2017年10月 1日 (日)

LSEな半日

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久々のちょっと鉄運用。小田急LSE@和泉多摩川駅。はこね23号。12:24頃。晴れカットはこれだけ。

午前中、教え子の女子校のオーケストラの文化祭コンサートがあったので、9時開演、8時半から整理券先着順・・・招待券もらって、早朝から出かけました。で、まぁ、コンサート自体は11時前には終わってたのですが、出待ちやらなんやらで昼くらいになってしまいました。学校が京王線沿線だったので、天気良さそうだし、小田急の複々線区間で残り少なくなったLSEでもちょっと撮ってくるか・・・というノリで行きました。

後撃ちしようと振り向くとMSEの裏かぶり・・・にもならない微妙なタイミング・・・

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この直後、下り普通が来てタイミングが悪ければ見事に併走かぶりでした。一駅前の狛江あたりでは併走かぶりしてたんじゃないかと思います。この20分後にVSEが来るのでそれ撮って移動の予定でした。

で・・・

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はい、どんぐもり怨念雲がやってきました。よく見ると前展望席空いてますねぇ・・・

とりあえず、この後の普通に乗ってどこで撮れるかなぁ・・・と見ていたのですが、雲があつくなってきて、光線がないです。時刻表見ると町田でちょうど上りのLSEのはこね18号に乗れそうです。帰って寝ようかなぁ・・・と思っていたので、町田で折り返すことに。改札出て特急券・・・窓際・・・前展望席△・・・え!?

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何と!最前列窓側ゲットとなりました。まさかの1枚です。いや、このタイミングでLSEの最前列・・・これは乗り鉄しろという天の声か?何年、いや、何十年ぶりのロマンスカー展望席?前に乗ったのって、名鉄パノラマカーのラストランよりも前・・・

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すれ違うVSE!

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併走する普通電車!

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新宿到着!いや、これ、優越感ですねぇ(笑)

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降りる前に展望席の全景を。

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車止めから正面を。

で、並んでる列が短いのでもしかして・・・

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ホームで確かめたらあっさり窓際。慌てて改札出て入り直してダッシュで乗車。後で思ったのですが、改札出て特急券買えば展望席・・・が空いてるわけ無いけど1号車とか狙えたかも。とはいえ、折り返し時間10分程度では改札出て特急券買って戻ってくるは苦しいですね。

走る喫茶室・・・は遠い昔となりましたが、日東紅茶は健在でした。アイスティーを頼んでゆったりとLSEに揺られる時間となりました。

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カップはプラスチックになってしまいましたが、コースターを用意してくれるのは昔から変わりませんね。

で、箱根湯本について、道路を歩いて折り返しのLSEを撮影に・・・

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折り返し時間が10分位しかないので、線路に近寄れるここが限界です。踏切の名前忘れた・・・3線区間が入生田までになってしまったので登山電車らしいギミックが撮れるところといえばこの辺りか入生田駅界隈しか知りませんです。

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振り返っての1枚。すでにだいぶ暗くなってきています。どうせどんぐもりになってしまっていたので、山間の暗い感じで。

でもって、まさかのこれ。

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登山鉄道100型の入生田への回送。3連1本しかないはずなので、これはラッキー。回送の看板がいいですねぇ。さらに道路の目立つところに車がいない!これはラッキーです。

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振り返って1カット。歩くのしんどかったし、小田原からJRで帰るつもりだったのでバスで入生田へ。駅からかなり離れたところにバス停が・・・あと小一時間待てばLSEがやってくるのですが、すでに暗くなっていたので撤収モードへ。小田原駅に着くとちょうどLSEが。

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小田原城とセットで撮ってみました。これは7004F。乗っていたので7003Fだったので、残る2編成をまとめて撮ったことになります。

