« DLやまぐち号 その2 | トップページ | 夏休み! 山口遠征その2/DLやまぐち号7月22日編 »

2021年8月 7日 (土)

夏休み! 山口遠征その1/周防大島と大島航路跡

いよいよ夏休み。去年はお盆しか夏休みなかったのですが、今年は例年通り。まぁ、子供は休みでも先生は公務員なのでここぞとばかりに研修やらなんやら・・・がコロナでリモートばっかり。この夏は吹奏楽部の練習もボチボチと。

コロナの感染拡大で都から「部活中止、ただし、大会や演奏会、コンクール参加のための練習は行ってよい」という意味不明のザルな通知が。まぁ、世界運動会も甲子園もアレもコレもやってって今さら・・・感染者数爆増しても死者増えないというわけで、一段とただの風邪化してるんじゃなかろうかと・・・ワクチン打ちたくないけど立場上・・・さらにワクチン打ってないとNGなワクチンパスポートなるものとか・・・で、仕方なく予約をしてしまいました。

さて、6日から学校が17日まで閉庁となります。日直や電話番を置かなくてよい期間となるので、所定の夏期休暇と土曜授業の振替をここでまとめ取りということになります。働き方改革でうんたらといったところで、実態は何も変わってないという・・・

で、コロナ拡大で帰省するな県境越えるなとか何とか言ってますけど人生の目的はコロナに感染しないことではないというわけで、4連休利用して墓参りとDLやまぐち号夏ヘッドマークに行ってきました。

_dsh5689

20日終業式の後、スターフライヤー最終便で山口部空港へ。JAL最終便だと勤務時間の都合で間に合わないので・・・で、本家が周防大島なので行きがかりにお約束のここで。早朝は貨物列車三昧だったのですが、疲れて車の中で爆沈してしまい、目が覚めたら完全に明るくなってました。

_dsh5707

社会科の授業で使えそうな画像になりました(笑)物流の大動脈ですね。

_dsh5774

これ、EF210-901。なんかイメージ違うな・・・と拡大したらナンバーが901でした。レアものゲット。

_dsh5668

柳井-伊保田-三津浜航路に就航しているフェリーしらきさん。周防大島の白木山からのネーミング。柳井-三津浜航路で唯一伊保田に寄港する船です。1日3往復。伊保田-三津浜間は国道437号の海上区間で周防大島松山フェリーの運行です。他のおれんじ〇〇のシリーズは伊保田には寄港しません。同じ塗装で、同じHPに記載されてますけど、こちらは防予フェリー。会社が違います。

Y0002

大島大橋の下を行く防予フェリーのおれんじまーきゅりー。柳井-三津浜直行便。これ、周防大島の飯の山展望台から撮ったものです。日本三大潮流の一つ、大畠瀬戸と大島大橋を一望できる絶景スポットで、かすんでなければ撮り鉄も可能ではありますが、列車はどこだになってしまいます。何年か前特別なトワイライトここで撮ろうかと思ったのですが結局定番の橋の上で・・・本州から行くと上がり口が鋭角ターンで、途中からこの道行って大丈夫か?という感じになり最後の展望台は草木の中に埋もれ、近づくのがヤバい感じが・・・今年、展望台自体はきれいになっていましたが、鬱蒼とした道のりは知らなければちょっと躊躇するでしょうね。

伊保田寄港便は自分の子供の頃から何度も変わってます。岩国と松山観光港を結ぶ汽船だった頃は大阪から関西汽船に乗って乗り継ぐとかしてました。その後松山側が三津浜港になりフェリーだけでなく水中翼船や高速艇が伊保田寄港便に就航していました。高速艇は急行料金が必要で、フェリーより高かったです。基本というか親会社が防予汽船だったのですが、フェリーの寄港がなくなり、実際の運営会社というか子会社はころころ代わり、高速艇は岩国松山高速が運営し、2005年頃に撤退、フェリー埠頭を直して伊保田港改修して再びフェリーが寄港するようになりました。レンタカー積んだこともあります。

この大島大橋ができるまでは山陽本線の大畠と周防大島の小松港の間を国鉄大島航路が結んでいました。青函や宇高とちがって駅直結ではなく、大畠駅の改札を出て道路を500メートルくらい歩きました。大畠港は面影が残っていません・・・

Y0020

Y0001

大島側の小松港跡地に記念碑が建っています。小松港は国鉄の駅扱いで、駅舎や待合室、みどりの窓口、駅のスタンプもあり、今の大島病院が建っているところがバスターミナルになっていました。島内各所へ国鉄バスが出ていて、賑わっていました。連絡駅となる大畠駅には急行が止まり、朝4時台から23時頃まで1日34往復、しかも国鉄航路唯一の黒字路線だったのですが、昭和51年7月4日をもって大島大橋の開通で廃止となりました。小松港に発着していたバスは大畠駅からの発着になり、一部の便は柳井まで延長されていました。が、モータリゼーションや過疎化が進み路線縮小、路線を防長交通が引き継ぐも、旧東和町の最奥、伊保田の向こうの周防油宇まで行く直通バスは気がついたらなくなってました。途中でスクールバスか時刻表に載ってない福祉バスに便乗という・・・その昔は狭い国道を民家の軒先をかすめるようにして国鉄バスが走っていて、新人の運転手が屋根にぶつけて・・・なんてことがあったんですけどね・・・大畠駅で国鉄バスの硬券も売ってました。

その大島航路、2007年にアップしてます。

大島航路その1  大島航路その2 大島航路その3 大島航路その4

202108060002

そのバスの硬券。この切符の伊保田だけでなく途中の久賀とか安下庄も国鉄バスの駅扱いで硬券で鉄道線まで含めて東京とか大阪まで直通切符が買えたわけです。国鉄自動車線の駅というわけで。

202108060001

202108060003

大島航路の終航記念カード。コレクションから出てきました。そんなこんなで本家に行って墓参り。ついでに自分がお宮参りをした筏神社へ。ここの社殿、宮大工だった自分の曾祖父が建てたという話を聞いていますが、何年ぶりに来たんだろ?

Y0018

Y0019

看板の「周防大島町」ってのが微妙に不自然ですが、ここ「大島郡東和町」って入ってはずです。周防大島はもともと山口県大島郡でその下に大島・橘・久賀・東和の4つの町があって、それが平成の大合併で周防大島町となったわけで、各種看板がこのように修正されています。

そして旧東和町といえば外せないのが「陸奥記念館」。柱島沖で爆発事故で沈没した戦艦陸奥の引き上げ起工式と慰霊祭やったのもこの神社。三好艦長の奥様や県知事、防衛政務次官やら呉所属の護衛艦が参加してそれはそれは盛大に行われた、とじいさまから聞いています。当時自分は5歳でしたが、その後陸奥の引き揚げや記念館建設に議員やってたじいさまが関わっていたので帰省の折に話を聞いていました。

陸奥記念館は2010年8月15日にblogにあげているので・・・

さて、次回はDLやまぐち号夏ヘッドマーク編です。

|

« DLやまぐち号 その2 | トップページ | 夏休み! 山口遠征その2/DLやまぐち号7月22日編 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« DLやまぐち号 その2 | トップページ | 夏休み! 山口遠征その2/DLやまぐち号7月22日編 »