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2008年3月

2008年3月31日 (月)

最後の最後 1~4便

1ヶ月にわたって続けた青函連絡船20周年シリーズはひとまず今日で終わりです。まだまだネタはありますが…おそらく連絡船をリアルで知らない世代がネットの中では多くを占めているのでしょう、ただでさえ少ない閑散blogなのに、さらに連絡船シリーズは見事にアクセス激減でした(笑)っつーか、思い入れ過ぎ?

さて、昭和63年9月18日(日)本当にこれが最後の連絡船の運航となりました。教育実習中、まだ土曜日が学校営業だった時代のこと、土曜日のはくつるで青森入り、1便~4便と乗り、青函くつろぎカードで時間ぎりぎりまで船内で過ごし、ゆうづる3号で帰京し、そのまま実習へ行くという強行軍を決行しました。教育実習日誌と授業の指導案を寝台車と連絡船の中で書き、ネクタイ&スーツで連絡船に乗りに行ったわけでした。教員養成大学にとっては教育実習は非常に重要視されていて、まして付属の小学校でのこと、この行動には指導教官が呆れかえっておりました。その後何年間か、「これこれしかじかな大馬鹿者が…」とオリエンテーションで語り継がれたとか。

さて、…まずは1便のグリーン券。

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なぜに気仙沼発券かと…仲間みんなで手分けして駅に並びました。1ヶ月前は8月18日、夏休みの真っ最中です。旅先で、地元で…で、取れた券をみんなで山分けしたわけです。お盆のUターンの混み具合もあり、ゲットに苦労しました。

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盛大に見送られ函館を出航しました。

ちなみに4便のグリーン券。blogのはじめの頃にUPしたものですが再度。

234689

その4便では…

Photo

満席なので座席はないのを承知で記念に売ってもらいました。なので座席番号は空欄です。

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で、領収書。4便のハンコがしっかりとおしてあります。さらにグリルとサロンの領収書。例によってグリルはラーメン、サロンはクリームソーダでした。

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夕日にシルエットが浮かぶ、すれ違いの3便羊蹄丸。逆光のシルエット、ゆっくりと名残を惜しむようにすれちがっていきました。

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たくさんの船客がデッキで最後のすれ違いを見送りました。

そして、我が家の家宝、船長サイン2枚組

Chibasign

Shibatasign

お願いしてお二方のサインを揃っていただくことができました。

Maku

青森到着のときに掲げられた横断幕と一緒に。

そして、最後、青函くつろぎカード。この日の原券は見事にみんな回収されてたなぁ…なので、くつろぎ記念券を。

Kutsurogi

Kutsurogiura

最後に青森から羊蹄丸が出航する様子を動画で…

→羊蹄丸青森出航←

今回はflvではなくH264動画にしてみました。 まぁもともとがダビングもののVHSなのでそんなに変わらない…M.Y氏に感謝です。

20年の年月はさすがに長いです。私はつい昨日のようにリアルなことでも、しかし、すでに青函連絡船自体が鉄道年表だけに納まらない、その時代を生きた多くの日本人が共感し、注目した日本の歴史上の過去の出来事なんでしょう。そんなたゆとう歴史の中に身を置いていたこと、歴史が作られていくその場に熱い思いをぶつけたこと、若かった自分の生きた証のひとつだったんじゃないかと思います。それは、あの時、あの場所にいた多くの人が感じていたんじゃないかと思います。

小さい頃、時刻表を眺め、あこがれた北の大地へ渡る儀式、それが青函連絡船でした。初めて渡道した時の連絡船のタラップを渡る高揚感は今でも忘れていません。そして旅の終わり、夢の時間の終わりを告げるのも連絡船の汽笛でした。次はいつ来られるんだろう?バイトして金貯めないと…

初渡道から二十数年、すっかり北海道フリークになり、渡道回数も数え切れなくなりましたが、色あせない青函連絡船の思い出。青森駅で目の前にカニ爪の後部マストが見え、車両甲板の船尾扉が大きく口を開け貨車を出し入れしている…当たり前の光景でも、長い夜を列車で揺られ、ようやく青森まで来た、その光景を見ながられんらく船のりばの看板の方へ向かうあの気持ち…飛行機も好きですが、こと北海道へ向かう気持ちの盛り上がり方や感動は連絡船ならではのものでした。

もっと乗っておけばよかった、もっと撮っておけばよかった、保存されている3船のプロムナードデッキに佇むとき、そんな気持ちもさることながら、周遊券を握りしめて初めて北海道へ渡った日、バイト代を貯めてようやく渡道、また来ることができたとわくわくしていた若かりし頃の思い出がこみ上げてきます。

