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2007年7月19日 (木)

大島航路4

船の写真がどこかで見たぞ…と探してみると…ありました。
海人社の世界の艦船別冊「日本の客船 2 1946-1993」にしっかりとこの航路用に新造された3隻が載っています。著作権が気になりますが、まぁ引用ということで写真と諸元の一部です。この3隻、いずれも乗った記憶があります。なんで写真撮ってないんだろうなぁ…って当時の小学生じゃあたりまえか(苦笑)

まずは初代大島丸。
1961年大阪造船所製造。
258総トン(時刻表では223トン)。定員460名、自動車5トン1台積載可(時刻表では340人で乗用車8台…おそらく仁堀転配に際して改造されたと思われる)。
1964年、宮島航路のみやじま丸を大島丸と改名しカーフェリー化して転配されると、本船は安芸丸と改名し仁堀航路へ。75年に新造船に押し出される形で大島航路へ戻る。1977年売却。

 入り口の屋根が高かったのと、後ろのアッパーデッキに出て航跡を眺めるのが楽しかったです。繁忙期はバスの席取りや列車へのダッシュのためかほとんどの人が1階客室にいたのを覚えています。行きは2階、帰りは1階に乗ることが多かったです。1階の客室の窓からはすぐ下に海面が見える感じがして、吸い込まれそうでした。

Oshimamaru1

周防丸 1964年瀬戸田造船製造。89総トン。定員130名。乗用車6台搭載可。1975年売却。

 とにかく狭い船でした。大畠停車の快速や急行の接続だと大混雑でごったがえし、身の置き場所がないので、乗り物好きでも勘弁して欲しかったです。

Suomaru

3代目大島丸 1970年神田造船所吉浦工場製造 267総トン(時刻表では266トン)。定員350名。乗用車15台積載可。1976年航路廃止に伴い、宮島航路へ転配。安芸丸と改名。1991年売却。 

 これは客室がすべて2階だったのですが、乗船時間が短い&乗り継ぎバスの座席争奪戦のためか繁忙期はデッキに近いところが混んでいました。行きは軽トラお迎えの私らの家族は後部デッキでのんびりとしていました。帰りは…デッキのそばでした。この船、宮島航路でも乗っています。

Ooshimamaru

 国鉄カーフェリーの先駆けとなったのがこの大島航路だったようです。結局最後は初代大島丸改め安芸丸と3代目大島丸の2隻が交互に行き来していたことが時刻表から伺えます。いずれの船も鬼籍に入ってしまいました。

 航路廃止から31年…国鉄バスも路線撤退し最も奥の東和町は日本一の高齢化の町としてたびたびTVなどに登場するようになりました。…あ、大島にも温泉ありますよ。日帰り可のものはコンプリートしております(爆)

 

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