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2019年3月

2019年3月30日 (土)

第14回 青函連絡船講演会 その2

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というわけで、PART2。安田さん渾身の作、第九青函丸。
竣工からわずか2ヶ月のまぼろしの青函連絡船。その生涯をたどる・・・
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このネタ、戦時標準船って何?というのを分かってないと何のことやらさっぱり・・・で、そのベースにある国家総動員法とか軍令部とか海軍とか、その辺りの知識が多少なりともないと理解が苦しいかと・・・さらに優秀船舶建造助成施設とかそれで新田丸が特設空母沖鷹に改造されたとか先の大戦の後大洋航路の客船で残っていたのは病院船になっていた氷川丸だけだったとか、そういった戦時の客船、商船の知識も必要かと・・・思っちゃったりします。さて・・・
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今回の元となった資料の一部。著作権とか旧軍関係など様々な制約で資料が開示されない、されても公にできないものも。
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その中でも船務部長の吉澤氏の直筆原稿は現物が登場。大神さんと親しくしており、書かれた当時、大神さんが各所にコピーを配り、引用されまくっているとか。
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でもって、様々な記録に潜水艦による撃沈とか航空機による攻撃とか書かれています。これは戦時造船史。海軍艦政本部の技術少佐の著書です。
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こちらは鉄道友の会の英文表記。航空機による爆撃と書かれています。
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で、第十二青函丸までの貨車航走史。
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第三青函丸と第四青函丸は戦前の設計・・・
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すでに日中戦争が始まっていたので、連絡船の現状は省外極秘となっています。
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翔鳳丸型4隻、第一青函丸~第三青函丸まで就航しています。第四青函丸はというと・・・
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海軍大臣へ建造が移管されても、そのまま続工として建造が続けられました。まぁ、ありとあらゆる船を徴用して特設空母などに改装してた海軍といえども、北海道から石炭などの物資輸送をする青函連絡船だけは国策の生命線ということで特別扱いでした。
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で、浦賀ドックで第四青函丸の建造にかかわった方のエピソードも交えて・・・って、95歳とは・・・生きている方がいるうちに証言を残しておかないと・・・という限界に来ているのでしょうねぇ・・・
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政府は戦争遂行にあたってどのくらい船舶が必要か、損耗率はどのくらいかという試算をして、いける、と判断したんでしょうが、山本五十六をして半年や1年は暴れてみせましょうという言葉の通り、あれよあれよという間に船を失い、対する米国の生産力は貧弱な日本の生産力への皮肉を込めて、隔月刊正規空母エセックス級、月刊軽空母インディペンデンス級、週刊護衛空母カサブランカ級、日刊駆逐艦フレッチャー級、三時刊輸送船リバティ等、新聞やら週刊誌の発売のペースで次々と投入され、戦力の差は開くばかり・・・
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その結果、想定の4倍もの船舶を失い、世界第3位だった日の丸商船隊は壊滅、まともな外航客船で残ったのは氷川丸と関釜連絡船の興安丸だけという・・・
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そんな状況だったので、とにかく数が欲しい。動けばよいということで、戦時標準船という設計・製造が始まります。
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その根拠。とにかく船の数が欲しいわけで・・・損失は政府が補償。つまりは税金。
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時代の空気が伝わってきますね。船はすべて海軍大臣の所管、国家総動員態勢です。
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寿命が短くて良いからとにかく大量に船を作れという・・・
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でもって、タンカーで多少油漏れてもかまわない、とにかく南方の石油を持ってこられればよいとはいえ、そこまでですか?という性能の切り詰めを忍ばなくてはならないほど追い詰められていたわけで・・・ついに連絡船も戦時標準型になるわけで、その最初が第五青函丸。
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ですが、第二次戦時標準船の性能はといえば余りにお粗末。戦時中の各種困難さを鑑みてもそりゃないでしょう?って性能要求です。
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で、そんな中で就航した第五青函丸。さすがに青函連絡船の重要さは軍もよく分かっていて、戦時標準型とはいえ、それなりの性能でした。
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さすがに士官室も大部屋、船員食堂不要で弁当持って乗船というのはあんまりだということで撤回になりましたが・・・
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こんな感じで量産体制を作っていったわけですねぇ・・・
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原則として法に準拠・・・つまりは動ける船なら法には目をつぶるという法治国家としてはありえないことを軍が求めてるという・・・
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それで、第九青函丸の設計はさらに簡略化されていくわけです。
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それでも第九青函丸はできがよかったそうで・・・
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その特徴。髙橋氏のイラスト。
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第九青函丸は戦争末期、敗色が濃くなった時代の船。
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で、対潜対空兵器も積んでいました。
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さて、回航の顛末になります。
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連絡船の船員は軍属扱なので、万一の時は戦死になるわけです。
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横須賀鎮守府の海上護衛の諸方策の中に青函連絡船の回航護衛が載っています。軍事物資の輸送に欠かせない船故に軍としても方策を立てていたのでしょう。
