オロネ10 電燈スイッチの取り扱い
我が家の部品コレクションからですが、オロネ10の乗務員室に取り付けてあった「電灯スイッチの取り扱い」プレートです。
入手の経緯は今から20年ほど前でしょうか、くりはし氏と葉っぴーきよさと号に乗って今は亡き野辺山SLホテルに行ったとき、ちょうど客車の解体作業をしておりました。それもユンボでたたきつぶしてひっくり返して火を放って車体を燃やすという荒技。蒸機だけ残して客車は全部解体。残りがオロネ10の1両だったのですが、ちょうど作業が昼休み。現場監督と思われる方にお願いして車内のプレート類をいただいてきました。全部はがしたかったのですが、時間もなく、ほんの数枚はがした段階でユンボ起動となりタイムアップ…
給仕室・喫煙室・等級燈・発電動機なんて言葉遣いが時代を感じますね。
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コメント
あの解体シーンは…でしたなぁ。
うちは、あの時の寝台枕元灯がベッドで健在です。
「葉っぴーきよさと」も懐かしいですな。
まだ小海線にキハ52らが健在で、キハ110やハイブリッドディーゼルカーが小海線を走るなんぞ考えられなかった時代でした。
小海線は、やはり窓の開く気動車でないと…
投稿: くりはし | 2007年10月23日 (火) 00時45分
おばんです。
実はどうしてもオロネ10に乗りたくて、しかもどうせならEF58牽引の「津軽」に乗りたくて学生時代に無理して青森から4号に乗車した事あります。(ホントはEF57に乗りたかったすが、3年前に引退しますた)
その後は「越前」のスロで横軽越えやら「山陰」の10系寝台やら由緒ある列車と組み合わせて乗ったもんです。
学生風情がA寝台やG車にえらそうに乗っていたのですから、車掌さんも検札の時にさぞ・・・・。
ときにオロネ10。
あそこに2両も残存してますね。
数年前までは1両だけは出入り自由だったのだけど、最近はカギが閉まって立入禁止になってしまったとか・・・。
車端部のカベには「日本国有鉄道路線図」がしっかりと残ってました。お宝の山でした。
「盗り鉄」の攻撃でもくらったんすかね???
投稿: 鉄たま | 2007年10月23日 (火) 19時23分
毎度です。
今日…昨日から学校公開週間は始まるし、なんか書類作成が多いしでへろへろになっております。
>くりはしさん
懐かしい話ですねぇ…しかし、あの解体方法はあまりにも衝撃的でした。えぇ、寝台灯は我が家でも現役で使用しております。いい加減蛍光灯の安定器がへたりそうなモノですがねぇ…今度昭和47年製の寝台車枕とエ印浴衣とかも出しましょうか(笑)
>鉄たまさん
EF57はガキの頃上野駅で1カット撮ったきりです。デッキ付き、カブトムシと称されたパンタ、風格のある面構え…もう後数年早く生まれていればなぁ…
10系寝台車や旧客グリーンってすでに伝説の世界になってしまったようですね…さすがに私は年齢的に乗車はむりでしたが、上野駅に停まっている車内に入って雰囲気を味わうのみでした。とはいえ、客室へはいるドアを開けるのに相当勇気がいりましたが。2両セットのオロネと言えばあそこですが…やはり荒らしに来る輩がおおいのでしょうかねぇ?まだ探せば全国に何両かはありますし、車内の状態がよいモノもありますけど…そういう車両を集めてレストアして往年の急行列車の再現…現地解体されてしまう前に何とかならないかなぁ…
いかん、さっさと寝ないと…今日は職員会議の後夕方から中学校で合同会議だ…
投稿: 西乃湯 | 2007年10月24日 (水) 00時26分