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2011年9月

2011年9月30日 (金)

ありがとう羊蹄丸 長声一発!

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まさかこんな日が来るとは思っていませんでした。24年前、3月13日の青函連絡船最終22便羊蹄丸は船の科学館という安住の地を得て末永く…のはずがまさかもう一度さようならの時を迎えるとは…今日は最後の時を羊蹄丸と共に過ごしたくて、綿密な根回しで休暇を取って駆けつけました。それでも15時過ぎの到着。お別れ会には何とか間に合いました。

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船の科学館入り口の会場案内。新たな船出を祝う…とありますが、引受先はまともなところなのでしょうか…鉄くず価格2億円を無償譲渡ですから…大雪丸改めビクトリアの例もありますし不安の限りです。

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速攻で展望台へ。満船飾を撮ってからすぐに羊蹄丸へ向かいます。

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この段階で15:15位。時間が…

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羊蹄丸のエントランスには祭壇がしつらえてありました。閉館の祝詞をあげる儀式が始まる直前でした。

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神主さんによって羊蹄丸の歴史を織り込んだ祝詞が読み上げられます。船の科学館と協力各社の皆様が頭を垂れていました。

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この後出航式なので航海甲板へ。マストにはためくP旗。現役時代に掲げることはありませんでしたが…ブリッジのポート側は立ち入り制限され、出航模擬へそなえていました。で、スタボード側はすでに満員御礼。まぁ、この後船名符号機が掲揚されるのでそれを動画で撮りたかったのでポート側ブリッジのすぐ後ろで待機。祝典行進曲が流れ、式典開始。下の船首部分で館長挨拶の後西沢キャプテンの解説で出航模擬開始。

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JQBMの船名符号旗、そしてその向こうには船の科学館に掲げられたUW旗への答礼のUW1旗。

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後ろから見るとこんな感じ。

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そして紙テープが投げられ長声一発…最後くらいちゃんとエアーホーン鳴らして欲しかったけど、もうダメなんだろうなぁ…私も紙テープを投げました。

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プロムナードデッキからも…あの日と同じ光景がよみがえってきます。

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風に流される紙テープ…

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あの3月13日はこのあたりに乗っていました…

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舞い飛ぶ紙テープ。

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船首で。ブリッジにいた我々に向かって揃って敬礼をしてくれました。右から2人目が西沢キャプテン。

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思い出話や出航模擬などで何度も楽しませていただきました。最後に退館するときに握手でお別れしてきました。

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ブリッジから見た夕日に映える日本丸。このアングルでも見納めになります。本当に印象に残る夕日でした。9月18日の臨時運行、十和田丸の船上から見た逆光シルエットの羊蹄丸を思い出すような鮮やかな夕焼け…思わず涙が出そうになりました。

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閉館時刻17時…22便の出港時刻…何という偶然か運命のいたずらか…船上から船の科学館のシャッターが下りていくのをほたるの光を聞きながら眺めていました。

羊蹄丸の最後は名残を惜しむ船客が多く、17時半を回っていました。わずか10名ほどでこのチェーンがかけられ、入口がシートで覆われるのを拍手で見届けました。

…終わってしまったんだ…しばらくはここに残るとはいえ、場合によってはもうプロムナードデッキにたたずむことはできないんだ…

連絡船として生きて動いていた時間よりも保存され動かなくなってしまった時間の方が長くなってしまった羊蹄丸。よくぞここまで生きながらえた…とも思います。

形あるものはいずれなくなる。わかってはいるけど、でもそれをこの目で見たくはないという気持ちと、もういいじゃないか、よくがんばったよ、これ以上朽ち果てていく姿は見たくない、思い出を美しいまま永遠に昇華して…という気持ち。20年後の再会もそうですが、あのときの思いはそのままに、四半世紀に届こうかという年月が自分の中にある何かを溶かしていくような気がします。

ありがとう 羊蹄丸

さようならはまだ言わない。

本当にその日が来るまで。

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2011年9月29日 (木)

羊蹄丸船底ツアー その4

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最後の水密扉を抜けたその先には操舵機室。禁断のお部屋。通常舵はブリッジからの指令で動くものですが、故障など人力で動かすときにここを使います。画像はまさに操舵輪を擁する操作機そのもの。手前の時計の後ろ側みたいなのは…

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はい、説明の必要がないですね、これ。ブリッジにもあります。

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中央のハンドルを回して手動で舵を操作します。

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さらに船尾方向を。選定の形がよくわかります。正面奥にあるのが右舷側の舵。動作するシリンダーは赤錆びていました。

さて、これで船底ツアーシリーズは終了です。

明日は…羊蹄丸と3回目のお別れの日。えぇ、万難を排して…




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2011年9月28日 (水)

