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2010年7月

2010年7月29日 (木)

オグリキャップ号 お別れ会 3 主無き馬場

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帰り道、サラブレッド銀座を進み、優駿スタリオンステーションへ。途中旧場前を通り、ここで何度オグリと会ったっけ…土産屋の建物もスタリオンの建物も全く変わらないのに、放牧されている馬だけが変わってしまっている…

今のスタリオンの入り口にあるオグリキャップ号の看板はいずれ取り払われてしまうし、国道沿いに出ているオグリキャップ号の看板も…生あるものの宿命とはいえ街中からオグリキャップの文字が消えていくのは淋しいものです。

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主無き放牧地。オグリキャップ号という看板だけがかつてそこに確かに生きていたことの証。オグリが放たれる前はナリタブライアンがここにいました。いずれこの地も他の馬のものとなっていくのでしょう。

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メモリアルパーク入り口の馬象。一番左側はキングヘイロー。すぐ奥のナリタブライアン記念館は閉鎖されていました。駐車場にあった土産屋も。

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こちらにも献花所が設けられていました。

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横の馬頭観音にはオグリキャップの遺影が。いずれここに墓が作られるのでしょう。そのときにはまたお参りに来ようかと思っています。

一気に3連続エントリーとしてしまいました。明日から2泊3日の日光林間学園の引率です。

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オグリキャップ号 お別れ会 2

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受付で記帳したときにいただいたものです。式次第です。

御礼 株式会社 優駿 と書かれた封筒に入っていました。

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そして、立派な台紙にはさまれたQUOカード。

このようなお別れの会を企画していただいた実行委員会と(株)優駿の皆様に感謝申し上げます。

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オグリキャップ号 お別れ会

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1泊1日の特攻で参列してきました。この会があるのを知って、即JALのマイルタダ券ページを見ると昨日の1930時と今日の2030時に各残数1で席があるじゃないですか。これは天の声が参列しろと言っているのだと…

バンブーメモリーをあり得ない位置から差しきったマイルチャンピオンシップ、そこから連闘で2着とはいえ1着と同タイムの2分22秒2の世界レコードを出したジャパンカップ…そして伝説の引退有馬記念…4角を回って最後の直線、伸びてくるオグリに地鳴りのような歓声、そして中山にこだました17万人のオグリコール…今でも鮮明な記憶です。

血統的にも大したことない、地方競馬出身でクラシックに出られない…そんな逆境をものともせず、ただひたむきに走る姿、それはバブル絶頂期、親から潤沢に仕送りをもらって遊びを謳歌している友人たちを横目に、貧乏して必死でバイトして卒業して、ようやく就職したばかりの自分に重ねていました。当時の仲間にはそんなことは一言も言いませんでしたが…

引退後は何度も牧場に会いに行っていました。年々馬体が白くなり、優駿スタリオンステーションが移転してからは公開されなくなってしまい、残念に思っていました。今年から公開再開だったのでオグリの年齢も年齢だしもう一度…と思っていた矢先の不幸…訃報を聞いて言葉も出ませんでした。そんな思いをどこかで昇華させないと…それが今日だったのかもしれません。

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会場となった新冠町のレ・コード館。入り口には大きな看板が。すでに受付が始まっていました。記帳し、館内に入ると、内藤律子さんの写真展をやっていました。一通り見渡していると目の前を安藤勝己騎手や瀬戸口師が次々と通っていきました。

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祭壇脇に飾られた縁の品。ファンの献花の後に近づくことができました。

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スクリーンには在りし日のオグリの姿が映し出されていました。

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祭壇に置かれたJRAからの感謝状。

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そしてオグリキャップの形見の毛。献花した人がみなそっと触っていました。

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たくさんの献花に包まれた祭壇。

会の中で縁の方々がお別れの言葉を述べていましたが、初代馬主の小栗孝一氏は嗚咽でなかなか声にならず、会場の涙を誘っていました。…という私も目の幅涙を必死でこらえていました。右隣の女の人はずっと泣いていましたし、左側にいた男の人も幾度となく手で目頭を押さえていました。

祭壇で手を合わせながら「ありがとう」と呟いて会場を後にしました。

日高地方に降った強い雨は別れの涙だったのでしょうか…

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2010年7月24日 (土)