そんな思い出話に1ヶ月もの間おつきあいいただきありがとうございました。

とりあえず青函連絡船シリーズはここまでです。忘れた頃にぽつんと単発でネタが出てくるかもしれませんが…あ、例の連絡船動画with初音ミクの津軽海峡冬景色、やはり石川さゆり版がほしいというリクエストがぽつぽつと…ヒマを見て作ってはみますが、UPはさすがにまずいよなぁ…

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2008年3月30日 (日)

青函券・指定券

青函博のピーク時には乗船整理券が必要でした。みどりの窓口で0円券で発券してくれたのですが、取り扱い方法が周知徹底されておらず、なかなか発券できなかったりして大変でした。ピンをたてるM型やN型、HN型は連絡船寝台券だったかグリーン券の横の穴にピンを立てる、列車名をキーボード入力するL型やT型は列車名をTセイカンと入れないといけないなどこれまでの船グリーン券や寝台券の発券と違ったため、マルス指令に問い合わせて…なんてことになっていました。

まずはL型券。ハコサンバシはもちろん函館桟橋のみどりの窓口です。

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でもって、JR化から2年もたっているのに未だに「国鉄」印、簡易型端末K型の西脇駅のもの。

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端末で「定員」扱いにしないと急行券・指定席券と打たれてしまうのですが、K型に限ってはどうやっても「キユウコウケン シテイセキケン」と出てくるのでした。他にも国鉄印の券が残っている駅もありました。

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船グリーン券。くりはし氏らと3日間連絡船乗り倒したときのものです。東日本フェリーを使って深夜の移動、十和田丸・羊蹄丸と1~4便全部乗ったのでした。ついでに有川桟橋にまでお出かけ…3日の復活1便に乗っていながらすぐまた乗りにいく…こんな事できたのもEEきっぷ様々でした。

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十和田丸の自由席G券は3日1便でゲットしたので今回は羊蹄丸のグリーン券。

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続いて羊蹄丸の船内発行の船グリーン指定席券。復活運行のために新たに印刷したようで、現役自体のものとは若干意匠が変わっていました。

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2008年3月29日 (土)

青函くつろぎカード

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青函くつろぎカード。夜間停泊している連絡船をホテルにしてしまう、しかも雑魚寝とはいえ1泊2500円、食堂サロン営業付きという破格の条件でした。で、最終便到着後の9月18日の夜まで一斉同時発売だったので1ヶ月前発売と思い込んでいた人は…orzでした。

裏は…

Kutsurogiura

でもって、くつろぎカード本券。8月4日はもらえましたが、9月18日は問答無用の回収となり、もらうことができませんでした。っつーか、教育実習の最中だったので、ぎりぎりまで船内で過ごし、泣く泣くはくつるで帰る羽目になりました…

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船内座敷はブロック分けされていました。そのご案内。

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案内所脇の表示板。

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そして、毛布がひかれた寝床…JNRマークが何とも…

Moufu

洗面所に作られた簡易シャワブース

Shower

そして、アスパムの前から見ると煌々と灯をともした十和田丸が不夜城のように輝いていました。

Towadanight   

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2008年3月28日 (金)

復活運行記念乗船券&記念タオル

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6月3日の復活運行に際して記念乗船券が発売されました。…なぜ初日に乗っていたのに買ってなかったのか今となっては謎です。あれば必ず買っていたはずなのに???

ちなみに裏はこんな感じでした。

Kinenkenura

画像をクリックでおおきくなります。

そして、乗船名簿をくじにした抽選会があり、当たるとタオルセットがもらえました。えぇ、当たりました。たたんだ状態で船の絵が見えるように箱に入っていたので、20年の間、出したことなかったのですが、改めて出してみると、復活運行用にあつらえたものであったことがわかりました。

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…使えるわけありません。丁寧にたたんでもとあったように箱に収納しました。箱自体には何の装飾もなく、ふつうの贈答品のもののようです。

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2008年3月27日 (木)

乗船名簿

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唯一残っていた甲乙2片式のグリーン旅客名簿。甲片と乙片は別々になっていたのでフォトショップでつなげました。きちんとした印刷のものでした。

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単葉式になった後のグリーン用名簿。印刷業者に発注したと思われ、紙の質と印刷が普通船室用と比べて全然違います。

