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2008年3月13日 (木)

LAST VOYAGE

今日は17時にタイマーアップです。20年前1988年の今日この時間、上り最終22便羊蹄丸が函館を出航しました。

Last Last2

長い長い汽笛を鳴らし、津軽海峡冬景色と蛍の光の大合唱に包まれゆっくりと最後の航海へ…

Syukkou0002

函館港内をあまたの船に見送られ、夕日に照らされた羊蹄丸…

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一足早く終航していた空知丸の見送りの汽笛、護衛艦の併走、上空を舞うヘリ…最後の花道に…(有川停泊中のこの画像は最終日のではないです)

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最終便のスタンプ。便名と船名小印を押してもらう列が長かった…

Seikansyoumei

説明の必要のない乗船証明書。

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船内発行の切符。石狩丸の上に羊蹄丸のハンコですが、硬券はほとんど払底していました。

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大混雑のグリル羊蹄。最後はやはりなじみのラーメンで。なぜかレジの日付が1日進んでる…

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車両甲板に掲げられていた黒板。復活運行の時までコレがそのまま残されていました。

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アスパム前に集結したたくさんの人のペンライトと車のヘッドライトに照らされ、ゆっくりと着岸。上り夜行に乗る人、下りはまなす初列車に乗る人、市内泊の人…船からはき出された人はそれぞれの道へ別れていきました。

313hakkoda待合室はすでにがらんとして人気が無く、わずかな電灯がついているのみでした。動くことの無くなった乗船口の案内には下り最終便八甲田丸の案内が残り、時が止まっていました。

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食堂も閉まり、天井からの案内表示の電灯も消え、数時間前までの賑わいが嘘のような静かな広い空間が広がっているだけでした。

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回送の出航を待つ羊蹄丸。バルブなので船の揺れで微妙にぶれてます。

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そして、これが本当に最後の航海になる羊蹄丸の回送便。長い汽笛を鳴らして出て行きました。深夜にもかかわらずマリンガールが岸壁に並んで手を振っていました。乗船口でも答えるように手を振っていて…

窓ガラス越しに撮ったので反射の写り込みがありますが、最後まで見送りたくて…

本家サイトとプリントスキャンの混合ですので画質の落差が…当時はニコマートFTNと50ミリと200ミリしか持っていなかった…

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で、予告していた「津軽海峡・冬景色」by初音ミクですが…最初は最終日替え歌バージョンで歌詞まで考えかけていたのですが…他でもない連絡船、ネタにするのはあの時クソ寒い桟橋通路下で泊まり込みした思い込みを考えるとちょっとちがうだろ…というか、あの時の思いをネタにするのはやっぱりできないので、元歌詞のままにしました。

かなりパラメータをいじってエフェクターとミックスダウンもいろいろ試してみたのですが今回は音符の並び方と発音の相性がよろしくないのか、なんかうまく歌ってくれてません。バックの動画は当時非常に高価だったVTRを持っていたM.Y氏からダビングしていただいた物をメインに、他にあちこちで拾った物を併せて連絡船PV風にしてみました。…カラオケのバック画像になってしまったという感じがしないでも(汗)

…前回の雪国はうまくツボにはまってくれたのですが、今回はなんか曲想と声に違和感ありありです。ネタにしてないまんまの歌詞、そんならミクにしないでオリジナルの石川さゆりのまんまでいいじゃん…と思ったのはFLV圧縮してからのことでした(爆)

というわけで懐かしい映像とミクの声のミスマッチですみませんが、

→津軽海峡・冬景色by初音ミク← です。flvです。 ←消しました。

サイズも30MBくらいあるし、某○スラックが…というわけで今週末には消します。例によって転載・再配布は不可、DLした個人のみということで。

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コメント

津軽海峡冬景色拝見いたしました。
今となっては貴重な映像ですね。
たっぷりと堪能させていただきました。(感謝)

>オリジナルの石川さゆりのまんまでいいじゃん
ミクが歌うことがネタになっているってことで。。。

投稿: やま@今日は中学校卒業式 | 2008年3月13日 (木) 20時53分

おばんです。
まぁ…ミク自体がネタって言ってしまえばそれまでですが(激汗)最初は替え歌でって考えて作り始めて、最後、ミクの歌詞を流し込んで仮再生したところで…うーむ…と唸ってしまったんです…とはいえ、長さや動画のタイミングを打ち込み側で調整しちゃったんでオリジナルに入れ替えて再調整は尺合わせも大変なので歌詞だけオリジナルに戻してしまいました。

