青函連絡船

2018年11月 4日 (日)

第13回青函連絡船講演会

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11月3日に第13回青函連絡船講演会が開催されました。画像は参加者全員へのおみやげの硬券です。当時の連絡船の船内発行の乗車券を模したもので、地紋もJNRです。休憩時間に各自でダッチングマシーンで日付を入れて持ち帰るという形になってまして、乗車券箱もそれらしいものをシャッター付きの引き出し付ケースを改造して作っていました。切符を入れるフォルダは本物ですが、大神さん、凝ってますねぇ・・・アシスタントは大神さんの奥さんでした。

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ダッチングマシーンは2台用意されていて、1台は63.-3.13.の日付、もう1台は18.11.-3.の設定でした。年の30が設定できないので、西暦の下2ケタの18で・・・とのことでしたが、11/3付の方は紙の厚さにダッチングマシーンが負けてまっすぐ印字できないのでお蔵入りに・・・ですが、本職のH氏が通すとキレイな印字が・・・それにしてもこの硬券、作るの結構高いんですけどねぇ・・・

さて、本題。今回は吉田さん大活躍の回です。

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これまで運行サイドでしたが、初の営業サイド。旅客としてたくさんお世話になった事務部の話です。ブリッジ見学も車両甲板見学もまずは案内所、船内での乗車券発行も、船舶電話も・・・何かあったら案内所、その中のお話です。

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まずは出航の銅鑼をならして吉田さん登場です。

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今日の講演の内容です。

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まずは事務部の職制から。一般の客船では連絡船で言うところの事務部に含まれるレストラン・ホテル部門の乗員がおおいのですが、連絡船は弘済会がおこなっていたので国鉄・JRの事務部とは別枠です。とはいえ旅客と直接接するサービス部門だけに接客業としてスマートであれ・・・

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津軽丸の船内放送設備。学校の放送室の調整卓とよく似ています。右上に並ぶスイッチでどこに放送を入れるか選択します。

今回、準備中や始まる前に当時の連絡船の船内でかかっていたBGMを流していました。津軽丸型は8トラックテープ、石狩丸・檜山丸はカセットテープと設置の時代を感じます。前に大神さんから曲のデータが送られてきて、「この曲何?」と聞かれたことがあります。テープ本体には曲リストが書いてないので、spoonさんと協力して調べ、曲目は分かったものの誰の演奏?みたいなものや、曲の途中から使ってるとかいろいろありまして、未だに曲目がわからないものも・・・北海道放送がテープをつくったと聞いていますが、40年以上前の話になりますからもう真相は藪の中です。とはいえ、多くの曲が今はYOUTUBEで聴くことができます。

船内放送とは直接関係ないのですが、今回「青函連絡船の歌」という曲があることを初めて知りました。作詞が横川勲、作曲が永塚裕ということで、渡邊機関長によると作詞の横川氏は機関長だったそうです。1963年に青函局でつくり、青函局のブラスバンド部の演奏でレコートに録音したもので、 軍歌調の曲です。歌詞は青函局の壁に貼ってあったとか。これ、楽譜入手できたらMIDIで再現してボカロに歌わせようかと・・・後の飲み会で宣言しておきました。

で、話を本題に戻して・・・

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船内放送といえば出航・到着時の案内ですが、何と言っても接続列車の案内放送は旅情を誘うものでした。吉田さんは18便が一番のお気に入りだったそうで、その青森到着時の接続列車案内放送を生演で再現してました。ダイヤを見ての通り、接続の夜行列車が綺羅星のごとく立て続けに発車する時間帯、懐かしい響きでした。

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食堂のメニュー。カレーライスが100円の頃のもの。で・・・

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これ、気になります。特に十和田丸のソーラン定食。他のはイメージできますが、これだけは料理の中身が何だったのか・・・ソーランだけにニシンなのか、北海道名物詰め合わせなのか・・・気になります。

続いて旅客定員の話。

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イス席も桟敷席も「普通船室」ですが、桟敷席の定員って・・・?ということで、まずは普通船室。

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記憶の限り、ここに定員通りの座り方なんて見たことありません。座って半畳寝て1畳とは言いますが、まさに座って半畳+αのスペースだそうで。ちなみにグリーンは・・・

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ちょっと普通席より広い&絨毯の毛足が長くてふかふか・・・なので自由席グリーン料金分のお得感はあるはず・・・

で、一人分のスペースを徹夜で作ってきたそうで・・・アシスタントは森本さん

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座って半畳+αのスペースですが、桟敷席は寝転がって爆睡・・・できないので、面積を変えずに横になれるスペースとすると・・・

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こうなります。これ、どうやって寝転ぶのか・・・?仰向けにはなれないですよねぇ・・・

で、グリーン席だと・・・

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ちょっと広くなります。これを横になれるように面積買えずに変形させると・・・

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こうなります。昔の52センチ幅のB寝台くらいはあるでしょうか。

タイトルにあった「ウケた!座布団1枚!」というのは旅客を「受けた」スペースが「座布団1枚」分という意味だそうで。青函のラッシュ0時4時は当時連絡船で渡道したことがある方なら説明不要ですよね・・・連絡船夜行便接続・・・

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続いて遅延等の取り扱い編。遅れたときは基準があって乗客に炊き出しを行うのですが、そのメニューはおにぎり。おにぎりにも種類があってどれを出すかはそのときの船長の判断だとか。で、実際の炊き出しの画像がコレ。事務部弘済会総出での作業です。

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到着列車の遅れの対応は次の便に乗ってもらう・・・これは24時間動いてる連絡船なので貨物便でも事務部は乗船していて対応可能。・・・貨物便で旅客がいない時は事務部は何してるの?・・・うーん・・・他の便から「寝るなぁ」と言われたことが(笑)寝てませんけど・・・で察しましょう。検査の時などは掃除点検などをしてるそうです。

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で、その振り替えた便が青森に着くと深夜で接続列車がない時は・・・

画像だと定時の6Mを運休して時刻を後ろへずらし、特発の9006Mとして接続。30分いないは管理局で判断、それ以上は国鉄本社の判断を仰いだそうです。

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接客マニアル(マニュアルではありません。冊子の表紙にマニアルと・・・時代を感じます。)威張る人・・・十分に威張らせる・・・その後どうすんの?酔っ払っている人・・・ユーモアを交えてあまりくどく関わらない・・・ユーモアで火に油という気が・・・接客態度とかクレーマー対応とか・・・当たり前と言えば当たり前ですが、うーん・・・いろんな汗がでる・・・冷や汗脂汗、文字通りの汗・・・ですねぇ。

