羊蹄丸 11月19日
多度津へ行ってきました。朝ホテルをゆっくりと出て、さぬき浜街道を走っていって、丸亀美術館を過ぎたあたりで青いクレーンが見慣れない位置に。考えてみると平日に来たのは初めてなので、クレーン船が稼働しているのを初めて見ました。いつもの漁港から見ると、玉掛けが終わっているような感じだったので、とりあえず様子を撮ってから場所を移動。
ここからだと全景がわかります。すでに平らになっているだけでなく、干潮で着底しているためなのか、構造物の撤去でバランスが崩れたのか、船体がゆがんで見えます。
クレーンで何かをつり上げようとしていて、マイクで指示が出ているのですが、ここからでは良く聞き取れません。上げたり下げたりして調整しているようです。
真後ろに行ってみると構体の一部と思われる部分が少し浮き上がってきました。
ふたたび場所を戻し、つり上がってきた内部の構造物。よく見ると船博時代に非公開部分へ降りていった階段が手前に見えます。ということは、見えている壁面が車両甲板の1・4番線のどん詰まり、つり上げられてる構造物の階段手前が総括制御室のあったあたりで、その下の構造物ですから、第二甲板の船員食堂~第二船室の機関部員の部屋があったあたりでしょうか。このあたりは青函シアターへ大改造されていますから、この構造物は改造後のものだと思います。
全景はこんな感じ…持ち上がる時にギギギイィィィィィゴゴン…という金属音…羊蹄丸が悲鳴を上げているように思えました。
台船はゆっくりと向きを変えて岸壁におろしに来ます。
その岸壁には撤去された構造物とうずたかく積まれた鉄の残骸…
台船が動いたので再び漁港へ。どこが船体だかよくわからなくなっています。わずかに残った船首部が羊蹄丸であったことを主張しているかのようです。
わずかに残った船首部。アスベスト対策も終わったのでしょうか、ブルーシートがなくなっています。2・3番線のどん詰まりとか錨鎖庫とかウインドラスなんかの機器室などのいわゆる船博時代の非公開区画が残っています。
切断面のアップ。中甲板へ降りる手前の階段、連絡船時代のオリジナルのままです。ロープが張ってあるその奥が羊蹄丸オリジナルのまま残っている車両甲板2・3番線跡の大空間だと思います。
例によって岸壁によじ登って船首へ。この角度だけがまだ羊蹄丸です。係留索のこともあるからおそらく最後までここは残るんじゃないか…と空旅氏と話してはいるのですが、ウインドラス撤去してるはずなのにアンカーがそのまま…というのが謎です。
例によって岸壁によじ登って船首へ。また台船が近づいてきてクレーンを降ろしました。ここだと指示が良く聞こえます。前、前…80トン降ろして…もう少し前…左…
船内から白い箱状のものが出てきました。ガゴン…ギギイィィ…という音が響きます。
つり上がると水が流れ出てきました。
降ろされるとすぐにバーナーが…清水タンクと読めます。一般配置図を見ると、第1補機室あたりだと思うのですが、その前部、機関部員室の下に第2清水タンクとあります。オリジナルをそのまま使っていたかどうかは定かではありませんが、これを2個出した段階で「もう一つ」とマイクで言っていましたから、清水タンクは前部に3つあるのでしょう。
ぽつんと取り残されたウインドラス。
撤去された構造物。
高く積まれた切り刻まれた構体。どこを探してもシンボルマークはもう見つけられませんでした。
ファンネルだけはここに放置したままでした…
…淡々と進められる解轍作業。土埃、金属の匂い、煙の匂い、バーナーで焼き切る音、きれいに片付けられつつある構内の荒涼とした光景、その向こうに面影がなくなった羊蹄丸。見に行かなくては…しかし変わっていく現実の姿を見るその衝撃。
言葉にできない思いが溢れてきて、シャッターを切れなくなってしまいました…。
作業の様子を見ていると、おそらく今週から来週にかけてエンジンの取り出しをやるのではないかと思います。玉掛けから取り出し、移動して解体場へ降ろすのは溶断がきちんとしていればあっという間でした。
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