71回目の終戦の日
早朝5:20 靖国神社です。日中の大混雑を避けるために開門と同時に参拝に行きました。この時間だと電車では行けないのでカーシェアで。さすがにコインパーキングは近いところでも空いていました。一族に軍関係者もいるので行けるときは靖国神社に参拝していたのですが、終戦の日は激混みなので、それを避けるために開門狙い。去年は寝坊して激混み激暑の中の参拝だったので今年はがんばってみました。
鳥居の前で一礼、左側の手水舎で身を清めて開門を待ちます。手水舎の前の団体は報道陣。
神門前にはすでに並んでいる人がいるのでうまくよけながらこんな感じで・・・
5:50頃、「開門は6時ですので・・・」の案内があり、待つこと約10分。
門が開きます。一礼して進み・・・
拝殿へと向かいます。ノーファインダーで撮影。前の方にはいたのですが、先頭ではないので、かなりトリミングして人のいない写真にしました。カメラ持ってるのは報道の人。先に入ってるのでこれはどうにもなりませんです。どこの新聞なり何なりに写ってるかも・・・
で、参拝して・・・
これもノーファインダーで。6:05。この段階で中門の鳥居の外まで行列ができています。車へ向かって歩くとすでに周囲のコインパーキングはほぼ満車。サクッと撤収して外堀通り、青山通り、外苑東通り・・・と30分もかからずに自宅まで帰ってきました。
天気は曇りですが、早朝の静かな境内で落ち着いて参拝するのは清々しく、よい心持ちになります。
学校の教員という立場上、政治的な中立というのが求められますし、18歳選挙権でよりシビアに見られるでしょうから、おおっぴらに自説を唱えるわけにはいかないのですが、個人的な思想は当然にあります。まぁ、今日参拝している段階でこの業界にしては珍しい・・・ということになるでしょうが・・・靖国神社の参拝は終戦の日ではなく例大祭かみたままつりでしょ、という人も多いですが、やはり歴史の区切りの日ということもあるので、先人へ頭を垂れる、そんな時間があってもよいのではと思います。
あまり思想的な事を書くと立場上NGが出そうなのでここまでで。
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コメント
この日は毎年激混みと聞いておりますので、これだけ空いているのは余程早く行かないといけないのでしょう。
当時の事、今の情報を得るにつけ、あれだけの情報を、それなりの思考力を持って考えたときに果たして本当に戦争になったのか。
そこに横たわるのは教育の大切さ、なのだと思いました。
教えた方々が様々な立場、思想を持つのであればそれは先生方の教育の成果ですね!
投稿: とうほく人 | 2016年8月22日 (月) 23時09分
毎度です。公開とレス遅くてすみません・・・
開門が朝6時で、そのときにはざっと見て200人くらいはいましたし、近くのコインパーキングも軒並み満車になるので、5時半前には着いていないとこの日の早朝参拝は苦しいです。日中に行くと九段下駅から一の鳥居まで歩くのも一苦労で、その先、二の鳥居から拝殿までぎっしりと人が並んでいてン時間待ちになります。さらに正午の黙祷と陛下のお言葉の間は参拝が止まります。というわけで、開門と同時に参拝できるように早めにいきました。近所に住んでいて早朝散歩やジョギングのついでに毎朝参拝しているというような人もいて、自分よりもさらに早く来ている人もいます。
現在の価値基準と情報を元に当時を評価するのはどうかなぁと思います。既知の事象から「たられば」を言っても仕方ないんで・・・我々は結果を知ってますけど、その判断をするときには結果はまだ出ていないし、それまでの経験から模索をしているわけで、あの時は・・・と今の価値観で批判するのは後出しじゃんけんみたいなもので・・・一面的な思想を押しつけるんじゃなくって、そういう歴史の積み重ねや様々な先人の模索や思想を知識として学んで、自分の論理を構成して判断するための材料を見る目や考え方をもち、行動する力を養うってのが教育じゃないかと思いますけどねぇ・・・一方的な思想だけを教え込むというか洗脳することに熱心な困った人がいるのがねぇ・・・そういう人は結論が先というか自分にとっての真実が完全に固定されてるんで、それに反することは感情的になって自分の思想を叫ぶだけで、事実をベースにした論理的な話が通じないんで・・・以下高度に政治的な事情により省略されました・・・(笑)
投稿: 西乃湯 | 2016年8月28日 (日) 11時46分