社会科スライド 「にもつの旅」
これ、出そうかどうかずーっと迷ってたんですが、「こんなのあるよ」と話したら「ぜひ公開を」というリクエストにお応えして全コマスキャンしてみました。
いくつ前の学校だったかな、古いものを処分して社会科資料室を整理・・・の時に出てきたものです。この古いもの処分シリーズで鉄道唱歌初版本とかサルベージできるわけで・・・で、著作権が気になるのですが、どう考えてもTPP発効前、現状で確実に出版というか、発売から50年以上経っていると思われるので大丈夫かな、と思います。その根拠は解説の中で・・・
このシリーズが始まったのが日本学校視聴覚教育連盟の沿革によると1950年のこと。自分が小学校の頃にはこの種の白黒スライドフィルムを見た記憶があります。教員になってから使った記憶は全くありません・・・学校の資料室にあることすら捨てる作業するまでは知りませんでした。他にも鉄道ネタあったんだろうけど、見つけられませんでした。新幹線とか特急こだまとかありそうなものですが・・・当時の学習指導要領の社会科の何年生か・・・
調べれば出てくるかと思いますが、物流は平成の始めの頃に宅急便を取り上げることが話題になってました。
いきなり蒸機画像。タイトルバックは給水温め器がかろうじて見えるのでD51ではないかと思われます。製作のFFD株式会社、今はどうなっているのでしょう?ググってもさっぱりわかりません。
この種のスライドには授業で使う解説を書いた本があるはずなのですが、それはすでにありませんでした。というか、見つけられなかったというか・・・
荷物を梱包している様子です。鉄道小荷物発送は時刻表のピンクのページに書かれてましたけど、今の宅急便のお手軽さと比べたらそれはもうめんどくさい・・・なんてのが2世代くらい前の指導要領による社会科の教科書に書かれてたような・・・
縄で縛って、荷札をつけて・・・荷札見ると行先宇都宮ですね。
秋葉原貨物取扱所が現役の頃ですね。上の方を左右に横切っている高架橋は総武線、トラックの位置は貨物の第2ホームと第3ホームの間ではないかと推測されます。周囲にビルがないのは貨物ホームと電車線のホームの間にビルの影が全くないところからわかります。もともと神田川の河川舟運との結節点として明治時代に作られた貨物駅。旅客営業は大正になってから。まだ鉄道が全国に敷設される前は河川舟運と密接な輸送関係を持っていた・・・なんてのは大学の交通地理ゼミで青木栄一教授から教わったものです・・・
持ち込んだ荷物の重さを量って・・・
駅の荷物用エレベーターですが、8と書かれているのですが、当時の第3ホーム、8番線のことなのか、単なるエレベーターの番号かどちらでしょう?エレベーターは24機あったらしいですから、これは何とも分かりません。ちなみに8番線・9番線ホームは小口到着と車扱発送でした。
貨車へ積み込みです。ワム車への積み込み。貨車はワムだと思うのですが、形式が写ってません。
59654の牽引です。非電化なのですが、ここって、いつ電化されたんでしょうねぇ・・・って国土地理院の航空写真見たら米軍撮影の昭和32年のには架線柱がなくって、昭和38年のにはそれらしい影があるので、この間に電化されたんでしょうね。この段階で、昭和38年以前の作品でTPP発効の去年が昭和93年。50年以上経過しているので著作権消滅と考えて良いかと・・・
車扱ですから、貨車の入替・組成をして・・・
出発です。ヨ2876と読めます。調べてみるとワ1型を改造したヨ2500型、あまりにもひどくて緩急車ならぬ寒泣車と揶揄された戦後間もない頃の車両で、昭和34年には全車廃車となって形式消滅してます。
いよいよ発車していきます。貨車の車番は読み取れません・・・詳しい人は写真から形式分かるでしょうが・・・
先代の利根川橋梁。昭和22年のカスリーン台風で利根川が氾濫して、改修工事が完成する前の画像。トラスの並びからして東京側から宇都宮側を撮影したもので、手前が上り線。下り線の橋脚に工事の足場ができていることと、古河側に橋脚が増えていないことから昭和25年前後の撮影と思われます。ちょうどこのスライド大系を作り始めた頃と重なります。
途中駅ですね。
車扱いなのでここで解結をするのでしょう。利根川を渡った先の駅で配線図をググって、国土地理院の航空写真と照らし合わせてみると古河ではないかと思われます。小山かなとも思ったのですが、小山なら機関区が右手に写っているはずですし、駅先の操車場だと線路に沿った道はなく、田んぼばかりです。確証はありませんが、他にそれらしきものが見当たらないので・・・違ってたら教えてください。
車掌さんが貨車の組成とか小口の積み卸しの電略でも作っているのでしょうか。
組成をしている間に旅客列車が通過していきます。これ、ナンバープレートがC5743と読めるので、この時期は尾久区配置ですからまさにビンゴ。それよりも横の混合編成が気になります。これも古河で撮影なのでしょうか?