これ、ください、とアンケートにあったので、大神さんが早速メールしてました・・・下手なマナー集より「あの青函連絡船の・・・」という箔がつく・・・のかなぁ(笑)

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そして営業・出札業務。乗車券類の様式は国鉄の規定にあって、連絡船関係のものが削除されて消えてしまったのが幻の16条・・・ですが、実際に船内で発券した乗車券の例がコレ。3月13日の上り便十和田丸って最終22便の前の20便では?さすがに即答できずに「しばらくお待ちください」にして発券したそうです。

で、コレを今発券するとどうなるか・・・

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新幹線で3セクになった会社が多くなり連絡運輸の数が多すぎて発売不能だそうで・・・これ、実際にマルスに入れて試したそうで「要求誤り」と出たそうです・・・

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3月13日ならではの切符。青森-青森の片道切符。海峡線-連絡船ルートだと3月13日しか使えない切符です。自分も作り、その切符で22便に乗りました。9月18日は函館-函館の片道切符を作っています。

片道切符の経路を図で表すと数字の0か6の形になるので「片道乗車券は0か6」となるわけです。ルート上の駅を2度通過してルートか重なることになると一旦打ち切って連続乗車券・・・その昔に作りましたっけ・・・下つい電鉄に行ってからトワイライトに乗るために・・・別に買ってもよいのですが、学割証1枚で2区間の乗車券が買えるので・・・東京都区内-(東海道・山陽・宇野)-児島・児島-(宇野・山陽・東海道・湖西・北陸・信越・羽越・奥羽・津軽・海峡・江差・函館・室蘭・千歳・函館)-札幌市内、帰りは飛行機・・・これで鉄路で帰るなら連続3券片目の札幌市内-東京都区内を作ることになって、学割1枚で3枚の切符を2割引にできるという・・・

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最後に客室・営業の年表を見ながらエポックメイキングなところを紹介して1時間の講演が終わりました。

お土産硬券ダッチングマシーン大会の休憩を挟んで・・・

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毎度おなじみ西沢キャプテンの四方海話ですが・・・今回は安田さんが代務を勤めます。西沢キャプテン、体調がよろしくないご様子。今回のお題は・・・

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操船号令です。取舵、面舵などのお話。

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お題はこんな感じです。

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まずはタイタニックが沈むまでのあらまし・・・。世界最大の客船や連絡船と比べた画像ですが・・・世界最大の客船はこれはもう船じゃなくって動くビルかマンションかという感じで美しさが感じられないです・・・内装は豪華でサービスもすごいんでしょうけど・・・タイタニックや連絡船がいかにスマートで美しいか改めて思いますねぇ・・・・

でまぁ、タイタニックの沈没の話がメインではないのですが、映画や小説などで氷山にぶつかる前の操船オーダーの言葉が本題の入口です。

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舵の構造の歴史に由来する言葉の表現で、そのメカニックを理解していないと「おも舵一杯にしてとり舵一杯をとろうとした」というのが意味不明になってしまいます。今の常識では「面舵」は船を右に向けること、「取舵」は船を左に向けることですから、何のことやらになってしまいます。

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英語では左舷側がポート、右舷側がスターボードで、これは連絡船でも使われてました。で、昔の船の舵の構造だと舵の棒を右に押すと船は左に曲がり、左に押すと右に曲がる・・・ことから、舵の棒をどっちに動かすかという構造と操船命令が大型船の舵輪になってもそのまま使われていたわけで・・・つまり、右(面舵)に行きたければ操舵輪を左(取舵)に回せというオーダーがタイタニックの操船命令の内容になるわけで・・・という頭がこんがらがってしまいそうな話です。で、機械的に行きたい方に舵輪を回せばそのように舵が動く構造で船を作って操船号令をスッキリさせたということです。

・・・じいさまの家の漁船は舵を棒で動かすので、面舵するには取舵を、といった昔のままです。まぁ、漁船なんで普通にちょい右とか左とか、面舵、取舵とか言うときは行き先、舵右って時は文字通り舵棒を右にって感じですねぇ・・・ガキの頃漁の手伝いして鯛の網や蛸壺上げたりするのにブイのところへ寄せる操船やらされてたんで・・・

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で、タイタニックネタだとこれも出てきます。CQDとSOS。その由来。

興味深かったのが和船の方位磁針と舵の話。

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「かじ」の文字が「舵」「楫」「柁」の3種類あり、用法を見ると、それぞれ意味が違い、「柁」は舵柄にかかわること、「舵」は船の進む方向にかかわること、「楫」は機械的な構造に関わることで使い分けられているのではないかと思います。文字の用法は講演内容ではなくって、私自身の見立てです。

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面舵は卯の方向へ行きたいから「卯面舵」、取舵は酉の方向へ行きたいから「酉舵」が語源で、先の操作方向と進行方向が逆転する柁棒の構造からこんなものが作られていた・・・和船の先人の知恵ですねぇ・・・

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逆針で見てオーダーすれば操作と進行方向が一致するという・・・

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これを江戸時代には確立していたわけですから・・・

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昭和4年の1929年のSOLAS条約よりもはるか前の江戸時代に和船は方向号令で動いていたわけですよねぇ・・・面白いです。

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で、現在の英語のオーダー。連絡船でこのオーダーをこなしていくのがクオーターマスターなわけで・・・

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その由来と連絡船での職務。筆頭に操舵と見張りとあります。その号令と復唱は実演モードでした。

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連絡船の入港を船長号令-復唱-操作完了-復唱、sir!という一連の動きをよどみなく披露してました。が、西沢キャプテン代務の安田さんがキャプテン役なので即席ブリッジ練習なしで大丈夫か?と準備の時に笑ってました。

続いて再び吉田さん登場。おなじみの飾り毛布です。

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今回は大先輩の残した作品をいかに再現するかということで、森本さんとの共演です。MCは上杉先生です。

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上杉先生がいつものように説明をして、お二人はもくもくと毛布を折っていきます。

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先人の作品の画像と比べてみて・・・「初日の出」

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帆がキレイに立つか・・・湿度や温度も影響する「帆掛け船」

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そしておなじみ、おめでたい「松竹梅」それぞれの部品はきれいに折れても全体の組み合わせバランスがなかなか難しいそうで・・・

今回、その先人の作品集アルバムが紹介されました。

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その前書きがこれです。津軽丸型になって飾り毛布を取りやめても将来に伝えていくために・・・と作られたものです。

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アルバムの中には作品や紹介された新聞記事などが貼られています。左上は函館駅の中に飾られた正月飾り。駅のスタンプ台の横にこれほどのものを作れた古き良き時代を感じます。右ページの新聞記事には「芸術品」。

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各ページにはこのように作品の写真が貼られています。

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画像が暗くて読みづらいですが、アルバムの後書きページです。おそらくはこれ1冊しかない貴重な資料です。

さて、これで終わりかと思いきや、次回予告。

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それ、いきますか?

