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2010年11月

2010年11月30日 (火)

嗚呼 軍國中年 2

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というわけで、二式大型飛行艇、略して二式大艇。これがどこか見た瞬間にわかる人は…(以下略)

いまでもこの機体を超える飛行機はないとまで言われる優秀な飛行艇でした。海軍の設計要求は当時の戦闘機の平均速度を100キロ以上上回ること、航続距離も7000キロというとんでもないモノでした。
それだけではなく、機体が頑丈なため、エンジンに被弾しなければ数百発の弾を食らっても平気だったとか。

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はい、こちらです。鹿屋の海上自衛隊の資料館です。…昨日は陸軍、今日は海軍の特攻隊の基地です。こちらの滑走路はいまだに使われています。

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ここの展示物はなんと言っても零式艦上戦闘機五二型。いわゆるゼロ戦。通常この角度からは撮れないのですが、たまたま何かの撮影をやっていて大型脚立があったので便乗して撮らせていただきました。上へどうぞと快く脚立に登らせて下さった海自の方、ありがとうございました。

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2010年11月29日 (月)

寝台特急 日本発マレーシア行き

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宙を舞う寝台車、マレーシア行きブルートレインの積み込み作業です。

ググったら鹿カコからの車両搬出の動画をYOUTUBEで見つけました。門を出て右折…ということは南港か谷山港?と思いつつも、一応本港・新港と順番に覗いていきました。何せ、客車を船積みするわけですから、それなりのクレーンなりデリックなりがあるはず…と港湾地区を走り回る怪しいレンタカー(笑)

見つけました。予想通り谷山港でした。

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まずは対岸から。ここから見ると5両しかいません。朝のTVでは6両と言っていたので、?でしたが、接近戦ができそうなので突入しました。

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フェンスギリギリまで車を寄せて車を脚立替わりに有刺鉄線の上から。手前から3両目のソロにクレーンが据え付けられています。すでに1両は右後方に見える船の脇に移動させられていたので対岸からは見えなかった次第です。

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幕は行先・テール共に抜き取られた後でした。オハネ・スハネフ・ソロ・オロネとこのまま編成組んで走らせたらマレーシアではエアコン付豪華列車になるのかなぁ…と。

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作業の手順として、留置場からトレーラーで1両ずつ 船の舷側まで運び、釣り上げて席差という形になっていました。居合わせた人の話だと朝9時から作業開始、台車はさっさと積んだのですが、なかなか車両の作業にならず、1両目が宙に浮いたのは11時半近くでした。けっこうマスコミも来ていて、私も取材を受けてしまいました。

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この作業、進入禁止ゲートの真ん前だったので、敷地外からもバッチリ撮ることがができました。

…マレーシアでの末永い活躍を願って。

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嗚呼、軍國中年

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はい、昨夜は焼酎を痛飲してあっけなく爆沈しておりました。

この建物、見た瞬間に何かわかる人はどの位いるでしょうか…

知覧特攻平和会館。陸軍の特攻隊基地跡につくられています。

久々の鹿児島。鹿児島交通南薩線跡…と思いながらも知覧の地名を見たとたんに軍國中年の血が…ハンドルをくわっと切って行き先変更、武家屋敷をぶらっと見てからこちらへ。

ここに残されている遺書や手紙類、涙なくしては読めません。以前…と言っても10年くらい前ですが…来たときよりも展示してあるものが増えていたように思います。

戦争は外交の一形態であると言いますが、政治・思想的な話にかかわらず、純粋な気持ちで国の礎となって亡くなった英霊にはきちんと礼を尽くしたいものです。

…今TVで寝台車をマレーシアに向けて今日船積みするって言ってた。うーん、これはのぞきに行ける場所なのか?