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この記録には第三青函丸とありますが、時期的に???で、違う船ではないかと・・・
連絡船から海軍に護衛手配を頼み、鎮守府で船長から事情聴取したところ、青函航路のみで外洋航海経験が乏し、技量が低い、編隊航行や対潜警戒の知識が無いという判断で、護衛をつけることになったわけです。
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それで、回航に当たって海軍武官府との会議はこんな内容・・・まぁ、当時は船員は軍馬軍犬軍鳩以下の扱いでしたからねぇ・・・
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さて、その回航ですが、横浜集合でいきなり係留していた機帆船にぶつけ・・・
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海防艦四阪に護衛されて出航。画像は護衛作戦の命令書。
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その内容。
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内容その2
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その3
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航路選定の理由。通常選ばない航路を潜水艦対策のために海軍の命令で航行することに。
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護衛にあたった海防艦四阪。ただし、乗員は促成栽培のため技量が低かったとか。
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それで、横浜出航後、今度は漁船と衝突して沈没させてしまいます。舵が効かない・・・蒸気配管元弁を間違えて閉めるというヒューマンエラー。
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が、救命活動をしている中、出航せよの命令が。その後・・・
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暗礁に乗り上げてしまいます。
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被害の確認をし・・・
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その程度が判明し、ようやく船長は暗礁乗揚げを認めたわけです。
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で、投錨。
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そんな中、警戒隊員は爆雷の信管を抜きに行きます。
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投錨地点。
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そして遭難通信。
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海軍暗号書。これを元に通信をするわけですが・・・
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文言が5ケタの数字に対応しています。
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さらに乱数表と組み合わせてとなるわけで、無線を打電する前の作業と複号の作業が大変なわけです。対米宣戦布告が遅れた理由の一つがこれ。
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で、暗号電文の例。
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四阪の船名符号が不明のため、こんな表示に。
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暗号文と復号文。しかし、四阪からは返答がありません。仕方ないので・・・
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鎮守府宛に打電。このあたり、四阪がスルーしたのか、電波管制で軍令部とか上層部の許可なしに打電できなかったのかわかりません。後で安田さんが連絡船側の視点、軍批判の視点だけでは語れないというようなことを言ってました。
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で、鎮守府に打電後、四阪から入電。
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その様子を再現する大神さんと大西さん。大西さんの画像うまく撮れなかった。
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救命艇で遭難連絡を命令。
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電報の有無を確認。
さて、海軍側の船団護衛任務のしかたはこんな感じ。
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海防艦1隻だけでの救助は危険である。夜間は浮上して砲撃してくる・・・という攻撃を受けた場合の戦訓あるわけで、コレにあるとおり二次的考慮となると四阪が応答しなかったという行動の裏付けになってくるわけです。
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で、警備隊長から打電命令を受けた横浜警備隊経由でも応答なし。
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結局総員退船、横須賀鎮守府に打電で、ようやく四阪から反応があったという次第。
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SOSを打電し、沈没。実際に大西さんがSOS打電実演してました。
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そのSOSを受信したのは函館。
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座礁から沈没までの動き。
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その汽笛を聴き、救助を行った勝浦の漁船。川津の喜平丸は船名を受け継いで現存しており、当時の様子を聴き取ることができたそうです。最初、勝浦の教育委員会に問い合わせたところ、???で、その後調べていくうちに歴史を掘り起こすことになっていったそうです。
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画面の切り替わりの画像で見づらくてすみません・・・
遭難慰霊碑を改めて建立するなりして歴史を残すことができれば・・・ですね。
この段階で時間をかなりオーバー。大神さんがその場で後何分のフリップを作って出してました・・・終わりの時間とか寒いこともあってこの辺りから撤収作業が始まり、自分も手伝っていたので後の画像が・・・
とにかく、一体何枚あるんだというくらい膨大なスライド枚数のパワーポイントで、これでもかなり絞った方ですが、エントリーにえらく時間がかかってしまいました。
その後、盛大な宴会に。
お会いした皆様、ありがとうございました。
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春休み、校舎移転の引越でへろへろです・・・今日もこれから出勤です。夕張行きたかったなぁ・・・

