1月14日(土)大宮の鉄道博物館で行われた企画展「鉄道の作った日本の旅150年」連動イベント「青函連絡船の旅~鉄道連絡船ってなんだろう?~」が行われました。画像はイベント体験の1つとして行われた切符の日付入れ体験で使われた連絡船の疑似硬券。17便は連絡船講演会の通算回数です。第1回が2013年3月10日の終航25周年、ナンバリング以外の講演会もあるのですが、西沢キャプテンが鬼籍に入ってしまい、皆さん年々高齢化が進む中10年にわたって続く講演会となりました。
今回は鉄博側の意向もあって、家族連れ向けのイベントという形式を取ることになりました。また、コロナ対策でアプリ抽選で定員制。まぁ、ガイドツアーも講演会も場所区切ってはいますが、オープンスペースなので立ち聞きできるので定員制と言ってもあまり意味は・・・
で、当日朝寝坊。人が少ないのに・・・と怒られ・・・10時45分頃、1時間45分遅れで到着。すでにkeiichiさんの十和田丸は設置済で、持ち込んだ紙ものを並べて・・・当のkeiichiさんはといえば「可動橋持ってくるの忘れた!」と自宅に取りに行ったとか・・・
その十和田丸。まずは前方から。
続いて後方から。今回「キッズ向け」ということで絵本「青函連絡船ものがたり」を持っていきました。居合わせた皆さん、本の存在は知ってても読んだことないらしく、中を見て「これ、絶対子供向けじゃない(笑)」と強調してました。絵を描いた黒岩さん知らない人多いようで・・・上手なの当たり前です、国鉄の・・・と説明してあげるとさらに「絶対大人の絵本だ」と・・・
今回、この模型で一番ウケたのがコレ。それ作るか(爆笑)
昭和62年3月31日国鉄最後の日。連絡船を運航しながらファンネルのJNRマークの上にJRマークを貼る作業をしていたのを足場含めて再現。これはもう笑うしかなかったです。keiichiさん曰く「今回一番大事なもの」だそうで・・・
すでにガイドツアースタンバイで皆さんおらず、作業してワッチして戻ってくるのを待ちます。待っている間にEF5861の写真を撮りに行って・・
さて、ガイドツアーは朝寝坊と作業で前回同様スルーになってしまいました。タイトルが「親子で体験! 青函航路ガイドツアー」でアプリ抽選ですので、お一人様まにあには参加のハードルが・・・これは後の講演会の空席にも影響が・・・
続いては「鉄道連絡船ってなんだろう?~飾り毛布体験付きイベント~」全部で1時間設定で10組で1組3名までという人数と体験テーブルが森本さんと吉田さんの2人、体験1チーム5分で2テーブル各5チーム25分なら講演30分程度?時間タイトなので、大神さんの奥さんがフリップ出してタイムキーパーに。
まずはいつも通り吉田さんのドラから。タイトルがフリガナ付き&キッズ向けのノリです。が・・・内容はキッズ向けというよりは大人の社会科見学という感じです。
パワポ動画で連絡船のギミックを紹介するあたりは非常にわかりやすいです。
で、実際の船内と貨車の出し入れの画像。貨車の出し入れは動画なかったのかな?
連絡船の概要が約20分程、この後、吉田さんから飾り毛布の簡単な解説が。
こちらもタイトルがキッズ向け。後ろ姿観客にキッズが少ないのは・・・
くつろぎ・おもてなし・いたわりの飾り毛布の意義を語っていきます。
基本の形を紹介して実演と体験へ。
たけのこをつくる森本さんと解説の吉田さん。一般のお客さん画像は撮影もはばかられたのでナシで。一番前で食い入るように見ていたキッズがまず手を挙げて参加。その後いろいろな方が参加していましたが、女性が多かったように見えました。また、北海道からという方が多く、考えてみればこの時期北海道はまだ冬休み。東京に遊びに行ける時期で、ディスニーランドと鉄道博物館は遊びに行くゴールデンコースの1つだとか。
今回の飾り毛布の展示。ヒツジとかウサギはシールで目をつけて一段とそれっぽくなってました。小さいのはバスタオルで作ったとか。でかい毛布よりは作りやすいと思いますけど、飾り毛布のねらいとはちがうところに行ってしまっているような気が・・・
今回配布された折り方の説明書。毛布でもできるかな?
