« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

2009年7月

2009年7月31日 (金)

田植えの頃 その2

_dsc3694

林間学校中タイマーアップその2

機能のカットを撮ったあと、カメラを振って田植機と。それにしても田植機のギミックって面白いですねぇ~見ていて飽きません。

これがアップされる頃、「さっさと寝ろ~」と部屋を回っていることでしょう…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月30日 (木)

田植えの頃

_dsc3682

というわけで、明日から日光林間学園の引率なので、まとめてタイマーアップの仕込みです。

…ネタがないので5月の蒸機の時に撮ったローカルシリーズなんかを。

沿線では田植え絶賛開催中でした。まずは八坂野で田植えの準備中か仕上げ中といったところでしょうか。かろうじて水田に列車も映すことが出来ました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月29日 (水)

シュプールニセコ

Spniseko

暑いので雪の中の画像…

というわけで、かなり昔のシュプールニセコの画像です。寒かったです。

撮影に行ってないしなぁ…金土日と3日間、日光林間学園の付き添い引率です。タイマーアップ仕込む時間あるかな?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月28日 (火)

急行津軽 愛称板

Tsugauromote
Tsugaruura

というわけで、昨日に続いて愛称板。

急行津軽。出稼ぎの行き帰りに多く利用されたため、ある程度以上の世代の東北の方々には特別な響きのある列車名でした。「津軽で帰る」この一言を伝えることができたら出稼ぎで成功したという意味を持つとまで言われた列車です。

お盆と年末の上野駅には昼ぐらいから津軽を待つ列が出来て、久しぶりに顔を合わせた同郷の人と酒酌み交わしながら列車を待つ…そんな光景の片鱗を小さい頃に見て印象に残っています。

自分が旅するようになってからはやはり便利な夜行急行ということでずいぶんと利用しました。一時20系寝台車を座席扱いにして運用に入れたものの、収容力が足りず、寝台の通路にあふれた客で車体が傾くということも起きて、あっという間におがの12系の編成と入れ替えになったのも記憶に残っています。その20系、上りの青森からならうまく上段に潜り込むことができましたが、周遊券の有効区間から下りに乗ろうとしたら、満員の通路のお世話になるしかない…禁煙車もない時代、「寝台使用中は禁煙」ですから、座席車あつかいでもうもうたる煙立ちこめる車内に夜通し立ちづめはさすがにきつかったです(苦笑)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月27日 (月)

急行八甲田 愛称板

Hakkoudaomote
Hakkoudaura

数え切れないくらいお世話になった急行八甲田の愛称板。

上野でまだ明るいうちから北海道周遊券片手に並んだり、夜中に反対方向行きへ乗り換えて宿替わりにした東北周遊券の乗り手鉄したり…と。旧客~12系~14系と車両が変わって、時刻も変わっても、東北夜行+北海道行きの色濃い列車でした。ワイド周遊券もなくなり、座席の夜行急行も風前の灯火。今思えばお世辞にも座り心地がよいとは言えない窮屈な座席で、長い夜を過ごした後の朝の空の色…未だに鮮明に甦ります。

部屋に飾ってある愛称板をみるにつけ、あぁ…貧乏で食べるものに事欠いても遠くへ行きたかった、あの頃のような旅がしたいなぁ…と思ってももう叶わぬ夢…ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月26日 (日)

SUPER EXPRESS RAINBOW 灰皿

_dse73692

えぇ、今は亡き、SUPER EXPRES RAINBOWの灰皿です。なんでおまえがこれ持ってんだ?と言われそうな一品ですが、大学生の頃だったと思いますが、某駅の出札助役さんと懇意にしておりまして、その筋からいただいたものです。未使用で、粗品の箱に入っていましたが、箱から出して小物入れに使っていたので、箱が行方不明です。

すでに列車自体が鬼籍に入ってしまいましたが、安いシュプール切符買って、シュプールレインボーで大糸線の撮影に行ったのは今となってはいい思い出です。えぇ、沿線雪中歩き鉄でへろへろになりましたです。肝心のレインボー自体の走行は…高崎線でワンカット撮っただけだったりする…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月25日 (土)