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2019年3月24日 (日)

第14回 青函連絡船講演会

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というわけで、土曜日に第14回青函連絡船講演会が行われました。トップ画像は第8青函丸の一般配置図。他にも第3青函丸、第4青函丸もあって、よくもまぁ戦標船の図面が残っていたもんだと・・・
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天気がよろしくなかったので、そんなに人来ないかなぁ・・・と思ったらざっくり70~80人は集まったでしょうか、イスが足りなくてかき集めてました。
さて・・・まずは吉田さんの出航の銅鑼から。
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で、今回はいつもと順番を入れ替えて四方海話から。体調不良の西沢キャプテンの代務は髙橋さん。今回のお題は・・・
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というわけで、エピソードを交えて次々と。栄光の航跡などの書籍で読んだことのあるエピソードも。
かいつまんで画像の羅列で。
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とまぁ、こんな感じでの紹介でした。
続いては飾り毛布実演。今回は上杉先生がいらっしゃらないので、吉田さんと森本さんの二人で実演です・・・が、折ってると二人とも無口になって、折っている音しか聞こえない(笑)
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今回のお題は「折り重ねる」毛布を折り重ねることで折り方が複雑になって・・・という実演です。
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と、折り方がどんどん複雑になっていきます。
この後休憩を挟んでメインの安田さんの第9青函丸ですが・・・あまりにも巨大なエントリーになりそうなので分割です。
niftyのblogのリニューアルでとんでもなく使いにくくなりまして、エントリーを試行錯誤してます。これで改善って何考えてんだか・・・画像のアップとかサイズ指定できないし、勝手に横100pixのサムネイルにしかならないし、サムネイルにしなければ画像見切れるし・・・結局htmlタグを叩くしか対応ができないってblogの意味ないじゃん・・・富士通日商岩井からノジマに身売りしてからグダグダすぎる・・・

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2019年3月17日 (日)

おおさか東線 全線開業その2

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おおさか東線全線開業で唯一それらしい記念品。直通快速の久宝寺-王寺間で配っていた乗車記念証。朝からそれらしい放送も記念品もなかったので、まぁ、通勤路線ということもあってそんなもんかと思っていたのですが、奈良からすると新大阪で新幹線直結というのはそうとうインパクトのある出来事なんでしょう。近鉄で京都と繋がってる・・・とはいえ、JRで繋がるというのが大きいのでしょう。イラストが九州新幹線なのは、東京方面からは京都で近鉄、九州方面からは新大阪でという意味合いがあるのかと思います。

 

で、奈良駅に着いたら、ご当地キャラクターがお出迎え、いろいろと配っていました。まぁ、いつものお約束の観光パンフの束ですが、それ以外にはこんなものが・・・

 

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記念のステッカー。

 

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記念の缶バッチ。これ、あっという間になくなってました。パンフレット詰め合わせ袋には

 

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開業パンフデザインのクリアファイル。

 

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ポケットティッシュ、このあたりが「開業」の文字入りで、後はひたすら観光パンフでした。他にも三輪そうめんを配っていました。

 

で、新開業各駅の入場券。みどりの券売機が大行列になってました。なんでかというと・・・・

 

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入場券はあっという間の発券ですが、こういう乗車券が発券できるので・・・たまたま南吹田で後ろの人が少なかったのでちょっとやってみましたが・・・やってる最中にあっという間に行列が。普通に新幹線の切符を買う人もみどりの券売機なので、世間の迷惑にならないようにしましたです。

 

が、これを駅毎に一人で1枚ずつ何操作もやってる人がいて延々と列が進まない・・・さらに駅毎に無効印、スタンプ等々改札窓口がふさがる・・・で、放出-新大阪1番電車、新大阪からの1番の直後、鴫野からの折り返しパターンで人多すぎでホテルの朝食時間に戻れなくなってしまう・・・ので、飯食ってから出直せばいいや・・・ということにしましたです。

 

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その南吹田駅。

 

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JR淡路駅。

 

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城北公園通駅。

 

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JR野江駅。この後久宝寺まで乗って、さて・・・と思ったら直通快速が来たので、何となく乗ってみたら記念証ゲットとなったわけです。

 

おおさか東線内では配ってなかったんでしょうね。久宝寺発車後、王寺までの間に全員に配ってました。

 

さて、疲れたから飯食って寝ます。金曜日卒業式だし。ピアノ真面目に練習しておかないと・・・

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2019年3月16日 (土)

おおさか東線 全線開業

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というわけで、1番電車に乗ってきました。大阪4:55発の環状線で京橋乗り換え、放出へ。これしか大阪から電車で間に合う方法が・・・それで大阪駅の真上に連泊という超贅沢。

 

で、現着するとすでにたくさんの人が・・・まぁ、当たり前と言えば当たり前ですが。

 

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放出の改札前にこんなのが。で、ホームに降りると・・・

 

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行き先の下に「全線開業」のお知らせがループしてました。

 

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5:29に1番電車が入線。先頭は黒山の人だかり。各車とも立ち席が多く、かなりの乗車率。女性専用車のみガラガラ。久々に201系を見ました。

 

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窓にはこんなラッピング。

 

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横の表示。で、混んでるので、そのまま立ったまま大阪へ。

 