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普通船室用ですが、この頃にはすでに外注の印刷ではなく、学校の印刷室にあるような印刷機で自前印刷をしていたようです。が、まだグリーン用と普通用を色で分けていました。右上に丸囲みで特と印刷されたりスタンプされたものは接続列車の指定券を持っている郵船乗船客の証でした。…寝台車や特急指定席って北海道周遊券には縁がないから○特印はもってませんです。ヤフオクなんかでたまに見ますけど、末期の直印刷に赤スタンプぽんのものばかりです。

Meibo

そして最末期。ご案内の3番がなくなり、普通船室とグリーン船室の区別がなくなり、いよいよ印刷が粗悪なものに…

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そして3月13日最終便。本家サイトより。最終便の一般枠の自由席乗船名簿は500枚限定配布。これゲットするのは大変でした。最後の数日間は便ごとに色を変え、大きく便名スタンプが押されていました。ちなみに、1便前の20便は黄色でした。これ、持って帰りたかったのですが、きっちり回収されました…持って帰れた人がいたというのを知ったのは20年後の再会イベントでした…原版はご案内3があるので普通とグリーンを分けていた時代のものですね。

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2008年3月26日 (水)

復活運行初日1便

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まずは復活運行のチラシ。夏の青函博の間だけ連絡船を復活運航させることになりました。ダイヤと使用船は固定。青森ベース1往復1便→4便は十和田丸、函館ベース1往復2便→3便は羊蹄丸。使える切符が限定されていました。

Photo

1988年6月3日。青森では盛大にアンコール出航式が行われました。

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船内に掲示されていた案内。

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盛大に見送られて出港したものの…乗客はわずかで見送りの人の方が多かったくらいです。後部座敷が閉鎖になるほどでした。

贅沢にも寝台を奮発しました。

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まさか空いてるとは思わず、バイトに行くついでに冷やかしで聞いてみたら空いていたので思わず…碇の検札痕が船ですね。

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函館往復割引切符は連絡船対象外だったので…

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自由席グリーン券は、記念に…

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さらにこんなものも作ってもらいました。3月の長蛇の列がウソのような空き具合でした。

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船長サイン。目の前でサラサラと書いてくれました。この後何度もお目にかかり、「また来たのか?」と覚えられ、呆れられるように…

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函館駅で。今はこの特徴ある駅舎もなくなってしまいました。「れんらく船のりば」が懐かしいです。

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で、当時の函館駅のスタンプ。連絡船がモチーフになっていますが、今のスタンプは何がデザインされているのか…な?最近はスタンプもあまり押さなくなったので浦島太郎になっています。

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復活1便十和田丸から下船したら函館側の出発式のくす玉がそのまま残されていました。

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函館桟橋にあった復活運行の時刻表。

最後の夏、15000円でJR東土日はさんで3日間乗り放題のE・Eきっぷがでたこともあって末期以上の頻度で乗りに行くことになろうとは…

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2008年3月25日 (火)

ジャパニーズドリーム処女航海その2

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出航前、盛大にブラスバンドで見送りがありました。んー、まさにバブル…

連絡船ヲタにとってはブリッジや通信室などその面影をつい探してしまいます。

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ブリッジ。船内見学ツアーで行きました。十和田丸時代とはそう変わっていませんが、3月18日のエントリーと比べてみると窓がはめ殺しになり、レーダー機器が追加されていました。

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通信室。連絡船時代そのまんまです。中央時計の下に「JMUK」のプレートが。そんな話をしていたら通信長さんから十和田丸時代の引継簿をいただくことに…他にも連絡船時代の作業ダイヤの青刷りなんかがそのままになっていました。これも1部もらったはず。どこかにしまい込んでしまっています。

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航海日誌。

Jdradiolog

無線業務日誌。はっきりとJMUKの呼出符号が。

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我々が乗った折りたたみ収納式の上段ベッドを使う4人部屋。これで一人2食込みで28000円。4人部屋はファミリールームのみの設定。カメラの横あたりにUBが。ディナーはダークスーツネクタイ着用とのお達しなのでみなさんこういう服装でした。

Jdradio_2

トップデッキから見たマスト。連絡船の特徴だった円筒形のカバーがなくなっています。

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後ろを振り返ると煙突。かに爪形の後部煙突の周りの造形はまんま十和田丸。

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一番変わってしまった後部。船尾扉や操作室がなくなり、車両甲板にはレストラン・ショッピングモール・ディスコ…それでも見上げるとカニ爪煙突が「十和田丸」のルーツを主張しているようでした。

#26日の11時頃までメンテナンスで閲覧しかできません…ので、タイマーアップの時刻変えてます。ジャパニーズドリーム号の神戸入港時刻がこんな頃でした。定刻より1時間ほど遅れだったので。