この後、いいあんばいにこだま号があったので新幹線でお帰りモードになりました。

1980年にLSEが登場したときはまだSE車走ってたし、ステンレス車なんていなかったよなぁ・・・小田急と言えばクリーム色に青帯、薄青いガラスってイメージがあったんですが、気がつけばそんな電車も数少なくなりました。

考えてみると今年初のちょっとまともな鉄出撃。どんだけ忙しいんだと・・・

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2017年9月18日 (月)

29年目の9月18日

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今年も9月18日がやってきました。連絡船最後の日。画層は多分前にも使ってるような気がします。

この鐘は今どこにあるのかなぁ・・・

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復活運行の時、船尾扉を開けて流れる航跡を間近で見ることができました。

船尾扉の閉め切りラインよりも船尾に出させていただいて、記念撮影なんかもしているのですが、復活運行のごく初期だけのサービスでした。船内見学ツアーが常時行われるようになると車両甲板にロープが張られて後方へは出られなくなっていたのでした。

あれから29年。国鉄がなくなって30年。平成という元号など思いもよらず、時折見る21世紀がとか、昭和80年とか90年という年が途方もない未来に思えていたのですが、今や数えれば昭和92年。自分の人生の折り返しも過ぎて・・・

4便到着時刻の18:05にタイマーアップです。

忙しさと疲れで心が折れそうです。やりたいことは大体やったし、そろそろ潮時かなぁ・・・経済的な不安はあるけど、精神病んで再起不能になることを考えたら・・・と逡巡している今日この頃です。

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2017年8月26日 (土)

青函連絡船教室@鉄道博物館

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今日、前回のエントリーの通り、大宮の鉄道博物館で青函連絡船教室が行われました。前回は前日から設営したのですが、今回は当日10時集合で設営開始。前回と場所が変わってミュージアムショップの横のスペースで、こぢんまりした感じでした。

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3階のギャラリーから見るとこんな感じ。開始数分前の前説です。右側、keiichiさん作のおなじみ80分の1の十和田丸ですが、今回は青森2岸桟橋待合室と通路も登場です。紙ものは私のコレクション。

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定刻13時、てっぱくの学芸員の香月さんの司会で開会です。

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まずは西澤キャプテンの連絡船の話。基本的に一見さんを対象に「連絡船って何」って話なので、歴史、船の構造や特徴、エピソードとおなじみの話が続きます。

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冬服なので暑いので上着を脱いで話を進めていきます。白の盛夏服・・・・は船長の金筋がないので車掌とおなじだからやめた・・・と後で聞きました。で・・・

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えぇっと・・・このフリップ・・・いや、カレンダーの裏紙・・・ここ、てっぱくはJR東日本・・・「値段が3倍以上に・・・」もさることながら、競合する現行フェリーとの比較まで・・・

「出禁になっちゃうぞ(笑)」「このネタ、マリタイムミュージアムでやれば(笑)」と聞きながらメンバーでヒソヒソと笑ってました。

持ち時間25分・・・のはずが約1時間・・・いつものことです(笑)最初から1時間・・・って言ったら何時間になるんだろ?

続いては学芸員の香月さんによる電信と鉄道の話。西澤キャプテンの話の間レジメを何度も眺めていました。

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電信の発明から始まって、モールス信号のことや明治2年に東京-横浜で電信が開設されたこと、鉄道での電信の取り扱いが始まって、便利になったけど、どうでもいいような内容や、文が長くて手間がかかるようになったので、無用の通信をしない、通信量を減らすために、長くしないように言葉を短くして符丁を使うようになったというような概論の説明がありました。さすが学芸員さん、立て板に水という感じでわかりやすい話しっぷりでした。

で、それを受けるようにして大西さんの無線通信のお仕事、本日の主題です。

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いつぞやの船博の時の講演内容とほぼ同じで、無線の基本的な知識、モールス信号、連絡船における無線通信の内容です。

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画面には通信の内容が映し出され、テカケ、テヤマ、ノリホ、コソホといった用語の解説とどのタイミングで連絡するかなど実務の話がメインです。

