急行津軽 愛称板
というわけで、昨日に続いて愛称板。
急行津軽。出稼ぎの行き帰りに多く利用されたため、ある程度以上の世代の東北の方々には特別な響きのある列車名でした。「津軽で帰る」この一言を伝えることができたら出稼ぎで成功したという意味を持つとまで言われた列車です。
お盆と年末の上野駅には昼ぐらいから津軽を待つ列が出来て、久しぶりに顔を合わせた同郷の人と酒酌み交わしながら列車を待つ…そんな光景の片鱗を小さい頃に見て印象に残っています。
自分が旅するようになってからはやはり便利な夜行急行ということでずいぶんと利用しました。一時20系寝台車を座席扱いにして運用に入れたものの、収容力が足りず、寝台の通路にあふれた客で車体が傾くということも起きて、あっという間におがの12系の編成と入れ替えになったのも記憶に残っています。その20系、上りの青森からならうまく上段に潜り込むことができましたが、周遊券の有効区間から下りに乗ろうとしたら、満員の通路のお世話になるしかない…禁煙車もない時代、「寝台使用中は禁煙」ですから、座席車あつかいでもうもうたる煙立ちこめる車内に夜通し立ちづめはさすがにきつかったです(苦笑)
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コメント
おばんです
急行「津軽」、懐かしいですね。
記憶があいまいなのですが、当事奥羽線回りが「津軽」東北線が「八甲田」、常磐線回りが「十和田」だったような・・・
もっとも私は「おが」にしか乗ったことがありませんけど。
上野駅の雰囲気はいかにも東北への玄関口という感じだったし、たしかに叶うなら当時のような旅をしてみたいものですね。
投稿: 身不知柿 | 2009年7月28日 (火) 22時12分
おばんです。
いや、ホントに懐かしいです。おっしゃるとおりの東北奥羽常磐周り設定です。
津軽は末期は583系でしたし、山形新幹線開業前夜は下段寝台勝手に作るのも黙認されてました。山形到着前に「今夜は特に咎めることはしなかったけど座席を元に戻してね。山形新幹線1番列車楽しんできてください」放送入りましたし。
上野は地上改札にずらりと並ぶ列車の行き先札が何とも見ていて楽しかったです。冬は雪を屋根にたくさん乗せて北国の便りを運んでくれているような感じも受けましたし…
このテのなつかし話はきりがなくなりそうです。
投稿: 西乃湯 | 2009年7月30日 (木) 22時35分