##このエントリーが公開される頃、卒業式終わってほっとしている頃でしょう… 

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2008年3月24日 (月)

ジャパニーズドリーム処女航海

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十和田丸を大改装したジャパニーズドリーム号。終航2年後の1990年3月24日16時に横浜から神戸へ向けて処女航海に旅立ちました。画像は3月18日の横浜初入港の時のもの。客船事業に縁がない外食産業が手がけただけに予約やらセレモニーやらでいろいろとトラブルも多く、ホントに大丈夫かいな?と思っていましたが、無事予定通り就航することができました。

えぇ、乗りましたとも。ようやく処女航海のチケットを押さえました。で、乗船手続きの際にもらった搭乗券の半券がコレ。

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船内見学ツアーもあり、船長さんと通信長さんのサインをいただくことができました。何よりも燦然と輝く「JMUK」。紛れもなく十和田丸の船名符号です。

…ちなみに、「BOADING」となってますが、これ「BOADING」の間違いです。ついでに船のタラップに掲げられていた横断幕、「welcome」が「wellcome」になってたりとそりゃないでしょってミスが多かったです…気がついのか速攻で横断幕外してましたが…

で、ジャパニーズドリーム号の各種コレクション。

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パンフレットです。TVCMで田村正和が「その船の名は…」ってやってたの覚えてる人どのくらいいるでしょうか。ビデオ撮っとけばよかったと…

さらにハガキ大のPRカード

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ディナーチケット。お願いしてもらってきました。処女航海の1stだけあって各種挨拶が華やかに行われました。…写真撮れる雰囲気じゃなかったです…

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で、会員制のロイヤルジャスパクラブの募集もありました。ホテルニューオータニなんかがバックについていましたが、入会金480万円也。その後どうなったんでしょうねぇ?

船内の写真はまた明日…

 

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2008年3月23日 (日)

青森輸送郵便局スタンプ

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青森の桟橋に隣接していた青森輸送郵便局。お別れのスタンプを用意していました。もっとも、ここだけに限らずあちこちでさよならスタンプがあったのでコンプリートしているかどうかはわかりません。販売の記念品、全部買うことは不可能でした。今思えばなんとしても買いそろえておくべきだったと後悔しています…

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2008年3月22日 (土)

船内点景・号鐘

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ブリッジ後ろに取り付けられた号鐘です。十和田丸と羊蹄丸のですが、取り付け方が微妙に異なります。本来の使用目的でコレが鳴ることはついぞありませんでした。こういう小物に撮影に目がいくようになったのは連絡船末期でした。何せ、貧乏学生、フィルム代が(汗)

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2008年3月21日 (金)

船内点景・車両甲板

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続いては車両甲板。貨車積載時には残念ながら見学不可を申し渡されてあきらめていたので、復活運航初日の時のもので、現役時の空船状態と同じです。ちなみに、この後、レールに白ペンキが塗られたりロープが張られたり、順路表示がされたりして、雰囲気が変わってしまいました。

まずは船尾扉のほうを向いて。

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続いて船首の方を向いて。ちょうと2番線と3番線を分岐するポイントの上で撮ったものです。

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線路の最奥にある連結器。貨車をここに連結し、締定具で固定して…ここまでの3枚は復活初便の十和田丸で。

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Kouseki

航行中に船尾扉を開けるとこんな感じでした。この2枚は羊蹄丸。

動画は→船尾扉← で。約2分 約11MBです。復活運航時の船内ツアーで。青函博も始まり、人が増えていました。

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2008年3月20日 (木)

船内点景・主機室

Syuki

続いては主機…ですが、狭い空間なので標準レンズしか持ってない私はこの1カット撮るのが精一杯でした。

2軸に8機、各軸4機のマルチプルギヤード。通常なら各軸2機で定時運行できたとか。なので、運行しながら主機をばらして整備していました。定時運行が使命の鉄道連絡船だけに出力には相当の冗長性が用意されていました。が…軽油仕様のため燃費が高くついたそうです。

で、→主機室動画(約10秒)← 復活運航時の船内ツアーで。M.Y氏撮影。ホワイトバランスを途中で切り替えてたり、見学者が写ってたりしますが、雰囲気を。

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2008年3月19日 (水)

