ありがとう羊蹄丸 長声一発!
まさかこんな日が来るとは思っていませんでした。24年前、3月13日の青函連絡船最終22便羊蹄丸は船の科学館という安住の地を得て末永く…のはずがまさかもう一度さようならの時を迎えるとは…今日は最後の時を羊蹄丸と共に過ごしたくて、綿密な根回しで休暇を取って駆けつけました。それでも15時過ぎの到着。お別れ会には何とか間に合いました。
船の科学館入り口の会場案内。新たな船出を祝う…とありますが、引受先はまともなところなのでしょうか…鉄くず価格2億円を無償譲渡ですから…大雪丸改めビクトリアの例もありますし不安の限りです。
速攻で展望台へ。満船飾を撮ってからすぐに羊蹄丸へ向かいます。
この段階で15:15位。時間が…
羊蹄丸のエントランスには祭壇がしつらえてありました。閉館の祝詞をあげる儀式が始まる直前でした。
神主さんによって羊蹄丸の歴史を織り込んだ祝詞が読み上げられます。船の科学館と協力各社の皆様が頭を垂れていました。
この後出航式なので航海甲板へ。マストにはためくP旗。現役時代に掲げることはありませんでしたが…ブリッジのポート側は立ち入り制限され、出航模擬へそなえていました。で、スタボード側はすでに満員御礼。まぁ、この後船名符号機が掲揚されるのでそれを動画で撮りたかったのでポート側ブリッジのすぐ後ろで待機。祝典行進曲が流れ、式典開始。下の船首部分で館長挨拶の後西沢キャプテンの解説で出航模擬開始。
JQBMの船名符号旗、そしてその向こうには船の科学館に掲げられたUW旗への答礼のUW1旗。
後ろから見るとこんな感じ。
そして紙テープが投げられ長声一発…最後くらいちゃんとエアーホーン鳴らして欲しかったけど、もうダメなんだろうなぁ…私も紙テープを投げました。
プロムナードデッキからも…あの日と同じ光景がよみがえってきます。
風に流される紙テープ…
あの3月13日はこのあたりに乗っていました…
舞い飛ぶ紙テープ。
船首で。ブリッジにいた我々に向かって揃って敬礼をしてくれました。右から2人目が西沢キャプテン。
思い出話や出航模擬などで何度も楽しませていただきました。最後に退館するときに握手でお別れしてきました。
ブリッジから見た夕日に映える日本丸。このアングルでも見納めになります。本当に印象に残る夕日でした。9月18日の臨時運行、十和田丸の船上から見た逆光シルエットの羊蹄丸を思い出すような鮮やかな夕焼け…思わず涙が出そうになりました。
閉館時刻17時…22便の出港時刻…何という偶然か運命のいたずらか…船上から船の科学館のシャッターが下りていくのをほたるの光を聞きながら眺めていました。
羊蹄丸の最後は名残を惜しむ船客が多く、17時半を回っていました。わずか10名ほどでこのチェーンがかけられ、入口がシートで覆われるのを拍手で見届けました。
…終わってしまったんだ…しばらくはここに残るとはいえ、場合によってはもうプロムナードデッキにたたずむことはできないんだ…
連絡船として生きて動いていた時間よりも保存され動かなくなってしまった時間の方が長くなってしまった羊蹄丸。よくぞここまで生きながらえた…とも思います。
形あるものはいずれなくなる。わかってはいるけど、でもそれをこの目で見たくはないという気持ちと、もういいじゃないか、よくがんばったよ、これ以上朽ち果てていく姿は見たくない、思い出を美しいまま永遠に昇華して…という気持ち。20年後の再会もそうですが、あのときの思いはそのままに、四半世紀に届こうかという年月が自分の中にある何かを溶かしていくような気がします。
ありがとう 羊蹄丸
さようならはまだ言わない。
本当にその日が来るまで。
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