記念カード第3弾は大雪丸。津軽丸型の第4船。背舘トンネル開業を待たず一足先に1月に引退、浦安に係留してホテル…のはずが頓挫して会社も倒産、長崎でホテルビクトリアとして開業したものの、ハヤシマリンカンパニーが倒産してソラーレに引き継がれたとはいえ長くは持たず2005年に閉鎖、2008年に中国でホテルとして…と売られたモノの、その後の行方知れず…
裏面です。画像クリックで横800pixのでかい画像になります。
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全身筋肉痛&関節痛です。
別エントリーにするようなことでもないのでオマケで栄光舘顛末記。
先の土日、MINE氏と一緒に栄光舘の泥かきのボランティアしてきました。金山町や只見町は自治体でボランティアセンター設置などいろいろやっているのですが、三島町は水害を被ったのが栄光舘と桐の里のみなのでボランティアセンターが設置されず観光協会のblogで女将さんのお願いという募集告知となっていました。ボランティアセンターが設定されていない→公的書類がない→高速無料にならない(らしい)ということもあって、土日は来ても一人か二人だと思っていたようで、そんなこととはつゆ知らず、いつもお世話になってるんでMINEと二人で単純にお手伝いに出かけたという顛末でした。
まぁ、行くに当たって電話はしておいたんですが、blogの中に可能なら水害受けてない2階に泊まれますというのがあったんですが、その件には一切触れなかったので、ボランティアのお約束、宿泊食料飲料交通などは自力確保に沿って若松の東横インを押さえての出発となりました。この種の活動を被災地で行うに当たっては公共交通機関での移動が難しいので車必須。車を持ってない私としてはレンタカーか誰かに便乗しかないのですが、夏休みでレンタカーの確保も便乗も皆さん帰省で等で至難、MINE氏にこれこれしかじかなんで一緒に行かない?&車に乗せてってとお願いしまして、氏の夏休み明けの勤務調整を待って行くことができましたです。
で、金曜日夜に我が家に迎えに来てもらい、長靴やら何やら積んで出発。午前3時に坂下ICを通過、まずはいつもの八町温泉で朝湯。夜が白んできたのでとりあえず只見線がどんなんなってるか偵察に滝沢温泉の先のR252通行止のところまで1往復してきました。
すでに各種メディアで報じられているように5・6・7鉄橋・R252二本木橋・西部・田沢への各橋が流失、4鉄橋・湯倉の橋は歪み、ダムのゲート全開放による濁流、水流でえぐられたり水没したりした跡の惨状などを目の当たりにし、MINEと二人で声が出ませんでした。そして水位が下がりきっている只見川の深さと川岸の渓谷ぶりに驚きました。
で、三島の道の駅で仮眠して8時半頃栄光舘に行き、いろいろ挨拶をして作業開始。新館の周りにたまっている泥を掻き出す作業です。鍬やスコップで泥を搔き取り、猫車に積んで川に捨てに行くという単純作業ですが、泥は只見川のダムにたまっていたヘドロなわけで、けっこう臭いました。本館と新館をつなぐ渡り廊下や中庭、浄化槽の上や周囲から始まって新館宴会場の前を始めたところでお昼。昼ご飯食べながらいろいろ話をしたのですが、そんな中で冒頭に書いたような話が…激甚災害指定も金山と只見だけで三島と柳津は入っていないので云々…業者が来て再建の打ち合わせをしてました。この時に泊まりはどうするの?と聞かれて若松の東横インを押さえてあると伝えたら女将さんから「泊まっていきなさい、すぐキャンセルして」と言うありがたいお言葉。別館2階に泊まることとなりました。トイレが生きているのが別館だけなので。2階は畳や布団等あらかじめ避難させておいたモノや洗浄した食器などで各部屋とも満杯になっていました。
午後は新館宴会場の前や女湯前の泥を掻きだし、木に引っかかっていた女湯の目隠しを下ろし、流されて花壇に転がっていた新館入り口のいろりを引き出して1日目の作業終了。
泥の中にどう見ても避難の時に放置していった夕食の残骸と思われる貝殻や風呂場から流されたであろうひげそりなんかが…さらに木の根っこや石が引っかかり、なかなか作業が進みません。とくに植栽の根っこの回りは水流が緩やかだったのか泥の厚みが一段と多く、きれいにするのが難しい…高圧洗浄…すると、木の皮がむけたそうで結局人力でということになったらしいです。
さて、あの惨状にもかかわらずあり得ない!と思ったのが、新館の男湯だけ仮復旧して湯には浸かれるようになっていたことです。朝その話を聞いて「!?!?!?!?!?」でした。新館は1階天井まで水没し、床板壁板等を全部はがしたスケルトン状態になっているわけですが、男湯だけはなみなみと湯をたたえていました。むろん、源泉掛け流し天然温泉だからできる技で、蛇口から水道の水は出ますが、当然ボイラーがダメなので湯は出ませんし電気もつきません。これは嬉しい誤算で、作業中タオルを湯に浸して絞って汗を拭くと喫茶店の熱いおしぼり状態で気持ちのよいことこの上なしです。作業後はボランティアみんなで湯に浸かり温泉のありがたさをかみしめておりました。
夜は人が集まったのでご飯を炊いてレトルトカレー+枝豆や野菜などのつまみ、それに加えて水没したけど流されなかった瓶ビールなどをいただきました。水没瓶ビールは「王冠の隙間に川泥が入り込んでしまってお客さんにはもう出せない、さりとて捨てるのも何なので好きなだけ飲んでください」…気をつけて栓を抜かないと泥が瓶の中に落ちる…確かに王冠に力をかけると隙間から泥がポロポロと落ちてきますし、瓶の口にくっきりと泥がついています。まぁ、中身には全く影響がないのでボランティア一同で有り難く飲ませていただきました。温泉旅館としての意地とプライド、女将さん方の暖かさを皆でかみしめておりました。…宴会は何時に始まっても終わるのは同じ…にはならず、お疲れモードで倒れるように布団に潜りましたです。
2日目日曜日、続きの作業開始です。列車で1名さらにやってきました。町内の方と思われる人が昨日より多いです。男湯の只見川側の外側の泥かき開始。これはハードでした。筋肉関節がくがくでエアサロンパスのお世話になっているジジイにとって、厚いところは30~40センチは積もっていようかというほど重たく湿った粘土の層は足腰にキました。あじさいの根っこなんか枝と枝の間にぎっしりと詰まってどうにも手が出せません。さらに大谷川に面した石垣に至っては泥に埋没しています。表面の泥をざっくり落としてからスコップや鍬の角をつかって石垣の隙間の泥を掻き出すわけですが、これまた草木の根っこに阻まれ遅々として進みません。そうこうしているうちにお昼。午後も続きの作業をしていたのですが、雨が強くなり14時頃に作業打ち切りになりました。その後みんなで湯に浸かり、栄光舘を辞してきました。帰りしなにおふくろに挨拶、ママさんが栄光舘の若女将さんと仲がよいのでいろいろと話をして帰京。泥と汗にまみれた服、異臭を放っておりました…洗濯してもTシャツの川泥落ちないです…乾燥させてもみほぐしてたたいて粉末にして落とすしかないかな…
今日はだいぶ楽になりましたが関節という関節がすべて痛いです。指の関節も一つ一つ痛くて、ピアノ弾くのがつらい(汗)
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