羊蹄丸船底ツアー その3

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さらに水密扉を1つくぐると作業部屋が。

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万力やらドリルやら、現役さながらに置いてありました。

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引き出しの中や棚にはまだ新品同様のパーツも眠っていました。

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左のドアが塗料倉庫、右のドアが物品倉庫。塗料倉庫にはなぜか業務用のでかい炊飯器が…この2部屋はすでに空でした。

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この「プロペラ重力タンク」の文字、よいですねぇ…

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そしてこの奥の横には…

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こういう部屋が。海峡ラーメン…生ハムに鮭ルイベ…もちろん突入です。

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こんな感じでベッドとロッカーが。

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なぜか廃止当時のスポーツ新聞と使いかけのトイレットペーパーが…

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…ある意味ヒッジョーに懐かしいです。というか、JR化後もこういうステッカーが貼りっぱなしって…

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で、一応使用心得。字体が時代を感じさせます。

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責任者の肩書きがよいですねぇ…

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今や貴重な黒電話。船内各所の電話番号付で。

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こちらは男子の休養室ですが…なぜにベッドに家庭用エアコン直付??

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非助湯部署配置表。当時のままです。

そして最後の水蜜扉をくぐるとそこは… つづく。

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風邪なおらねぇ…体しんどい…













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2011年9月24日 (土)

撃沈

風邪ひいて布団の中で携帯でアップです。木曜日にいきなり鼻の奥がムズムズしてくしゃみが止まらなくなりました。いつもなら具合悪くなる兆候があるのですが、今回はいきなり。昨日からオーバー38℃が続き倒れてます。
予定では昨日今日は上越重連、明日は羊蹄丸のはずだったのに…体の節々が痛くて動くのもしんどいのですが、熱下がらなかったら明日無理しても病院に行こうっと。
ステージが続く2学期、休めないからなぁ…。

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2011年9月20日 (火)

羊蹄丸船底ツアー その2

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前回の続き。第2主機室の後方にあるこの水密扉をくぐると…

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広い空間に橋を渡すような通路があります。下の方に見えるの主軸。右舷側は残っていました。画像左側が船首、右側が船尾になります。主軸発電機もそのままです。船尾へ向けて船体が絞られていくのも壁面の形状からわかります。

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右舷側主軸発電機のアップ。このあたりは油の匂いがしっかりと…

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左舷側は主軸がなくなっています。左が船尾で右が船首です。

続きは次回に…

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19日、とあるクラブのプライベートパーティーに誘われて行ってきました。うーん、ミラーボール回ってバブルの頃そのもの…懐かしのディスコナンバーにつられてついつい踊ってしまった…最初はぼちぼちだったんだけど、気がついたら年考えずにノリノリになってステップ踏んでたら、隣で踊ってた知らないおねーちゃんたちに「踊ってたんですか?」と…さらにペアダンスさそわれるわフロア真ん中に押し出されそうになるわ…四十路半ば過ぎのハゲメタボ親父と踊ってる姿のギャップを考えると…なんぼ昔取った杵柄とはいえ後になって赤面です…が、楽しかったのは事実だし…血が騒ぐし(爆)今日は筋肉痛でした、はい。

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2011年9月18日 (日)

羊蹄丸船底ツアー その1 / あの日から24年

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今年も9月18日がやってきました。そう、青函連絡船の最後の最後の日。定期運行終了後、青函博に併せて臨時復活運行、その最後の日から24年。昨日今日と2日連続で羊蹄丸へ出かけました。昨日は最終22便のメンバーで閉鎖になる羊蹄丸のお別れ会。今日は元マリンガールが…というわけで、昨夜新橋でしこたま飲んでその後蒲田でさらに飲んでタクシーで自宅へ強行帰還したN氏、タクシー帰宅不可で我が家に泊まったO氏…で、昨日仕事で羊蹄丸にこられなかったO氏と一緒に出かけたのでした。

で、昨日は羊蹄丸非公開部分船底ツアーとなりました。

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とある場所にあるこの扉を開けると…

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はい、このように機関室が。すでにエンジンは生きていませんが…これが第1主機室。開けたドアの位置から総括制御室は改装で失われたと考えられます。

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で、こんな表示のある水密扉をくぐると…

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第2主機室。上の画像は船内の見学順路から見られるように天井に穴が開けられているところの真下で、照明も当たってきれいになっています。下は非公開部分。ほとんど手つかずのままです。

この先の水密扉からは次回。

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2011年9月12日 (月)