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2010年11月28日 (日)

今さらながら

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一月以上間が空いてしまいました。というわけで、ようやく学芸会が終わりましたです。

で、画像は今さらながらの先日の只見線の蒸機。日曜日1日だけの参戦&天気悪い&紅葉イマイチ&左膝内側靱帯損傷という極悪コンディションでの撮影。車から降りて数歩という所でないと徒歩移動が非常につらかったです。

なので、まぁ行きました&撮りましたですが、今回からヘッドマークがリニューアルされてまして、これまでのオレンジ一色よりはなかなかよい感じのデザインでした。

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で、通過した後トンネルからは煙がすごい勢いで吹き出してきました。かなり長い時間この状態が続いていまして、ここにいた皆さんすげーと言いながらこれ撮ってる人結構いました。

久々の只見線で、見慣れた光景にすごく安堵した1日でした。久々の湯倉温泉もよかったし。

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さて、おととしも書いた学芸会総括。ここ、けっこう子どもや保護者見てるようなので。

一昨年の反省を生かし、プログラムは5年→6年の順にすることはできました。やはり最高学年が後に来ないと…ね。

で、例によって自力アレンジですが、今回はリコーダーとピアニカにパートを分割しませんでした。いわゆる木琴鉄琴ピアノやらのオーディション系楽器以外はすべてリコーダー。一昨年は分割したために音圧を稼ぐのが大変だったのでその反省から今回はリコーダーのみで音圧を稼ごうという計算でした。

選曲は…まぁ私の趣味ということで…っつーか、一昨年のこともあってその方向とノリをかなり期待されていたと…けっこうなプレッシャーではありました。

5年のエルクンバンチェロはパーカッション命…の曲ですが、それは置いといて、リコーダーとかにそれっぽくソロを入れてみました。4人中3人がクラブの子になりましたが、楽器は違えどやはり4年の時から私のアレンジで場数を踏んでいるのは強みなんでしょう。無意識かどうかわかりませんが、曲のノリというかツボをつかんでましたねぇ。
選考基準が「俺がうまいと思う人」または「全員失格再募集」なのですが、楽譜作ってる時から日頃の様子を鑑みてこのソロのオーディションで選考基準に値するレベルはあの子かこの子かとイメージしながら書きました。オーディション参加した子&ソロに選ばれた子は6年も含めてほとんど予想通りでした。
で、何よりもリズムに乗せてスピード感のある演奏を…というわけで、オーディション楽器のコンガやボンゴ、ティンバレスやらカウベルなどラテンパーカッションが全部男の子という意表を突いてましたが、ステージ後列最上段でノリノリに楽器叩いて暴れている姿はなかなかファンキーでしたねぇ。結構みんなノって体でリズム取りながら演奏してたし、すんげぇ楽しそうだったんで終わった後子どもたちに向かって思わずよっしゃぁ!とポーズを取ってしまいました。

6年のOn The Sunny Side Of The Street は自分が6年を担任していた時に、卒業文集の担任の言葉に添えてその歌詞を書いていた&ジャズのアドリブの練習に使った&その歌詞に思い入れのある曲です。いつかやりたいと思っていたのですが、リコーダーで吹くにはちょいと難しいので…という懸念がよぎりましたが、やはり2・3年は算数少人数担当として、4~6年は音楽専科として5年の長きにわたってつきあってきた6年生とこれやりたいということで書きました。歌詞は6年生へのメッセージということで。
曲の頭と終わりはトミードーシー、中間部はカウントベイシーをイメージしてアレンジしました。で、ピアノソロ。夜のお店イメージでしゃれっ気出してアドリブ弾いたのをMIDIで無理矢理楽譜化、ソロのチャレンジャーに「楽譜に表せないニュアンスがたくさんあるから楽譜は気休めで耳コピー基本で雰囲気を出してね(笑)」と言ってCD化して渡したのですが、よく弾けた…というか雰囲気つかんだなぁ…と。まぁピアノ習ってる=クラシックなのでそりゃ苦労しただろうと思いますです。
曲の歌詞(書くと某団体から…以下自粛)からイメージして楽しく歌って演奏して、客席をハッピーな気分にしていこうというスタンスで音を作っていきました。英語で歌うわけですが、それっぽい空耳日本語のひらがな歌詞カードを用意したりして…で、金管軍団、ソリスト選びの悲喜こもごもよりも、ただでさえ持っている楽器で目立つんだからちゃんと演奏しろ…と本番の日まで朝練してました(苦笑)
思い入れが強かっただけにこの曲をいっしょにつくってくれた子どもたちに感謝です。演奏後、客席に礼をしたあと、振り返ったところに並んでいる子どもたちの誇らしげな顔を見たらいろんな思いがこみ上げてきて、無意識のうちに子どもたちに向かって深々と礼をしている自分がいました。

さて、日付が変わってしまった…今日は鹿児島で飲み会…ひこーきに乗らなきゃ…

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