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いやぁ、煽り文句ばっちりですね。で、シンボルマークの高橋さん作成のこれ

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イラスト精密です。塗色は当時の海軍の迷彩色で、塗り分けは資料を基に再現だそうです。それにしても講演会前日の作成って・・・これは楽しみですねぇ・・・

で、今回の展示は・・・

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おなじみのkeiichiさんの十和田丸・・・ですが、今回、船内放送が流れるようにバージョンアップしてました。が、ラジコンのチャンネルが足りないのでスマホからbluetooth通信で送るという・・・スピーカーがしょぼいので音質がなぁ・・・と言ってました。

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展示ケース。奥のプレート類、冊子類や帳簿類は吉田さんコレクション。左手前寝台室整理簿とグリーン席の整理簿は津軽丸最終日のものだとか。右上の発券集計台帳の急行券や特急券の値段が懐かしいです。

手前側乗車券類と自動車航送申込書、サロンとグリル伝票と箸袋は私のコレクションから。事務部なのでそれに関わりそうなものを持って行った中からセレクトしてみました。それにしても案内所のカウンターに置いてあった電報・電話受付の△のやつ、よくそのまま残ってたなぁ・・・と言ったら「ウチにもあるよ」と涼しい顔で大神さんが・・・どんだけコレクションしてるんだろうなぁ・・・

その後、例によって盛大な宴会となりました。お会いした皆様、ありがとうございました。

画像大量のエントリーです。半分くらいまで作ったらIEがエラー起こしてパーになって最初から作り直し・・・

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・・・久々の更新です。PCで自分のブログの管理ページ見るのも久しぶりだったので、お返事期限過ぎてしまったコメントありました。すみません。内容が内容だけに非公開モードのままにしておきます。

 さて、風呂屋に行ってこよう。

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2018年10月 6日 (土)

第13回青函連絡船講演会のお知らせ

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というわけでお知らせが来ました。今回は事務部ということで、いつもは飾り毛布の実演をされている吉田さんが本務の事務部のお話をされます。船内発行の切符や船舶電報や電話など、乗船口脇のカウンターには幾度となくお世話になってますが、裏側の話も・・・ということです。飲み会で出てくるあんなネタやこんなネタも出てくるのかな?と(笑)

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9月から10月にかけての3連休ラッシュも一段落。とはいえ、ちゃんと自宅でまったり3連休できそうなのは今回だけ。

学芸会の音源作成もほとんど終了。授業やりくりして練習に参加して手直しと自分の練習。効果音を大太鼓とシンバルで鳴らして台詞3個でCD操作は何とかなりますけど、CD操作して台詞2個でピアノ伴奏は深呼吸して音出す準備もままならないのでミスタッチの嵐・・・ただでさえ手が小さくて楽譜の通りに弾くのが苦手でコード進行とアドリブでごまかしてる上に、そもそも上手くないのでマジで調整卓とピアノ間の移動も含めた練習するか放送用の調整卓をピアノ脇に持ってくるか・・・何か対策を考えないと・・・マジヤバイです。台本読んだだけではわからない、練習に混じって初めてわかる事なんで・・・劇に歌は付き物ですし、学年で体育館で歌うとなればそれに合わせた指導をそれなりに入れないといけないから、実質音楽の授業やってるようなものなんで。

とりあえずこの3連休は風呂屋で黒湯に沈没して寝ます。学芸会の次の週は地域イベントで吹奏楽部の演奏・・・

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2018年9月18日 (火)

30年目の9月18日

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9月18日。連絡船の最後の最後から30年が経ちました。タイマーアップの準備ができず、今頃作業してます。20年目の再会イベントからでも10年ですから、もう歴史の彼方のように感じますし、でも昨日のことのように鮮明に思い出が蘇ります。

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船尾側のシンボルマーク。これはまだ喧噪に包まれる前、6月の復活運行開始直後の撮影。あまりに客が少なくて後部座席を閉鎖していました。

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9月18日4便出航時の函館桟橋。この時はプロムナードデッキに場所を確保できました。3月13日の教訓をもとにグリーン剣を10時打ちしてきっちり確保しての乗船でした。これで本当に最後・・・何とも言えない感覚でした。

さて、この時に使った切符。教育実習の真っ最中、まだ土曜日に学校が普通にあった頃ですから、土曜日の夜行で青森入り、1便→4便でくつろぎカードで限界の時間までいて夜行で帰京、月曜朝そのまま教育実習へという荒技。その後数年間、「教育実習中にこういう大馬鹿者がいた、決してまねしないように」という話がオリエンテーションでされていたとか。

まずはこれ。函館往復割引切符。復活運行の連絡船には普通乗車券・周遊券・18切符以外のトクトク切符は使えないということになっていましたが、この切符は青函博のためのようなの切符で、例外的に連絡船に乗ることができました。裏面の注意書きに書いていないのですが、当時駅にそんなポスターが貼ってあったと記憶しています。

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発行が日旅の渋谷支店となっていますが、これ、大学生協の提携先。金無かったので、大学生協の分割払いカードで買ったのでした。この年はバイトしてもバイトしても乗り鉄と連絡船詣でで出て行く方が多い&教育実習で1ヶ月バイトができないという金欠だったのです・・・

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行きがこれ。583の下段。下段撮れなかったら2・4・7号車のパン下中段の席番指定をかけておいたのですが、無事下段ゲット。で、

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帰りがコレ。これも583系。同じ日旅渋谷なのに何で券種が違うんだろうと思います。

9月18日、1便で函館に着いてから発券したのがコレ。ハコサンバシの文字が何とも・・・何の切符から乗変したんだかは記憶がありませんが、この頃はたいてい乗変元になるような未来の切符を持ってたので・・・