暑い…暑すぎる…

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暑い…

勘弁してください…ホントに…

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来週はバンドの練習にプール当番に金土日の2泊3日で日光林間引率、次の月曜がプール当番…体力の限界に挑戦な2週連続月月火水木金金…まぁ、自業自得なスケジュールなんですけどねぇ…

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2010年7月21日 (水)

暑い!画像だけでも…

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暑いです。せめて画像だけでも涼しいモノを…中川の築堤です。雪の只見線、3年くらい御無沙汰になってしまっています。次の冬こそ…

音楽室のエアコン、2台全力で動かしても28℃までしか冷えません。廊下はサウナです。澱んだ「暑い」というより「熱い」空気が…で、廊下はともかくとして、なぜ印刷室にエアコンがないんだろう…コピー数枚とるだけで汗が噴き出してくる…ただでさえ熱を出す機械なのに…

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2010年7月19日 (月)

A380

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スカイライナーに乗って成田空港へ行って…でもって、例によって飛行機の写真なんぞを。

展望デッキに着いたのが7:45。シンガポールエアのA380、定刻なら確か7:30頃に降りてくるはずなので、間に合わないか…と思ったのですが、金網の穴にはまだ人がたくさんいたので間に合ったかな?と思う間もなく降りてきました。総2階建てはでかいですねぇ…コックピットの上がもっこり盛り上がってるって金魚のなんとかっていう種類に似ているような…

で、ルフトハンザのA380も降りてくるはず…と思ってずーっと待っていたのですが、どうやらすでに到着済みだったようで…

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で、携帯で発着案内見ていたらタキシングにでかい図体が。携帯見てる間にランディング見落とした?わけもないので、これから飛んでくやつでした。で、滑走路端から加速を始めたわけですが、なかなかスピードが乗らないのはやはりでかいせいなのでしょうか。遙か向こうの方でようやく機首が上がりました。滑走路目一杯使わないと離陸できないようですね。

…修正済。なんでA380をA300-800なんて書いてたんだろ?暑さでボケたか?

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2010年7月18日 (日)

スカイライナー動画

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いずれも成田湯川駅で。160キロ近くで爆走する姿と音は新幹線に近いモノがあります。

さて、撮影した動画を編集してみました。…こんなんやってる暇あったら楽譜書きの続きをしないと…火曜日に渡せるかなぁ…

まずは→乗り鉄編←16分30秒で約193MBのFLV。重たくてすみませんです。

続いて→爆走・成田湯川通過編←36秒で約7MB。

乗り鉄のついでの動画なのでまぁ…こんなもんですね。残念ながらスカイライナー1号で160キロ表示を見ることはできませんでした。

…そういえば会津鉄道8500の動画いじってなかったな…

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スカイライナー戦利品

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昨夜のエントリーの後倒れるようにして寝こけてしまいました。このエントリーも昨夜のウチにとおもったのですが…

で、まずは京成上野発行の記念乗車券。このスカイライナー券に17日1号が転記できたらなぁ…と思ったりする…で、説明書きが4枚。

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封筒にシールで封をしてあったので、はがして開封するのをちょっと迷ったのですが、まぁ売るわけでもないので…保存用にもう1セット…は2400円はお財布にやさしくないのでパスしました。

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続いて北総の記念乗車券。

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続いて1号車内で発券してもらったスカイライナー券。開業記念の文字入れて…とお願いしたら車掌のおねいさんの後ろで上司と思われる人がNG出したのであきらめましたです。

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そして、成田空港内郵便局の記念消印。駅開業の時も消印あったので行ってみるとやっぱりありました。今回1番安価なグッズ(笑)

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駅の売店で売ってたフレーム切手。なぜか郵便局では売ってなかったりします。ペーパークラフト…作るようにもう1セット…というには1800円は高いです、はい。スキャンしてカラープリントして組み立てる…ほどのモノでもないような気もします。はい。

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2010年7月17日 (土)

成田スカイアクセス開業 スカイライナー1号

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というわけで、先ほど帰宅しました。記念切符買えるかなぁ~?とか思いながら早朝の電車に揺られて上野へ。5:30頃に上野で下車する面々、どう見ても同業者多数でした。で、京成上野の記念切符は長蛇の列。とりあえずぎりぎりまで並んでみて…と思ってましたが、6時ちょいすぎに買うことができました。

