SPOONさんから松前丸の塗色について2回に分けていろいろとご教示いただきました。せっかくですので、いただいた画像と合わせて紹介させていただきたいと申し出たところ、快く了解していただきました。
以下、SPOONさんからいただいた画像と説明です。
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天賞堂はサンプルでライトグリーンだった松前丸を、何故大雪丸と似た様な塗装にしたのでしょうか。これは製品の時代設定に関わるお話です。3枚の絵はがき写真をご覧下さい。
まずは竣工直前~就航直後のカラーリングです。HOKUSEIDOの絵はがきのものです。
古川達郎氏の「続連絡船ドック」295頁に掲載されている昭和43年3月現在の「船体塗色の変遷」によりますと、松前丸と大雪丸の外舷下部色は、それぞれ2.5G5.5/6と2.5G3/5(マンセル)で色相的には殆ど同じで、松前丸の色が若干明度が高いそうです。
これが今回の天賞堂1/500松前丸の塗装の参考になった写真だと思われます。
HOKUSEIDOの絵はがきで、遊歩甲板後方延長後の姿です。ただし、この塗装の期間はすごく短いです。
今回の天賞堂製品は、遊歩甲板延長前の製品であることと、他の船のファンネルの塗り分けに合わせて、この写真のカラーにしたのだと思います。
天賞堂製「松前丸」が昭和43年の考証であるならば、すでに自動車航送が始まっていますから、プロムナードデッキ後方のベンチは整理され、白枠及び数字が記されているのですが、「客船」としての美しさを優先した、ということでしょうか。ちなみに製品の遊歩甲板後方のベンチの色と配置は松前丸のものです。
良く知られた晩年の塗装です。金丸氏の写真集「青函連絡船」に掲載されたものの一部です。
天賞堂製模型の最初のサンプルはこのカラーでした。この写真では見えませんが勿論イルカマーク付きです。
古川氏の「鉄道連絡船100年の航跡」232頁には松前丸の外舷下部色が「うす緑色(5G7/6)」になったのは、昭和44年12月とありますから、天賞堂製「松前丸」が昭和43年の考証であるならば、おそらく製品の塗装で間違いないと思います。ただし、外舷上部色は摩周丸と同じになるので、ちょっと白すぎるかも知れません。
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うーん、奥が深い…マンセルの色体系…そういえば連絡船本のどこかで見たな…と思いましたが、全然意識してませんでした。モデルになった色の塗装の写真は初めて見ました。
デビュー当時の写真は黄色一色のファンネルのイメージが強かったのと黄色煙突とライトグリーンの八甲田丸の写真を見ていた&デビュー当時は津軽丸以外は同じ色ファンネルだけ色違いで見分けがつきにくいから船体もカラー化し、松前丸がライトグリーンの塗色を引き継いでいたと私が思い込んでいたんですね。ちなみに、その時代のHOKUSEIDOの絵はがきの八甲田丸と大雪丸。どちらもファンネル以外同じ色です。
連絡船についてはまだまだ知らないことがたくさんあります。自分がリアルで連絡船を体験できたのは高校に入った昭和56年春からですから、津軽丸と松前丸は本当に最後の姿をかろうじて見ることができただけでした。それだけに津軽丸のグレーの気品と松前丸の蛍光色にも見えるようなライトグリーンは印象に残っているので余計に天賞堂モデルに?なコメントになってしまいました。
ちなみに、HOKUSEIDOの連絡船絵はがき、今となっては貴重な一品、乗ったときにもっと買っておけばよかった…と後悔しきりです。
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