十和田丸 行事並びに指導訓練月間計画表

Towadagyouji

通信長引継簿といっしょにもらったものです。4月~9月までセットでもらいましたが、8月のを。画像クリックで横1200pixのでかい画像になります。元はB4なので、2分割スキャンで合成してあります。

行事や訓練は毎月こんな感じでしたが、昭和61年の夏、7月中旬から9月上旬にかけて、十和田丸は北海道一周の旅とか、北方領土の旅とか航路以外に周遊船として出張していました。その便名が記録されています。

通常の甲・乙・丙・貨物の4系統の便名ではなく、8500番代の臨時便の便名があてがわれています。

北方領土の旅には乗ってみたかったですね。ソ連の巡視艇がつかず離れずだったとか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月24日 (金)

摩周丸 青函連絡船記念館 その6

Gfree

残されているグリーン自由席。今は入れなくなってしまいました。

座席の枕カバーがないものの、その他は現役時代のまま。照明も空調もとまっているものの、往時の華やかさを偲ばせてくれます。救命胴衣もそのまま残っていて、着用練習のためのサンプルもそのまま使えました。

Gfree2

そしてグリーン自由席の桟敷席。こちらも現役そのままです。黒い枕がここに置かれていないだけで、冷水器とかそのままになっていました。だんだん痛みが目立つようになっていましたが、羊蹄丸はもとより、八甲田丸もこの桟敷を展示施設に転用してしまったのでこの形が残っているのは貴重です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月23日 (木)

摩周丸 青函連絡船記念館 その5

_dse6102

後部甲板にあるシンボルマークとブイ。

この下でみんな記念写真撮ってました。ブイをクビに掛けて…なんてやってた記念写真が何枚もあります。白く伸びるウェーキを眺めながらぼーっとしていた時間の何と贅沢だったこと…

船内への扉も木で作ってある当時のまま。あの扉を開けて船内へ入ることができたらなぁ…と切に思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月22日 (水)

摩周丸 青函連絡船記念館 その4

_dse6151
_dse6152

プロムナードデッキ。

がらんとしたデッキの柵にもたれかかり、ぼーっと海をながめていると時間がさかのぼっていくように感じます。あの頃の面影がそのまま残る雰囲気はたまらないですね。窓からのぞき込むグリーン自由席は手つかずでそのままです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月21日 (火)

摩周丸 青函連絡船記念館 その3

_dse6164

というわけで、さらに続きます。

このファンネルとシンボルマークはやはりはずせないですね。JNRマークが切り抜きでなくて塗装というのは仕方ないとして、機器室の窓がなければ現役の雰囲気そのままです。

実際はここに見える乗船口に現存するタラップがかかるのが正しい停泊位置なのですが、船尾の可動橋が船体に繋がっていない関係で若干前に出して泊めているわけで。

それでも、現役の時のまま残されているタラップをそのまま渡れるのは摩周丸ならではです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月20日 (月)

摩周丸 青函連絡船記念館その2

_dse6496

というわけで、タイマーアップのネタ切れに気づかず、夜中に人力アップ。一応エントリーは20日付で。

ナッチャンから撮った摩周丸。窓越しなので色が(汗)

函館どつくのガントリークレーンとのショットですが、今さらながら撮っておいてよかったなぁ…と。このアングルで見るとまだ現役の頃のように見えます。

次の法定点検の時はまた曳航されるのかなぁ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月19日 (日)