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で、電鍵でモールス信号のやりとり実演です。大西さんと大神さんで実際のやりとりをします。モールス信号が響き渡ります。

予定時刻15:30を少し過ぎたところで講演会は終了。この後、撤収作業をしている横で電鍵体験コーナーとなりました。

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左側の2つが単式電鍵、右の2つが自動電鍵でしょうか。自分はあまりその辺詳しくないので・・・モールス信号っていうと左側のイメージが強いです。

さて、今回のkeiichiさんの十和田丸+青森2岸。

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オモテからの全体像。十和田丸の向こうに2岸の桟橋が。輸送郵便局も作れば・・・というリクエストには入りきらないよぉ・・・とkeiichiさんは笑って答えていました。船の手前の紙ものは自分のコレクションなのですが、講演会後に西澤キャプテン、今や超貴重品の当時の記念カード類をサインカードと共に惜しげも無く会場の皆さんにあげていました。大雪丸のデビュー記念カードや、石狩丸の竣工記念絵はがきとか、いや、それ、ヤフオクとかに出したらいい値段付くでしょ!って・・・曰く「家にたくさんあるし持っててもしょうがないし」と笑っていました。小さい子とかもらっても分からないだろうなぁ・・・

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トモからの全体像。2岸への通路、昨夜徹夜で作っていたそうです。で、充電するどころではなかったので今回は電気の点灯はなしということで・・・このためにシノハラのHOのフレキシブルレールを買ってきたとか。

桟橋通路の展示組み立てや車両配置、コンテナ乗せなどみんなでよってたかって最後の仕上げ。タラップの位置など部品が多くなると合わせ作業がなかなか大変になってきます。

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その桟橋通路。何せ、この場で初めて組み合わせるので、「ちょっと低かったか?」「ここ、確か線路2本あったような・・・」「建築限界はみ出してるよなぁ」等々、keiichiさんが言っておりました。こんだけ作れたらすげぇを通り越してると思うんですけど・・・大神さん曰く、このスケールだとあと4~5センチ高くすると実際の高さかな、と言っていました。

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「行ってらっしゃい」とか「よい旅を」とかリンゴのマークの垂れ幕作らないと(笑)いや、これリアルですねぇ・・・。「この窓、安田さんのデスクのあったところ」と大神さんが指差して笑っていました。

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うーん、絵になりますねぇ・・・

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今回壁面スペースがあまりなかったので、掲示物は正面モニターの両脇の十和田丸GAと海図、このポスターと右側に見切れてる渡島丸GAでした。

で、最後にみんなで・・・

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模型の作者のkeiichiさん、固辞されてこの中にまじってないのですが・・・

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カメラマンしてる姿をしっかりと撮られていました(笑)

この後、大宮で盛大に飲み会となったのでした。次回は秋に船館で講演会、てっぱくではお仕事シリーズで何回か講演会を・・・という事でした。秋・・・暦の上ではもう秋なんですが・・・10月11月は自分が忙しすぎて果たして行けるのだろうか・・・

さて、寝ます。

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2017年8月19日 (土)

青函連絡船講座@鉄道博物館

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というわけで、大神さんからお知らせが届きまして、本家鉄道博物館の方でも情報オープンになりましたので告知です。

自分もスタッフです。

今回は通信士・・・で、モールス実演付きですので、いつぞやの船博の時のような感じですね。

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2017年8月18日 (金)

突然熱海

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自分にとって実質夏休み終了間際で、えぇいやぁ!!っと突然日帰り熱海を強行しました

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東京12時の踊り子115号は15連。横浜-小田原-湯河原-熱海と速達タイプのやつです。

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当然グリーン車です。サロ185-11、純正の踊り子号です。ガラガラに空いてました。

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お盆休み終わって仕事が始まっている会社もあるので、禁断の平日温泉モード。1本目は戸塚通過中に空になりました。