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3月に青森-青森の一周切符を作っておいたので、今度は函館-函館の一周切符を。で、1便で函館に着いてからの発券だったので、鉄路-連絡船の順では物理的に乗れないでしょ?ということで連絡船-鉄路の乗車順の発券となりました。軽油にしっかりと「青函」と入っています。

1便と4便は何度も出してるので省略・・・それにしても青い寝台特急も583系もこのタイプの指定券もみんな歴史の向こうへ走り去ってしまいました。国鉄や昭和の残り香ももうわずかしかありませんが、その中を生きてきた、歴史のページがめくられる瞬間の場所に立っていた・・・人生の中に大きなものを残しています。定年まで1桁年数、その先の終焉も見えてくる年になりました。いつかこういう記録や残されたものは歴史の中に飲み込まれていくのでしょうけど、こうやって書き残していくことで、確かに自分が生きていた、そこにいた証を残したい・・・と最近思うようになりました。

さて、たまっている仕事にとりかかります。

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2018年3月18日 (日)

第12回 青函連絡船講演会 終航30周年記念

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第12回青函連絡船講演会。今回は青函連絡船終航30周年企画でした。事前にNHK等で放送されたこともあり、東奥日報の記事では80名、ピーク時には100名を超える来場者でイスが足りない状況でした。

今回はオープニング+4部構成でした。まずは恒例の吉田さんの銅鑼です。13:30出航ですので、13:27頃に盛大にならしました。

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そして・・・「レッコーショアライン!」と同時にあの日の音と映像が。

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昭和63年3月13日17時。22便羊蹄丸、函館出航。乱舞する紙テープ、ほたるの光の大合唱・・・

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金色の夕日の中を船体を左に傾けて最後の航海へ・・・というオープニングでした。出航は各種ブザーや電鈴は現物を使って生演で、それに合わせて映像と音は別編集でDVDデッキとCDを同時操作でその場でミックスするという練習一回の超アナログな一発技でした。

さて、講演会本編です。まずは恒例の西沢キャプテンのお話。お題は「船長表札」

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今回はかなりコアなネタです。いつの頃からか連絡船には船長の表札が掲げてあったそうで、いつ頃からは調べても分からない・・・津軽丸型からだと思うが、通達や規定に全く記録がないので発祥は不明だそうで・・・一説によると飛行機の機長挨拶のような船長挨拶をしようにも挨拶できるのは出航して灯台交わした30分後くらい。深夜便だとお客さん寝てるからできないのでその代わりに・・・とか。

で、船長表札にまつわるエピソード。名札をみて訪ねてきた同級生とかお客さんとかいろいろなネタが。休暇で家族で乗ったのに船長表札が自分のままになってた・・・掛け替えるの忘れられてた・・・とか。

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表札は案内所の奥にぶら下げてあり、連絡船は1船に3組の乗組員チームなので、交代すると名札を掛け替えるため、船内に置いてあったそうで、代務で他の船に乗るときは名札を持って行って、お願いします、と渡していたとか。

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船長にも甲乙丙のランクがあって、青函連絡船は乙種でよいのですが、甲種免許を持つ人が多かったそうで、甲種船長と肩書きを付けていました。が、昭和58年に規定が変わって甲乙丙の種別でなくなった後も表札をそのまま使っていたら、お客さんからツッコまれてそれ以降、肩書きを船長としていたとのこと。

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新旧資格対照表ですが、○級海技士より船長、航海士の方がわかりやすいですよねぇ・・・

続いては渡邊機関長による船内電力の話です。

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機関長は制服がもう残っていないので・・・と言いながら濃い専門的な技術的な話です。直流・交流・3相交流の違いから発電機の原理といった基本的な話の後で、連絡船の発電機の話や操作法と続きます。

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さらに各種装置の話はそれがどう繋がっているか、どのような働きをしているかなど立て続けに図面を見せながらの解説です。

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複数の発電機を並列につないで使っている連絡船なので、それをどう起動していくかという手順です。手順2の揃速の機能は津軽丸には付いていなかったとか。スイッチを右回りに回して手順を進めていくことになります。

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でもって、こんなトラブルがあったというエピソードを披露して終わりとなりました。

休憩を挟んで第3部、飾り毛布実演の部

今回は上杉先生と吉田さんと森本さんの3人で。

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特に「鉄道連絡船の飾り毛布110年」というタイトルで、上杉先生が論文の中で鉄道博物館や日本郵船歴史博物館所蔵の写真を許可をいただいて使用したものの中から特に鉄道連絡船のものをピックアップし、それを実演で再現するという形でした。

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まずは初代青函連絡船比羅夫丸の特別室の写真に残る飾り毛布から。映像と実物を見比べて・・・

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稚泊連絡船亜庭丸の飾り毛布。

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画像は下段寝台のアップですが、何をイメージしているのかはよくわからないそうで、名前考えてください、と言っていました。折り方もこれで本当に合っているかどうか微妙ですが、これを折っていた人たちはもう生きていないので、直接聞くこともできないので研究します、とも。

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連絡船伝統の飾り毛布、「大輪」

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締めは松竹梅でおめでたく。

第4部は乗組員の皆さんが一人ずつ30年前の3月13日の思い出を語り、その後、最終22便乗客の私ら5人が当時のエピソードを語るというトークになりました。顔出しは・・・なし、と言いたいのですが、東奥日報さんのWEBに5人並んでる姿が・・・

事前に大神さんから何かしゃべれとかパネルディスカッションかパネルトークかという話があり、最終便戦友会にも伝えといて、できれば例の段ボールハウスを再現して欲しいなぁ(笑)というリクエストもついていました。で、会員番号(乗船名簿番号)1番のN氏に話したら、「段ボールハウスの再現だけはいやだ!」と断固として断られてしまったのですが、「この企画、あんた来ないとあかんでしょ!」「また○ちゃんねるで1番が・・・とか粘着されるからイヤだ」とかそれはまぁいろいろ葛藤の上、5人が前に立つことに。段取りが全然読めない上、最初は一人5分位しゃべって、あとは任せるから、と大神さんに振られたのですが、フリートークをする時間もなくなってたので、一人ずつしゃべって終わりとなりました。

