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2017年11月19日 (日)

第11回 青函連絡船講演会

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というわけで、昨日船の科学館で第11回青函連絡船講演会が行われました。鉄道ジャーナル誌と東奥日報の取材が入っていて、すでに東奥日報のwebページに記事が記載されています。

今回のメインは洞爺丸。トップの画像は洞爺丸遭難時の近藤船長が羊蹄丸の船長を降りたときに甲板員一同から贈られた手作りと思われる初代羊蹄丸の模型。今回の講演会は史料研究会へ近藤船長のお孫さんから寄贈していただいた遺品の初公開となりました。

講演会は3部構成。まずは西沢キャプテンのシリーズ。今回は満載喫水線のお話から。

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そもそも満載喫水線とは何か・・・という話から始まって、喫水線の記号の意味の解説やなぜ国際的にそのような決まりができたか、など歴史的経緯をたどりながらの解説です。

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とにかく船に積めるだけ積んで運べば儲かる・・・が浮力が足りなくて事故が多く、安全のために設けられたもの・・・なのですが、国際的な取り決めになる200年も前に日本では積み荷の規制が行われていた話もありました。年貢米が海に沈んではかなわないので、幕府が船足(喫水の規制)をしていたこと解説していました。

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スクリーンに映っている和船の図面に規制の印が付けられていました。今回はいつもよりちょっと短めの講演でした。

次はいつもと順序が変わって飾り毛布の実演です。久しぶりに明海大学の上杉先生と森本さんも登場です。

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今回は上杉先生の論文Jounal of Hospitality and Tourism Vol.10 No.1 (2014年12月)別冊として、「郵船図会」を通して知る明治期の日本郵船のホスピタリティ の小冊子が配布されました。論文中の図をもとに飾り毛布の歴史などの概説があり、その後、実演となりました。

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吉田さんと森本さんの二人の久々の講演会での競演です。

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吉田さんの作品「牡丹」。持って歩くと・・・(笑)

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続いて森本さんの新作「珊瑚礁」ですが、上から見ないとね・・・ということでテーブルを傾けて披露です。

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飾り毛布の本第2弾の宣伝・・・この日、執筆者3名揃っていたので、著者サイン会となっていました。

そしてサプライズ。

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吉田さんの修業時代のビデオが。師匠が折っている姿は別のところで紹介されていたのですが、未編集のビデオに当時の吉田さんの姿が。出所は羊蹄丸の横断幕を作った小玉さんの所蔵ビデオ。大神さんのところに「こんなのあるんだけど(笑)」と届いたものを編集して、サプライズ上映。まだなんかありそうなので・・・恐るべし小玉コレクション・・・と話題になっていました。

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そのあたりを満面の笑みで解説する大神さんと、いやぁ~とリアクションしていた吉田さん。

さて、休憩を挟んで本日のメイン、安田さんの「洞爺丸」第1回

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パワーポイント100枚以上の超大作。

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まずは洞爺丸遭難の概説から。すでに海難審判等の判決も確定しているし、様々な書物、論文、ドラマなどに使われているので今更・・・と思われる人も多いでしょうが、しかし今なお議論される深い内容です。

海難審判記録はこちら。

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戦後のGHQの船舶建造規制にもかかわらず連絡船の建造が認められた経緯とか、洞爺丸型の設計思想など、当時の社会情勢と照らし合わせながら船そのものの説明が続きます。

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戦前・船中の荒廃した船や粗雑な作りの戦標船に比べたら素晴らしく快適な船だったこと、御召し船のエピソードなどが続き、その1ヶ月後の台風マリーの話になります。

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台風の可航半円、危険半円などの基本的な話を基に、台風マリーはどうだったかということを観測データをもとに分析していきます。前代未聞の猛烈な台風、観測史上希な台風だったことがデータで裏付けられていきます。むろん、当時の気象観測は現代と違い情報の伝達に時間がかかっているので、情報が届いたときには手遅れとなっていることも・・・

そして、洞爺丸動きになっていきます。

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この辺りの無線通信の記録は各種資料に詳細に出ていますが、時系列に沿って他船の動きと絡めながら話が進みます。そして、なぜ沈んだのか・・・

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この事故の6年前にこのような指摘がされていたという事実・・・

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このような事実があったことなどを指摘していきます。

そして、洞爺丸の近藤船長について・・・

海難審判の主文は

本件遭難は、洞爺丸船長の運航に関する職務上の過失に基因して発生したものであるが、本船の船体構造、青函連絡船の運航管理が適当でなかったこともその一因である。

とあり、船長の判断ミスが主因とされたことから、船長の人柄についても様々な言われ方をしています。

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新聞記事の「人に頭を下げぬ」云々という書き方は非常に傲慢な人間像のイメージを与えるが、実際は「理不尽なことには上司の命であっても従わない」というタイプの人間であった、非常に慎重な人物であったなど、当時の乗組員の証言や文献をもとに述べていきます。

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近藤船長は定年を前に辞職願をだしており、それが受理されず本来の杉田船長の代務として乗船した洞爺丸でこの台風にあったという偶然。それは・・・

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船員が嫌う4・9という数字が洞爺丸に非常に多く見られ、近藤船長にもあるのは何かの運命なのか・・・偶然と考えるには・・・と話していました。