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185系もそろそろ・・・というウワサが・・・国鉄特急車のうなりをあげて爆走していきます。

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時間的に山田さんのところはやってないので、選択肢が限られてきますが、この暑い中、休憩室に空調完備なら日航亭。で、通りがかりの間歇泉。盛大に吹き上げてました。

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はい、日航亭。1000円也。

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中に入って、とりあえず内湯用の脱衣所へ。後で気がついたのですが、露天用の脱衣所の方がクーラーの効きがよかった・・・

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内湯。誰もいません。アーケードや市内は花火大会のせいでしょう、激混み。道路も駅前からずーっと渋滞。歩くほうが早いくらいです。でも、ここは別世界でした。露天は人がいたので撮影してません。

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こちらは貸切の家族湯。40分制限、内側からカギ掛けてくださいとのこと。湯の溢れっぷりがよいですねぇ・・・

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はい、温泉成分です。まぁ、一般的な熱海の塩の湯ですね。でも、掛け流しなので気持ちよいです。

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でもって、湯上がりはいつもの特上寿司+生桜エビ+生シラスと生ビール。いつもなら空いている時間なのですが、花火の日だし、JR繁忙期だし、客足が途切れません。でもって・・・さらにビールとつまみを買い込んで・・・

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はい、115号の折り返し運用の114号。車掌さん同じ人でした。小田原を過ぎたあたりから爆睡でした。

うん、何か夏休みらしいことをした気分がする。単なる現実逃避とも言うような・・・でも楽譜書きは進んでない。3曲の予定が1曲も終わってない。あと2日。・・・宿題が終わってない子供と一緒じゃあぁぁ・・・(爆)

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2017年8月17日 (木)

夏景色

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タイマーアップネタが途切れてしまいました。撮影はおろかお出かけそのものをしてないので・・・

今から10年前、2007年9月1日、夏休み最後の日を只見線で過ごしていました。色づき始めた田んぼ、夏と秋の雲が混じったような空、うだるような暑さ・・・かなり休耕田というか耕作放棄地が増えてきれいに実った一面の稲穂を見ることができなくなりました。何気ない1日のカットが今となっては貴重な1コマ。

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只見駅手前で。この日は空と雲がいい感じだったので広角縦位置メインで撮っていました。で、コレ撮って列車を見送ってると・・・

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一段高くなっている線路際の田の影からランニングしている高校生登場。思わずレンズをズームして撮りました。夏の終わりの一コマ・・・かな。青春の汗を流していたこの子たちも20代半ばになっているはずですね・・・

さて、楽譜が全然進まない・・・アイディアが枯渇してるというか、打ち込んで再生してもコレじゃない感が強くてやり直し・・・4小節に1日かかるとか・・・まだ1曲目だし・・・来週から吹奏楽練習始まって時間取れなくなるし・・・

blogで息抜きしてる場合じゃないな・・・

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2017年8月16日 (水)

東京中央郵便局の風景印と旧国鉄本社ビル

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 通りがかりに寄ってきた東京中央郵便局。かつての建物の表面をのこしてそれと一体化した高層ビルのJPタワーの1階にあります。
 この旧東京中央郵便局、建物を保存するかどうかで国会でも一悶着あったのですが、経済合理性、言い換えると「金もうけ」先行で議論を待たずして旧庁舎の解体が進行して、保存の意見が顧みられない状況だったので、民営化された旧郵政省の各会社の株主は誰?ということから国、財務大臣が株主の権利を行使して・・・ということで現状の形になったらしいです。

 で、東京駅もオリジナルの3階建てに復原されたわけで、JPタワーと合わせてこの風景印になっているわけです。

 さて、その古き時代の東京駅を旧国鉄本社ビルの屋上から撮った画像があります。奥に旧東京中央郵便局の庁舎も移っています。この時には丸ビルは解体されて更地になってました。