船内点景・総括制御室

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テロ対策が叫ばれる今だったら絶対に見せてくれないだろう総括制御室。エンジンコントロールをはじめとして船のすべてがブリッジからの指示でここで制御される、まさに船の心臓部。最も船の重心に近いところにあり、揺れない部屋。各種計器パネルが並び、自動化船のはしりとなった当時の技術を垣間見ることができます。今ならPCのモニターが並ぶんでしょうが、たくさんのメーターやランプが動き点滅する様はいかにも機械が動いてますってかんじでよいですね。

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2008年3月18日 (火)

船内点景・ブリッジ

Bridge

考えてみると船内の写真ってあんまり撮ってないんです。貧乏学生だった故、フィルム節約…座席は記念撮影ばかりなので当時の乗り鉄仲間と一緒に写ってて顔出しでblogには出せないし(汗)

で、十和田丸のブリッジ。末期の激込みの時や荒天時、入出港の慌ただしい時間以外はお願いすればかなり高い確率であちこち見学させてくれました。特に6月からのアンコール運行の時には青函博開幕までのひととき、連絡船はガラ空きでしたので、かなり自由にゆるやかに見せてくれました。そのうち船内見学ツアーなんてのが案内されるようになりました。この画像はそのときのです。

Kamidana

ご存じブリッジの神棚。この下のテーブルに海図が広げてありました。保存されている船にも神棚は残っていますが、供物がぎっしりとある、公開安全を祈願している様がまさに生きている船…ですね。

ちなみに、1990年の今日、十和田丸改めジャパニーズドリーム号が横浜に初入港した日でした。

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2008年3月17日 (月)

羊蹄丸絵はがき

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かなり古い絵はがきです。サイズがB5判くらいのでかいやつで、何かの機会にもらった1970年頃の古い時刻表の間に挟まってました。船体が非常にキレイなこと、マスコットマークがないことから、おそらくはデビュー当時の記念ハガキかと思われますが、詳細はわかりません。くれた人も意識してないもらい物なので文句は言えませんが、未使用とはいえ、折れとか擦れがなければなぁ…と思いますです、はい。

ちなみに、末期の羊蹄丸。ほぼ同じ角度です。

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こうしてみると、何か色が違いますねぇ…

土日で函館行って特別消印やら記念缶ビールやらゲットしてこようと思ったのですが、土曜日寝坊、日曜は日帰りでもと気合いを入れたものの目が覚めたら…でした。株主優待券予約だから直前キャンセルでよかったものの…うーむ…

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2008年3月16日 (日)

青森駅

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この看板は駅本屋から跨線橋を渡って階段を下りた辺りにあったものです。画像では見づらいですが、連絡線のイラストが入っていました。で、桟橋待合室側は文字だけのシンプルな看板でした。

連絡船に乗る人はホームを着いた列車の進行方向へ向けて全力ダッシュ、青森駅で降りる人は後ろへ向かってゆっくり歩くというのが定番の行動でした。青森駅の独特の抑揚がついたアナウンス、自動放送になってなかなか聞くことができなくなりました。

…夏のピークシーズン、浅虫過ぎた辺りから車内を移動して先頭のドアから降りるってのけっこうやってる人いました。でかい荷物担いで10両近く列車の中を移動するのはなかなかしんどかったです(苦笑)

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ちなみに、22便到着後の桟橋待合室の連絡船時刻表。3月13日はダイヤ改正の日なので、連絡船からの接続列車は見事に抹消されています。

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2008年3月15日 (土)

青函連絡船下敷

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Shitajikiura

青函連絡船下敷きです。国鉄時代のものでして、未使用袋入りで1枚だけう持ってます。こういう小物ってけっこうちょこちょこ買っていたのですが、津軽丸と松前丸が入っていればなぁ…と思っていました。とはいえ、今となっては貴重な国鉄印です。これからも大事にしておこうと思ってます。

ちなみに袋は↓こんな感じです。

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Fukuroura

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2008年3月14日 (金)

十和田丸通信長引継簿最終日の記録

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十和田丸の最終航海の記録です。回送便から待機で記録が終わっています。JHKとは旧電電公社の函館海岸局でのことで、船舶公衆電話や電報で連絡船とは密接な関係があったために最後の航海へ向けて一報が入ったんじゃないかなと推測できます。

翌日からの白紙のページがなんとも…

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先日の羊蹄丸のイベント、船の科学館blogで。

http://blog.canpan.info/burari/archive/246

日本財団のblogに貼られてるのも見つけました。

http://blog.canpan.info/koho/archive/372

さらにようつべで。

http://www.youtube.com/watch?v=ynQmSxurc0Q

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2008年3月13日 (木)