さて、その後は「青函連絡船と鉄道の旅~講演会~」で髙橋さんの出番です。今回のお題は「青函連絡船津軽丸と旅」
タイトルは「海の新幹線 津軽丸の航海 通過地点はこんなところだった」
基準航路と昭和40年当時の22便の時刻で函館から青森までの航海を。
津軽丸・・・ん?昭和40年当時はイルカのシンボルマークはなかったんじゃ?というか22便が12:15というのに違和感が・・・
函館の灯台交わして、葛登支岬、大間・・・と時刻を追って周りの風景と名所ガイド。大間のマグロ、5切れ500円で味は普通のマグロと同じ・・・って日頃どんだけいい魚食べ慣れているのやら・・・いや、乗組員時代函館在住ならさもありなん・・・
下北半島周遊便などの話もあり、焼山も登場。
そして、青森入港。えっと・・・タイトルはキッズ向けでしたけど、内容は大人の社会科見学って感じ(笑)
さて、最後は安田さん。お題は「青函連絡船と歌謡曲」これ、著作権と版権、芸能事務所の許諾などややこしく大変だったそうです。鉄道博物館もJASRACと交渉して一部の施設でのみ包括契約してるとか。公益財団なのになんで?営利目的じゃないでしょ?っていうのは通らなくって、いかなる形であっても対価が発生している以上は営利。いや、音楽を聴くためでなくって入館料、というのも通らず、施設全体で営利だからそこで音楽を使う以上は営利目的・・・という、まぁ・・・(以下、高度に政治的事情により省略)
まずはお題の前に「青函連絡船で思い浮かぶ歌は?」と観客に問います。皆さん口を揃えて「津軽海峡・冬景色」と答えていました。まぁそうでしょうねぇ。今回連絡船に関わるレコードをたくさん借りてきて陳列しましたが、パワポの中では一切使っていません。というのもジャケットの使用許諾がレコード会社やプロダクションから下りない、またはそこそこの使用料が発生するというのと、その画面を不特定多数に撮影されるのは・・・というわけです。さらにケース内の展示もできない、というのもあって、なかなかややこしいことになっていました。
で、このようなタイトルになったわけです。今回はスライド枚数30枚くらいにしたと聞いて、0が一個違うんじゃ?(笑)というネタになりました。まぁ、わかりやすいっちゃわかりやすい内容ですね。ここで初版のレコードジャケットの使用許諾が下りなくて現物を見せるだけ、という形を取らざるをえなくなっていたわけです。
連絡船にかかわる曲目リスト見るとそれはまぁ多いこと多いこと。我が家はレコードプレーヤー現役なので、貴重なレコード群、持ち帰ってデジタル音源化しようか?・・・安田さん曰くこの持ち主、このblog見てて自分のこともわかってるから大丈夫だと思うけど・・・でしたが、借り物の又貸しはモノがモノだけにちょっと怖いのでやめときました。
で、なんでそんなにたくさん曲があるの?ってわけで、言葉を集めて分析・・・
んっと、スライド4枚あって、あと2枚は連絡船そのものと函館港。うん、演歌は日本人の魂ですってのがよくわかります。ココに出てきた単語テキトーに並べたら演歌の歌詞になりそうです。
で、津軽海峡・冬景色
最初からシングルカットされたわけではなく、石川さゆりが売れなかったじだいのLPレコードの中の1曲。
でもって、タイトルに「・」が入るか入らないかのネタと初版ジャケットの話。ジャケットの使用許諾がコロンビアレコードから下りなかったので展示もなしで講演時に現物をちょっと見せるだけでした。
で、マニア的に気になるのは連絡船は何丸?ということです。そこで・・・
これ、問い合わせたら小西氏が連絡とって、5分とたたないうちに阿久悠氏の長男深田太郎氏から速攻で連絡あったとか。
昭和50年9月28日(日)7:10の連絡船に乗り、メモには「羊蹄丸」と書かれている、で、着想を得たのは羊蹄丸に乗ったときではないか、そして「上野発の夜行列車」は・・・
当時の上野発の夜行列車、傷心旅行なら急行でしょう、ならば「八甲田」ではないか。
自分もそう思います。当時の寝台特急はまだまだ高嶺の花で、当日思い立って寝台券が取れるものでもないので、自由席、それがあるのは急行。急行津軽は対東北連絡がメインで北海道連絡は八甲田か十和田ですが、十和田は全車指定席。窓口で青森までふらっと買える当日確実に乗れる列車は消去法で八甲田しかないんです。傷心旅行でヲタみたいに寝台がとか他に空いてる列車がとか窓口で交渉する心の余裕なんぞないでしょうから。この辺は同じように出だしを列車をモチーフにして別れを歌った「木綿のハンカチーフ」とはシチュエーションの違いでしょうね。こちらは夢を追って東京へ行くわけですから。
この後、楽曲の分析で3連符と歌詞の割り付け、韻の踏み方などにつながっていきますが、歌詞や楽譜は著作権が気になるので画像パスします。自分の楽曲分析とはちょっと違うんですけど、ま、それは聞く人と解釈する人の数だけあるので。
歌詞にある竜飛岬、海図は龍飛埼、国土地理院は龍飛崎で、3連符のリズムに乗せるのには「たっぴみさき」でないと、と地理を交えて解説が進みます。これくらいなら載せて大丈夫かな。引用として大丈夫でしょう。4拍1小節だけだし。
でもって、作曲は?というところに踏み込んでいきます。この曲、曲先です。
作曲の三木たかし氏のエピソードだとバンドやってた16~7才の頃に札幌から帰る時、雪が舞ってきてそこからイントロがうかんだということで、その時代、昭和36~7年頃なら洞爺丸型か洞爺丸の代わりに作られた初代十和田丸のはず。安田さん的には十和田丸のイメージが・・・
洞爺丸型はタービン船だから音が非常に静かで、ディーゼルの音がうるさかったというエピソードが残る初代十和田丸。津軽丸形も出港時はゴンゴンゴンって音が結構しましたので、イントロの「ダダダダーン」はディーゼルエンジンの咆吼が印象に残ってたんじゃないかと自分は思いますけどね。
で、初代十和田丸。
洞爺丸沈没の教訓を生かして客席はすべて貨車甲板の上、船尾扉など安全対策が取られてました。
この後石川さゆりさんの語るエピソードの雑誌の紹介ですが、これまた著作権が・・・
連絡船がなくなって30年以上経っても未だに新しい歌が作られている、2016年のサントリーBOSSのCMが北海道新幹線開業編では北島三郎&石川さゆり、トミーリージョーンズで作られて・・・サントリーさんから上演許可出なかったんでYouTubeとかで見てください・・・
この後参考文献の紹介で感じで終わりました。
keiichiさんの十和田丸の前で帽子被って記念撮影会、でもって記念硬券渡してダッチングマシンで日付入れ体験してパンチを入れる、捌けた切符の枚数から100人くらいは立ち寄ってくれました。ダッチングマシンはともかく硬券はおろか切符のことをしらないお父さんお母さん世代になってきてるんだなぁ、と思いました。
次回はいつできるかな?・・・朝寝坊しないようにします。
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