摩周丸 青函連絡船記念館

_dse6158

ナッチャンに続いて函館ネタときたらやはりこれ。摩周丸。

旧岸壁に係留されている摩周丸。青と白の船体はドック上がりではそれはそれは美しく、さよならキャンペーンのチラシやポスターは見事なデキでした。

全部船員室や上甲板の機器室など内部はかなり手を加えられている部分もあるのですが、予算不足と許認可とアスベストがごにょごにょで現役時代のまま封鎖されて未公開のところが多いです。知り合いの某氏は非公開区域を見たことがあるとのたもうておりましたが、後部桟敷とか食堂とか車両甲板とかエンジンルームなんかを公開して欲しいですねぇ…前は当時の姿のまま残っているグリーン自由席は中に入ることができたのですが、今はプロムナードデッキから窓越しにのぞき込むのみになってしまいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月18日 (土)

ナッチャンWorld 再出発

_dse6132

というわけで、タイマーアップが続きます。

去年燃料費の高騰でこけてしまったナッチャンですが、この夏にカムバックです。とはいえ、ナッチャンworld1隻で青函1日1往復、ピーク時に2往復のみですが…Reraの方はどこぞの桟橋に待避して係船されたままです。

エグゼクティブクラスは7000円に値下げしてサービスカットの上、曳き波問題云々でスピードダウン。函館のラウンジも使用不可のようです。

もう一度乗りたいですね。画像は解体されたはこだてどっくのガントリークレーンの向こうを行くナッチャンWorld。摩周丸のブリッジ後ろの甲板から撮影。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月17日 (金)

ED75原色重連

011

タイマーアップも続くとネタが…というわけでお茶濁しネタで。

ED75の原色重連です。最近はいよいよ国鉄色が減り、原色で重連を見るのは難しいんだそうです。しかもED75自体の廃車も進み、いよいよ世代交代の時がやってきたようです。

たしか583はつかりを撮ったついでのカットですが、今となっては貴重な?カットかなと思います。まぁ撮れるモノは撮れるうちに撮っておく、ですかね。

1学期終了。夏休みだぁ…は子どもだけ。私ら教員はLet's出勤。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月16日 (木)

ムーンライト九州

_dsd5094

まだまだタイマーアップ。

何でも、この夏はムーンライト九州が運転されないとか。非常に便利なダイヤだったし、リゾート14系は椅子がよくて楽だったんですけど…展望室も宴会部屋にもってこいだったし(爆)

ムーンライトシリーズは山陽も高知も運転されないらしい(夏の時刻表見てない…)18切符とか周遊券片手に旅していたころが懐かしいです。

最近は夜行座席車に体が耐えられなくなりつつあります。最後に乗ったのっていつだっけかな…寝台はけっこう使ってたけど。

2007年の撮影。須磨浦海岸にて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月15日 (水)

只見線 5月蒸機 その6

_dsc3912

蒸機最後はここ、蓋沼森林公園へ登る道の途中から。…ここにこんなに人がいるのを初めて見ました。

さて、これで5月の蒸機は終わり。まぁ、行きました撮りましたお立ち台カットばかりですな。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月14日 (火)

只見線 5月蒸機 その5

_dsc3886

で、1鉄橋へ。手前に車置いて林の奥へ全力ダッシュ。ウエストが6インチ減るほど痩せたので若干身が軽くなりました。ジーンズの買い物も大きな人用フロアから一般人フロアになりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月13日 (月)

只見線・5月蒸機 その4

_dsc3858

で、帰りはここから。煙がまいてしまった…山の上の藪こぎは…パスしました。ダチョウ牧場がなくなってました…

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年7月12日 (日)

只見線・5月蒸機 その3

_dsc3828

でもって横田駅先のアザキ大根の花と。かしゃ猫氏と合流しました。紫の可憐な花がよいですねぇ。収穫が楽しみです。すり下ろして炊きたてご飯に載せて醤油を1~2滴…鼻に抜ける強烈な辛みでご飯が何杯でもいけます。はい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月11日 (土)

只見線・5月蒸機 その2

_dsc3803

で、車が多いので次に撮れたのがここ。田植えの最中でした。沿線各地田植え絶賛開催中だったのでローカルも田植えメインで撮ってました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月10日 (金)