実際出たとこ勝負でどうするか考えてなかったらしく、最終便組、どうする、何しゃべればいいんだ?とか困惑してましたが、いざマイクを持てば飲み屋で思い出話を語る勢いで出るわ出るわお互いにツッコミしながらトークが進み、客席からも笑いが。失笑とも言うかな?と思いましたが、30年経っても色あせない当時のリアルエピソードは今となっては青春の思い出そのものですね。何せ、図書室にある「昭和の写真集」みたいな図鑑に自分たちが写ってるわけですから。歴史のページの立会人・・・

さて、今回の展示品。まずは持ってくる度にグレードアップするkeiichiさんの十和田丸+青森桟橋

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えぇっと、前回は桟橋には電気がなかったような・・・右手前のパネルは摩周丸の中の模型のほとんどを手がけた方の奥さんが持参されたもの。奥は羊蹄丸A組作成の横断幕。

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うーん、これはすごすぎ。雰囲気ありすぎです。

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「今、栄光の航跡をきざんでいます」の横断幕、「行ってらっしゃい」とか他のバリエーションも用意してありましたが、やっぱりコレかな。keiichiさん曰く、船よりも周りの建物のディティールが気になってしょうが無いと後の飲み会で言ってました。

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続いては展示ケースその1。船長表札に各種記念品、羊蹄丸の航海日誌の最終航海のページ、鈴木船長へ手渡したメッセージノート。ログブックの上の乗組員集合写真は私のコレクションから。

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灰皿とかレリーフとか重厚なものが多いです。

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左ページは22便の記録。右ページは回送の5005便。

5005便のページには

The old soldier will never speak anything, but the only thing he can do is just fading away.
老兵は何も語らず、唯消え去るのみ

と書かれています。

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展示ケースその2。奥の方は西沢キャプテンを始めとする船員免許や大西さんの無線免許、本籍地とか生年月日とかそのまま出してましたけどいいのかな?

左手前が引継簿、右側が発電機関係の資料。引継簿を押さえてる温度計文鎮と羊蹄丸就航記念カードは自分のです。

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引継簿。3月13日のページ。下が羊蹄丸、上が檜山丸もの。羊蹄丸は22便の前の3便のページですが、

航海甲板左舷側に支店から支給された「さよなら青函連絡船」の横断幕、掲示してあります。青森着岸後取り外して下さい。

○○(判読できない)作った「さよなら羊蹄丸」「永い間ありがとうございました」の横断幕2枚は函館出航後すぐ外して下さい。そしてB組乗組員全員でサインを書いて下さい。22便終了後保管してください。(この順序かはちょっと不明です)

とあります。ハンコが小玉さんなので、例の横断幕の指示が書かれています。

これ、講演会の途中で檜山丸のページがめくれて11日が見えていたのですが、そこには「青函トンネル爆破の予告あり・・・」との記載が。写真撮るの忘れた・・・

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ガラスケース3つ目。左上の感謝状は段ボールハウス先頭のN氏が函館駅長からいただいたもの。全文手書きです。

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報道で名前バレバレですが、本人の希望で名前はモザイクで。乗船証明書は自分も持って行きましたが、ここはN氏のもので。

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左下、青森→青森の3月13日だけしか使えない切符。津軽・海峡・江差・函館・青函航路の順の1周切符。その横、物品有料持込切符。自転車の持込切符です。ラーメン食って案内所に行ったら硬券で残ってるのがコレだけだったという・・・

他、22便スタンプ、ラーメンのレシートなぜか日付が3/14、郵便局の消印、22便乗船名簿のコピーと20便は現物。先のログブックに名前がある福原さんに書いてもらった乗船証明、右上の写真集はH氏が持ってきたもので、段ボールハウスの様相が。

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右上の袋は最終便とその前の臨時便の乗客に配られた記念品の入っていた袋。ファイブミニ発売でスポンサーになっていたのでしょう、中には乗船証明書とJRHOKKAIDOの冊子、ファイブミニが入っていました。袋の両面にありがとう青函連絡船のステッカーが貼ってあったので、片面ははがして当時使用していた銀箱に、あとはそのまま保存しておきました。O氏は袋ボロボロになったのでステッカーだけ切って残しておいたとか。H氏ははがしてアルバムにとかそれぞれですが、ステッカーはみんな何らかの形で残しているようです。

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4つ目のケース。オレンジカード・テレフォンカードはblogにコメントしてくださるkokubu氏からいただいたもの。自分もかなりな量を持っているのですが、保管袋をしまい込んでしまって再発掘できなかった・・・弘済会のマッチ、船内で売っていたキーホルダー、あの日、かなりの人がお土産やグッズを入れて持ち歩いていた紙袋・・・

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続いて壁面展示。これ、場所が狭くて後で移動し、その後にH氏の写真が追加・・・の方は撮ってなかった。

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壁面展示のトップに段ボールハウスの先頭部。種々雑多な段ボールは函館朝市のもの。先頭はウナギの寝床、中間部は豪華壁屋根ドア付き、函館朝市の段ボールが払底し、近隣の商店からガムテープが全て売り切れ・・・後ろへ行くと床に新聞紙を貼って番号・住所・氏名を書いて場所とり主張・・・寒さ対策は新聞紙・・・船から投げる紙テープも売り切れ御礼・・・

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各新聞の記事。

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そして、行列の先頭の看板。

講演会後、約30人で盛大な宴会となりました。青森から葛西機関長もいらしていて、久々にお会いできました。30年という年は経っても変わらない思い、新しい人との出会い、そういったものをもたらしてくれる青函連絡船。安田さんが「50周年もやるぞ」と言っていましたが、えぇっと、皆さん年いくつになってるんでしょ?大学生だった自分が定年まで一桁の年数になっているほど30年という年月は長いんだ・・・と実感した日でもありました。

みなさま、ありがとうございました。

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2018年3月13日 (火)

連絡船終航 あれから30年

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3月13日。特別な日です。今から30年前、昭和63年3月13日。青函連絡船終航の日。22便羊蹄丸は17時に函館を出港しました。今でも鮮明な記憶と思い出。そして10年前に再会した仲間、新しい出会い・・・連絡船がもたらしてくれたものです。

そろそろ連絡船コレクションもネタが尽きてきました。画像は我が家の秘蔵コレクションの一つ。17日の講演会に持って行きます。

羊蹄丸函館出航時刻にタイマーアップです。

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2018年2月25日 (日)

第12回 青函連絡船講演会

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今年は連絡船終航30年です。あの日から30年・・・早いものです。