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で、大阪ですぐに折り返して久宝寺行の1番電車に。速攻で改札出て入り直してギリ駆け込み。

 

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新大阪駅1番線。南吹田の表示。

 

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久宝寺行1番電車。これで鴫野まで行き、各駅乗ったり降りたり開始。

 

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これ、各駅でやっていたのですが、南吹田だけ乗ってたドアの場所と遠くて撮れなかった・・・。

 

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鴫野へ入線してくる201系。

 

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じぇいあーるのえ・・・全部ひらがなで書くと何か間抜けな感じが・・・

 

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式典の看板設置中でした。

 

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1番電車の中から撮れたのが野江、城北公園通、淡路の3駅だけ・・・

 

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さすが城東貨物線。通過表示でこんなのが走って行きました。

 

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式典、パネルで目隠しされて見られないです。看板が隅っこにあったので無理矢理こんな感じで撮ってみました。

 

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ヘッドマーク付の新大阪行。淡路でちょうど並びました。

 

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雨が降ってきて、新大阪から戻ってきたヘッドマーク付編成。

 

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ここだけ横断幕撮れませんでした。で、入場券をみどりの券売機で買おうにも、人多すぎで野江・城北公園通の2駅は断念。入場券だけでなく、駅名指定で一人で何回も操作する人多すぎで、ホテルの朝飯タイムに間に合うように戻ることができなくなるので、朝飯後に出直し・・・で大阪に戻り、出直しで新大阪に行くと・・・

 

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式典が終わったところでした。でもって、新規開業駅の入場券をそろえて放出に行くと、直通快速奈良行が。何となく乗ると、何と乗車記念証の配布が、1番列車ではそれらしい放送もなかったので、これはびっくりサプライズ。さらに奈良駅では記念品配布。これはラッキーでした。

 

で、せっかく奈良まで行ったので、春日大社くらいは行ってくるかぁと・・・で、大和路快速で戻って飲んだくれてコレ書いてます。さて、明日はどうすべぇ・・・とりあえず寝ます。入手したものは帰京後にスキャンしてアップします。

 

それにしても日本語より外国語が目立つ大阪に奈良・・・うーん・・・

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2019年3月15日 (金)

今宵は・・・

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今宵はちょっと・・・いや、日常の行動パターンからするとかなり贅沢な宿に泊まってます。部屋からの画像がこれ。鉄部屋をリクエストしたわけではないのですが、鉄ヲタ歓喜のお部屋です。で、何しにここに来たのかというと、明日,、おおさか東線の開業乗りつぶしです・・・放出5:34の始発にタクシー使わずに乗るには他に選択肢が(苦笑)

 

梅田で飲んでホテルに戻ってこれから寝ます。明日朝4:55の電車で乗りつぶし、ホテルに戻って朝飯、後はどうしよう?とりあえず連泊にしてあるんで、どうとでも動けるかと。

 

6年生を送る会、保護者向け音楽発表、吹奏楽部演奏会、校舎移転準備等休みなしが続いたんで、プチッと・・・勢いで贅沢してしまいました。

 

さて、寝ます。

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2019年3月13日 (水)

31回目の3月13日

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3月13日、連絡船終航の日から31年が過ぎました。先日、部屋の片付けをしていたらこんなものが出てきました。フィルムは36枚撮りを使っていて、コスパ考えて24枚撮りのフィルムは買わないので、おそらくは現地で見かけて買ったんだと思います。にしても・・・今までコレがあったことを自分で把握してなかったって・・・まだ探せば何かありそうです・・・

 

フィルムケースのイラストというか、これ、絵柄から萩原幹生船長の切り絵ではないかと思うんですが、どこにもキャプションがないんですよね。ググってもイラストもフィルムケース画像も出てこないし・・・

 

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ちょっと角度を変えて。これ、もしかして外箱は各船のバージョン違いがあったのでしょうか?うーん、あればコンプリート・・・するには当時のちょっとお財布にやさしくなさ過ぎたんだろうとは思いますが・・・

 

これ、スーパーのビニール袋にいろんなものとごっちゃにして入れてあったんで・・・オリエント急行の乗車記念のボールペンとか、スーパービュー踊り子号の運転開始記念キーホルダーとか、北斗星トマムスキー号の乗車記念キーホルダーとか東北上越新幹線東京駅開業記念オレンジカードのケースとか。なぜカード本体がない?、JR北海道のリゾートエクスプレスのネクタイピン5種セットとか、昭和64年の1円玉、5円玉、10円玉・・・自分でもちょっとびっくりでした。


それにしても時が過ぎるのはあっという間です。連絡線は昭和の実質最後の年に終焉を迎え、そして平成の次の時代になろうとしてもまだ自分の中で息づいている・・・まさに歴史そのものなんだなぁ、と思います。

 

3月13日17時 羊蹄丸出航時刻にタイマーアップです。

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