汽笛や蛍の光(別れのワルツ)なんかは今聞いてもなみだ出てきますね。あの当時VTR持っていた私より若いM.Y氏に感謝です。この動画、一緒に行ったときに撮ったやつです。

投稿: 西乃湯 | 2008年3月13日 (木) 23時05分

実に良く編集できてまんなぁ。

一緒に乗船してた時の映像も一部出ており、当時が偲ばれます。

この映像、第○興商がカラオケDAM用に「是非弊社にご提供をっ」ってお願いに来そうな感じです。
当時の映像、カラオケで見ることも少なくなってきました。。。ひどいヤツになると、東○本フェリーが出てきたりして(爆)

投稿: くりはし | 2008年3月14日 (金) 00時23分

おばんです。TEAM只見HPではいつも暖かい丁寧なメッセージを頂き恐縮です。
 やー、終航日の青函の写真も撮っていらしたのですね。私は最終は行かなかったのですが、拝見しているうちにあの頃のことが蘇ってきました。初めての渡道(=初連絡船)は1Ⅿ⇒1便の所謂「いちいち」接続だったこと。八幡坂や大三坂で市電と絡めての撮影。「4m、さんめーたぁー、2m~」接岸時の距離呼称。そして、自分の最終撮影となった、市営墓地で聞いた入港の短声一発。あれから20年。何か夢幻の如き感覚と、あの頃のポジを見ることがめったに無いだけに、感慨深い思いに囚われました。西之湯さんが20周年でお台場に行った思いも共感できる反面、あの船の振動、音、ペンキの匂いを経験しているだけに記念館としての連絡船には足が向きにくいのも事実です。
 それから、島鉄も足繁く行ってらっしゃるようで「同志よ!!」の気分にさせられてしまいます。この時期になるとずいぶん人出も多いだろうし、そうなると私は避けてしまう性格なのですが…。
 最近は、何気ない日常の中にある鉄道風景の光に魅力を感じるの自分です。その視点から、西之湯さんをはじめ、TEAM只見の皆さんの作品には非常に共感できてしまうようです。
 またぞろ長くなってしまいました。会津も一月経てば桜の季節。またあの、清明なる風景に会いに行きたいですね。失礼いたします。

投稿: kokubu | 2008年3月14日 (金) 00時28分

冒頭の蛍の光が流れる出航風景を見た途端に、最後の夏に乗り納めをした時の光景をありありと思い出し、涙が出そうになりました。
いいものをありがとうございます。

投稿: きの | 2008年3月15日 (土) 00時18分

おはようございます。さっき起きました。最終銀河の寝台券ヨーイドン&キャンセル待ちダメだった負け組は家で酒飲んでました。東京駅はものすごい事になっていたようで…

>くりはしさん
一緒に行った時のとか、出所不明の動画とか使えそうな物をごった煮にしてみました。確かにカラオケで連絡船が出てくるのって少ないです。東日本フェリーで代替してますよね。ドラマなんかもそうですし。羊蹄丸とか摩周丸とか八甲田丸使ってあとはCGってできないもんですかねぇ…車両甲板から貨車を海に捨てるシーンまであった高橋船長シリーズがなつかしい(笑)DVD出てないかな?

>kokubuさん
最終便はどうしても乗りたくてかなり無茶をしました。初めての渡道を1-1連絡ってうらやましいですね。私は1-1連絡は使えませんでした。何せ北海道ワイドですから101レ八甲田-25便のコンビばかりでした。101レといえば銀河の廃止で現金輸送車マニ30併結指定列車番号が消滅するんですよね。
末期の人出が多いのはそういうもんだと割り切っています。最終は撮る物ではなく、乗る物だと思ってます。歴史のページがめくられるその時の中に…というように思ってます。最後の風景ですよね。
東京はずいぶんと春めいてきました。一月遅れで会津も。今年は出かけられる回数がちょっと減りそうな感じですが、楽しみにしています。

>きのさん
はじめまして。ようこそいらっしゃいませ。あの蛍の光は連絡船に乗った者にとっては格別の思いがあります。ゆっくりと岸壁を離れていくその動きと曲が見事に調和しています。深夜便の出航では暗い海に向かって出て行くもの悲しさなんかもあってついつい最後までデッキにたたずんでしまうものでした。実はフルコーラスで録画されているんですが、長いので今回はフェードアウトしました。今回使わなかった羊蹄丸の青森入出港とかそのうち普通のビデオクリップにして公開しようかと思っています。