今回の講演会は終航30年にちなんだ回となります。当時を偲んで・・・ということで、昨夜打ち合わせをしてきました。

今回は乗組員だけでなく、「乗客側からのエピソード・・・」というリクエストに応える形で、10年前の最終便乗客と船長の再会イベント以来親しくしている最終便段ボールハウス組も特集コーナーに出演予定です。え?私?それは当日のお楽しみで。

みんなで当時のものを持ち寄って展示しようということですが、よくそんなもの残ってたよな、というものもあります。もちろん自分も秘蔵品をいくつか持ち込む予定です。

さて、教え子の演奏会に行ってきます。

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2017年11月19日 (日)

第11回 青函連絡船講演会

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というわけで、昨日船の科学館で第11回青函連絡船講演会が行われました。鉄道ジャーナル誌と東奥日報の取材が入っていて、すでに東奥日報のwebページに記事が記載されています。

今回のメインは洞爺丸。トップの画像は洞爺丸遭難時の近藤船長が羊蹄丸の船長を降りたときに甲板員一同から贈られた手作りと思われる初代羊蹄丸の模型。今回の講演会は史料研究会へ近藤船長のお孫さんから寄贈していただいた遺品の初公開となりました。

講演会は3部構成。まずは西沢キャプテンのシリーズ。今回は満載喫水線のお話から。

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そもそも満載喫水線とは何か・・・という話から始まって、喫水線の記号の意味の解説やなぜ国際的にそのような決まりができたか、など歴史的経緯をたどりながらの解説です。

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とにかく船に積めるだけ積んで運べば儲かる・・・が浮力が足りなくて事故が多く、安全のために設けられたもの・・・なのですが、国際的な取り決めになる200年も前に日本では積み荷の規制が行われていた話もありました。年貢米が海に沈んではかなわないので、幕府が船足(喫水の規制)をしていたこと解説していました。

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スクリーンに映っている和船の図面に規制の印が付けられていました。今回はいつもよりちょっと短めの講演でした。

次はいつもと順序が変わって飾り毛布の実演です。久しぶりに明海大学の上杉先生と森本さんも登場です。

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今回は上杉先生の論文Jounal of Hospitality and Tourism Vol.10 No.1 (2014年12月)別冊として、「郵船図会」を通して知る明治期の日本郵船のホスピタリティ の小冊子が配布されました。論文中の図をもとに飾り毛布の歴史などの概説があり、その後、実演となりました。

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吉田さんと森本さんの二人の久々の講演会での競演です。

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吉田さんの作品「牡丹」。持って歩くと・・・(笑)

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続いて森本さんの新作「珊瑚礁」ですが、上から見ないとね・・・ということでテーブルを傾けて披露です。

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飾り毛布の本第2弾の宣伝・・・この日、執筆者3名揃っていたので、著者サイン会となっていました。

そしてサプライズ。

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吉田さんの修業時代のビデオが。師匠が折っている姿は別のところで紹介されていたのですが、未編集のビデオに当時の吉田さんの姿が。出所は羊蹄丸の横断幕を作った小玉さんの所蔵ビデオ。大神さんのところに「こんなのあるんだけど(笑)」と届いたものを編集して、サプライズ上映。まだなんかありそうなので・・・恐るべし小玉コレクション・・・と話題になっていました。

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そのあたりを満面の笑みで解説する大神さんと、いやぁ~とリアクションしていた吉田さん。

さて、休憩を挟んで本日のメイン、安田さんの「洞爺丸」第1回

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パワーポイント100枚以上の超大作。

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まずは洞爺丸遭難の概説から。すでに海難審判等の判決も確定しているし、様々な書物、論文、ドラマなどに使われているので今更・・・と思われる人も多いでしょうが、しかし今なお議論される深い内容です。

海難審判記録はこちら。

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戦後のGHQの船舶建造規制にもかかわらず連絡船の建造が認められた経緯とか、洞爺丸型の設計思想など、当時の社会情勢と照らし合わせながら船そのものの説明が続きます。

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戦前・船中の荒廃した船や粗雑な作りの戦標船に比べたら素晴らしく快適な船だったこと、御召し船のエピソードなどが続き、その1ヶ月後の台風マリーの話になります。

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台風の可航半円、危険半円などの基本的な話を基に、台風マリーはどうだったかということを観測データをもとに分析していきます。前代未聞の猛烈な台風、観測史上希な台風だったことがデータで裏付けられていきます。むろん、当時の気象観測は現代と違い情報の伝達に時間がかかっているので、情報が届いたときには手遅れとなっていることも・・・

そして、洞爺丸動きになっていきます。

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この辺りの無線通信の記録は各種資料に詳細に出ていますが、時系列に沿って他船の動きと絡めながら話が進みます。そして、なぜ沈んだのか・・・

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この事故の6年前にこのような指摘がされていたという事実・・・

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このような事実があったことなどを指摘していきます。

そして、洞爺丸の近藤船長について・・・

海難審判の主文は

本件遭難は、洞爺丸船長の運航に関する職務上の過失に基因して発生したものであるが、本船の船体構造、青函連絡船の運航管理が適当でなかったこともその一因である。

とあり、船長の判断ミスが主因とされたことから、船長の人柄についても様々な言われ方をしています。

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新聞記事の「人に頭を下げぬ」云々という書き方は非常に傲慢な人間像のイメージを与えるが、実際は「理不尽なことには上司の命であっても従わない」というタイプの人間であった、非常に慎重な人物であったなど、当時の乗組員の証言や文献をもとに述べていきます。

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近藤船長は定年を前に辞職願をだしており、それが受理されず本来の杉田船長の代務として乗船した洞爺丸でこの台風にあったという偶然。それは・・・

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船員が嫌う4・9という数字が洞爺丸に非常に多く見られ、近藤船長にもあるのは何かの運命なのか・・・偶然と考えるには・・・と話していました。

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最後に近藤船長の墓所。浄土真宗なので戒名ではなく法名ですが、墓碑銘に「船長」とつけていること、法名に「洞」の文字を使っていることなどその人生を表しているように思います。

さて、その展示品。

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大神さんから「並べといて」と頼まれて、ガラスケースの中にこのように並べました。いや、これ、取り扱いはマジに手が震えました。で、その前に一つずつ撮影しました。

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まずは昭和29年9月下期の廃船表。近藤船長の制服のポケットに入っていた物で、付着している泥砂は洞爺丸が沈んだ七重浜の海底のものです。折りたたまれていた物を広げたり元に戻す際に砂を落とさないように、これ以上破れないように慎重に・・・