貨車の解結入替が進みます。
一番手前の貨車はワム2483と読めます。ワム2000型ですね。
組成が終わって出発。
列車はどんどん進んでいきます。線路端の巨大なハエタタキが時代を感じますねぇ。
宇都宮に到着です。機関車はD51は形態でわかりますが、番号までは判読できません。
で、荷物が降ろされて・・・ワム26700・・・大量生産されたワム23000の一族でしょうか。
貨物ホームから運ばれて・・・
小口引取窓口。上には職場名の一覧と思われるものが掲出されています。
引き取った荷物を積んで・・・
ようやく到着です。荷札の住所が宇都宮市千手町、文房具店の名前が浅川平和堂。ググってみましたが、見当たりません。
で、終わりの28枚のスライドです。45分授業の組み立てとして、スライド1枚30秒~1分、でMAX30分、その後の質問やまとめ、ノート書きで15分といった授業の構成になるのかな?と思います。
鉄的にはいろいろおもしろい画像がありましたです。フィルムはSAKURA FILMのモノクロポジです。長~いスリーブでエプソンのGT-6700の透過光原稿で分割して読み込みましたが、何せ、クルクル巻いてケースに入ってる1本もの、まっすぐになりません。スキャンしても歪みが・・・キズ埃はもうどうしようもありませんでした。
近日中に現任校の社会科資料室の棚卸しと古いもの処分の予定があるので、何か見つけたらゲットしてこようっと。
これ、冬休み最後のタイマーアップです。これアップされる頃は3学期の前日準備で絶賛仕事中です・・・
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コメント
大変、ご無沙汰しております!
「幻灯機のフィルム」、懐かしいですねぇ。
鉄道を題材にしたものは他に、学童用ではないのですが『接客の基本』(日本食堂協賛)というのがあります。
あぁ、FFD格式会社は「教育スライド制作会社」という名称が登記上の会社名でした。
1940~50年代が全盛期で学童用や企業向け(と、云っても官公庁向け)として、正しい選挙や第3の火 原子動力等々の幻灯機用フィルムを製作していました。
山岳写真家の田淵 行男さんなんかも、スタッフだったんですよね。
幻灯機というものが小学校から消滅し始めた1960年代の後半に会社を解散。
原板も産廃ゴミになってしまいました。
小生は、廃校になる学校から何本かいただいてきましたが、貴殿同様「台本(解説書)」が入手できなかったんですよね…。
では。
あっ、お返ししなくてはならないものがあすのですが、近々コンタクトを取れれば再々です(来週から、三鉄経由で、渡道する予定です)。
投稿: 椎野 吾一 | 2019年3月13日 (水) 23時47分
ご無沙汰しております。
古い学校に勤務していると使わない教材の廃棄処分というのがたまにありまして、そこでいろんなものがサルベージできるという・・・鉄道唱歌初版本もそれでサルベージしましたんで。
今の学校も改築工事で社会科の古いスライド資料をもう使わないんで捨てるってことで何枚か回収して持ってます。そもそもスライド映写機がもう使えない、OHPなんて若い人は知らないし・・・
「幻灯機」なんて実社会ではまず聞くことがなくなりましたが、「幻灯」は学校では国語の6年の教科書に載ってる「やまなし」がすぐ出てきます。ずーっと教科書に載ってる謎の物語。教える側もどう授業をやったものか、真面目な人ほど悩みます。ぶっちゃけ、宮沢賢治の造語と妄想に付き合わされる覚悟というか開き直りをせずに場面の様子を想像してなんて授業をやるとそれはもう・・・
会社名「教育スライド製作会社」でググっても田淵氏以外の項目が出てきません・・・遙か昔の話になってしまってるんでしょうねぇ・・・
明日からおおさか東線の全線開業にかこつけて大阪界隈に遊びに行ってきます。22日が卒業式で23日が連絡船講演会、24日はマンション理事会総会、春休みは校舎引越で三鉄復活・夕張さよならともに欠席確定です。
投稿: 西乃湯 | 2019年3月14日 (木) 23時13分
初めてコメントします。
船の科学館と新橋のライオンでお会いしたことがある者です。
写真が乏しい時代の貴重な記録を公開下さりありがとうございます。
コマNo.15と28の場所はその後判明したでしょうか?
私はずっと気になっていたのですが、今ごろふと思いついて“配線鉄”系のサイトを探したら、ビンゴに行き当たりました。
大宮駅です。
利根川橋梁を渡った筈の列車が、一旦逆戻りしていることになります。
参考サイト:懐かしい駅の風景~線路配線図とともに
http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/
トップページ右上の「都道府県別目次」に入り、延々と続くリストを下へ辿って行くと、「●埼玉」の中に「大宮配線図」という記事があります。その中にある1958年3月の配線図を見ると、図で右下に分岐する東北本線が、まさにスライドで貨物列車が去ってゆく進路そのものです。
スライドが昭和25年前後に作られたとすればその8年後の図ですが、配線は変わっていなかった様ですね。
投稿: クモイ103 | 2019年8月 4日 (日) 16時56分
こんばんは。
公開とレス遅くてすみません。
大宮とは思いませんでした。社会科の資料なので、時系列を追ってつくられていると思っていたので・・・
言われてみて国土地理院の航空写真をあたってみました。
何枚か写ってるのがあるのですが、見やすいのは昭和21年3月9日撮影、USA-M68-A-6-1-147か148でしょうか。147の400dpi画像の直リンですが、表示されるかな?1200dpiは有料なので。
https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=12949&isDetail=true
青森方信号扱い序の北にある踏切と歩道橋がはっきりとわかります。撮影場所はその歩道橋の上と推測されますね。
これで謎がひとつ解けました。
さて、連絡船の方ですが、8月17日(土)に勝浦市役所で安田さんの9青函のフルバージョン講演会がありますよ。
https://www.city.katsuura.lg.jp/forms/info/info.aspx?info_id=34160
投稿: 西乃湯 | 2019年8月 8日 (木) 23時11分