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最後に近藤船長の墓所。浄土真宗なので戒名ではなく法名ですが、墓碑銘に「船長」とつけていること、法名に「洞」の文字を使っていることなどその人生を表しているように思います。

さて、その展示品。

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大神さんから「並べといて」と頼まれて、ガラスケースの中にこのように並べました。いや、これ、取り扱いはマジに手が震えました。で、その前に一つずつ撮影しました。

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まずは昭和29年9月下期の廃船表。近藤船長の制服のポケットに入っていた物で、付着している泥砂は洞爺丸が沈んだ七重浜の海底のものです。折りたたまれていた物を広げたり元に戻す際に砂を落とさないように、これ以上破れないように慎重に・・・

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続いて懐中時計と手笛。これも遭難時に身に付けていた物。一度七重浜の海底に沈んでいるし、63年も経っているのにガラスにひびが入っているとは言え時計はキレイです。

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近藤船長の手帳。羊蹄丸船長時代のもの。間に名刺と職員写真証が挟まっていました。この手帳、ページをめくっていくと・・・

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羊蹄丸の要目が。スカジャップナンバーがある辺り時代を感じます。ATOKはスカジャップナンバーを一発変換できなかった・・・

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これ以降のページも記録が続きます。大神さんと話したところ、この手帳の中身は海難審判の証拠としても出てこなかったらしいですが、「!?」という記述が。表に出したらまずくない?みたいな話をしていたのですが、安田さんのパワーポイントの中でがっつり使われていたので・・・

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左ページ再下段、浮き袋1682内不良60ケとあります。点検の結果、紐のほつれなどの見つかった数がこれということで、定員+乗組員+郵便職員+食堂などの職員の合計数以上はありそうですが、このあたり海難審判時に証拠として出ていたらなんらかの影響があったのかなかったのか・・・

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続いて船員手帳。これは船員区においてある物なので、水はかぶっていません。右の縦型の方が古い物、横型のが新しい物です。

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まずは縦型の中身。集まったみんなで、こっちの写真の方がいい!ということで、こちらを開き、横型の手帳で本籍地を隠すようにして展示しました。

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ページの書式が変わり・・・

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↑鉄道省 ↓運輸省 と変わっています。戦後の歴史のページそのものを見るように思います。

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そして、横型。

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右側の上の方に、昭和24年6月1日付で「運輸省」から「日本国有鉄道」に変更とあります。そして・・

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運命の日、洞爺丸乗船により・・・「遭難死亡」の記載が。このページ、お蔵入りにしておこうと思ったのですが、これも安田さんがパワーポイントでがっつり使っていたのでオープンにします。

歴史の証拠、まさに歴史のページで感慨深い物があります。

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その年の国鉄殉職者名簿。名簿全30ページ中、16ページが洞爺丸台風で遭難した連絡船の乗組員や関係者となっています。

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近藤船長の鳥羽商船学校時代の教科書。

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最初の初代羊蹄丸の模型を近藤船長に贈った甲板部員一同の寄せ書き。これもかなり痛んでいて取り扱いに気を遣いました。

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こんな風に並べてみました。ケースのガラス板、昔のもので、微妙に波打っています。で、元々かなり傷んでいたのですが、ラジコン十和田丸のkeiichiさんが修繕しました。アンカーが外れていたり、マストが折れていたり・・・直してもまた折れる・・・

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ケース奥のベニヤ板は額縁カバーのように外せるので、こんな感じで折れたポールを直していました。で・・・こちら側、表から見えないので、作りが大幅に省略されています。

改めて見てみましょう。

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まずは表、左舷側。

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裏側、右舷側。ぱっと見で・・・ビルジキールがありません。3等船室の窓の縁取りの色が塗ってありません。その下の階の丸窓がありません・・・YOTEIのネオン管の色が左舷赤、右舷青緑は航海灯の色に合わせたのかなぁ・・・

これ、間違いなく業者作成ではなく、後半部員が船の中でこつこつ作った物だよねぇ、とみんなで話していました。この省略っぷり、間に合わないから省略したか、見えないからエイやぁとしたかは今となっては分かりませんが、それにしたって、これだけのものを手作りで贈られる近藤船長の船員たちに慕われていたお人柄がうかがえると思います。

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そして壁面には洞爺丸の一般配置図。右から原設計、建造中の変更、竣工時となっています。作りながら仕様変更していくのって難しいんじゃないかと・・・

そして、この後例によって盛大な飲み会になりました。その中で大神さんが上前純一郎作「洞爺丸はなぜ沈んだか」という本について、「この本が定番と思われているが、乗組員からしたら違うところがあるし、ある船長が『あれは小説だよ』と言うのを聞いてそれを確信した。」という話をしていました。「ノンフィクション」というと「事実(ファクト)を述べている」と思い込んでしまう人が多いのですが、それは「ファクト」ではなく、あくまでも、「史実や記録に基づいた創作で、調査方法や結果の取捨選択などに作者の考えが出る」ものである、すなわち「創作物=小説」ということ、人や事件を裁くということは客観的な事実に対して、判断する人の主観主義主張経験が上書きされるということを感じました。

連合音楽会前夜祭から始まって4連チャン飲み会は体力的にもお財布的にも厳しかったです(苦笑)

お会いした皆様、お世話になった皆様、ありがとうございました。また、大量の画像と駄文の巨大エントリー最後までおつきあいくださってありがとうございました。

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