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続いて懐中時計と手笛。これも遭難時に身に付けていた物。一度七重浜の海底に沈んでいるし、63年も経っているのにガラスにひびが入っているとは言え時計はキレイです。

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近藤船長の手帳。羊蹄丸船長時代のもの。間に名刺と職員写真証が挟まっていました。この手帳、ページをめくっていくと・・・

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羊蹄丸の要目が。スカジャップナンバーがある辺り時代を感じます。ATOKはスカジャップナンバーを一発変換できなかった・・・

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これ以降のページも記録が続きます。大神さんと話したところ、この手帳の中身は海難審判の証拠としても出てこなかったらしいですが、「!?」という記述が。表に出したらまずくない?みたいな話をしていたのですが、安田さんのパワーポイントの中でがっつり使われていたので・・・

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左ページ再下段、浮き袋1682内不良60ケとあります。点検の結果、紐のほつれなどの見つかった数がこれということで、定員+乗組員+郵便職員+食堂などの職員の合計数以上はありそうですが、このあたり海難審判時に証拠として出ていたらなんらかの影響があったのかなかったのか・・・

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続いて船員手帳。これは船員区においてある物なので、水はかぶっていません。右の縦型の方が古い物、横型のが新しい物です。

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まずは縦型の中身。集まったみんなで、こっちの写真の方がいい!ということで、こちらを開き、横型の手帳で本籍地を隠すようにして展示しました。

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ページの書式が変わり・・・

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↑鉄道省 ↓運輸省 と変わっています。戦後の歴史のページそのものを見るように思います。

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そして、横型。

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右側の上の方に、昭和24年6月1日付で「運輸省」から「日本国有鉄道」に変更とあります。そして・・

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運命の日、洞爺丸乗船により・・・「遭難死亡」の記載が。このページ、お蔵入りにしておこうと思ったのですが、これも安田さんがパワーポイントでがっつり使っていたのでオープンにします。

歴史の証拠、まさに歴史のページで感慨深い物があります。

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その年の国鉄殉職者名簿。名簿全30ページ中、16ページが洞爺丸台風で遭難した連絡船の乗組員や関係者となっています。

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近藤船長の鳥羽商船学校時代の教科書。

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最初の初代羊蹄丸の模型を近藤船長に贈った甲板部員一同の寄せ書き。これもかなり痛んでいて取り扱いに気を遣いました。

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こんな風に並べてみました。ケースのガラス板、昔のもので、微妙に波打っています。で、元々かなり傷んでいたのですが、ラジコン十和田丸のkeiichiさんが修繕しました。アンカーが外れていたり、マストが折れていたり・・・直してもまた折れる・・・

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ケース奥のベニヤ板は額縁カバーのように外せるので、こんな感じで折れたポールを直していました。で・・・こちら側、表から見えないので、作りが大幅に省略されています。

改めて見てみましょう。

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まずは表、左舷側。

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裏側、右舷側。ぱっと見で・・・ビルジキールがありません。3等船室の窓の縁取りの色が塗ってありません。その下の階の丸窓がありません・・・YOTEIのネオン管の色が左舷赤、右舷青緑は航海灯の色に合わせたのかなぁ・・・

これ、間違いなく業者作成ではなく、後半部員が船の中でこつこつ作った物だよねぇ、とみんなで話していました。この省略っぷり、間に合わないから省略したか、見えないからエイやぁとしたかは今となっては分かりませんが、それにしたって、これだけのものを手作りで贈られる近藤船長の船員たちに慕われていたお人柄がうかがえると思います。

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そして壁面には洞爺丸の一般配置図。右から原設計、建造中の変更、竣工時となっています。作りながら仕様変更していくのって難しいんじゃないかと・・・

そして、この後例によって盛大な飲み会になりました。その中で大神さんが上前純一郎作「洞爺丸はなぜ沈んだか」という本について、「この本が定番と思われているが、乗組員からしたら違うところがあるし、ある船長が『あれは小説だよ』と言うのを聞いてそれを確信した。」という話をしていました。「ノンフィクション」というと「事実(ファクト)を述べている」と思い込んでしまう人が多いのですが、それは「ファクト」ではなく、あくまでも、「史実や記録に基づいた創作で、調査方法や結果の取捨選択などに作者の考えが出る」ものである、すなわち「創作物=小説」ということ、人や事件を裁くということは客観的な事実に対して、判断する人の主観主義主張経験が上書きされるということを感じました。

連合音楽会前夜祭から始まって4連チャン飲み会は体力的にもお財布的にも厳しかったです(苦笑)

お会いした皆様、お世話になった皆様、ありがとうございました。また、大量の画像と駄文の巨大エントリー最後までおつきあいくださってありがとうございました。

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2017年10月27日 (金)

第11回 青函連絡船講演会(予告)

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というわけで、大神さんから連絡が来ました。11月18日、船の科学館で講演会です。

大神さんからのメールによると・・・

今回のメインは「洞爺丸台風」ですが、1回で終わるような内容ではないので、「1回目」という位置づけで今後不定期に続くことになる予定だとか。

内容についても、これまでとは違った切り口でひと味もふた味も違うものになり、展示も初めて目にするものを多数・・・

だそうです。

大神コレクションや人脈などから一体何が出てくるのか、自分も楽しみです。

幸いにして連合音楽会も終わった直後の土曜なので久々の土日連続休みなので、設営から参加できそうです。

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さて、明日は中学校の音楽祭に顔を出さないと。1~3の全学年授業で関わってるので・・・特に1年生は現任校初の3年間フル・・・にしても、午前中に合唱コンクール、午後の最後に吹奏楽部なのでまる1日・・・まぁ、運動会もそうだったし、音楽専科の定めでしょうな。

で、夕方3泊4日の移動教室に行ってた6年生が帰ってくるのをお出迎え。ホントは今夜のナイトハイク・・・まぁ実質肝試しですがアメリカで言うところの「メリークリスマス」が「ハッピーホリデー」と言い換えてるのと同じ・・・にいるはずのない自分があらわれてサプライズ驚かせやろうと思ってたのですが、諸般の事情でNGになってしまいました。残念!今の6年生、大きな行事に全然関わってないんで、少しでも・・・と思っていたのですが・・・

さて、寝ます。

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2017年9月18日 (月)

29年目の9月18日

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今年も9月18日がやってきました。連絡船最後の日。画層は多分前にも使ってるような気がします。

