第18回 青函連絡船講演会
というわけで、遅くなってしまいました。第18回青函連絡船講演会。久ふりの船の科学館での開催でした。
この日、前任校の運動会に出席していたので現地到着が14時近くなってしまい、髙橋さんの「係船当番」の話は聴くことができませんでした。まぁ、大神さんから酒席でいろいろな話を聞いてますし、ドラマロケでキャンディーズのスーちゃんが来たときの写真とか垂涎なものも見せてもらっているし・・・で、今回期待の安田さんの大作GHQ占領下の青函連絡船第1弾からの参戦となりました。今回久々の船の科学館で空旅氏と自分が設営にいないのが相当ヤバかったと後で聞きました。
今回、画面の撮影はOKですが、blogなどに二次使用は・・・ということで、安田さんの作成した文字ベースのスライドを基本にいきます。
まずは戦時中の決戦輸送と空襲による連絡船全滅。
各船の犠牲者一覧です。
空襲から終戦にかけての運行状況。最後は7・8青函丸と傭船の樺太丸と軍艦千歳丸が残っていたことになります。
そして、8月15日。
樺太丸の中でも玉音放送を船長室で聞いていたことが書かれていますが、この書き方だと船客はリアルタイムで玉音放送を聞いていなかったことになります。
そしてその後の運行。
終戦後、輸送逼迫であちこちから船をかき集めてきて・・・
GHQの指令で運行状況が変わってきます。画面に映る船腹にSCAJAPナンバーがでかでかと・・・
そして、自分の中でかなり謎だった小湊桟橋とLST
青函連絡船「栄光の功績」にはサクッとしか書かれていないので、何となくしか知らないし、2016年の夏に安田さんや大神さんと一緒に小湊桟橋跡に行ってはいるのですが、その顛末は過去のエントリーで。
LST12隻貸与・・・が実際は2隻。その問題点。
決定から返還までの年譜。
実際の運行。有川-小湊で7時間半、まぁ、上陸用舟艇ですからせいぜい10ノットしか出ないわけで、さらに貨車の積み下ろしも仮設の線路のような状態で半人力なので時間がかかる・・・と。小湊の可動橋は第六青函丸がテスト接岸したっきりで使わなかった・・・その写真もスライドにはあったのですが、先述のようなわけでここではお蔵入り。
で、LSTの寸法や乗員。
船内は3線指揮として、船首にバウランプを設置。狭い船首扉から出し入れするので、石炭輸送の無蓋車のトムが基準になっています。
そのLSTの船首部分の図面。
日本国有鉄道百年史にある石炭輸送の写真。LSTの特徴的な船首が開いています。
緊締具はこんな感じ。
着岸操船。現地に行ったときにドルフィン跡から見える沖合があまり広く感じられなかったのと元が上陸用舟艇で砂浜に乗り上げる船体構造だけに相当操船が難しかったんじゃないかなぁ、と思います。
わずか1年だけの運航で、日の目を見ることがない小湊桟橋とLSTですが、戦後の混乱期をどう乗り切っていったかという史料として貴重なものだと思います。
さて、続いては飾り毛布実演。今回は摩周丸に展示してあるミニ飾り毛布の再現。
上杉先生の解説で吉田さんのパフォーマンス。
展示されている作品群。
画面には摩周丸船内に展示されているミニ花毛布。目の前でリアルに折られていく毛布。
この作品、摩周丸での展示には連絡船の模型が置いてあって、「模型は・・・」客席から「あるある・・・」「あれ・・・」とどよめきとも笑いとも何とも言えないリアクションがあり、毛布に鎮座したLSTの模型。
こんな感じになりました。そのLST模型は・・・
こんな感じに船内も作られていました。これ、フルスクラッチですよねぇ・・・
さて、今回の展示、コレ、ほしいなぁ・・・
すごすぎです。ケース内展示は安田さんが青森ヒストリーアーカイブ所蔵品を借用してきた貴重品。写真撮るのはOKだけど、紙がボロボロなので折り曲げるコピー不可。二次使用はきちんとキャプション入れてください、とのことです。
このあたり、6年生の社会科の史料としても使えますねぇ・・・と。
そして、楽しい飲み会となりました。
お会いした皆様、ありがとうございました。
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