只見線・5月蒸機

_dsc3787

というわけで、今年の数少ない鉄、それも予想外に拉致されて日帰り特攻だった5月只見の蒸機。何せ去年の11月以来なのでさてどうしたもんかと…

で、人も多いし、ローカル撮ってたら時間的にここしか…という…バリ晴れならド逆光の時間なのでどんぐもりで却ってよいかなと。それにしてもここ、いつも人がいません。2鉄橋をいい感じの煙を吐いて渡って行きました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月 9日 (木)

鉄道模型ショー 招待券

Mokei01
Mokei02

ダブルエントリーになります。

なぜか学校の職員室でいただいてしまいました。大量にもらったそうで、あちこちに配った後に私のところに束で…いや、うれしいんですけどね…使う用、観賞用、保存用、交換用とマニアコレクションにしたって多いです(笑)

まぁ、夏休みに入るので時間やりくりして覗きに行ってこようっと。

誰か要ります?一見さんお断りで先着5名様まで。携帯にメールくださいな。郵送だと遅くなるから手渡しきぼー(飲む理由ができる…)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

川霧の季節

_dsd3483

というわけでさらにタイマーアップ。

久々の只見線ネタ。5鉄橋で。奥から流れるように川霧が…

ぼつぼつ川霧の季節なんですが、5月の蒸機に某氏の新車慣らし運転の積荷となって、高速1000円をいいことに土曜日日帰り特攻して以来、御無沙汰になっています。その前が去年の11月の蒸機だったから、どんだけ忙しかったかと…まぁ演奏会があったり卒業式があったり教務主任の仕事が山積みだったり立場上ごにょごにょな事とか…ともかく、仕事でここまで首が回らないって状況は教員20年目で初めてでした。

んー、行きたいですねぇ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 8日 (水)

青函航路開設77周年記念 海峡の女王シリーズ No.15

151
152

またまたタイマーアップで。

その15の1枚目は初代空知丸と十和田丸。この十和田丸はプラモデルとして売られたのですが、たまにヤフオクに出てくるととんでもない値段が…津軽丸型のプロトタイプとでも言うんでしょうか、ブリッジの形状とか車両甲板の後部扉とか過渡期の設計であることが見て分かります。

2枚目は改装後の桧山丸。石狩丸共々多客期の臨時便や深夜の続行便にあたることが多く、乗る機会が少なかったです。というか、食堂やグリーンがなかったので意図的に避けていたのもあるのですが…

これでシリーズ15集すべてです。

これだけ状態のよいコレクションを託していただいたkokubuさんに本当に感謝です。

…先日、連絡船最終便メンバーの飲み会がありまして、いや、某氏が連絡船にまつわるとあるモノを手に入れたのですが…と飲み会の理由を作ってくれましたので(笑)その席で88年3月の船舶の運用表を見せていただいたのですが、13日以降が真っ白になっているのを見て改めて感慨にふけっておりました…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 7日 (火)

青函航路開設77周年記念 海峡の女王シリーズ No.14

141
142

さらにタイマーアップ。

その14の1枚目、戦後、関釜航路から応援にやってきた得寿丸、そして洞爺丸等の沈没の代船として建造された桧山丸。この代船シリーズから主機がディーゼル化されました。それまで静かな蒸気タービンだっただけにエンジンの音と振動は評判がよろしくなかったとか。

2枚目は改装後の石狩丸。グリーン席や寝台室、食堂やサロンがない簡略化された客室でした。連絡船でも自動車航送をやっていましたが、津軽丸型は後部デッキに野ざらしで積んでいたのに対して、改装後の石狩丸と桧山丸は船内に収容していました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 6日 (月)

青函航路開設77周年記念 海峡の女王シリーズ No.13

131
132

さらにタイマーアップ。

その13の1枚目はJRのロゴが目立ちます。よもやこの日高丸や大雪丸が建造された時代に国鉄が無くなるなんて想像もできなかっただけに写真との違和感が…この大雪丸、かなり後まで海外で動いていたそうです。

