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2008年9月

2008年9月22日 (月)

遠きを思えば天高く、目の前現実gdgdで・・・orz orz orz

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 忙しくて7月蒸気以来只見線とは御無沙汰になっています。そろそろ黄金色の波が風にそよぐ季節…行きたいなぁ…去年、中川で空の表情がよいなぁ…と思いながら撮った1コマ。

 毎年同じ場所で同じようなカットを撮ってはいるものの、少しずつ表情が違う…そんな事に気づくのがささやかな楽しみ…かな?無人店舗や農家の直売店をのぞいて大地の恵みを堪能できるまであと少し。

 最近はイベントがなくてもいつも誰かがいるようになった沿線、通い始めた頃は稲刈り撮ってる人なんてほとんどいなかったし、紅葉ピークの1俯瞰だって5人もいれば「人多いぜ」って驚いたほどなんだけどな。ま、理由はともあれ沿線が賑わうのはよいことで、少しでも地元に貢献しないとね。あぁ…行きたいなぁ…紅葉蒸気は何とかしたいとはいえ、学芸会が終わる頃には行けるかな?紅葉と雪の隙間、人が少ない普段着の只見線に。

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 2日間で7曲仕上げてもう気力と体力の限界です。寝ます。風邪気味だし。5・6年生用の学芸会合奏練習用デモCD80枚くらい焼くの間に合わん。火曜日にがんばって水曜日送りだな…

 明日…いや、今日から学校公開だし。新指導要領の対応もしなきゃいけないし。来年度の全学年の授業時数の詳細な計算しないといけないし。行政の対応もはっきりしないから教務主任会でみんな暴れるし。指導主事しどろもどろだし。指導要領の移行措置対応でただでさえ頭悩ますんだから、もう来年度の計画始めないといけない実働部隊に何にも伝えません分かりませんじゃそりゃみんなキレるよなぁ。
 都民の日や開校記念日を授業日にするのか、夏休みの短縮するのか、土曜日授業を復活するのか、モジュール授業は認めるのかとか…やるなら管理運営規則の改定伴うからそれに伴う作業もあるし、やらないならやらないなりの対応のしかたを行政側がはっきりとしないと私らパニックですがな。そんで今日の明日で膨大な書類作らせるとか平気でやるし。
 かつて土曜日を休みにするときに土曜日の4時間のうち2時間しかコマ減らさなかったのに、この期に及んで土曜日休みのままで1~2コマ増やすってどう考えたって破綻するにきまってんじゃん。だからって土曜復活すればしたで今さら何を…であちこち学校の外にしわ寄せが行くし。1・2年生から6時間授業ってそりゃ子どもの発達考えたらムリだって。そこらへんの対応も含めて教育委員会から統一した見解出してくれないと隣の学校と比べて云々で矢面に立つのは末端の私らですがな。まったく…

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2008年9月18日 (木)

青函連絡船・アンコール最終航海

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昭和63年9月18日18:05、この日この時をもって6月3日から始まったアンコール運行の青函連絡船が最後の航海を迎え、歴史の彼方へ航跡をひいて去っていきました。その着岸時刻にタイマーエントリーです。すでに本来の連絡船の役目ではないとはいえ、車両航送がないだけで運行そのものは食堂もサロンも寝台もグリーンもシャワーも売店の紅ジャケ弁当も…現役と全く同じスタイルでした。

3月31日のエントリーで船長サインなどを公開してしまったので表に出して大丈夫なめぼしいものはほとんど残っていないのですが、十和田丸のエンブレムキーホルダーです。羊蹄丸のと2個セットで、裏側にJRマーク入っているのでアンコール運行用に作られたものじゃないかと思われます。

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教育実習の真っ最中、まだ土曜日が休みでなかった時代、寝台特急で往復して1~4便往復しました。くつろぎカードで1泊したかった…19日の回送便を見送りたかった…というか、後日何人かその筋のマニアを乗せていたという話を聞きました。

東日本フェリーもフェリー事業から完全撤退だし、鳴り物入りのナッチャン2隻、あまりに短命でした。いずこへか売られるのでしょうが、前の高速船ゆにこんの二の舞というのが何とも…とはいえ、津軽海峡を渡る船がまた減るのは何とも残念です。