LAST VOYAGE

今日は17時にタイマーアップです。20年前1988年の今日この時間、上り最終22便羊蹄丸が函館を出航しました。

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長い長い汽笛を鳴らし、津軽海峡冬景色と蛍の光の大合唱に包まれゆっくりと最後の航海へ…

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函館港内をあまたの船に見送られ、夕日に照らされた羊蹄丸…

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一足早く終航していた空知丸の見送りの汽笛、護衛艦の併走、上空を舞うヘリ…最後の花道に…(有川停泊中のこの画像は最終日のではないです)

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最終便のスタンプ。便名と船名小印を押してもらう列が長かった…

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説明の必要のない乗船証明書。

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船内発行の切符。石狩丸の上に羊蹄丸のハンコですが、硬券はほとんど払底していました。

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大混雑のグリル羊蹄。最後はやはりなじみのラーメンで。なぜかレジの日付が1日進んでる…

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車両甲板に掲げられていた黒板。復活運行の時までコレがそのまま残されていました。

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アスパム前に集結したたくさんの人のペンライトと車のヘッドライトに照らされ、ゆっくりと着岸。上り夜行に乗る人、下りはまなす初列車に乗る人、市内泊の人…船からはき出された人はそれぞれの道へ別れていきました。

313hakkoda待合室はすでにがらんとして人気が無く、わずかな電灯がついているのみでした。動くことの無くなった乗船口の案内には下り最終便八甲田丸の案内が残り、時が止まっていました。

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食堂も閉まり、天井からの案内表示の電灯も消え、数時間前までの賑わいが嘘のような静かな広い空間が広がっているだけでした。

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回送の出航を待つ羊蹄丸。バルブなので船の揺れで微妙にぶれてます。

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そして、これが本当に最後の航海になる羊蹄丸の回送便。長い汽笛を鳴らして出て行きました。深夜にもかかわらずマリンガールが岸壁に並んで手を振っていました。乗船口でも答えるように手を振っていて…

窓ガラス越しに撮ったので反射の写り込みがありますが、最後まで見送りたくて…

本家サイトとプリントスキャンの混合ですので画質の落差が…当時はニコマートFTNと50ミリと200ミリしか持っていなかった…

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で、予告していた「津軽海峡・冬景色」by初音ミクですが…最初は最終日替え歌バージョンで歌詞まで考えかけていたのですが…他でもない連絡船、ネタにするのはあの時クソ寒い桟橋通路下で泊まり込みした思い込みを考えるとちょっとちがうだろ…というか、あの時の思いをネタにするのはやっぱりできないので、元歌詞のままにしました。

かなりパラメータをいじってエフェクターとミックスダウンもいろいろ試してみたのですが今回は音符の並び方と発音の相性がよろしくないのか、なんかうまく歌ってくれてません。バックの動画は当時非常に高価だったVTRを持っていたM.Y氏からダビングしていただいた物をメインに、他にあちこちで拾った物を併せて連絡船PV風にしてみました。…カラオケのバック画像になってしまったという感じがしないでも(汗)

…前回の雪国はうまくツボにはまってくれたのですが、今回はなんか曲想と声に違和感ありありです。ネタにしてないまんまの歌詞、そんならミクにしないでオリジナルの石川さゆりのまんまでいいじゃん…と思ったのはFLV圧縮してからのことでした(爆)

というわけで懐かしい映像とミクの声のミスマッチですみませんが、

→津軽海峡・冬景色by初音ミク← です。flvです。 ←消しました。

サイズも30MBくらいあるし、某○スラックが…というわけで今週末には消します。例によって転載・再配布は不可、DLした個人のみということで。

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2008年3月12日 (水)

サロン海峡伝票

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食堂に続いてグリーン船室に隣接のサロン海峡の伝票。こちらでもずいぶんと飲み食いしました。お気に入りは鮭ルイベと生ハムにヱビスビール。Beer

みんなで乗って宴会したときのです。

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これまたサロン海峡名物クリームソーダ。3色ありました。「何色がいい?」なんて聞かれてちょうど3人いたので各色揃えて(笑)ということで勢揃いの絵となりました。実は左側に私らが写っているのですが、クリームソーダのアップトリミングで。

Hako

そしてサロン海峡のマッチ箱。

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2008年3月11日 (火)

船内食堂伝票

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連絡船食堂、グリルの伝票です。未使用の状態でもらうことができたので大事にしてあります。

ちなみに、飲み物はともかくとして、ほとんどのメニューを食べました。が、写真撮って残してあるのが海峡ラーメン(みそ)海峡丼とポークカツ定食だけ…

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海峡ラーメンみそ(本家サイトから)