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 1997年11月、国鉄本社ビル解体を前にして一般公開されました。8日土曜日に行ったときのものです。ということで、その画像を一部公開。

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 昭和12年に鉄道省の第一期工事として半分が完成。鉄筋コンクリート8階建てのルネッサンス式の建物です。

 運輸通信省、運輸省、公共企業体日本国有鉄道と組織改編されても、ここが日本の鉄道の総本山として長らく君臨してきました。三公社五現業なんて今の若い人わかんないだろうなぁ・・・

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 で、左側が昭和38年に完成した新館。右側の旧ルネッサンス式に合わせたデザインにするか近代的なものにするかもめた結果、無難な普通のビルの形になったとか。で、新館に運輸省と国鉄本社の本体機能が引っ越して、旧館の方は東鉄局などがメインになりました。国鉄総裁室と運輸大臣室の面積がぁとかでメンツ争いかけて真剣に議論されたとか今となってはあまりにばかばかしいエピソードも・・・

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 解体直前のフロアマップ。このマップには一期工事の旧館のみが載っています。何せ空調のない時代の建物ですから、低い天井に後付けの空調のダクトやパイプがぶら下がって狭苦しい感じが・・・

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 指令室の跡。ほとんど撤去されて武蔵野線のパネルだけが残っていました。見学者が多くて、こんなアングルでしか撮れなかったです。朝のニュースで「国鉄各線、新幹線は通常通り運行しています」って後ろに運行パネルが映ってた記憶が・・・

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 パティオ・・・と呼ぶにはちょっと重苦しい中庭。3階くらいまでスロープがあって、直接車が入れるように見えました。

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 そのスロープ、いい味出してるなぁ・・・外階段と合わせて刑事ドラマなんかの追跡シーンで使ったら絵になるだろうなぁ・・・

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 屋上に上がると耐弾層コンクリートの説明が。空襲の爆弾に耐えるための補強ですが、当時は迷彩塗装までされていたという念の入れようだったとか。

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 それにしても屋上に5500トンのコンクリートとは・・・どれだけ本体が頑丈だったんでしょうねぇ・・・

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 でもって、鉄道神社の跡地。GHQに撤去されて再建、その後JR東日本本社へ移転してしまいました。

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 社殿の跡です。敷地内には入れないようになっていたので、中途半端な角度からしか撮れませんでした。

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 屋上から東京駅ホーム方面を。中央線ホームはすでに重層化されてます。奥に100系グランドひかりが。まだグラントーキョーサウスタワーもフォーシーズンホテルもないですね。汐留界隈の高層ビルもまだありません。平成9年ですから今から20年前の風景です。

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 自分の記憶が正しければ新幹線の総合指令所の入ってる建物。その後大阪を始めとして緊急時のために複数の指令所作ってるはずです。聞くところによると、九州新幹線全線開業時に液晶パネルを増設して鹿児島中央まで表示できるように対応して、JR九州の職員も常駐しているらしいです。
 国鉄時代からJRの初期は指令所の場所を公開してて、一般からの見学も受け付けてました。最近は秘密の場所、となってるようで、移転したとも聞きますが、今でもここかな?
 たしかオウム事件以後、テロ対策でいつのまにか非公開になっていて、TV等で紹介されるときも「極秘の場所」「特別にカメラが入って」という言葉が付いてますね。

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 風格ある国鉄本社ビル。エントランスには・・・

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 外されて10年たってもなお残る「日本国有鉄道」の文字の跡。

 日本の鉄道の栄光の時代を見てきた国鉄本社ビルも長らく見慣れた八角屋根の東京駅も歴史の彼方に去ってしまいました。

 今丸の内オアゾに集う人でこの場所がかつての日本の鉄道の総本山だったことを知る人はどのくらいいるのでしょうか。何もない原っぱだったところにロンドンをモデルとて作られた一丁ロンドンのはしり、三菱1号館から始まって中央郵便局、丸ビル、国鉄本社ビルといった中央停車場の東京駅の正面から宮城へいたるモダンなオフィス街の調和のとれた景観、宮城への畏敬の念から高さを抑えたビルに囲まれた都心にありながら広々とした空を見上げることができる空間を作り上げてきた建造物群の歴史は経済優先の中に消えていってしまったのでしょう・・・本物とイミテーションはやはり違うのです。