投稿: 西乃湯 | 2008年3月15日 (土) 11時21分

はじめまして。懐かしく拝見させていただきました。私は当時中学校3年生でしたが後輩のつてでグリーン券を入手することが出来、おそらく西村様のもう少し船首寄りのところで撮影していたと思われます(アングルがほぼ一緒ですので)グリーン船室に種村直樹さんがいらして(私は宮脇派だったのですが)サインを頂きました。
その後ははまなすの始発に乗りこんだのですが何故か空いていたのは不思議でした。そして翌日の北斗星に乗り、青函トンネルに4時間閉じ込められ連絡線より時間がかかったという落ちでした。
中学生にお金などあるわけもなく、青函博も1回行っただけでその時乗った連絡船が最後であったと思います。スタンプはコンプリートしていると思うのですが、国鉄時代のスタンプがどれだけあるか、というところでしょうか。
因みにここへは「青函連絡船、グリル、伝票」で検索してたどり着きました。まさか伝票なんて残している物好きな方がいようとは・・、自分以外に(汗)。

投稿: 仙台人 | 2008年7月30日 (水) 12時26分

ようこそいらっしゃいました。
TOPに書いたとおり、ちょっと忙しすぎてレスが激遅になってしまいすみません。

中3で連絡船ですかぁ~自力で乗れた最若の世代でしょうね。乗船して荷物おいたら速攻で上甲板に出てあの場所をキープしました。船の科学館の羊蹄丸の上映VTRにあの場所はしっかり映っていますので、おそらく仙台人さんも写っているはずです。

種村氏のサインは私ももらいました。他にも船員さんからサインもらったりしていました。最後青森入港の時の岸壁からのライトは今でもはっきり覚えています。

で、その後のはまなすに私も乗っています。指定席を持っていたので羊蹄丸の回送出港を見送ってから乗車しました。深夜函館で自由席を切り離すことで一悶着ありましたが、満員の客を降ろすわけにも行かずそのまま札幌まで行きましたっけ。

で、開業2日目の北斗星、よく取れましたね。私は周遊券を持っていたのでそのまま北海道をぶらぶらしていました。帰りは海峡+八甲田でした。

スタンプは国鉄時代も記念スタンプがたまにあったらしく、何をもってコンプリートか微妙ではありますが、とりあえず各船のスタンプは基本でしょうね。で、末期になるとJRはもとより郵便局やら観光協会やらがやたらと種類をつくっていたのでその全貌は一体どうなっているのか皆目見当がつきません(苦笑)

それにしても検索に「伝票」とは…(笑)あれ、非常に空いていた復活運行のはじめの頃にあっさりもらえたものでして、その後ポークカツ定食がヒレカツ定食に手書きで訂正されてました。

投稿: 西乃湯 | 2008年8月 4日 (月) 21時12分

函館駅での騒動…、思い出しました。思いのほか空いていた、というのは多分自分が乗ったときの印象で恐らくその後混んできたのだと思います。混んできた理由は多分、連絡船の回送を撮影していた人が乗車してきたのでは・・・(笑)。
スタンプは残念なことにコンプリートしていませんでした。石狩丸だけが・・・。ただエンブレムの写真はあり、多分乗ったのが前年の8月お盆、ということでスタンプ待ちが嫌になったか恐らくはしまわれていたのかな?と。
サロン海峡にも行ってみたかったのですがなにせ中3では「エビスに生ハム」というわけにはいきませんので。
上をみて思ったのですが最終便に車で乗車、という裏技ももしや可能だったのでしょうか??

投稿: 仙台人 | 2008年8月 5日 (火) 14時02分

こんにちは。レス遅くてすみません。
末期の頃はスタンプといい売店といいえらく混雑していましたよね。
サロン海峡はクリームソーダもありましたから未成年でもOKでしたし、ソファーにすわってとかカウンターでマスターとだべりながらってのもなかなかよかったですよ。

最終便、いつもの通りに自家用車航送受け付けてました。が、当時免許持ってなかったので…免許持っていればレンタカー借りれば楽に乗れたと思います…

投稿: 西乃湯 | 2008年8月12日 (火) 12時01分

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