3月13日
今年も3月13日がやってきました。22便に乗ったあの日から29年。20代前半だった自分がもう50を過ぎました。社会の教科書だか資料集だかの年表に「青函トンネル開業」とあっさり記される歴史の1コマになってしまっています。授業の中で携帯やネットはおろか電気やガス、水道といったインフラのない時代の事を話しても子供たちに伝わらなくなりました。切り返してくる質問は「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」と言わんばかりのものばかり・・・まぁ、この台詞自体も本来の意味は違うのですが・・・昔図鑑で見た空飛ぶ自動車が飛び交ってチューブの中を列車が走ってといった「未来予想図」とはだいぶ違う未来が目の前にあるようで・・・2001年宇宙の旅は実現してないし、HALはようやくAIとしてこれからと言ったところでしょうか、一方スマホやネットの発達はどこにも描かれてなかったですねぇ・・・と、そんなことを思う今日この頃です。
周遊券を片手に夜汽車を宿代わりにして・・・同い年かつ同じ区に同期採用の校長とはこの辺りの話が通じるのですが、何せ採用が少ない自分らとその後約20年、次の世代が一気に30代前半になるので子供たちだけでなく、大人も話が通じない・・・
そんな中で連絡船や当時の旅の思い出を共有できる最終便戦友会や史料研究会とのつきあいはかけがえのないものとなています。自分の若かりし頃のセピア色になっている記憶が総天然色に蘇るひとときを過ごせるのですから。
画像は2008年、青森港に佇む八甲田丸。キレイに・・・とはいかないものの水鏡が出ていたので。前に使ったかなぁ・・・
22便函館出航時刻にタイマーアップです。
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