2枚目は改装前の石狩丸。この切符に使われた画像、就航直後でしょうか、船体が非常にキレイです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 5日 (日)

函館開港150周年記念 青函連絡船メモリアルフレーム切手

01

本日届きました。タイマーアップと合わせてダブルエントリーになります。でかい画像が続きます。

開くと…左ページ

05

右ページに切手シートが差し込まれています。

03

んー何か画像が眠いですが、すべてファンネルマークがJNRなのが泣かせますねぇ…

で、このシートを外すと台紙には歴史が書かれています。

04

そして裏表紙。

02

各船のシンボルマーク。統一マークがJNRってのがいいですねぇ…

でも…津軽丸と松前丸入れるんなら渡島丸・十勝丸・日高丸のシンボルマークも入れて欲しかったぞ…と。

ちなみに、北海道キヨスク限定2000部発売です。通販OKで2300円+送料1000円。エントリー時点ではまだ売り切れになっていませんです。

ようやく仕事が一段落…と思ったら次々と別の仕事が…9月早々に研究授業もしなきゃならんし、今年の夏はどこも行けそうにないです…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

青函航路開設77周年記念 海峡の女王シリーズ No.12

121
122

まだまだタイマーアップ。

その12の1枚目、新会社発足記念…国鉄からJRに変わった歴史そのものです…国鉄が無くなってすでに20年以上、昭和も国鉄も遠くなりました…

2枚目は客室増設前のオリジナルスタイルの桧山丸。こうしてみると客室がない分、スマートです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 4日 (土)

青函航路開設77周年記念 海峡の女王シリーズ No.11

111
112

さらにタイマーアップ。

その11の1枚目は初代十勝丸と羊蹄丸。十勝丸の船体は車両甲板で輪切りにされてどこだったかの造船所の浮き桟橋になっていたと記憶しています。

2枚目は空知丸。最後まで貨車渡船として残った船でした。んー、一回乗ってみたかったです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 3日 (金)

青函航路開設77周年記念 海峡の女王シリーズ No.10

101
102

さらに続くタイマーアップ。

その10の1枚目は洞爺丸と北見丸。
終戦後の物資のない時代、GHQと駆け引きをしながら当時の技術の粋を集めて作られた洞爺丸型連絡船。戦争で疲弊した列車から乗り換えたら、それはそれは快適だったという証言がたくさん残っています。

いずれも洞爺丸台風で沈没してしまいました。あまりにも不運が重なった事故とはいえ、これを教訓に津軽丸型がつくられたわけで…七重浜の慰霊碑には何度か立ち寄っています。

2枚目は2代目十勝丸。割と早い時期に引退してしまい、見た記憶がほとんどありませんです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 2日 (木)

青函航路開設77周年記念 海峡の女王シリーズ No.9

091
092

というわけでさらにタイマーアップ。

その9の1枚目は初代石狩丸と昌慶丸。昌慶丸も関釜連絡船からの転戦組。終戦直後の船舶事情の悪さが伝わってきます。

2枚目は渡島丸型の2番船、日高丸。渡島丸と日高丸は結構早い時期に終航売却されてしまいました。函館側は有川桟橋がメインということもあって私もあまり見た記憶がありませんです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 1日 (水)

青函航路開設77周年記念 海峡の女王シリーズ No.8

081
082

タイマーアップ続きます。

シリーズその8の一枚目はなんと言っても宗谷丸。砕氷能力を持つこの船は本来稚泊航路に就航したのですが、戦後青函航路へ転じて船舶不足を補いました。何でも南極探査船の初代候補の1隻だったとか。

2枚目は渡島丸。貨車渡船として作られたため、全長も津軽丸型より長く、積載できる貨車の数も多いです。基本的に旅客は乗せないので上甲板に客室がありません。それでも一目で連絡船と分かるスマートな船体は目を引きます。貨物付添人のための簡易な客室がありましたが、一般人では乗ることはできませんでした…家畜の世話人とか、マニ30の警備員とか、そんな人が乗れたんでしょうねぇ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »