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2011年8月

2011年8月26日 (金)

十和田丸 就航記念カード 昭和41年

Towadaomote

というわけで、十和田丸の就航記念カード。なぜか2枚持ってます…って、まぁもらったモノがダブっただけなんですが(汗)

Towadaura

で、裏側。印刷水で総トン数が羊蹄丸と十和田丸とで逆になっていて、矢印で修正されています。手書きっぽいんですが、2枚とも同じ形なのでハンコのようにも見えます。

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CD大量生産中…バンド用に2曲書いたんですが、70人オーバーですから、都合150枚近いCD焼かなくてはいけないわけで、レーベル印刷もやるとまぁ時間のかかること。blog書きながらCDをがしゃこんがしゃこん入れ替えしてるんですが、一昔前はCD焼くときはバッファアンダーラン避けるために他のソフト一切カットして…なんてやってたのがウソみたいですね。

…デュプリケーター欲しいなぁ…作っちゃおうかなぁ…予算がなぁ…

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2011年8月23日 (火)

大雪丸 就航記念カード 昭和40年

Taisetsuomote

記念カード第3弾は大雪丸。津軽丸型の第4船。背舘トンネル開業を待たず一足先に1月に引退、浦安に係留してホテル…のはずが頓挫して会社も倒産、長崎でホテルビクトリアとして開業したものの、ハヤシマリンカンパニーが倒産してソラーレに引き継がれたとはいえ長くは持たず2005年に閉鎖、2008年に中国でホテルとして…と売られたモノの、その後の行方知れず…

Taisetsuura

裏面です。画像クリックで横800pixのでかい画像になります。

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全身筋肉痛&関節痛です。

別エントリーにするようなことでもないのでオマケで栄光舘顛末記。

先の土日、MINE氏と一緒に栄光舘の泥かきのボランティアしてきました。金山町や只見町は自治体でボランティアセンター設置などいろいろやっているのですが、三島町は水害を被ったのが栄光舘と桐の里のみなのでボランティアセンターが設置されず観光協会のblogで女将さんのお願いという募集告知となっていました。ボランティアセンターが設定されていない→公的書類がない→高速無料にならない(らしい)ということもあって、土日は来ても一人か二人だと思っていたようで、そんなこととはつゆ知らず、いつもお世話になってるんでMINEと二人で単純にお手伝いに出かけたという顛末でした。

まぁ、行くに当たって電話はしておいたんですが、blogの中に可能なら水害受けてない2階に泊まれますというのがあったんですが、その件には一切触れなかったので、ボランティアのお約束、宿泊食料飲料交通などは自力確保に沿って若松の東横インを押さえての出発となりました。この種の活動を被災地で行うに当たっては公共交通機関での移動が難しいので車必須。車を持ってない私としてはレンタカーか誰かに便乗しかないのですが、夏休みでレンタカーの確保も便乗も皆さん帰省で等で至難、MINE氏にこれこれしかじかなんで一緒に行かない?&車に乗せてってとお願いしまして、氏の夏休み明けの勤務調整を待って行くことができましたです。

で、金曜日夜に我が家に迎えに来てもらい、長靴やら何やら積んで出発。午前3時に坂下ICを通過、まずはいつもの八町温泉で朝湯。夜が白んできたのでとりあえず只見線がどんなんなってるか偵察に滝沢温泉の先のR252通行止のところまで1往復してきました。

すでに各種メディアで報じられているように5・6・7鉄橋・R252二本木橋・西部・田沢への各橋が流失、4鉄橋・湯倉の橋は歪み、ダムのゲート全開放による濁流、水流でえぐられたり水没したりした跡の惨状などを目の当たりにし、MINEと二人で声が出ませんでした。そして水位が下がりきっている只見川の深さと川岸の渓谷ぶりに驚きました。

で、三島の道の駅で仮眠して8時半頃栄光舘に行き、いろいろ挨拶をして作業開始。新館の周りにたまっている泥を掻き出す作業です。鍬やスコップで泥を搔き取り、猫車に積んで川に捨てに行くという単純作業ですが、泥は只見川のダムにたまっていたヘドロなわけで、けっこう臭いました。本館と新館をつなぐ渡り廊下や中庭、浄化槽の上や周囲から始まって新館宴会場の前を始めたところでお昼。昼ご飯食べながらいろいろ話をしたのですが、そんな中で冒頭に書いたような話が…激甚災害指定も金山と只見だけで三島と柳津は入っていないので云々…業者が来て再建の打ち合わせをしてました。この時に泊まりはどうするの?と聞かれて若松の東横インを押さえてあると伝えたら女将さんから「泊まっていきなさい、すぐキャンセルして」と言うありがたいお言葉。別館2階に泊まることとなりました。トイレが生きているのが別館だけなので。2階は畳や布団等あらかじめ避難させておいたモノや洗浄した食器などで各部屋とも満杯になっていました。

午後は新館宴会場の前や女湯前の泥を掻きだし、木に引っかかっていた女湯の目隠しを下ろし、流されて花壇に転がっていた新館入り口のいろりを引き出して1日目の作業終了。

泥の中にどう見ても避難の時に放置していった夕食の残骸と思われる貝殻や風呂場から流されたであろうひげそりなんかが…さらに木の根っこや石が引っかかり、なかなか作業が進みません。とくに植栽の根っこの回りは水流が緩やかだったのか泥の厚みが一段と多く、きれいにするのが難しい…高圧洗浄…すると、木の皮がむけたそうで結局人力でということになったらしいです。

さて、あの惨状にもかかわらずあり得ない!と思ったのが、新館の男湯だけ仮復旧して湯には浸かれるようになっていたことです。朝その話を聞いて「!?!?!?!?!?」でした。新館は1階天井まで水没し、床板壁板等を全部はがしたスケルトン状態になっているわけですが、男湯だけはなみなみと湯をたたえていました。むろん、源泉掛け流し天然温泉だからできる技で、蛇口から水道の水は出ますが、当然ボイラーがダメなので湯は出ませんし電気もつきません。これは嬉しい誤算で、作業中タオルを湯に浸して絞って汗を拭くと喫茶店の熱いおしぼり状態で気持ちのよいことこの上なしです。作業後はボランティアみんなで湯に浸かり温泉のありがたさをかみしめておりました。

夜は人が集まったのでご飯を炊いてレトルトカレー+枝豆や野菜などのつまみ、それに加えて水没したけど流されなかった瓶ビールなどをいただきました。水没瓶ビールは「王冠の隙間に川泥が入り込んでしまってお客さんにはもう出せない、さりとて捨てるのも何なので好きなだけ飲んでください」…気をつけて栓を抜かないと泥が瓶の中に落ちる…確かに王冠に力をかけると隙間から泥がポロポロと落ちてきますし、瓶の口にくっきりと泥がついています。まぁ、中身には全く影響がないのでボランティア一同で有り難く飲ませていただきました。温泉旅館としての意地とプライド、女将さん方の暖かさを皆でかみしめておりました。…宴会は何時に始まっても終わるのは同じ…にはならず、お疲れモードで倒れるように布団に潜りましたです。

2日目日曜日、続きの作業開始です。列車で1名さらにやってきました。町内の方と思われる人が昨日より多いです。男湯の只見川側の外側の泥かき開始。これはハードでした。筋肉関節がくがくでエアサロンパスのお世話になっているジジイにとって、厚いところは30~40センチは積もっていようかというほど重たく湿った粘土の層は足腰にキました。あじさいの根っこなんか枝と枝の間にぎっしりと詰まってどうにも手が出せません。さらに大谷川に面した石垣に至っては泥に埋没しています。表面の泥をざっくり落としてからスコップや鍬の角をつかって石垣の隙間の泥を掻き出すわけですが、これまた草木の根っこに阻まれ遅々として進みません。そうこうしているうちにお昼。午後も続きの作業をしていたのですが、雨が強くなり14時頃に作業打ち切りになりました。その後みんなで湯に浸かり、栄光舘を辞してきました。帰りしなにおふくろに挨拶、ママさんが栄光舘の若女将さんと仲がよいのでいろいろと話をして帰京。泥と汗にまみれた服、異臭を放っておりました…洗濯してもTシャツの川泥落ちないです…乾燥させてもみほぐしてたたいて粉末にして落とすしかないかな…

今日はだいぶ楽になりましたが関節という関節がすべて痛いです。指の関節も一つ一つ痛くて、ピアノ弾くのがつらい(汗)

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2011年8月18日 (木)

摩周丸 就航記念カード 昭和40年

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というわけで、就航記念カードその2。摩周丸。夏の青い海に青い船体がすごく映えていたのが印象的です。個人的には津軽丸の渋いグレーと摩周丸の鮮やかな青、そして羊蹄丸の品のある臙脂色が好きです。異論は認める(笑)