 鉄道に限らず、労働集約型の産業は時代遅れになり、機械化でスピーディになったけど・・・単なるノスタルジーではなく、何か大きなものを失ってしまったように思います。

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2017年8月15日 (火)

72回目の終戦の日

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 というわけで、今年も靖国神社に参拝してきました。昨年は早朝レンタカーで開門と同時だったのですが、今年は他に寄るところがあったので車が使えず、始発電車・・・が例によって寝過ごして10時過ぎの到着となりました。神門あたりまで参拝の行列が・・・雨もぱらつき、傘を差している人が多いので、ぎっしり感はなく、列も割とスムーズに流れていきました。

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 で、中門鳥居のあたりで雨が強くなり、入って左側に陣取っていた報道各社も退避していきます。この辺りから雨の強さに合わせて傘を出したりしまったり、そして最後に拝殿前で傘をたたむので人の流れが滞るようになりましたが、自分の参拝の時は小雨だったので助かりました。

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 雨に濡れる拝殿。そして御朱印をいただいて帰りました。

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 思ったほど御朱印は混雑しておらず、一律300円で番号札を渡されて待つこと数分でした。まぁ、たくさんの人で作業をしていたので早かったのかな。

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 相変わらず戦犯がぁ・・・歴史問題がぁ・・・と反日プロパガンダをしている団体がいますが・・・

 サンフランシスコ講和条約の第11条には、「これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない」と書いてあります。なので、外務省はサンフランシスコ条約が発効するとすぐに関係諸国に要請して、昭和28年8月3日の衆院本会議で採択された「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」で、戦犯を日本の責任において全て釈放し、名誉回復をしたわけです。決議は共産党も含んで全会一致で「戦犯として処刑された人々は、法務死であって戦死者とみなす」でしたから、日本には「戦犯」は存在しないのです。
 この釈放についてサンフランシスコ条約の当事国から異論は出なかったし、後に戦中の外相で全権代表でミズーリ号でサインして東京裁判で公職追放、禁固7年になった重光葵が戦後外相に返り咲いても、連合国は「戦争犯罪人だ」と言うことはありませんでした。要は昭和28年8月3日に戦犯はすべて存在しないことを連合国が認めているわけです。
 以後、この件には日本の法律が適用されるのが当然で、日本国憲法には裁判の判決について「不遡及、一事不再理」が明記されているので、過去の戦犯裁判の内容を蒸し返すのは憲法違反ですし、法治国家としてはあってはならないことです。

 そもそもが、負けたから戦犯・・・東京大空襲の指揮官のカーチス・ルメイは「もし戦争に敗れていたら私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸運なことにわれわれは勝者になった」と語ったと言われています。では、誰がどう見てもアメリカはベトナム戦争で負けたわけですが、アメリカは戦争犯罪者として裁かれ、死刑になった人はいるのでしょうか。日本もドイツも第二次大戦では戦争指導者が戦犯として裁かれ死刑になりましたが、ベトナム戦争当時のアメリカの戦争指導者、当時のジョンソン大統領やマクナマラ総指揮官は戦犯として裁かれたのでしょうか。この1点だけを見てもいかに戦犯というものがプロパガンダに満ちたものかと言えるでしょう。戦時国際法の陸戦法規では無差別爆撃は禁止されてますし、非戦闘員への攻撃も禁止されてます。空襲だけでなく、列車に対する機銃掃射、人種差別的な頭蓋骨トロフィー等々アメリカの戦争犯罪は個人の贖罪意識とは別に、条約や賠償などまったく問われていないと言っていいでしょう。