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海峡丼(これも本家サイトから)

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ポークカツ定食…食ってる姿撮ってもらったんで定食のところだけアップで。

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で、箸袋。ほかのデザインのもあるのですが、なんかちょっと汚いのでキレイなのを探します。

連絡船シリーズになってから順調?にサイトアクセスが減ってます(笑)まだまだ連絡線ネタは続きます… 

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2008年3月10日 (月)

大雪丸

Taisetsu

現役の大雪丸はあちこちのサイトにあるのであえてその後の姿を。

3月13日を待たずして一足早く退役した大雪丸。当初は浦安沖でシップホテルにする予定で回航されてきました。結局東京湾でホテルは頓挫し、長崎でビクトリアとして営業をしましたが、現在は廃業、そのまま放置状態です。今後どうなるか予断を許しません。

オグリキャップとタマモクロスが死闘を演じた天皇賞の日、NKK鶴見で撮りました。錆が浮いて痛々しいです…下はマスコットマークとファンネル。

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2008年3月 9日 (日)

十和田丸通信長引継簿

Towadalog1

Towadalog4

えぇ、なんでコレをおまえが持ってるんだと言われそうですが、十和田丸改めジャパニーズドリームの処女航海に載った折、通信長さんからいただいたモノです。本来なら博物館の展示ケースに入っているべきモノなんでしょうけど…上のやつは連絡船最終日入り、下のやつは国鉄最後の日の記載があります。

詳細に見ていくと「海中転落者(自殺)あり」とか、火災とか通信機器の故障や不具合、天候なんかも細かく記録されています。

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20年前の今日、3月9日の記録、名前はぼかしましたが、この日を境にさよならやありがとうの記載が入るようになりました。

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2008年3月 8日 (土)

羊蹄丸客室案内図

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乗船口の先に船内の案内図がありました。船内のプレート類は人脈コネいろいろ使っていくつか入手できたのですが、さすがにこれはもらうことができませんでした。すんげぇほしかったんですけど。定員の欄に貼り付け訂正がありますが、改造で定員が変わった部分です。

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2008年3月 7日 (金)

20年目の邂逅

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今宵はダブルエントリーです。えぇ、たった今帰ってきました。あふれる涙を抑えられません。今日、お台場の羊蹄丸で、青函連絡船開設100周年のイベントがありました。夕刊各紙に記事が上がっているように、1988年3月13日函館発最終の連絡船22便の船長鈴木さんと当時の乗客の対面イベントがありました。えぇ、私も22便の乗客でした。これは行くしかない…朝出勤して卒業アルバムの職員集合写真を撮って後は休暇。顰蹙承知で羊蹄丸へ向かいました。22便の乗客として絶対に行かなければならない。その思いで。あのノートに何を書いたか?もしかしたら別の何かの寄せ書きかもしれない…でもそんなのどうでもいい、20年前の自分の思いを…

…あの時、見ず知らずではあってもあの時を共にした、あの思いを共有した、そして、ド平日の午前中にもかかわらずやってきた12名。思いは皆一緒でした。土日に設定すればもっと集まったでしょうがそれでもみな20年の時をあっという間にさかのぼり、あの日の思い出を熱く語り合う…こんな幸せな時間はあっという間に過ぎました。

鈴木船長を始め当時の乗組員の皆さんによる函館出港模擬、青森入港模擬…長声一発~蛍の光が流れたとき、涙を抑えるのが精一杯でした。3月13日のあの情景が目の前に広がってました。

自分にとって青函連絡船って…文字や言葉で表せるようなモノならたぶん今日羊蹄丸には行ってないでしょう、20年の月日を経ても色あせない、大切な大切な…

あの日羊蹄丸の船上で涙を流しながら津軽海峡冬景色と蛍の光の大合唱というか絶叫をしたあの思いを言葉で言い表すなんてできません。

青森についてちりぢりになってしまった後の20年の間、誰にも分かってもらえなかったあの日の語り尽くせない思いを熱くぶつけ合った今宵はとても素敵な夜でした。携帯もITも無かったあの頃、その後の連絡なんか取りようがなかった。20年後の今、再会したことを本当に奇跡のように思います。皆さん、本当にありがとうございました。

月並みな言葉ですが、このような機会を設けてくれた船の科学館をはじめとした関係者の皆様に心から感謝を申し上げます。また、こんなに素敵な最終便乗船証明を改めて用意してくださった、1枚1枚サインをしてくださった鈴木船長に御礼申し上げます。

