…カメラ持って行かなかったので講演会や学園祭の展示などの画像はありません…が…

会場で携帯で撮った、大神氏秘蔵の摩周丸キャップ非売品。いきさつは後ほど…
これから文章長いぞっと。
11月3日・4日と神奈川工科大学の学園祭、鉄道研究部の企画で青函連絡船の講演会がありました。で、船博の時の羊蹄丸ボランティアの大神さんから西沢キャプテンの講演と吉田さんの飾り毛布実演で久々に3人揃うし、夜はホテルで飲み会やるから来ない?とお誘いを受けました。
3日は学校で午前中に地域行事のもちつきがあったので、14時の2便に間に合わせるべく学校を出まして、厚木まで…ここ、改名前は幾徳工業大学で、友人が通っててその研究室に一度お邪魔したことがあったのですが、何せ20年以上前のこと、うっすら覚えていた畑のど真ん中…ではなくなり、校舎もキレイになっておりました。
さて、講演会会場ですが、正面にエ印の社旗が高々と掲げられておりました。お三方以外にも連絡船絡みで知ってる顔が…展示物はセキュリティの都合で切符などは全てカラーコピーなのはまぁ仕方ないでしょうね。模型は突貫工事だったのがよくわかりました。
で、まずは西沢キャプテンのお話から。やはり羊蹄丸のブリッジとは勝手が違うのか出だしはちょっとギクシャクした感じを受けましたが、連絡船のエピソードの段になると出るわ出るわそれ話しちゃっていいの?なネタが…そしてプロジェクターが使えるので羊蹄丸では見られなかった写真の数々…
西沢キャプテンのエピソードから二つほど…もう古い話だから大丈夫でしょ…だそうで…
赤軍派のメンバーとそっくりな人を見つけて、船員みんなでマークして、青森県警に通報して全速力で航行、青森桟橋はおろか岸壁まで私服制服の警官でびっしりだった…けどよく似てる人で脱力だったこと
札幌オリンピックの聖火輸送で正副一対の聖火の一つを持ち出してこっそり記念写真を撮ったこと、コレ、証拠画像だからと写真がプロジェクターでどーん…私はどっちでしょう?そして護衛艦と無線の周波数やら何やらがちがうのでトランシーバーで連絡取ってたら強風でアンテナ折れて最後は手旗信号だったとか…
大神氏秘蔵コレクションからは…
羊蹄丸の公用航海日誌に記録された船内出生の記録。出生場所が国鉄青函連絡船羊蹄丸一等船室北緯41度○○分、東経…と記録されていて…
さらにだいぶ前にこのblogでも書いた1983年のドラマ「最後の航海-ある甲板長の退職」の撮影風景のスナップの数々。
各種記録簿やハンドブックがアタッシュケースから次々と…
で、画像の野球帽は摩周丸乗組員の野球チームの帽子だそうな。色もあせておらず、状態は極上、大神氏の名前が書いてありました。大神氏によると摩周丸チームは一度も野球では優勝できず、最後にソフトボールで優勝したとか。で、この帽子を檜山丸でも同じように作り、摩周丸の濃紺の部分が水色で、その帽子の存在はなぜか船長の西沢さんは知らなかったとか…そんな話を後の飲み会で色々と聞きました…
そして、予定よりだいぶ長く西沢キャプテンの講演が…正味55分間。55分間と言えば…連絡船の折り返し時間というオチをつけて吉田さんの飾り毛布実演会となりました。
で、その吉田さんですが、明海大学の上杉 恵美准教授と共著で「飾り毛布 花毛布」という本が10月に海文堂出版から発売となりました。予定にはなかったのですが、上杉准教授も吉田さんとペアを組んで実演と講演をされていました。

海文堂出版の書籍としては珍しくカラー多用で色校正が大変だったんじゃないかと…そんな話をしていました。さらにこの毛布を客室のおもてなしに取り入れているホテル、パラディスイン相模原の支配人であり、本の中に折り手として登場する森本氏も同席しておられました。
数少ない女性客は吉田さんによって作られる飾り毛布に吸い寄せられるように凝視していました。
一通り講演が終わった後、吉田さんや上杉さんの回りには人だかりができ、間近で毛布を織る姿を見たり、一緒に折ったりしていました。
で、この後、場所を皆さんの宿泊地のパラディスイン相模原に移し、羊蹄丸最新衝撃画像携えて多度津帰り直行の空旅氏も合流して一同で飲み会となったのですが、まぁネタの濃いこと濃いこと…秘蔵の○○が次々と…夜も遅くまで盛り上がったのでした。
それはそれは楽しい時間でした。この場をお借りして皆様に御礼を申し上げます。
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