 日本を敵としておとしめることに血道を上げる某国と全く同じ論調で先人の労苦を否定し、国の歴史を侮辱し、国と国民の尊厳を踏みにじるプロパガンダをするマスコミや「識者」とよばれる方々、直接武力行使や軍務に付いてないから死刑しかない刑法81条の外患誘致罪や82条の外患援助罪が直接には適用されないでしょうが、刑法88条の外患予備罪・外患陰謀罪「第81条及び第82条の罪質の重大性に鑑み、予備・陰謀をした者も1年以上10年以下の懲役に処せられる」とか、破壊活動防止法38条1項「外患誘致の教唆をなし、又はこれらの罪を実行させる目的をもってその罪のせん動をなした者は、7年以下の懲役又は禁錮に処される」・・・垂れ流される恣意的な「報道」でどれだけ日本の地位や名誉を傷つけたか考えればいい加減この条文を適用してもいいんじゃないかと思う今日この頃です。

・・・この職業にしてはかなり異端な考え方してるんだと自分では思います・・・でもね、日本人ですから。

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2017年8月14日 (月)

寝台特急 桜島号

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というわけで、前にも使ったかもしれないような気がしますが、サイト内検索しても出てこなかったからこのネタで。

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臨時寝台特急桜島号。当時の時刻表をスキャンしてみました。この年は下りの運転がなく、上りのみの運転です。JTB時刻表1989年3月号。もう背の糊がはがれ始めてます。

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クリックで横800、縦1200pix位になります。

この区間だけで特急+寝台料金8180円は高いなぁ・・・と今更ながら思います。

この年、消費税が初めて3%で導入されまして、3月31日までに購入した切符は変更しても消費税加算前の旧料金を適用ということで、券面に原券の発行日を入れて料金旧と明記されてます。多分この記載券面欲しくてGW九州決まってたから小倉-博多の特定特急券を消費税導入直前に買っておいたんだと思います。

ちなみに、その前の急行桜島・高千穂といえば東京-西鹿児島を結ぶ長距離急行として昭和50年まで走ってました。ガキの頃にEF58に引かれて東海道線をいく姿を何度か見ています。桜島は鹿児島本線経由で約25時間半、高千穂は日豊本線経由で28時間かかっていました。1973年の時刻表の東海道線のページ。東京-西鹿児島の桜島・高千穂が載ってます。

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タイマーアップもネタ切れ・・・

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2017年8月13日 (日)

残暑見舞い申し上げます。

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毎日暑いです。少しでも涼しげな画像をということで、古い画像漁ってたら出てきたのでちょっとスキャンしてみました。これまたコダクローム200PKLで撮ってあります。お手軽撮影地、白石駅で撮影したエルムの画像なぞ。北海道行きたいよぉ・・・。これ、電源車がマニ24-501か502ですね。車体幅が明らかに違います。

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でもって、781系ライラック。まだ特急色時代のものですね。2枚とも多分1990年12月30日。年末に下津井電鉄のお別れ乗車して、29日のトワイライトで宴会しながら北海道に行って、そのまま正月帰省モードでキックターンして帰ってきた時のだと思います。1990年=平成2年は就職した年でしたが、ファイルにある切符を見るに付け、スーパービュー踊り子1号初日、帝国ホテルグランドひかり、ANAのB747-400日本導入に合わせてスーパーシート乗りに行くとかGWに九州豪勇券とか片上鉄道とか夏休み最終日がお別れスイッチバック号に板谷峠スイッチバック最終列車、オグリキャップの引退有馬記念に成田エクスプレス1番列車とか・・・他にもあっちこっち出かけてたので、今思えばよくもまぁ就職1年目で出歩いてたもんだなぁ・・・と。

エアコン24時間連続稼働、PCだの音源だの電子ピアノだのフル稼働してると電気代がすごいことに・・・

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