログな一発技でした。

さて、講演会本編です。まずは恒例の西沢キャプテンのお話。お題は「船長表札」

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今回はかなりコアなネタです。いつの頃からか連絡船には船長の表札が掲げてあったそうで、いつ頃からは調べても分からない・・・津軽丸型からだと思うが、通達や規定に全く記録がないので発祥は不明だそうで・・・一説によると飛行機の機長挨拶のような船長挨拶をしようにも挨拶できるのは出航して灯台交わした30分後くらい。深夜便だとお客さん寝てるからできないのでその代わりに・・・とか。

で、船長表札にまつわるエピソード。名札をみて訪ねてきた同級生とかお客さんとかいろいろなネタが。休暇で家族で乗ったのに船長表札が自分のままになってた・・・掛け替えるの忘れられてた・・・とか。

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表札は案内所の奥にぶら下げてあり、連絡船は1船に3組の乗組員チームなので、交代すると名札を掛け替えるため、船内に置いてあったそうで、代務で他の船に乗るときは名札を持って行って、お願いします、と渡していたとか。

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船長にも甲乙丙のランクがあって、青函連絡船は乙種でよいのですが、甲種免許を持つ人が多かったそうで、甲種船長と肩書きを付けていました。が、昭和58年に規定が変わって甲乙丙の種別でなくなった後も表札をそのまま使っていたら、お客さんからツッコまれてそれ以降、肩書きを船長としていたとのこと。

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新旧資格対照表ですが、○級海技士より船長、航海士の方がわかりやすいですよねぇ・・・

続いては渡邊機関長による船内電力の話です。

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機関長は制服がもう残っていないので・・・と言いながら濃い専門的な技術的な話です。直流・交流・3相交流の違いから発電機の原理といった基本的な話の後で、連絡船の発電機の話や操作法と続きます。

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さらに各種装置の話はそれがどう繋がっているか、どのような働きをしているかなど立て続けに図面を見せながらの解説です。

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複数の発電機を並列につないで使っている連絡船なので、それをどう起動していくかという手順です。手順2の揃速の機能は津軽丸には付いていなかったとか。スイッチを右回りに回して手順を進めていくことになります。

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でもって、こんなトラブルがあったというエピソードを披露して終わりとなりました。

休憩を挟んで第3部、飾り毛布実演の部

今回は上杉先生と吉田さんと森本さんの3人で。

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特に「鉄道連絡船の飾り毛布110年」というタイトルで、上杉先生が論文の中で鉄道博物館や日本郵船歴史博物館所蔵の写真を許可をいただいて使用したものの中から特に鉄道連絡船のものをピックアップし、それを実演で再現するという形でした。

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まずは初代青函連絡船比羅夫丸の特別室の写真に残る飾り毛布から。映像と実物を見比べて・・・

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稚泊連絡船亜庭丸の飾り毛布。

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画像は下段寝台のアップですが、何をイメージしているのかはよくわからないそうで、名前考えてください、と言っていました。折り方もこれで本当に合っているかどうか微妙ですが、これを折っていた人たちはもう生きていないので、直接聞くこともできないので研究します、とも。

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連絡船伝統の飾り毛布、「大輪」

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締めは松竹梅でおめでたく。

第4部は乗組員の皆さんが一人ずつ30年前の3月13日の思い出を語り、その後、最終22便乗客の私ら5人が当時のエピソードを語るというトークになりました。顔出しは・・・なし、と言いたいのですが、東奥日報さんのWEBに5人並んでる姿が・・・

事前に大神さんから何かしゃべれとかパネルディスカッションかパネルトークかという話があり、最終便戦友会にも伝えといて、できれば例の段ボールハウスを再現して欲しいなぁ(笑)というリクエストもついていました。で、会員番号(乗船名簿番号)1番のN氏に話したら、「段ボールハウスの再現だけはいやだ!」と断固として断られてしまったのですが、「この企画、あんた来ないとあかんでしょ!」「また○ちゃんねるで1番が・・・とか粘着されるからイヤだ」とかそれはまぁいろいろ葛藤の上、5人が前に立つことに。段取りが全然読めない上、最初は一人5分位しゃべって、あとは任せるから、と大神さんに振られたのですが、フリートークをする時間もなくなってたので、一人ずつしゃべって終わりとなりました。

実際出たとこ勝負でどうするか考えてなかったらしく、最終便組、どうする、何しゃべればいいんだ?とか困惑してましたが、いざマイクを持てば飲み屋で思い出話を語る勢いで出るわ出るわお互いにツッコミしながらトークが進み、客席からも笑いが。失笑とも言うかな?と思いましたが、30年経っても色あせない当時のリアルエピソードは今となっては青春の思い出そのものですね。何せ、図書室にある「昭和の写真集」みたいな図鑑に自分たちが写ってるわけですから。歴史のページの立会人・・・

さて、今回の展示品。まずは持ってくる度にグレードアップするkeiichiさんの十和田丸+青森桟橋

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えぇっと、前回は桟橋には電気がなかったような・・・右手前のパネルは摩周丸の中の模型のほとんどを手がけた方の奥さんが持参されたもの。奥は羊蹄丸A組作成の横断幕。