Masyuura

裏側。就航は羊蹄丸の2ヶ月前。それにしても次々に新鋭連絡船が投入されていく姿を当時の人はどんな思いで見ていたのでしょうか。

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ピアノ少し練習しておかないとな…1ヶ月近く弾いてないと合唱のマジ伴奏はきつい…体が忘れてしまう。手癖とアドリブでごまかせないし…癖のある伴奏書いてくれる人多いし。

よし、寝るぞ。時間無視したPC音楽漬けから少しでも生活時間のリハビリしないと社会復帰ができなくなる…

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2011年8月17日 (水)

羊蹄丸 就航記念カード 昭和40年

Yoteiomote

たまにはコレクションを。津軽丸型の第6船として誕生した羊蹄丸。その就航記念のカード。自分が生まれる前のモノですが、汚れも少なく、いい状態です。他の船のも持ってはいますが、コンプリートはしてません。何せもらいものですから…ヤフオクあたりでコンプリート目指そうかとも思ったんですが、コアなマニアがいて(人のことはいえないか…汗)けっこうなお値段になるようで…

Yoteiura

で、その裏側。画像クリックで横800pixのでかい画像になります。このままじゃ文字読みづらいし…昭和40年頃というと、まだまだ輸送量が増えていた頃。赤字になったとはいえ、国鉄が陸上輸送の王者としてまだ君臨していた時代です。海の新幹線と言われた津軽丸型を2年間で一気に6隻投入できたなんて今では考えられませんです、はい。

とある方から連絡船がらみのいろんなモノをまとめてどかっといただいたんですが、ちょっとずつ公開。

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楽譜書き進まねぇ…とりあえず曲数用意しないといけないからOrange Sherbetは後回しにしてサクサク書けるやつをやっつけることにして…

ベイシーオケお約束のしゃくってうねるリードセクションの響きをどうにもうまく楽譜にというかDTMに落としこめない…ビミョーに響きが違って納得いくまで調整してると1小節に何時間もかかってしまう…ので、ペンディング。やりたいとできるは違うっていっつも子供に言ってるのに自分でドツボにはまってりゃ世話無いな。

PCの前に座りっぱなしで今日は何日?今何時?腹が減ったときに冷凍庫やらレトルト食って…の廃人状態。曲に没頭してて気がつけば昼夜逆転生活になってた…どこかで生活リズムをリハビリしておかないとそろそろ2学期がやばい…その前に後半の部の練習と授業の指導案が…あ、職員会議の書類…食料やトイレットペーパーなんかの生活用品も底をつき始めた…

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2011年8月13日 (土)

羊蹄丸@船の科学館 その2

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岸壁側から。18ミリでないとこういう感じに入れることはできないです。近くで見るとだいぶ塗装も痛んできています。

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船尾部分にある旧グリーン自由席の椅子。後ろはスハフ4425。リクライニング機構はまだ生きています。船尾扉の手前のスクリーン、まだ自分映ってました。内容変わってないです。

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そのスハフ44の車端部。58-1の検査記号がそのまま残っています。愛称版、対北海道連絡だと八甲田の方が…というか、スハフ44は北海道の車だから、ニセコとかていねとかの方がしっくり来る…それを言ったら側の行き先も札幌行きに…というのはジジイな証拠ですな。

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スハフの車内。写ってない手前の方には展示用の人形が…広告が当時のままです。妻面の枠には「レールオリエンテーリング」の広告が。チャレンジ20000キロの広告です。近代化改造で壁側はなくなってしまいましたが、座席にしっかりと軽便枕の形状が残っているのが何とも…羊蹄丸閉鎖後、この車両JRのどこかがもらい受けてくれないものかと…とはいえ、船尾扉溶接してあるから出せないだろうし…

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そしてDE1030。何せここは暗いんでこんなカットしか撮れませんです。

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ブリッジ。がらーんとして人気が無いのが寂しいです。通信室も見られなくなってしまったし。レーダー画面も見られなくなってしまいました。マストの上ではしっかり回っているんですが…

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神棚。さすがにこちらはきちんとお供えはしているようです。

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外にある看板。説明文の最後、赤線を引いたところに「永久展示保存」とあるのが悲しくなってきます。

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船の科学館全景。ゆりかもめの駅から。

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おまけ。この日、練習船銀河丸が遠洋実習に出港していきました。もちょっと早く気がついていれば通常は入れない桟橋から羊蹄丸を撮れたのに…次のチャンスは海王丸か?と思ったら親子で招待らしい…orz

日の出~船の科学館~しながわ水族館の水上バスがなくなってたので、海上から羊蹄丸を撮ろうとすると日の出~青海の観光船か東京湾のクルーズに乗るしかなくなってしまいました。港湾関係のイベントはほとんどが親子招待なのでおっさん一人とかまにあグループでって訳にいかないのがつらいところですな。

さて、今日もせこせこ楽譜書き…うーん、Sammy Nesticoアレンジの完全耳コピーはしんどいなぁ…

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2011年8月12日 (金)

羊蹄丸@船の科学館

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先日もらった招待券で昨日久々に行ってきました。画像は展望塔から。これ撮ってるとき「空から日本を見てみよう」のロケやってました。学芸員さんが「18億円で買いましたが、希望する企業・団体に0円でお譲りします。8月中に申し出てください。」と言ってるのを録画してました…。いつオンエアするんだろ?

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こちらは4階のベランダから。ちょうど宗谷と水産庁の船の間からでこんなアングルになります。

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船の内部はほとんど面影がないのでプロムナードデッキのたたずまいを。ポート側船首から。手前の窓のところはグリーン指定席でした。立っているあたりの横は寝台室。

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スタボード側船尾から。このあたりはグリーン自由席。

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JNRのファンネル。22便は立っているところのもうちょっと船首よりのところに乗ってました。

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乗船口脇のシンボルマーク。よく見ると改造で乗船口をふさいだ溶接の跡が。

かしゃ猫氏が大阪から戻ってくるんで、せっかくだから一緒に行かない?というわけで、夕方からの酒も込みで昼過ぎに合流して行ってきましたです。新橋で17時からサクッと飲んでさっさと帰宅。楽譜書きしてたらそのままPCの前で寝てた…

船内は次回に。さて、楽譜書きの続き。

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2011年8月 9日 (火)

摩周丸のチラシ

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出てきました。本棚の雑誌の間に挟まってました。引っ越しの時に壁に貼ってあったのをはがしてそのまま挟み込んでしまっていたようです。当然、マニアコレクションなので貼る用とか保存用とかで何枚か持っているんですが、状態があまりよろしくないものが見つかったのでフォトショップは正義で修復ブラシに活躍してもらいました。裏は3/13の改正時刻表のチラシになってます。

こうして見ると摩周丸の青はきれいですねぇ~ドック上がりのピカピカのところを撮ってるってのもあるんでしょうけど、「船らしい形」をしているというのが何よりなんでしょうね。古今東西のいろんな豪華客船には大きさや客室の豪華さではかなわないけど、外観が美人という点では一歩も引けをとらないと思うのは私だけでしょうか。

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さて、こんなものをもらってしまいました。最終22便のN氏が科学館に行った折に山ほどもらったそうでお裾分けをいただきました。感謝です。そのまま日曜日はちょい飲み…のはずが爆飲みになってしまいまして、お一人様福沢さんのお支払い(爆)

科学館は近日中に行ってこようかと思います。羊蹄丸の今後が気になりますし…

このblog、連絡船関係の検索ワードでよく引っかかっているようです。さらにフェイスブックからも来ているようで。自分はフェイスブックのアカウントは持ってないんですけどねぇ…

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夏休み前半の部の出勤、プール当番とバンドの練習も終わり、お盆休みモードです。んが、自宅で時間があるときしかできない楽譜書きレッツゴーでPCが音楽マシンとなっております。休み中撮影にロングで出かける予定もないのでblog更新は微妙です…

とりあえず合唱曲はストックしてあるMIDIデータに合わせてボカロご一行様にパートごとに歌ってもらって、今日の段階で3曲目に突入。Count BasieのOrange Sherbet、コード聞き取るのが面倒くさい…元がSammy Nesticoのアレンジだからアバウトにやっちゃうとイメージ狂っちゃうし。手持ちの1001なんかの曲集に入って無いし…誰かコード書いた楽譜持ってないかなぁ…ググってもM8の輸入バンド譜しかないし。合唱用2曲、学年合奏用2曲、バンド用3~4曲を2週間で書けるんかいな?ってこんな与太話書いてる場合じゃないな…

さて、改築して新装開店した風呂屋に行ってくるかな…

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