十和田丸→ジャパニーズドリーム→フィリピンドリーム→係船…先日TVでバングラディシュの船解体場の中にそれらしき姿が…という情報が各所から飛び込んできました。バブルの夢はじけ、それでも自力航行できる唯一の津軽丸型の生き残りだったのに…確定してしまえばそれはスクラップの運命。保存ではなく売却されたのならいつかはその日が来るであろう事はわかっているのですが、それにしても…

日本に残された3船がいつまでもその姿を後世に伝えることを切に願っています。

そして○スラックに怒られるの承知でリクエストにお答えして本家歌唱版使用の連絡船PV。ミクでやったのとほとんど同じVTRですが、やはり御本家だとしっくりきます。約35MBとクソ重たいですが、画像でっかい方がよいかなと。週末には消します。動画タグもつけません。放置blogに毎日つきあってくれてる方に感謝を込めて。再うpはしませんです、はい。

惜別青函連絡船/本家歌唱版  ←消しました。

blogの仕様が変わって1MB以上のファイルをアップできなくなりました。niftyの動画共有にアップしろと。それはちょっとなぁ…blog引っ越すかなぁ…とりあえずサイト本館は容量が逼迫しているので別館にうpしてリンク貼っておきました。例によって転載再配布は×で、ダウンした個人でのみということでよろしくです。

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さて、学芸会の劇中歌など頼まれ編曲あと10曲ほど…デモCD込みで期限来週月曜!間に合わせないと(滝汗)9821の調子が悪くなってきた。レコポ使えなくなると超困る。中古の青札バリュースター9821探しとかないとなぁ…

XP対応のレコンポーザ95Release3誰か譲ってくれないかな…10年前のソフトだしメーカーのカモンがやる気なしでアップグレードも開発も放棄してるしヤフオクでも滅多に見かけないし。Release2はあるんだけどエラーでパッチ当てられないから落ちまくって使えないし。   

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2008年9月13日 (土)

没後5年 宮脇俊三と鉄道紀行展 /真島満秀講演会

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1ヶ月ぶりです。あまりに忙しいのと編曲作業の滞納で平均睡眠時間2時間切ってゲロゲロになっています。この3連休で1曲仕上げないと…

そんな中、行ってきました。世田谷文学館で開催されていた宮脇俊三展。今日は真島プロの講演会付きだったのですが、ハガキ申し込みは2週間前に締め切り済み。ダメ元で電話してみるとまだ空席ありとのことで、めでたく行くことができました。

定刻14時、宮脇氏の奥さんや娘さん、ゆかりの方々も集まり、講演会が始まりました。

予定時間を大幅にオーバーして取材旅行でのエピソードや旅の楽しみなどを聞くことができました。特に雑誌などではほとんど見ることができない宮脇翁のやさしいというか暖かい笑顔のカットがとても印象的でした。旅先でのお酒を巡るお二人のエピソードも人柄を偲ばせ会場から大きな笑いが起きていました。

展示も全線完乗日本地図、自筆の地図や架空時刻表、自筆原稿、取材ノート、切符のコレクション等々垂涎のものばかりでした。何よりも何度読んだか分からない「最長片道切符の旅」の乗車券現物、しばしの間釘付けになりました。

そして、本来の入場券、今日のイベント参加者にはこちらを渡したかったのですが、残り枚数が少ないので上の用紙で勘弁してくださいとのことでした。とはいえ、これ、見てしまったら欲しいじゃないですか。思わず500円払ってしまいました(笑)

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一応SAMPLE入れました。会期は明後日15日まで。よいものを見たなぁ…

中学生の時、「最長片道切符の旅」の書名につられて買った初版本、本格的に乗り鉄ができるようになった頃、いつも自分の横に氏の著書がありました。ワイド周遊券を使ったのはいつが最後だったか…氏の著作をボロボロになるほど読んで旅の計画を立てまだ見ぬ地に憧れ旅に出た日…遠い昔になりつつある自分の乗り鉄の記憶、くさい言い回しですが青春の日々をかみしめるような時間でした。

さて、現実に戻らなきゃ…

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