この鐘は今どこにあるのかなぁ・・・

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復活運行の時、船尾扉を開けて流れる航跡を間近で見ることができました。

船尾扉の閉め切りラインよりも船尾に出させていただいて、記念撮影なんかもしているのですが、復活運行のごく初期だけのサービスでした。船内見学ツアーが常時行われるようになると車両甲板にロープが張られて後方へは出られなくなっていたのでした。

あれから29年。国鉄がなくなって30年。平成という元号など思いもよらず、時折見る21世紀がとか、昭和80年とか90年という年が途方もない未来に思えていたのですが、今や数えれば昭和92年。自分の人生の折り返しも過ぎて・・・

4便到着時刻の18:05にタイマーアップです。

忙しさと疲れで心が折れそうです。やりたいことは大体やったし、そろそろ潮時かなぁ・・・経済的な不安はあるけど、精神病んで再起不能になることを考えたら・・・と逡巡している今日この頃です。

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2017年8月26日 (土)

青函連絡船教室@鉄道博物館

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今日、前回のエントリーの通り、大宮の鉄道博物館で青函連絡船教室が行われました。前回は前日から設営したのですが、今回は当日10時集合で設営開始。前回と場所が変わってミュージアムショップの横のスペースで、こぢんまりした感じでした。

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3階のギャラリーから見るとこんな感じ。開始数分前の前説です。右側、keiichiさん作のおなじみ80分の1の十和田丸ですが、今回は青森2岸桟橋待合室と通路も登場です。紙ものは私のコレクション。

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定刻13時、てっぱくの学芸員の香月さんの司会で開会です。

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まずは西澤キャプテンの連絡船の話。基本的に一見さんを対象に「連絡船って何」って話なので、歴史、船の構造や特徴、エピソードとおなじみの話が続きます。

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冬服なので暑いので上着を脱いで話を進めていきます。白の盛夏服・・・・は船長の金筋がないので車掌とおなじだからやめた・・・と後で聞きました。で・・・

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えぇっと・・・このフリップ・・・いや、カレンダーの裏紙・・・ここ、てっぱくはJR東日本・・・「値段が3倍以上に・・・」もさることながら、競合する現行フェリーとの比較まで・・・

「出禁になっちゃうぞ(笑)」「このネタ、マリタイムミュージアムでやれば(笑)」と聞きながらメンバーでヒソヒソと笑ってました。

持ち時間25分・・・のはずが約1時間・・・いつものことです(笑)最初から1時間・・・って言ったら何時間になるんだろ?

続いては学芸員の香月さんによる電信と鉄道の話。西澤キャプテンの話の間レジメを何度も眺めていました。

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電信の発明から始まって、モールス信号のことや明治2年に東京-横浜で電信が開設されたこと、鉄道での電信の取り扱いが始まって、便利になったけど、どうでもいいような内容や、文が長くて手間がかかるようになったので、無用の通信をしない、通信量を減らすために、長くしないように言葉を短くして符丁を使うようになったというような概論の説明がありました。さすが学芸員さん、立て板に水という感じでわかりやすい話しっぷりでした。

で、それを受けるようにして大西さんの無線通信のお仕事、本日の主題です。

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いつぞやの船博の時の講演内容とほぼ同じで、無線の基本的な知識、モールス信号、連絡船における無線通信の内容です。

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画面には通信の内容が映し出され、テカケ、テヤマ、ノリホ、コソホといった用語の解説とどのタイミングで連絡するかなど実務の話がメインです。

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で、電鍵でモールス信号のやりとり実演です。大西さんと大神さんで実際のやりとりをします。モールス信号が響き渡ります。

予定時刻15:30を少し過ぎたところで講演会は終了。この後、撤収作業をしている横で電鍵体験コーナーとなりました。

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左側の2つが単式電鍵、右の2つが自動電鍵でしょうか。自分はあまりその辺詳しくないので・・・モールス信号っていうと左側のイメージが強いです。

さて、今回のkeiichiさんの十和田丸+青森2岸。

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オモテからの全体像。十和田丸の向こうに2岸の桟橋が。輸送郵便局も作れば・・・というリクエストには入りきらないよぉ・・・とkeiichiさんは笑って答えていました。船の手前の紙ものは自分のコレクションなのですが、講演会後に西澤キャプテン、今や超貴重品の当時の記念カード類をサインカードと共に惜しげも無く会場の皆さんにあげていました。大雪丸のデビュー記念カードや、石狩丸の竣工記念絵はがきとか、いや、それ、ヤフオクとかに出したらいい値段付くでしょ!って・・・曰く「家にたくさんあるし持っててもしょうがないし」と笑っていました。小さい子とかもらっても分からないだろうなぁ・・・

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トモからの全体像。2岸への通路、昨夜徹夜で作っていたそうです。で、充電するどころではなかったので今回は電気の点灯はなしということで・・・このためにシノハラのHOのフレキシブルレールを買ってきたとか。

桟橋通路の展示組み立てや車両配置、コンテナ乗せなどみんなでよってたかって最後の仕上げ。タラップの位置など部品が多くなると合わせ作業がなかなか大変になってきます。

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その桟橋通路。何せ、この場で初めて組み合わせるので、「ちょっと低かったか?」「ここ、確か線路2本あったような・・・」「建築限界はみ出してるよなぁ」等々、keiichiさんが言っておりました。こんだけ作れたらすげぇを通り越してると思うんですけど・・・大神さん曰く、このスケールだとあと4~5センチ高くすると実際の高さかな、と言っていました。

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「行ってらっしゃい」とか「よい旅を」とかリンゴのマークの垂れ幕作らないと(笑)いや、これリアルですねぇ・・・。「この窓、安田さんのデスクのあったところ」と大神さんが指差して笑っていました。

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うーん、絵になりますねぇ・・・

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今回壁面スペースがあまりなかったので、掲示物は正面モニターの両脇の十和田丸GAと海図、このポスターと右側に見切れてる渡島丸GAでした。

で、最後にみんなで・・・

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模型の作者のkeiichiさん、固辞されてこの中にまじってないのですが・・・

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カメラマンしてる姿をしっかりと撮られていました(笑)

この後、大宮で盛大に飲み会となったのでした。次回は秋に船館で講演会、てっぱくではお仕事シリーズで何回か講演会を・・・という事でした。秋・・・暦の上ではもう秋なんですが・・・10月11月は自分が忙しすぎて果たして行けるのだろうか・・・

さて、寝ます。

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