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すみません、酔っぱらってグダグダです。めっちゃくちゃな乱文ですんません。カキコしながらも涙が止まりません…

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寝台整理台帳

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というわけで、昨日に続いて寝台整理台帳。寝台は各部屋ごとに4つ、5室で定員20人でした。わずか3時間50分なので横になってぐっすりというわけにはいきませんが、静かな個室はなかなかの乗り心地でした。

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当時持っていたのはニコマートFTN、レンズは50と200のみ。よって室内はこんな感じにしか撮れませんでした…

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2008年3月 6日 (木)

指定席整理台帳

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連絡船にはグリーン指定席がありました。ひとりがけのリクライニングシートが用意され、枕灯や足置きなどそれはそれは贅沢な座席でした。で、指定券チェックがあるわけですが、そのチェック用の台帳用紙です。2号車・3号車とありますが、1号車は寝台室なので別の用紙です。定員96名の贅沢な空間でした。とはいえ、空いていれば普通席の座敷で転がっている方が遙かに楽なのでたいていはがらがらでしたが…

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2008年3月 5日 (水)

八甲田丸スタンプ

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昨日の摩周丸に続いて国鉄時代の八甲田丸スタンプ。画像は88年6月からの青函博のために係留された八甲田丸。

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大学1年の時のものです。10月1日から北海道周遊券は冬期割引で2割引、学割2割と併せて22800円で20日間北海道をさまよえるわけですから、秋の教育実習休みの学芸大生で渡道する人はみな10月1日発の急行八甲田に乗ったものでした。なので、連絡船は10月2日スタンプになります。列車や船の中はサークルごとの小集団がたくさんでした。

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2008年3月 4日 (火)

摩周丸スタンプ

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青函連絡船には各船ごとにスタンプが用意されていました。石狩丸と檜山丸以外はコンプリートしたはずですが、何せスタンプ用に使っていた自由帳やメモ帳の数が大すぎるのとあちこちに散逸してるので探しきれません…

まずは摩周丸のスタンプ。イルカと浮輪の中は摩周湖。船ごとのエンブレムがデザインされていました。

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2008年3月 3日 (月)

THE JR HOKKAIDO

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JR北海道の車内でおなじみの冊子。青函連絡船惜別特別号。1冊まるごと連絡船です。全ページUPはさすがにどうかと思うので、最初のドキュメンタリールポだけで。

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見開きページはクリックでおおきくなります。これもなぜか1冊だけ。ご自由にお持ちくださいなので、もう2、3冊持ってきておけばよかったなぁ…

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2008年3月 2日 (日)

摩周丸ポスター

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我が家の壁を飾っているポスターですが、このキレイな摩周丸の画像に見覚えがある方はけっこういるんじゃないかと思います。横長なのでかなり縮小された画像になっていますが、クリックででかくなります。

ドック上がりの超キレイな摩周丸、時刻表のチラシやオレンジカードにも使われていました。うちにもどこかにチラシがあるはずなのですが、ちょっと見あたりません。

JR東日本制作のポスターではこれが一番のお気に入りです。電車のドアの上に4分割で掲示されていたのですが、人脈を使い八方手を尽くしてようやく入手できたモノです。

「僕の航跡は、消えない。」

シンプルにしてこれ以上の言葉はないと思えるキャッチコピー。1987年、青函連絡船最後の夏のキャンペーンポスターでした。

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2008年3月 1日 (土)

あれから20年

Towada

十和田丸、函館入港。

1988年3月…青函連絡船最後日までのカウントダウンが始まり、アルバイトで稼いだ金で最終便に乗りに行きました。

今月はひたすら青函連絡船エントリーで行きます。いろいろ写真やコレクションもあるので一挙公開。古い写真などをフラットベッドスキャナで読み込んでいるのでホコリや色が変なのは勘弁してくださいませ。

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まずは国鉄青函船舶鉄道管理局作成の連絡船の旅パンフレット。折りたたみ1枚モノですが、表紙にはマスコットエンブレムがつく前の十和田丸の写真が使われています。

Tabi2

開いてみるとこんな感じです。クリックででかい画像になります。タイトルと十和田丸の画像を並べる折り方、小学校の遠足のしおりによく似ています。中心をずらして絵が並ぶようになっています。

Tabi3

そして裏面。船内設備などが紹介されています。

我が家にはこれは1部しかありません。B4サイズなので分割スキャンのため、しわが寄ってしまいそうなので開いてスキャンスルのためらったのですが、何とかやってみました。

周遊券を握りしめて北の大地への憧れを胸に潮風に吹かれたあの頃がなつかしいです。 

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