第6回 青函連絡船講演会
というわけで、いつもの通り行ってきました。前日が学校の歓送迎会だったので、全力朝寝坊に二度寝で電車では間に合わない・・・お台場なら自宅~環七~東京港の海底~船博で車最速30分というわけで、レッツタクシー5000円というお大尽なことをしてしまいました。
稚泊・関釜・宇高・青函・・・と続きまして、安田さんご自身がこれ!と言っていたのが第八青函丸からの貨車海中投棄実験の画像。髙橋船長シリーズのドラマの中で十和田丸の船尾からワム車を棄ててるのを見たのはありますが、これははじめて。
よくもまぁこんなものが残っていたもんだと・・・
続いては西沢キャプテンのお話。これまたマニアックなタンクのお話。
羊蹄丸の解轍を追っかけて多度津に通ったときに一般配置図を見ながらタンクのラインで溶断していったのを思い出しました。
いろいろと「それ言っちゃっていいんですか(笑)」な話も・・・・
この黄色いボードの穴が点検するために人がくぐり抜けるマンホールのサイズ。うん、腹部過積載の自分はムリですね(笑)・・・これ、通り抜けられる?と突っ込みが入ったのでそう答えておきました。
で、コレにかんする大神コレクションの資料がこれ。
フレームの図面。この組み合わせの中にタンクが設置されているので、大神さん自身も何を持ってこようかと考えたそうで・・・
で、羊蹄丸と津軽丸と十和田丸のタンク配置図の比較。姉妹船と言っても船ごとにタンク名や場所が微妙に違っています。特に十和田丸はスタビライザーを搭載しているのでタンクの配置が大きく異なっています。
そしてラストは上杉先生と吉田さんと森本さんによる飾り毛布。完成品の展示がコレ。
で、上杉先生からこの1年のフィールドワークとフェリー会社などでの資料収集などの解説のあと、吉田さんと森本さん競演の飾り毛布実演会。
マルエーフェリーの毛布を使った「桃」や宇和島フェリーの緑の毛布を使った「四つ葉のクローバー」などの新作を披露していました。森本さん、新日本海フェリーの制服で登場していました。
最後に八甲田丸の葛西機関長の挨拶で幕を閉じました。
今年の8月5日は羊蹄丸就航50周年。昨年八甲田丸50周年を盛大に青森でやったので、船はなくなっても羊蹄丸の50周年は何とか・・・
6月30日が摩周丸就航50周年で、函館でイベントがあるようですが、火曜日・・・行けるかなぁ・・・・
で、いつものようにこの後飲み会となったのですが・・・・はい、今回は空旅氏がうぉ!なものを持ってきていました。当然のことながらカラーコピークレクレというわけで・・・今度現物をスキャンさせてもらおうっと。
今はなくなってしまった、ギリシャのポセイドンラインのパンフレット。画面中央にどーんと写っているのが「SEA HARMONY Ⅱ」こと石狩丸。ギリシャ~キプロス~イスラエルの航路に就航していた時代のもの。その後船名が変わり、会社も変わり・・・最後はインドで2006年に解体された模様です。
右下のSEA SERENADEは元空知丸。グーグルアースではまだスロベニアのイゾラ港に係留されている姿を見られます。
右舷側からのもの
イゾラ港の空知丸その2
後部煙突の後ろから
で、クルーズのパンフレット
一応全ページコピーをしたのですが、サイズがスキャナーにうまく載らないので目立つページのみで。
それにしても今回はいつにも増して濃いメンバーでした。閉鎖されてしまいましたが、海峡点描の管理人さん、十和田丸のラジコン模型のkeiichi氏、これまた模型制作のspoon氏と連絡船絡みのblogやHP管理人が集まるという・・・・
で、1次会が終わって2次会どうすんべ・・・とうろうろしていたら「先生!」と声をかけられました。居酒屋のキャッチの尾根遺産が、前々任校で教えた子。7年も前の事ですからこちらはうろ覚えですが、しっかりと自分が認識されていたようで・・・なんでまた新橋で・・・残っていた一同、異様に盛り上がっておりました・・・
・・・・北陸新幹線の続きどうした?と大神さん他色々な方から突っ込まれまくりでしたんで、ぼちぼちやります。
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