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でもって、ホームへ行くとすでに列車が据え付けられています。5:56入線と放送されていたのですが、記念切符並んでいたので、入線は撮れませんでした。これは最後尾の8号車。

1号車側はすごい人で、たどり着いたときには花束贈呈は終了していました。

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側面のスカイライナーのロゴ。D700に18-35レンズだったので、壁の前の狭い空間でも何とか撮れましたです。

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6:20頃にドアが開き…先頭で入れなかったので椅子の並びは下車時に…と思ってマイクをセット、グリップで窓に向けてVTRを。後部運転台の様子をガラス越しに。

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でもって、車内。椅子は固め。各席にコンセントがありました。車内検札無かったし、出入り口チェックもなかったので乗ってしまった者勝ち(強行乗車がいたかどうかはわかりませんが)という状態でした。

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成田空港出口。京成本線で来たかスカイアクセスで来たかを判別するために京成本線は改札が2段階に。

この後シンガポールエアとルフトハンザのA300-800を展望デッキで撮ってから成田湯川駅へ。A300-800の画像は別途で。

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で、こちらは一般電車の乗り場階段へ向かう通路。

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成田湯川駅にはこんな垂れ幕が。この段階で記念入場券は完売。出補を求める長蛇の列…手書き券だけにどうみても数時間待ち…なので、ホームで爆走してくるスカイライナーの写真とVTR撮って撤収し、そのまま世田谷美術館の写真展を覗きに行きました。もらったタダ券あったし25日までだし。

いやぁ~疲れた…

ゲットした物品と動画は後で。

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2010年7月15日 (木)

成田スカイアクセス/スカイライナー1号

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というわけで、キャンセル待ちは未だに出ないというか、月曜日の午後、出張途中のバスの中で携帯でアクセスしたら△だったので速攻予約!とやったのですが、システムエラーに負けました。

んでもって持つべきモノは…というわけで、初日スカイライナー1号の指定券を入手することができました。とりあえず成田空港行って、ついでにフィリピンエアのA380でも撮ってこようかと。確か午前中に降りてくるはず…

さて、朝寝坊しないようにしないとな…ここしばらく楽譜書きの毎日だし…

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今日夕方、ケータイでニュース読んでたら、ホーガン氏死去…えぇ、ウエスタンラリアットアックスボンバー(鉄たま氏よりチェック入ったので直しました。プロレスファンの皆様、失礼しました。生兵法な知識はよろしくなかったです。)でおなじみのハルク・ホーガン氏ではなくって、J.P.ホーガン氏です。この名前でピンと来る人はその筋のまにあな方々ではないかと…「星を継ぐもの」3部作や「創世記機械」…SF小説の大家でした。

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この「星を継ぐもの」三部作、第1作は1977年の刊行。ウチにある文庫本は3冊そろって初版本。第1作の「星を継ぐもの」は1980年、私がまだ中3の時のものです。荒唐無稽なのがSFではあるのですが、そう思わせないような非常に緻密な科学的な検証と推論によって世界が構成されていて、科学用語がわからないなりにも物語世界に引き込まれ、その後何度も読み直した3冊です。この続編もあるのですが、翻訳されてない…原書はさすがに…

ハリウッド的なSF作品とはひと味もふた味も違って、1作目の科学推論と議論、2作目で巨人との出会いと人類の戦争の歴史へのアンチテーゼがテーマかと思わせておいて3作目の後半部の殺らなきゃ殺られるという戦争?描写と戦略思考。見事なまでのストーリーテリングで刊行から30年以上たっても古さを感じさせません。

ハードSFの面白さを教えてくれた作家でした。合掌…

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2010年7月13日 (火)

余部橋梁ファイナル

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ありえねぇ忙しさでblog放置中…で、今度の16日金曜日で余部橋梁がその歴史の幕を閉じます。最終に乗りに行きたかったんですけどねぇ…うーん、残念。画像は2006年10月の快速あまるべ。この日は余部橋梁の上を国鉄色キハ4連が行ったり来たりしていたので皆さん民族大移動状態で大撮影会となっておりました。