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うーん、これはすごすぎ。雰囲気ありすぎです。

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「今、栄光の航跡をきざんでいます」の横断幕、「行ってらっしゃい」とか他のバリエーションも用意してありましたが、やっぱりコレかな。keiichiさん曰く、船よりも周りの建物のディティールが気になってしょうが無いと後の飲み会で言ってました。

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続いては展示ケースその1。船長表札に各種記念品、羊蹄丸の航海日誌の最終航海のページ、鈴木船長へ手渡したメッセージノート。ログブックの上の乗組員集合写真は私のコレクションから。

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灰皿とかレリーフとか重厚なものが多いです。

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左ページは22便の記録。右ページは回送の5005便。

5005便のページには

The old soldier will never speak anything, but the only thing he can do is just fading away.
老兵は何も語らず、唯消え去るのみ

と書かれています。

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展示ケースその2。奥の方は西沢キャプテンを始めとする船員免許や大西さんの無線免許、本籍地とか生年月日とかそのまま出してましたけどいいのかな?

左手前が引継簿、右側が発電機関係の資料。引継簿を押さえてる温度計文鎮と羊蹄丸就航記念カードは自分のです。

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引継簿。3月13日のページ。下が羊蹄丸、上が檜山丸もの。羊蹄丸は22便の前の3便のページですが、

航海甲板左舷側に支店から支給された「さよなら青函連絡船」の横断幕、掲示してあります。青森着岸後取り外して下さい。

○○(判読できない)作った「さよなら羊蹄丸」「永い間ありがとうございました」の横断幕2枚は函館出航後すぐ外して下さい。そしてB組乗組員全員でサインを書いて下さい。22便終了後保管してください。(この順序かはちょっと不明です)

とあります。ハンコが小玉さんなので、例の横断幕の指示が書かれています。

これ、講演会の途中で檜山丸のページがめくれて11日が見えていたのですが、そこには「青函トンネル爆破の予告あり・・・」との記載が。写真撮るの忘れた・・・

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ガラスケース3つ目。左上の感謝状は段ボールハウス先頭のN氏が函館駅長からいただいたもの。全文手書きです。

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報道で名前バレバレですが、本人の希望で名前はモザイクで。乗船証明書は自分も持って行きましたが、ここはN氏のもので。

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左下、青森→青森の3月13日だけしか使えない切符。津軽・海峡・江差・函館・青函航路の順の1周切符。その横、物品有料持込切符。自転車の持込切符です。ラーメン食って案内所に行ったら硬券で残ってるのがコレだけだったという・・・

他、22便スタンプ、ラーメンのレシートなぜか日付が3/14、郵便局の消印、22便乗船名簿のコピーと20便は現物。先のログブックに名前がある福原さんに書いてもらった乗船証明、右上の写真集はH氏が持ってきたもので、段ボールハウスの様相が。

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右上の袋は最終便とその前の臨時便の乗客に配られた記念品の入っていた袋。ファイブミニ発売でスポンサーになっていたのでしょう、中には乗船証明書とJRHOKKAIDOの冊子、ファイブミニが入っていました。袋の両面にありがとう青函連絡船のステッカーが貼ってあったので、片面ははがして当時使用していた銀箱に、あとはそのまま保存しておきました。O氏は袋ボロボロになったのでステッカーだけ切って残しておいたとか。H氏ははがしてアルバムにとかそれぞれですが、ステッカーはみんな何らかの形で残しているようです。

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4つ目のケース。オレンジカード・テレフォンカードはblogにコメントしてくださるkokubu氏からいただいたもの。自分もかなりな量を持っているのですが、保管袋をしまい込んでしまって再発掘できなかった・・・弘済会のマッチ、船内で売っていたキーホルダー、あの日、かなりの人がお土産やグッズを入れて持ち歩いていた紙袋・・・

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続いて壁面展示。これ、場所が狭くて後で移動し、その後にH氏の写真が追加・・・の方は撮ってなかった。

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壁面展示のトップに段ボールハウスの先頭部。種々雑多な段ボールは函館朝市のもの。先頭はウナギの寝床、中間部は豪華壁屋根ドア付き、函館朝市の段ボールが払底し、近隣の商店からガムテープが全て売り切れ・・・後ろへ行くと床に新聞紙を貼って番号・住所・氏名を書いて場所とり主張・・・寒さ対策は新聞紙・・・船から投げる紙テープも売り切れ御礼・・・

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各新聞の記事。

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そして、行列の先頭の看板。

講演会後、約30人で盛大な宴会となりました。青森から葛西機関長もいらしていて、久々にお会いできました。30年という年は経っても変わらない思い、新しい人との出会い、そういったものをもたらしてくれる青函連絡船。安田さんが「50周年もやるぞ」と言っていましたが、えぇっと、皆さん年いくつになってるんでしょ?大学生だった自分が定年まで一桁の年数になっているほど30年という年月は長いんだ・・・と実感した日でもありました。

みなさま、ありがとうございました。

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