姫路モノレール跡
はい、久しぶりです。ようやく怒濤の2学期が終わって冬休みモードです。とは言っても学校が閉鎖になる日以外は基本的に出勤・・・来年度の計画とか事務仕事山積みです。ついでに予定より遅延進行の楽譜書きも・・・
で、10月末に飛燕に行ってきたときについでにかの大将軍駅のある高尾アパートの解体工事が始まったというのもあったので、姫路モノレール跡もうろうろしてきました。
今年、大将軍駅の公開はハズレで行けなかったのが残念でした。その前の1日限りの車両公開も行けず・・・新幹線が岡山までしかなかった頃、姫路駅発車直後に新幹線の線路の下をくぐっていくモノレールを見た記憶があるのですが、その期間は1972~1974までのわずか2年間。小学校入った頃です。後は軌道跡がいつまでも残っていて子供心に不思議に思っていたものです。
大将軍駅を内包する高尾アパート。10階建ての3・4階部分が駅となっています。1・2階は店舗などが入居していたのですが、2000年頃には2階にあったビジネスホテルも閉鎖になって、老朽化が進む一方でした。すでに解体の足場が組まれていて、低層階の解体が始まっています。足場の上端がちょうどモノレールの軌道、大将軍駅のあたりまで組まれています。
ホーム端と軌道跡。
角度を変えるとホーム天井も若干見えます。フォトショップで加工しましたが、蛍光灯の管球が残っているのがなんとも・・・最後の公開、行きたかったなぁ・・・
反対側から。こちら側から見るとビルのようですが、裏側から見るとまさに公団住宅の装いでした。今回はすでに解体の足場が組まれていてその様子を撮ることはできませんでした。だいぶ昔に一度行ったときに撮ってあるはずなのですが、まだデジタルカメラになる前、フィルムなので探すのが・・・というか、廃線廃墟にコマを費やすほどお大尽ではなかったので・・・
解体工事の看板。この画像の右手開口部が駅への入口になります。廃墟マニアの無断侵入を厳重警戒してか、監視カメラが複数から死角がないように見張っています(笑)
その開口部から見えている駅への階段とホームへ続く通路の柵。手前左は拡大すると・・・
レールが。これは軌道上にあったモノレールのレールそのものでしょう。1枚目の画像にも断面が写っています。
さて、高尾アパートから先、手柄山の方へ向かうと川の中に橋脚が立っています。そして・・・
新幹線の下をくぐるように軌道が残っています。これが幼少の頃新幹線の窓から見えていたものです。川の対岸から撮ると・・・
こんな感じになります。画像の右側、川の対岸には山陽色素の赤煉瓦工場があったはずなのですが、いつの間にかなくなってました。
ここで姫路駅方面へUターン。
奥の山陽電車の線路をオーバークロスしてモノレールの軌道跡があります。この長細い商店街の長屋の屋上に突き出ているのが橋脚。この橋脚と一体化して建物が作られているので、そのまま残っています。
商店街というか飲み屋街という方がしっくりくるのですが、昭和のいい味が・・・
で、バスに乗って改めて手柄山へ。かつてのホームが整備されてモノレールの車両が展示されています。
運転台。
客室。窓の外の広告、時代を感じます。このあたりでD500のミラーが外れて、ライブビューでの撮影に・・・D500ミラーレス事件・・・最初何が起こったか理解できませんでした・・・
入口側。開業ヘッドマークが復元されています。
反対側は軌道跡を埋められています。広告が時代を感じます。なんせ、閉鎖されたときのまま30年以上眠りについていたわけで、それをそのままキレイにして展示ですから・・・
天井から時刻表が下がっています。1時間に3本。姫路行き始発が9:20で最終は17:50。通勤には使えません。
サボ。2駅、1.6キロです。これで鳥取まで延長してって計画があったこと自体が驚きです。ロッキード式モノレールは向ヶ丘遊園とここの2ヶ所のみでいずれも廃止されてしまって現存しませんです。
何にせよ、幻の・・・と言われていた姫路モノレールがこのような形で公開されたのは有り難いことですが、高尾アパートのような昭和の遺構がひとつひとつなくなっていくのは時の流れで致し方ないとは言え、残念ですねぇ。
そういや、今日はクリスマスイブだっけ・・・か?世間と隔離した生活してると何が何だかよく分からなくなってくる・・・
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