余部橋梁…ガキの頃からその名前と偉容だけは知っていましたが、リアルにこの橋を列車で渡れたのは高校1年の冬。

旧客夜行山陰で眠れない夜を過ごして…というか、旧客夜行眠るのもったいなさ過ぎて…香住過ぎてからずっと最後部の展望席にへばりついていました。未明の暗闇の中、遙かな眼下に街の灯が流れていく何とも幻想的な光景が初めての余部橋梁の景色でした。

その後、乗り鉄で何度も通過しましたが、まだ防風柵もなかった頃、乗っていると本当に天空を駆けているような気になりました。

みやびが転落した日は直前通過のはまかぜ1号にのっていたとか何かと縁のあるところでしたが、旧客時代は乗り鉄ばかりで撮っていなかったのが悔やまれます。

諸般の予定を調整して29日、新冠での一般人参加OKのオグリキャップお別れ会に参加することにしました。15日の牧場でのお別れ会は関係者のみらしいので。それにしても…28日、午前中はバンドの練習、夕方の飛行機で千歳入り、レンタカー借りて1泊、翌日新冠で参列、でもってそのまま夜の飛行機で帰ってきて、翌日から2泊3日の日光林間学園。帰ってきた翌日とその次の日がプール当番、さらにあと2日バンドの練習…そもそもマイルタダ券が往復おいしい時間に残数1で空いてたのがいけないんだ…我ながらアホかと…体力の限界に挑戦ですなぁ…

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2010年7月 3日 (土)

追悼 オグリキャップ

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もしかしたらこの画像、過去のエントリーで使ったかもしれませんが…

今日、オグリキャップが脚部骨折のため死んだというメールが飛んできました。笠松競馬から怪物がやってくる…と聞いて半信半疑だったのがあり得ない勝ち方で中央競馬の階段を駆け上がっていく…全盛期のオグリならマイル戦は全財産単勝につっこんで鉄板で安心というくらいの強さでした。芦毛の怪物…ホーリックスに僅差で負けたとはいえ5才のジャパンカップ時の仕上がりで凱旋門賞にトライできていたら…と今でも思います。本当に強かった。

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旧優駿スタリオンステーションのオグリのラチに飾られていた看板。道路に面したところで見学ひな壇もあり、種牡馬としては…なオグリでしたが、人気は抜群でした。優駿スタリオンステーションが移転してからは見学ができなくなっていましたが…

タマモクロスとの叩き合い、ジャパンカップでホーリックスとたたき合った2分22秒2の世界記録、東京競馬場で目の前で爆走していく2頭の姿は何か別次元のモノでした。不振が続き、もうダメかと言われてた平成2年の引退レース有馬記念。オグリの生涯でもっとも高いオッズ490円の単勝…えぇ、採算度外視で連単複オグリと心中馬券でした。あの当時は名前入り馬券でなかったのが残念で仕方ありません。

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このレースのために中山競馬場の指定席をゲットしました。競馬ブームでただでさえ指定券の入手は困難だった上に、当時は中山競馬場は新スタンド工事中で指定席数が少なく、12月の中山開催の指定席に入った客から抽選で発売…でした。寒風吹きすさぶ中山競馬場で徹夜で何度も並んでようやく手に入れたオグリ引退有馬記念の指定席。

4コーナーを回って一完歩ごとに前に出てきて先頭でゴールを駆け抜けていくオグリ…場内の興奮とどよめき、自分自身も絶叫していたことは今でも鮮明に覚えています。目の巾涙流しならウイニングランにオグリコールをしていました。若かったなぁ…あれから20年もたつのかぁ…

最近は静内や新冠など牧場のガードが堅く、なかなか名馬と対面することができません。オグリキャップと最後に会えたのはいつだったかなぁ…YOUTUBEやJRAサイトのレースVTRを見ながらまた一つ時代のページがめくられたことをしみじみと感じています。

死闘を繰り広げた名馬たちとあの世のターフ上でリターンマッチしてたりとか、引退有馬記念でオグリを無印にして「ライアン」と叫んだ大川慶次郎氏とレースを振り返ってたりとか…なんかそんなシーンが思い浮かんできます。

合掌。

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