石狩丸 就航記念カード 昭和57年

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というわけで、まだあるこのシリーズ。貨物船石狩丸に客室乗っけて旅客化改造して再デビューとなりました。引退の日までしっかりと走っていました。グリーン船室・寝台室・食堂などがないので人気はイマイチでしたが、乗用車を乗せるなら船内に搭載されるので、後部甲板に吹きさらしで置かれる津軽丸型より潮風の直撃を受けない分人気だったとか。津軽丸型に乗用車積んだら近所のガソスタで使える洗車券をもらえたとか。車両航送申込書は持ってますけど洗車券は持ってないなぁ…

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青函トンネルの工事の遅れと船の耐用年数の関係から津軽丸と松前丸の引退の代替として改造されたわけでして、青函トンネル開業までのリリーフ…といったところでしょうか。

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2011年9月 8日 (木)

空知丸 檜山丸 石狩丸 就航記念カード 昭和52年

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最後に就航した3隻の貨物船、空知丸・石狩丸・檜山丸。自分が連絡船に乗りに行くようになた時にはすでに石狩丸も檜山丸も改装された後だったので、一度貨物専用の空知丸に乗ってみたかったです。貨物の付添人船客用に小さいながらも客室が用意されていたとか。

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これで津軽丸型7隻と渡島丸型6隻の計13隻の新造船が揃い、最大32運行…だったかな?ができるようになりましたが、時すでに国鉄貨物輸送の斜陽化が始まって…

しかし、渡島丸といい、このカードといい、通常旅客が乗れない船なのに、どうやって配ったんでしょうねぇ?何せもらいものなんでその辺の事情がさっぱりわかりませんです。

この種のカード、あと数枚あります。こうして並べてみるとコンプリートしたくなるなぁ…

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先日羊蹄丸を船の科学館の展望台から写真を撮っている横で「空から日本を見てみよう」のロケやっててそれが今日放送…のはずだったのですが、「羊蹄丸の無償譲渡募集は8月末までです」と言っていたのが9月放送になったので使えないのか、羊蹄丸の脇で「8月末で締め切りました」と言い直した再録らしいバージョンで放送されてました。うーん、映ってるかと思ったんですが撮り直しバージョンではどうしようもないですね。(笑)

さて、楽譜書き…

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2011年9月 5日 (月)

渡島丸 日高丸 十勝丸 就航記念カード 昭和45年

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まだまだ続く連絡船グッズ。つーか、先日我が家に来たMINE氏が「なんでそんなにたくさん…しかも部屋のそこらへんに山積みに…ちゃんと整理するなりなんなりしろよ(苦笑)」とのたもうておりました。まとめてスキャンするために引っ張り出して積んどいただけなんですけど…

余談はさておき、津軽丸型に続いて貨物専用船も就航しました。貨物輸送量増加の対応と4本煙突の蒸気タービン船の置き換えということで。船の全長長くして貨車の搭載量数増やしてデビューでした。

上甲板に客室がないのですごーくスマートに見えるので某氏は津軽丸型もさることながら渡島丸型の方が好きだぁ!と叫んでおりました。んが、貨物輸送量の減少に伴い、こちらの方が先に引退してしまいました。

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裏側。各船の諸元が書かれています。それにしてもワム車1日1333両って…どんだけ…

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2学期が始まって怒濤のように仕事が…まぁ、8月末からバンドの練習やら会議やら書類やらでだんだん首が回らなくなっては来ていたのですが…

そんな中、だいぶ前に書いたJ.P.ホーガンの「星を継ぐもの」3部作の10年以上後に書かれ、翻訳されてないと思い込んでいた第4部「ENTOVERSE」文庫化されて再販されてるのを偶然見つけて思わず上下巻その場で買ってしまいました。
全く別の本を買いに行って、平台に「星を継ぐもの」の文庫版が山積みになってるのを見て、なんで今頃こんな古いSF小説が?と思いながら手にとって腰帯の裏表紙側をなにげに見ると「第4部 内なる宇宙 創元SF文庫」と書いてあるぢゃないですか。え?いつの間に!?!?!?と思ったのですが、そんなん悩むより先に本棚を見に行って上下巻を発見。奥付を見ると文庫化されたのは97年、後書きを読んだら93年にハードカバーで翻訳されていたらしい。93年~97年頃って自分は初任校でバンドがんがんやってて担任しながらジャズフェスティバルがぁとか全国大会がぁ…なんてやってた時だから本から遠ざかっていた時なんで気がつかなかった…んだと思う。
で、帰りの電車から読み始まって、そのまま飯も食わずに上下巻一気読み。気がつけば出勤時刻…原著が91年だから20年越しにようやく読めた興奮はそれはもう…

さて、合奏楽譜の最終調整しないとなぁ…

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